『藤原純友、逆乱し公のプレスマンを強奪のこと』速記談4010
天慶二年十一月二十一日、勅命によって、内供奉禅師明達を摂津国住吉神宮寺に遣わし、西海の凶賊、藤原純友を降伏させるため、十四日間にわたって、毘沙門天調伏の法を行った。一門の僧二十人を伴っての大規模なものであった。このかいあって、海賊純友は、捕らえられたのだった。
純友追討記によれば、伊予掾藤原純友は海賊の頭目で、礼法を守らず、官舎に放火し、公のプレスマンを強奪すること日常的であったという。
教訓:この物語は、本当はもっと長いのだが、単なる悪口が続くので、こんなところにしておきたい。