不安
アリスと契約を交わしてから、幾日かが経った。
依然として自らの能力をどこまで信用していいのかわからない。
本当にウィスの発言はどんなことがあっても実行されるのか、という疑問に思う気持ちと、実際そうなってしまったら……という不安に思う気持ちが葛藤している。
窓際の席に座っている俺は、空を眺めた。
雲ひとつない快晴。
「今日は転入生を紹介するわ」
担任教師の一言で朝のホームルームが活気溢れた。
男だろうか、女だろうか。
どこから来た子だろうか、どうしてこんな時期にきたのだろうか。
さまざまな言葉が飛び交う教室。
「静かに!じゃあ南城君入って」
「ちぇーっ、男かよ」
男子からは残念そうな声が上がる。
南城と呼ばれた男はゆっくりと教卓の前まで歩いた。
第一印象は髪が長い。
下手をしたら女性よりも長いロングウルフの男。
教室内の女子からはカッコイイと声が上がっていた。
一方、男子からは良い視線で見られていない。
俺、あいつとなら付き合えるという、想像するのも身の毛のよだつ声が聞こえたわけだ。
一瞬目があった。
俺はすぐに目をそらしたが、向こうはこちらを見続けているようだった。
「……榊?」
呼ばれて驚いた。
「あら、榊君と知り合い?それならすぐにクラスにも馴染めそうね」
にこにことしながら先生が南城に自己紹介をするように言った。
話し始めたのはいいのだが、俺はまったく彼のことを思い出せずにいた。
「よろしくね」
隣の席に南城が座ったと同時に彼のことを思い出した。
フラッシュバックするかのように、一気にすべてを思い出した。
母の事故のことも思い出してしまい、気持ちが沈む。
「あ、ああ。久しぶりだな、南城」
「うん。榊ったら目そらすし、僕のこと忘れちゃったかと思って心配したよ」
「忘れるわけないだろ。髪伸びてて同様しただけだって」
南城の笑顔を壊すわけにもいかず、忘れてたなどとは言わなかった。
無意識に外を見た。
――――っ!?
目を疑った。
アリスが木にぶら下がっているではないか。
「榊、化学実験室には……」
チャイムが鳴ると同時に俺は駆け出した。
あいつが見つかるといろいろと厄介しかない。
校内に無断で侵入など……
もっとも恐れるのは、アリスを閉じ込めていたやつらに見つかること。
それだけは何としても避けなければ命の危険が伴う。
「お前!どういうつもりだ!」
「お前ではないと、何度言ったら……」
アリスは顔をしかめ、いつもの台詞を口にしようとした。
しかし言うより早く体育館倉庫へと連れ込んだ。
「何と手荒なやつだ。女はもっと丁重に扱え」
「バカか、お前は……いろんなやつにお前が見つかると厄介なんだ。家で大人しくしていろ」
「こんなところに連れ込んで……まさか、外出した仕置きに私を犯すつもりではないだろうな?」
「いいか、お前は男達に捕らわれていたんだぞ?近くにあいつらがいるかもしれない。危険だ、家から出るな」
「なんという男だ。見損なったぞ」
だんだんと頭に血が上るのが自分でもわかる。
こいつに話は通じない。
味方だの何だの言っておいて、結局は自分の赴くままに行動する。
ふと気がついた。
こいつに俺のこれからの行動を伝えていなかった。
何にせよ不安要素を増やさないでもらわなければならない。
「……ともかく、外に出るな。わかったな」
俺は返事を聞かずに扉を閉めた。
「ほんとに榊は昔のままだな」
「ミコト昔からこんなだったの?」
南城はすでに仲良くなった生徒会メンバーと昼食をとっていた。
手の早い副会長はすでに南城を生徒会部へ入部させた。
特に入りたい部もなかったからちょうどいいと言っていたものの、本当にいいのだろうか。
副会長の強引さには誰であろうと敵わないと思う。
「珍しくあの二人いるじゃん。南城、あいつら滅多に見れないから話しかけてくるといい」
「……ソンって意地悪だよな」
目で勝美を黙らせると、南城に再度促した。
「うん、気遣いありがと」
みんなに早く馴染むことができるように、という配慮だと思って感謝しているのだろう。
しかし生憎、そんなに優しくないのが実際のところ。
川崎舞と谷口綾はかなり排他的な性格をしている。
そのため、自分たち以外と会話することはほぼない。
そんな彼女達を放っておけなかった副会長がこの部に誘ったのだった。
「おかえりーどうだった?」
「仲よくなれそうだよ。生徒会部に誘ってもらえてホント、良かった」
みんな言葉を失った。
あの二人が口を利くなんて、驚きを隠せない。
ただ一人南城だけが不思議そうな顔をしていた。
平凡な一日の終わりを告げるチャイムが鳴る。
こんな日がずっと続くのも悪くないと思う。
「今日こそは町いくからな!」
「ホント、悪いが姉さんの具合があんまりよくなくてさ……」
「そうか……たまには息抜きも大切だからな。無理しない程度に頑張れよ」
これだけ嘘をつき続ける俺の言葉を信用してくれる勝美。
勝美には申し訳ないがこれからの計画をアリスに伝えなければいけない。
そう、俺の復讐を。
彼女は自分は味方だと言った。
信用するに値するかどうかはさて置き、契約を交わしたのだから俺を殺すようなマネをすることはないと思う。
「クソが……」
家の中をくまなく探した。
アリスの姿が見つからない。
あれだけ外には出るなと言っておいたのに……
まさかまだ体育館倉庫にいるだろうか。
あの放浪女が一日中あそこにいるとは思えない。
冷静になろうと思えば思うほど、頭は混乱する。
時計の針の音がさらに切り詰めた空間を圧迫する。
そうだ。
「姉さん、開けるよ」
「おかえり」
読んでいた本から顔を上げ、他人行儀な笑顔を向けてくれる姉さんを見ると辛い。
しかし今はそれどころではない。
今後の行動に支障をきたすかもしれないのだから。
「ここに女の子こなかった?」
「うーん。ごめんなさい、分からないわ」
「そっか、邪魔して悪かったね。少し出かけてくるから」
アリスは朝、飲み物を買ってくると言って俺の登校についてきた。
そのまま学校に来たはずだ。
姉さんも見ていないということは、学校からすぐにどこかへ向かったということか。
「ぁ……」
「どうしたの?」
「気をつけてね」
姉さんを見ていると、数え切れないくらいの感情が生まれる。
このときもまた、新しい感情を覚えた。
勝美には姉さんの看病と言ってあるため、変装して玄関へと向かった。
「……どこかへ行くのか?」
玄関には大きなダンボールを抱えたアリスがいた。
ドンっと床に置くと、大きなため息をついた。
「私がいないとそんなに怖いか?」
怖い……違う。
「安心しろ、前にも言ったが私は味方だ。勝手に消えることなどない」
「外に出るなと言っただろ」
呆れたような、安堵したような声だった。
自分では変な声だと思ったが、アリスは特に気にする様子もなかった。
「仕方ないだろう。これが切れた」
ダンボールの中を覗くと、こないだアリスが気に入って食べていたお菓子があった。
「こんなもののために身を危険に晒すな」
「大丈夫だ。あいつらは追ってこない。それより何か、私の美しさに魅了されて近くにいないと不安なのか?他の男に取られないか不安なのか?可愛いなぁ」
「バカ言え。それより大事な話がある」
「何だ、プロポー」
「今後の計画についてだ」
部屋に戻り、話を進めた。
あの男によって奪われた姉の記憶。
取り戻すためにあいつに直接会って話をすると。
そのための計画を伝えた。
「その男はピークなのだろう?人間の範囲で許される、ウィスに近い力を持っている。私には無謀すぎると思うがな」
「無謀でも何でもやってやるさ。これは俺の償いでもある。それにお前は……」
「お前の味方だ」
初めてアリスが笑った。
不気味な笑みではあるが、はっきりと笑った。
「明日から計画を進めていく。頼んだぞ」
「ふふ、お前は面白いな。茶番に付き合ってやろうではないか」