9.星空の下のエンネニーナ
セアトたちは移動の途中、何組かの死体をみかけた。
全てプリーア兵だった。中には首がなく体だけが放置されている者もいて、その中のどれかが、中隊長のコルネウスであり、百人隊長のプブリウスである筈だが、セアトたちはいちいち確認をすることはなかった。
幾度かの休息を挟みながらナズビートの街へと馬を進めた。
そのうちに、大地は赤く染まり、世界は薄暮へと様相を変え、さらには急速に闇に飲まれていく。
太陽の力が弱まると、気温が下がり始めた。
セアトたちはようやく停止し、夜営のための設営を行った。
空にはすでに幾つもの星が瞬き始めている。今はセアトたちの顔を焚火の炎が赤く照らしていた。
矢がなく、肉の調達ができず、食事は干し肉で出しをとった麦粥だった。
味気ないものだと思っていたが、香辛料が効いていて美味かった。香辛料はトラシルより東の地で生産されたものがこの地を経由して、プリーアへと運ばれていく。
食材はすべて修道院が用意してくれたものだ。トラシル兵が持っていたものもあったが、腐っていたので捨てた。
エンネニーナが準備をして調理をしたが、彼女の食はあまり進んでいないようだった。カップによそった麦粥をひたすらスプーンでかき回していた。
彼女よりも食が進まないのはデキムスだった。彼は戦場でセアトが見つけたときは動いていたので、意識があったはずだ。しかし、それ以降、目を覚ますこともなく眠り続けている。いまも彼をくるんでいるブランケットがわずかに上下に揺れているだけだ。
「総督は大丈夫だろうか……」
「わかりません。ナズベートの街によい司教様がいればいいのですが、街についたら教会を訪ねてみます」
エンネニーナが答える。
「そんなに深刻にならなくてもいい」
アウルスがつぶやくように言った。エンネニーナが彼を睨みつける。
「どうして、そんなことを言うんですか? トラシルの人をあんなに殺したあげく、あなたの味方の人も死んでもいいと言うのですか? あなたは一体何のためにこの地に来たのですか?」
「いや、そういう意味で言ったのではない。セアトやお前が、総督の容態にそこまで責任をもたなくてもいいと言いたかった……」
「アウルスさんの言い方は……、よくわかりません」
彼女の視線が麦粥に落ちた。
「おい、美人を泣かすな」
アウルスをラクタリスが肘で突いた。
「むっ、私は美人ではありません!」
「そうか? ここではそうかも知れないが、その顔ならプリーアに行けばモテモテだ」
「からかわないで下さい!」
エンネニーナが麦粥を口の中へと掻き込んだ。
夜営と言っても残党狩りや魔物の襲撃に遭う可能性を考えると、視界を遮るように周囲を覆うテントを立てることはできないので、焚き火を囲んでのごろ寝となる。見張りの順は、セアト、アウルス、ラクタリスの順番となった。
今はセアトが見張りにつき、アウルス、ラクタリスがブランケットにくるまって眠っている。
セアトの隣にはエンネニーナが腰を降ろしている。彼女は星空を眺めていた。
「眠れないのか?」
「いろいろありすぎて……」
セアトの問いかけに、エンネニーナは何かを話しかけようとしたが、途中でとめてしまった。
彼女は野営の訓練を受けていないので、そんなものだと思う。セアトは慣れていた。軍隊に入る前にはこういった旅を続けていた。ただ、訓練を受けていても興奮してなかなか寝付けるものではないことはわかる。さらには多くの死体を見た。そのうちの何人かに彼は手をかけた。こういったときは疲労が唯一の眠り薬だ。
エンネニーナは焚き火で湯を沸かしてミントのハーブティを淹れた。水はラクタリスが魔法で用意したもの、ミントの葉はエンネニーナが用意したものだ。香辛料といい、彼女の旅の荷物は充実していた。
たった一晩でよくできたものだと考えるが、きっと仲間の修道女たちが準備をしてくれたのだろう。修道院を出立するときに彼女たちが心配そうな眼差しでエンネニーナの姿を追っていたことを思い出した。
彼女からハーブティを注がれたカップを受け取る。口に含むとスッキリとした舌触りで、気持ちが安らぐ。
「異世界から来た人の話によると、星と太陽は同じ光を放つ星だそうです。私たちの暮らす星との距離で太陽は大きく他の星は小さく輝き方が変わるそうです」
異世界から来た者というのは、百年に一度、五十神が異世界から人を呼び寄せる者たちのことである。その目的には諸説あるが、遥か東の世界に住む魔王を討ち滅ぼすためだと言われていた。彼らはこの世界の常識を覆す『天恵』と呼ばれる技をもっており、絶大な力を持っていることから畏敬の念を込めて異世界勇者とも呼ばれている。ほかにも彼らには、エンネニーナがセアトに伝えたような知識や、彼らが持ち込んだ農業や手工業、街作りの工法など、この世界の発展にかかせない大きな役割を担っていた。
「俺たちの住む世界も太陽やこの星空と同じだというのか?」
セアトもエンネニーナの言葉を聞いて星空を眺める。幾つもの星が輝いており、星が集中するところは川のように見えた。
「いいえ、太陽や瞬いている星は恒星といって自ら輝いているのです。私たちの住む星は惑星と言って自転しながら、さらに恒星の周りを周回しています。この星は太陽のまわりを回っています」
「月も恒星か?」
セアトが尋ねる。東の空に三日月が浮かんでいた。
「月はさらに私たちの星を周回しています。衛星と呼ぶそうです。それと月は自ら輝いているのではなく、太陽の光を反射しているのです」
「だとすると、月から見ると俺たちの暮らしている星も光ってみえるのか?」
「月には空気がなくて人は住んでいないそうです。でも、この星は青く輝いて見えるそうです。それは海の色で、月の大地は砂漠なのでこちらからは黄色くみえます」
しばらく月を眺めたあと、視界を平原に戻す。見張りをしていることを忘れてはならない。星と月に照らされた大地は青白く静寂に包まれており、セアトたち以外の生物の気配はない。
「詳しいな。異世界勇者にあったことがあるのか?」
エンネニーナは首を振った。
「修道長が、異世界勇者と旅をしたというエルフの冒険者から話を伺いました」
エルフ族はプリーア帝国の西方の大樹海に暮らす種族だ。長い耳を持ち千年を超える寿命を持っている。エルフはその大樹海で自治を認められ種族で纏まって生活を送っている。エルフの長寿のように種族特有の特殊な能力を持った種族は、他種族と交わらず独自の集団で生活を送っている場合が多い。例えばプリーア帝国の北西には土の中で生活を送るという土龍族、さらにその北西の森で暮らす、翼を持ち空を舞うことができる有翼人族などである。
「知り合いの、知り合いの話しか……」
セアトがつぶやいた。
「むむむむっ、知り合いの知り合いは赤の他人だから信用できないと言いたいのですね!」
エンネニーナが頬を膨らませた。
「いや、別にそんなことは思っていない……」
「修道長は、かの有名なエルフの冒険者のマーマ・マーミ・マーム・スターユニオン様から直接話を伺ったのです!」
マーマ・マーミ・マーム・スターユニオンは誰でも知っている有名な冒険者の一人だ。ここより東にあるトラシルの街の一つであるデーナグにあった百階層のダンジョンを攻略したという伝説がある。
「十年以上前の話しですが、マーマ様はナズベートの街で暮らしていると伺いました。もしかすれば、お会いできるかもしれません。大層な美貌の持ち主だといっていましたよ」
エルフなので一〇年程度の時間の経過では容姿は変わっていないだろう。
「別に疑っていたわけではない」
気まずくなってセアトは言い直した。エンネニーナはため息をついて夜空を眺めた。
「こうして見ると星々は近くで寄り添いながら瞬いて見えますが、それぞれ一つ一つが大きな太陽で、その太陽が熱を伝えることもなく、こんな小さな光しか届けられないのです。あの輝きがここに届くまで何万年もかかるほどの距離で隔たれているのだと聞きました」
エンネニーナは昼間の出来事からようやく落ち着いたのか雄弁だった。セアトは彼女の声に耳を傾ける。
「神々の戦いのあと、人々は星々のように散り散りになって暮らしていました。しかし、私たちは寄り添って生きていくことを選び、今の生活を手に入れました」
エンネニーナの視線はいつしか、セアトに注がれていた。彼女の青い瞳には幾つもの星の瞬きがあった。セアトは息を飲み、彼女を見つめ返す。
「あなたはどうして、今日、人を殺したのですか?」
「エンネニーナの言いたいことはわかる。人を殺すなと、ひいては戦争をやめろと言いたいのだろう。だけど、それは理想論だ。現にプリーアとトラシルは俺たちが生まれる前から戦争を続けている」
セアトの返事に彼女は首を振った。
「そんなことはわかっています。歴史やあなたの置かれている状況などはどうでもいいのです。あなたが、これは戦いだから、兵士だから、命令だから、相手が襲ってきたから、生きて行くためだから、などの理由で人を殺すのは違うと思います」
「……」
「流されてほしくないのです。疑問を持ってほしいのです。あなたの道を探してほしいのです。あなたに理想はありますか?」
「俺は……」
つぶやいたものの彼女の言う通りであった。昨日と今日の戦いには感情を挟む余地などなかった。プリーア兵としてトラシル兵を殺したにすぎない。
「私は少なくともこの戦争が落ち着くまで修道院には帰れません。それまではあなたと行動を共にしてあなたとデキムスさんが無事にリシャルの街へ帰れるように協力します。これでも仲間になったつもりですから。でも、今日みたいに当然のように人を殺していくのなら、私の心は壊れてしまいます」
「わかった。俺のような身分の者が理想を掲げたところで、この世界の戦いがなくなることはないと思うが……」
上手く考えを伝えることができないが、少なくともプリーアとトラシルの戦争状態を解消し、彼女が彼女のままで修道院で生活を送れる世界をつくる。ときとして、理想はより大きな争いを生む可能性はある。それでも、剣は彼女のために使おうとセアトは思った。
「セアトさん、結果は同じかもしれません。でも、何も望まない人になってほしくありません」
黙り込んだ彼の手をエンネニーナが掴んだ。そして顔を見合わせた。
そのときである。アウルスがむくりと起き上がり、大きく伸びをした。見張りの交代の時間だった。