6.リシャルの街での出来事
魔法使いの青年はラクタリス・テュリク。青い長髪で切れ長の目には髪の色と同じ青い瞳を浮かべている。美男子であった。彼はプリーアの東方司令部の魔法師団に所属していた。兵卒という一介の兵士と変わらない階級だが『蒼球の魔術師』の二つ名と共にその才覚は知れ渡っていた。顔を合わせたことはないが、もちろんセアトもその名は知っていた。
誰にでも魔力は宿っているが、魔力を魔法として発動できる者は百人に一人と言われている。セアトと同じ兵卒ではあるが、その扱われ方はまるで違うエリート部隊の所属である。そして、彼はその中でも名を知られた存在だ。
「蒼球の魔術師……、そうきゅう……、あおいたま……、ブルー……」
エンネニーナが指の上に顎を乗せて眉を寄せていた。
「なんだ? ラクタリスのことを知っているのか?」
「い、いえ、初めてお会いした方です」
アウルスに聞かれ、慌てて否定する彼女の顔は赤く染まっていた。
「それにしても、アウルスも無事に戦場を離脱できたんだな?」
セアトが話題を変えるようにアウルスに話しかけた。
「ああ、セアトが戦場を逃れたのを確認した後、いろいろあったが探しものも無事に回収できた」
アウルスが布に包まれた長物を渡してきた。槍だと思いながら解いてみると、プリーア帝国軍の軍旗だった。軍団にとって東方総督とこの軍旗はセットのようなものだが、もはや何の意味もないような気がした。
「取りに戻ったそのときにこの男に会った。この男も死にかけていた」
「死にかけてはいない。魔力切れで気を失いかけていただけだ」
ムスッとしてラクタリスが返事をした。
今は野営地で修道院で貰い受けた朝食を全員で分けて食べている。干し肉を硬いパンで挟んだ単純なものだが、修道院で秘蔵されていたという香辛料をかけるとうまかった。飲み物はラクタリスが水魔法で用意をしてくれた。
アウルスはセアトと別れたあと、ラクタリスと合流して戦場を離脱した。そして、セアトの後を追って走り、修道院を見つけた。建物の外から観察すると修道女に連れられて廊下をデキムスを背負って歩くセアトの姿を確認できたが、不必要な接触を避けるため、彼らが出てくるまで潜んで待つことにした。
しかし、セアトとデキムスの二人のはずが、明け方に姿を現したのは三人だった。セアトの背中の膨らみからデキムスが担がれていることはわかったが、二人はフードを被っていたため、彼を運び出そうとする人物を確認することができず、アウルスたちは尾行して状況を把握しようとした。
「修道院内でセアトが殺され、総督は囚われて連行されている可能性を考えていた」
敵兵を生きたまま捕らえることができると、奴隷として売れるし、身分の高い者なら多額の身代金が期待できる。辱めを与えて晒し者にしてもいい。
「それで、総督は相変わらず壮健だな」
アウルスが目を覚ます気配のないデキムスに視線を注いだ。彼はアウルスに軍旗で突かれた時の状態で倒れている。
セアトは彼の容態について、修道院で治療を受けたが意識を取り戻すまでには至らなかったことを簡単に説明した。
「まあ、起きていたら何を命令されるかわからない。命令に従ってまた奇襲を受けるのは嫌だから、リシャルの街までこのままの方がいいだろう」
アウルスが皮肉めいたことを呟いたが、セアトは同意できなかった。いつまでも彼を背負ったまま移動したくない。
「……」
セアトのとなりに腰をおろしていたエンネニーナは、静かにデキムスの様子を眺めていた。
「エンネニーナ、何か気になることがあるのか?」
「い、いえ、何もありません」
エンネニーナが慌てて首を振って返事をした。
ラクタリスがため息をついた。
「それにしても、私の火球がこんな小娘の魔法障壁に防がれるとは……」
その一言に命を失いかねない本気の一撃であったことをセアトは思い知る。彼も本気で斬りつけたのだから相応の反撃を受けたのは仕方がない。
先ほどひねった足首はエンネニーナの治癒魔法を受けてすでに治っていた。彼女はアタッカーには不向きだが、防御や回復役としては優秀なようだ。
「そういえば、デキムスの娘かも知れないということだったが」
セアトは、先程、エンネニーナが彼のことを眺めていた姿を忘れることができなかった。
エンネニーナはそれに頷くと、昨日、修道長から聞かされた修道院に拾われた時のことを話した。
「なるほど。それでこの剣が二本あって、プリーア金貨もあるわけか」
ラクタリスが布袋から金貨を一枚取り出して、空へ向けて彈いた。
すでに太陽が昇り、昨日と同じように大地を照らしていた。
落ちてきた金貨を掴み、袋の中へ戻す。
エンネニーナは自分の身の上の確認のために剣は持っていこうとしていたが、金貨は修道院のために置いていくつもりだった。
しかしその場合、敵国の奥地で敗残兵として残されたセアトが取れる行動など限られていた。略奪や強盗を繰り返しながらリシャルの街を目指すことになるだろう。トラシル側から見れば迷惑極まりない行為であるが、プリーア側から見ればささやかな反攻と言えなくもない。
修道長にエンネニーナもそれに加担するのかと問われ、仕方なく路銀として持っていくことにした。
「デキムス総督がその任についたのは一〇年前の事だ。その前は帝都の勤務だ。彼の隠し子ということはないだろう」
「そうだな。可能性があるとすれば前任の……」
ラクタリスがアウルスの言葉を継ごうとして止めた。物憂げな視線をエンネニーナに送る。
「私を気遣う必要はありません。拾われる以前の記憶はありませんし、修道長から教わった今の話も他人事のように思えています。私は修道長と修道院のみんなを母であり姉だと思っています」
エンネニーナが言った。
前任の東方総督は叛意がある疑いをかけられ、帝都から派遣されたデキムスによって討たれた。十一年前の出来事である。確かに前任の東方総督は軍事行動を嫌う傾向があり、帝都からの司令を受けても積極的な軍事行動をとらなかった。そういったことから謀反を企むような男ではなかったという。しかし、帝都ではそれが叛意に見えた。
デキムスは帝都から軍を率いて内海を船で東進しリシャルの街を包囲した。前東方総督は籠城を続けたが、身内の裏切りにより暗殺され、開城へと至った。
結果、裏切った者以外の彼の一族は処刑されるという厳しい処罰がくだされた。
「猫耳族の妻か愛人がいたのだろうか?」
セアトがエンネニーナの表情を見ながら呟いた。今朝の旅立ちのように特に悲しんでいるようには感じられなかった。
「いや、そこまではどうだったか……」
ラクタリスが答え、アウルスもそれに続いて首をふった。プリーアでは内乱が多く、このように皇帝が派閥勢力を潰しにかかる場合も珍しくない。配下の者たちにとって、いちいち覚えていられないということもあった。