12.消えた東方総督
セアトたちが宿屋に戻ると、一階の酒場兼食堂にアウルスとエンネニーナがいた。
先に食事をしているのかと思ったが、二人が腰を下ろすテーブルには料理どころか飲み物も置かれていなかった。
「おい、暗い顔をして何をしているんだ?」
ラクタリスが二人に話しかけた。
「……まずいことになった」
アウルスが言った。
「なにがあった?」
「教会へ行った後、一旦宿に戻ったんだ。すると部屋の鍵が開いていた」
「まあ、鍵は宿の者に預けて出ていったんだ。それにたいした貴重品も置いていない。掃除にでも入ったんじゃないか?」
アウルスは首をふる。
「部屋に入ると総督が消えていた」
「何だって!」
セアトとラクタリスが驚いて声をあげた。
「目が覚めて一人で立ち去ったと思ったのだが……」
アウルスの隣でエンネニーナが紙切れを取り出した。それをラクタリスが取り上げた。セアトも覗き込む。
――男は預かった。返して欲しければ、身代金として金貨五〇枚。
女一人で金をもって、闘技場の周りを歩き続けろ。――
「読んだか?」
ラクタリスが尋ねた。文字が読めるかの確認だったのだろう。二人はうなずいた。
「日付は書かれていないな。これを読んだら直ちにということか……、それにしても我らが総督の価格が金貨五〇枚か。いくら無能とはいえ、掘り出し物の奴隷1人分の金額とは舐められたものだ」
ラクタリスが手紙を弾いた。ゆらゆらと揺れ床に落ちる。
エンネニーナがそれを拾い上げた。
「お金ならあります。私、行ってきます!」
散歩にでもいくような気軽さで彼女は言った。
「待つんだ。相手は攫った男がプリーアの総督だとわかってない。知っていたら、桁の違う金額を要求したはずだ。でも、総督を盗み出せると知っていて、人質としての価値があるとわかっている者だ。気づけなかったが、この街にたどりつく以前から尾行されていたのだろう。だとすれば。俺たちの行動からプリーアの敗残兵だと知られている可能性は高い。そして、身代金を払ったとしても開放される保証はないし、さらに、君も捕まって売られてしまう可能性がある」
「そんなっ、デキムスさんも大切な仲間なんじゃないですか!」
セアトの言葉にエンネニーナが非難の声をあげた。彼女の肩をなだめるようにラクタリスが軽く叩いた。
「腹が減っている。飯でも食べながら、一度、冷静になって考えよう」
野菜と豆で煮込まれたスープをすする。
他には少量の肉、足りない分をパンで補う。飲み物は山羊乳のアイランだった。
飯を受け取るときに宿屋の主に、デキムスを運び出す者がいなかったか尋ねてみたが、彼は首を振った。他にも、たむろしている者にエールを奢って尋ねてみたが、めぼしい情報は得られなかった。
部屋は二階だ。連れ出されたとしたら、通りに面した側ではなく中庭側にロープを使って降ろしたのだろう。その後の足取りを掴むことはできなかった。
「どう考えても、エンネニーナを一人で行かせるわけにはいかない。いなければいないでリシャルに戻れば総督の代わりはいくらでもいる。しかし、エンネニーナの代わりはいない」
「だけど、デキムスさんはあれから一度も目を覚ましていません。容態が心配です……」
エンネニーナの猫耳が伏せられた。一度も会話をしていない赤の他人のことを、どうすればここまで感情移入をして心配できるのだろうか。セアトは素直に感心する。
「そういえば、教会では総督を診てくれそうだったのか?」
「はい。それを聞いてすぐに宿屋に引き返したのです」
エンネニーナはセアトに頷く。
彼女たちが見ず知らずの教会の者と長話をするとは思えない。誘拐は短時間のうちに行われたのだろう。
「それを聞くと、手慣れた者の仕業に見える。それか……」
「この宿屋の宿泊客だ!」
セアトの言葉をラクタリスが継いだ。宿泊客なら簡単にデキムスを移動させて自分の部屋に隠すことができる。
「それなら、宿の人にお願いして全部の部屋を確認すれば……」
エンネニーナが立ち上がろうとした。
「まて、俺たちだって追われている身だ。客の中には俺たちと同じように詮索を受けたくない者も多いだろう。宿屋の主人もそういった清濁を飲んだうえで客を泊まらせているんだ。絶対にトラブルになる。反感を買いたくないし、目立つ行動を取るのもマズい」
「捜索中に置き土産として殺される可能性もある」
セアトの考えにラクタリスも同意する。
「それでは、どうするつもりですか?」
エンネニーナがセアトに尋ねた。
「……そうだな。この手紙には期限が書かれていない。身代金を持って闘技場の周りを回るのは今日ではなくてもいいということだ。考える時間が必要だ。とりあえず、総督はそれまで預かっておいてもらおう」
「無事だといいのですが……」
「眠っている限り人畜無害なはずだ。賊が殺すつもりでいるなら、もう死んでいるかもしれないが、手練れの賊なら必要以上の恨みを買いたくないはずだ。無理に殺したりはしないだろう。ただ、今までは回復薬を無理に飲ませていたが、栄養を摂らないと弱ってしまう」
エンネニーナの問いに、セアトよりも先にアウルスが答えた。
「あと、昼間と同じように絶対に一人で行動をすることは避けよう」
「それなら、私とセアトさん、アウルスさんとラクタリスさんにして下さい」
「なぜだ? 戦闘力が高い俺とエンネニーナ、前衛のできるセアトと魔法使いのラクタリスの方がバランスがいい」
「あなたが怖いんですっ! いつ胴体がなくなるのか不安です!」
「……エンネニーナはまだ俺がお前にそんな事をすると思っているのか」
がっくりとアウルスが肩を落とした。
セアトたちの会話を盗み聞きしている二人組がいた。
ルスティカとセルウィリアの二人組みである。二人はフードを深くかぶっているが、二人には巨大な角がある。不自然に目立っていた。
「どーするの? みんな見抜かれているんですけど!」
セルウィリアは周囲に会話を聞かれないように声を顰めながら責めるように言った。
「うっ、うるさいっ、静かにして。彼らの会話が聞き取れないでしょ?」
「……だから生物は嫌だったのよ。扱いが面倒くさすぎる。このままだと、あのおっさんと一晩を過ごすことになる」
「ノリノリだったのはそっちでしょ! それに眠っているだけで実害はないんだから微妙な言い回しをしないでっ」
ルスティカはエールを一気に飲み干す。セアトたちから情報料の代わりに奢られたものだ。
彼らから話しかけられたときは、驚きのあまり心臓が止まりそうになった。セルウィリアが取り繕うように早口で何かを答えていたが、何を話していたのか全く覚えていない。
デキムスが彼らにとって重要な人物であることはわかっていた。
もともとの計画ではデキムスを自分たちの部屋に隠し、闘技場を回るエンネニーナから身代金を巻き上げる。周回させるのは他の三人の視覚が届かないところで接触をするためだ。彼らはプリーア兵だ。この街の者に手助けを求めることはできない。金を巻き上げた後、部屋の番号を教えて街から去るだけだった。ほとぼりが冷めた頃にまた戻ってくればよかった。数日待てば彼らはリシャルに向かって旅立っているはずだ。
しかし、すべてをセアトに見抜かれていた。しかも、エンネニーナは身代金を持って現れないという。
「それにしても、あの男は総督だと言っていた。駐屯兵に垂れ込んだほうが金になると思うんだけど」
「報奨金を払われる保証がない。それに私たちの家業を忘れたの? 利用するのはいいけど、頼るのはダメ」
会話を続けていると、セアトたちが立ち上がった。部屋へ戻ろうとしているようだ。
その背中を黙って見送っていると、セアトが二人の方へと振り向いた。
「んぐっ!」
思わず叫び声を上げそうになるのを必死で抑えた。
何か言って来るのかと思ったが、彼は片手をあげてにこりと微笑んだ。先程、情報交換をしたことで勝手に親しくなったと思っているのだろう。しかし、なんとも言えない人懐こさを感じさせる柔らかな微笑みである。
二人は引きつりながらも笑顔を作って微笑みを返した。
彼は他の者たちにも同じ挨拶を送った後、仲間の背を追って階段を昇っていった。
「……もしかして、私たちが誘拐したことまでバレているんじゃ……」
セルウィリアが呟いた。彼は犬耳族なので、人族よりも相当に耳が良いことは彼女たちにもわかっている。だから会話には細心の注意を払っていた。聞かれていないという自信はあった。しかし、遠くから観察をするはずなのに一瞬にして距離を詰められて会話までしてしまった。
「おっさんを適当なところに転がして、逃げ出したほうがよくない? アウルスだっけ? あの剣士、味方に怯えられていたしヤバすぎるでしょ」
「それはできない。彼らを追跡した数日が無駄になる。それに最低でも金貨五〇枚を持っていることがわかったんだから。それはなんとしてでも頂かないと」
誰かが見ているわけではないが、一度手を付けた仕事を途中で投げ出すことはルスティカにとって許されることではなかった。それに、セアトたちはプリーア人である。彼らは、ことあるごとにトラシル領内に攻め入り、荒らしていくのである。金貨五〇枚などささやかすぎる取り立てであると言えた。
「ここにいても仕方がない。私たちも部屋に戻ろう」
「えー、あのおっさんのいる部屋で寝るの嫌だなぁ……」
セルウィリアは残りのエールを飲み干した。二人は酒場を後にした。





