11.魔女の館
アウルスとエンネニーナと別れてラクタリスと向かった先は庭付きの屋敷だった。
門から中の様子を眺めると、庭には雑多な草が伸び放題で、手入れがされている様子はない。
そして建物も他と同様に石のレンガで建てられたものだが、古臭く、廃屋のようにみえた。
「どこかに引っ越ししたのでは?」
「いや……、セアト、剣を抜いておけ」
ラクタリスが答えた。
「強盗に襲われたのか? しかし、この荒れ方はかなり以前からのように見える」
セアトの返事に答えず無言で杖を構えるラクタリスの姿を見て彼も剣を抜いた。
「門を開けてほしい」
ラクタリスの言葉に頷くと、セアトは門を開き庭へと進んでいく。そのときに何か水の膜のようなものを突き抜けた違和感を覚えた。耳に膜が張ったような感覚が残る。
「結界魔法だ。外敵の侵入を感知するためのものだ。息を吸い込んで耳に呼吸を送れ。違和感が取れるはずだ」
彼の言葉のとおりにすると耳の違和感が取れた。
「こういった魔法はラクタリスも使えるのか?」
「ああ、しかし常に魔力を消費してしまうので、日常的にはつかわない。おそらく、魔力種かクリスタルコアのような魔力が蓄積された鉱石を使用してる」
クリスタルコアは女神リシャルが神々の戦いで破壊した欲望の壺から溢れたものの一つだという。絶大な魔力を有している。魔力種は魔物を倒したときに運が良ければ手に入れることができる石だ。どちらも希少性が高い。
「油断するなよ」
再び警告を発するラクタリスの頬を汗が伝った。それを見たセアトは改めて気を引き締めると、雑草をかき分けて扉へと近づいていった。
質素な木製の扉である。しかし、かなり年季が入っており、今にも朽ちそうだった。その扉に手をかけて奥へと押したが、動こうとしなかった。仕方なく手前に引き直すと扉は開くが、見えたものは石の壁だった。
「人よけのトラップだな」
ラクタリスが石の壁に触れようとすると、その手は何の抵抗もなく石の壁に吸い込まれるように消えた。奥へと進んでいくと石の壁に彼の体が飲まれていくようにのめり込んでいった。セアトもそれに続いた。
二人は壁をすり抜け建物の中にいた。
建物の中は広いエントランスになっている。
内装も外観同様に木で作られた装飾は朽ちかけ、外壁と同じ石の壁がむき出しになっていた。
「姉弟子!」
ラクタリスが叫んだ。しかし反応はなかった。
「ハーハル! ラクタリスだ」
彼が再び呼びかけたその時に、彼らの足元に黒いサークルが現れた。そこから無数の石の槍が飛び出してきた。二人は飛び退ってかわした。息を整える間もなく、空中に無数の氷の槍が現れ、彼らに降り注ぐ。
セアトは剣では弾き、ラクタリスは無数の火球を作り出し、応射して対抗した。
「ハーハル、弟弟子が尋ねてきたというのに、ひどいじゃないか?」
攻撃が収まったあと、そこには一人の女性が立っていた。妖艶な雰囲気のある女性だった。一本の角が額より生えているのは、彼女が魔族であることを物語っていた。
魔族とは、犬耳族や猫耳族のように種族を指す言葉である。高い魔力を有し身体能力も高く、人族の倍の寿命があるという。彼らはトラシルよりも更に西方の出身とされ、そこには彼らが支配する王国がある。
「あなたは師の言葉に逆らって私たちの元を去った。もう私たちは師弟の関係にはない。ハーハルと呼ばれるのは虫唾が走る」
「では、ウルシャ・ハトン」
ラクタリスは余裕を持った笑みを浮かべていたが、こめかみのあたりが僅かに引きつっていた。
「……俗世の下らない争いに加担し、酷い状況になっていることは知っている。せっかく尋ねてきたのだから飲み物ぐらいは出してやろう」
ウルシャが指を弾くと、室内の景色が一変し、木製の調度品と、温かみのある絨毯で飾られた部屋に変わった。窓から見える庭も、整備された美しい庭へと変わっていた。
そして、メイド服に身を包んだ娘が奥の部屋から現れた。セアトよりも年下だ。彼女の髪に混じって植物の茎が伸びその先端には小さな薄紅色の花が幾つも咲いている。花族であった。
彼女が小さく頭を下げて挨拶をする。彼女の持つ盆には蜂蜜酒の入った酒瓶と三つのグラスが乗せられていた。
「弟子をとったのか?」
テーブルにグラスを並べ蜂蜜酒を注ぐ娘を眺めながらラクタリスが言った。
「どうかな? 働き者ではある」
ウルシャは興味なさそうにつぶやくとグラスをとった。セアトとラクタリスもグラスを手にして掲げる。
「弟弟子の当然の報いに」
「それで、お前は私に何を求めている?」
プリーア軍の東進、そして敗北からの潰走、この街に至るまでの話をラクタリスから聞き終えたウルシャは言った。
「何かをして欲しい訳ではない。俺たちはリシャルの街に戻りたいが、とにかく情報が不足している。関係がないと思える事、些細なことでもいい。今の状況を知っているなら教えて欲しい」
ラクタリスが頭を下げ、ウルシャは鼻を鳴らす。
「俗世の情報を私に求めるのか?」
「トラシルの領内にはつてがないんだ」
「本当にバカだな。そんなところに攻め込んで一体何を求めているんだ。しかし、セアトが訪れた修道院には私も世話になったことがある。そしてお前と行動を共にしている修道女、エンネニーナの噂も聞いたことがある。そのことに免じてできるだけの情報は教えてやろう」
「エンネニーナのことを知っているのか?」
セアトが聞き返すとウルシャが首を振った。
「噂だけだと言った通りだ。プリーアの前東方総督には確かに猫耳族の愛人がいたと聞いている」
ウルシャはエンネニーナのことについて、それ以上のことは触れようとしなかった。
「トラシルが今回の侵攻に対して、確度が高い情報を得ていたのは事実だな」
彼女が言い切った。
「どのようにしてそれを手にしたのだろう?」
「問題はプリーア側にある。リシャルの街は一枚岩ではなかったのだろう。デキムスは中央から来た総督だ。そして、前総督は内乱の罪を着せられ彼によって殺され、一族は討ち取られた。死んでもらいたいと願う者もいただろう」
「その者たちによって今回の東征は引き起こされたと?」
ラクタリスが尋ねる。ウルシャは頷くことも首を振ることもなかった。
セアトも首を捻り考える。
「トラシル側にあまりにも都合よく事が進みすぎている。少なくとも総督には国境周辺に兵を送り込んだとき、そして、シャヘンの街が降伏したときの二回、リシェルに引き返すチャンスはあった。そこで彼を引き返させることなく、さらに奥地へと総督を引きずり込んだ餌は何だったのだろうか?」
「さあな。そこまではわからないが、デーナグが地震のためにかなりの城壁が崩れ落ちたまま修復されていないことは、お前たちも知っているだろう」
デーナグの街はかつてこの地で栄えた王国が首都としていた街である。そして、トラシルの王都ロドフランの目と鼻の先であった。セアトも地震があったとう噂は聞いたことがあった。一年以上前の話だ。
そこの攻略が今回の遠征の目的だったというのだろうか。しかし、確かに王都攻略の為の足がかりとなる都市だが、周囲をトラシルの都市が囲んでいるのだ。逆に包囲され孤立してしまう可能性がある。それでも、デキムスには戦いに打って出れば勝つ自信があったのだろうか。
「トラシル側にも内通してプリーアに情報を流していた者がいるのかもしれないな」
「二重スパイの可能性はあるが、そうだろうな」
セアトの言葉にウルシャが頷いた。
「しかし今の状況だと企てたものは慌てているだろうな。トラシルは勢いに乗ってリシャルの街を落とそうとしている」
プリーア側の企画者はデキムスを遠征の失敗で失脚させたあと、東方総督の後釜とはいわなくともそれなりの地位につくことを望んでいたはずだ。
「残党狩りの情報によると、トラシル軍は軍を三方に分けてシャヘンの街の奪還に向かうと言っていた」
シャヘンの街は、トラシル軍が向えば戦うこともなく城門を開くはずだ。街に駐在するプリーアの政府関係者はすべて捕縛されるだろう。いや、すでに捕らえられている可能性もある。各街から兵を集めて落とそうとしているのはやはりリシャルの街だ。
「これは情報でなく、私の予想でしかないが、シャヘンの街に向けて二軍、渡河をしてリシャルを直接狙う軍が一軍……」
トラシルは国を三分するように二本の大河が流れている。北側のトラグス川、南方のイエユム川である。その川に挟まれた地域が国の穀倉地帯となっている。リシャルの街を出発したプリーアの東征軍三万はその中央の穀倉地帯を進軍し、シャヘンの街を落とした。そしてシャヘンとデーナグの街の中間地点、ナズベートの北のミナレイヤ平原まで進み、王都ロドフランから西進してきたトラシル軍七万の急襲にあい壊滅した。
ウルシャの予想では、中央の穀倉地帯の北側を三万の軍、南側も三万の軍で西進し、プリーアの残党を掃討しながらシャヘンの街へ向かう。そこで、街の統治権を取り戻し、さらには各地から集まった軍団と合流してリシャルの街を目指す。
残りの一万は南のイエユム川を渡り、ナズベートの軍と合流したあと、先行してリシャルの街とシャヘンの街の間に展開して、周辺の小都市や村落をトラシル側につかせる工作をして、リシャルまでの兵站を構築する。
「この街でも兵が集められているのを見てきたはずだ。明日にも本国から司令部が到着する。それを待って出立することになる」
「規模は?」
ラクタリスが尋ねた。
「五千ぐらいだろうな。ダルバンドあたりで、三軍のうちの南下した一万と合流する」
ウルシャは締めくくった。最初からトラシル軍はミナレイヤ平原での勝利を確信していたかのような準備の良さだ。高官クラスの内通者がいてプリーア軍の動きは筒抜けであったと考えるべきだろう。
「ダルバンドとは?」
「この街より東に進んだところにあった街だ。かつてはナズベートよりも栄えていたが、数十年前に水害により滅んだ。街の遺構は残りそこで生活を続けている者もいるようだが、再興されることはないだろう」
川の流れが変わり、治水を行って街を再建するよりも移住をしたほうが良いと判断されたのだろう。
その言葉を聞いてセアトは考え込む。
「どうした、何を考えている?」
ラクタリスがセアトに問いかけた。
「もし、プリーア軍でまとまった集団、連隊クラスの隊長が生きていれば何処に逃げ延びるだろうと考えていた」
プリーア軍は百人隊と呼ばれる小隊、それを五隊に束ねた中隊、さらに中隊を十隊に束ねた連隊から成り立っている。今回の東征は六連隊から編成された師団だ。ただし、そのうちの一連隊は、セアトが所属する情報偵察隊、ラクタリスが所属する魔法部隊、輸送部隊、医療部隊、工兵部隊、兵站部隊などの補助兵からなる構成となっている。こういった補助兵は連隊の中の一部隊であることも多いが、今回は大規模遠征のため一連隊に纏められていた。
そのうちの一連隊でも残っていればと考えていた。
「そうだな……、シャヘンはプリーアに帰順したと言っても、罠にはめられたことを考えるとこの街を経由して帰還するのは考えづらい。シャヘンを抑えトラシル軍を迎え討つとしても、敗走した兵の集団で民衆を抑え込むことは難しいだろうからな。プリーア軍も大きな街を避けるルートをとるはずだ。こちらが再集結をする場所もダルバンドあたりになるだろうな」
ラクタリスが答えた。セアトも同じ考えだった。
そうなると、ダルバンドにプリーアの残党、トラシルの西進部隊のうち一万、そしてナズベートの街の兵五千が集まることになる。ダルバンドでプリーアが再集結を行い軍団の再編成が上手く行えたとしても、トラシルの西進を把握できていないのだ。再び奇襲を受けて瓦解する可能性は高い。
ナズベートからリシャルへ帰還するルートも困難な道程だった。
「まあ、ほとんどが予想に基づくものだが、与えられる情報はこのくらいだ」
ウルシャの言葉に、セアトとラクタリスが目配せをする。
「一旦、宿に戻ろう。アウルスと合流して今後の方針を決めたい」
ラクタリスの言葉にセアトは頷いた。
「まあ、明日以降もこの街にとどまるのなら、この家に泊めてやる。それとセアトには少しばかりだが魔法使いの素質があるようだ。生活で水や火を使う程度の魔法なら教えてやろう」
ウルシャが言った。





