10.プリーア兵、ナズベートの街に至る
「エンネニーナも起きていたのか?」
アウルスが目をこすりながら聞いた。自分の体を抱きしめて身震いをしたあと、焚き火に薪を加えた。生木が弾ける音が響く。かなり気温が落ちていた。
「はい、寝心地が悪いですし、気が休まなくて目が冴えてしまい寝付けませんでした」
エンネニーナがハーブティを淹れてアウルスに渡した。彼は一口すすると長く息を吐き出した。
「はあ――……ぁ、うまいな」
白い息が夜空の星々に混ざり消えていく。
「無理に眠ろうとしなくても、寝転ぶだけでもしておけよ」
「はい、私ももう寝ます」
エンネニーナが頷くのを確認しながら、セアトは立ち上がり自分のブランケットがある場所へ移動する。
何故か彼女もついてきた。
「エンネニーナ。君の寝床はそっちだ」
セアトが彼女のために用意されたブランケットを指さした。
「ひとりで寝るのは無理です。い、一緒に寝させて下さいっ」
彼女が不安そうに周囲を見渡した。
「い、いや、それは俺が困る」
彼女が自分のブランケットの方へ移動しようとしないので、仕方なくセアトが移動して彼女のブランケットにくるまる。そこに無理矢理にエンネニーナも入り込んできた。彼女の呼吸がセアトにかかる。
「い、いつもはどうしているんだ?」
「普段はもちろん一人で寝ています。でも、今日は無理です。怖いんですっ。あなた達があんな恐ろしいことをするからです。あの人達の顔が頭から離れません。だからあなたが眠るのを待っていたんです」
セアトは逃げ出そうとしたが、腕を抱きしめられた。彼女のいろいろな部分のやわらかな感触がつたわってくる。
「どこにも行かないでくださいっ」
耳元で囁かれた。こうなってくると別のいろいろな感情が湧き上がってくる。
その感情を抑え込むように、ため息と深呼吸の混ざった大きな呼吸をする。
「君は……」
「お願いです」
涙声になって小刻みに震えていた。先ほど、大人びた表情でセアトを諭そうとした姿は見る影もなかった。
エンネニーナはセアトの腕に抱きついてうずくまっている。出ていくつもりはないようだ。
どうしていいか分からず、セアトは夜空を眺めながら余った手で彼女の頭をなでつづけた。
ナズベートの街に到着したのは、二日後の昼過ぎだった。
トラシルによる残党狩りに遭うこともなく、街の手前にある巨大な川の渡河も無事に消化することができた。
街の城門は開け放たれ、彼らは冒険者として通行税を払い通り抜けることができた。特にアウルスとラクタリスはマントの下にプリーアの兵装を着ているので誰何されたときに面倒なことになるかと想像をしていたが、城門の出入りが激しく、彼ら以外でも呼び止められる通行人はいなかった。
「こんなに活気がある街なのか」
アウルスが物珍しそうに街の中を見渡している。古い土のレンガで作られた家が立ち並び、通りには日よけのタープが貼られその下を多くの人々が行き交っている。
「そうじゃない。あれが原因だろう」
ラクタリスが視線をわずかにずらし、トラシル軍の鎧に包まれ兵装した集団を捉えた。人々の流れが止まり、道が空けられる。その中央を悠然と隊が進んでいった。彼らが通り過ぎると、何事もなかったように人々の往来は戻り先程までの喧騒に戻る。
「兵を集めているのか。残党狩りの言っていたことは本当だったのか……」
アウルスの表情が険しいものになる。これまでのプリーアとトラシルの戦いはほとんどがトラシル領内で行われてきた。彼らが言っていることが本当ならば、今までにない規模の反攻となり戦場はプリーア領内となる。
かつての東方世界の国々はプリーア軍の兵装や戦術に対応できず、剣を交えれば敗走を繰り返していた。そうして武威を見せつければプリーア領内へ侵攻をしかけてくる敵などおらず、平穏を獲得することが可能だった。しかし、隔絶された国境で分けられているわけではない。特に民間では活発な交易が行われている。強国の兵装や戦術は研究され、やがてはそれに対応しうる軍団へと成長する。ずいぶんと以前から皇帝が変わる度に気軽に示威行動を取れる状況ではなくなっているのだ。プリーア帝国の中央と東方ではその認識に大きな隔たりがある。中央から派遣されたデキムスはその典型的な一例だったといえる。
そして今は東方総督を欠いている状態なのだ。対応を間違えれば、リシャルの街だけでなく東方にあるプリーアの諸都市が落とされる可能性があった。
「セアト、これからどうする?」
ラクタリスが意味ありげな笑みを浮かべながら尋ねた。以前から総督代行と言われ遊ばれていたが、エンネニーナと星空の下で会話を交わして以来、その傾向は強くなった。アウルスとラクタリスは判断が必要となった場合は必ずセアトに意見を求めるようになった。二人とも、狸寝入りをしてセアトたちの会話を聞いていたのだ。エンネニーナは気にしていないようだが、セアトは気恥ずかしかった。
「とにかく、宿をとって馬を休ませよう。アウルスとラクタリスもその服装で街の中を歩くのはさすがにマズい。冒険者風の服を買おう。情報収集はそれからだ」
それとデキムスだ。彼は一向に目を覚ます気配はない。いつか目を醒ますだろうと、それまでは敵国の中央に放り込まれた恨みをせいぜいはらしてやろうと、粗略に扱ってきた事もあった。しかしここまで目を覚まさないとなると、さすがに心配で不安になってくる。東征で大敗北を喫した者ではあるが、それでもプリーアの東方世界をまとめる能力と軍団を統率する力はあるのだ。彼は今回の東征の失敗で解任されるだろうが、新しい体制に変わるまでその使命を果たしてもらう必要がある。
「それにしても」
セアトの思考を遮るようにアウルスがつぶやいた。
「ラクタリスはこの街に来たことがあるような素振りだが?」
「まあな。この街には姉弟子がまだ住んでいるはずだ」
気まずそうにラクタリスが答えた。彼は魔法を学ぶために師事する者がいたのだろう。その者は彼の他にも弟子をとっていたようだ。
「そうなのですか。でも、そんな顔をするということは恋人さんですか?」
エンネニーナが問いかけた。
「姉弟子だと言っているだろっ」
ムキになってラクタリスが答えた。
「でも、そのような方がいるのなら、みんなで押しかけましょう」
「ダメだ、ダメだ、ダメだ、ダメだ、絶対にダメだ!」
いつになく、ラクタリスが慌てた反応をみせた。
「そう言われて、行かないという選択肢はありませんね。いきましょう」
エンネニーナも引き下がろうとしなかった。
「俺たちの素性がバレたときに、彼女に迷惑がかかる。それはダメだ」
「だけど、私たちにはこの街に知り合いはいません。正確な情報を得るなら恋人さんの力を借りるべきでは?」
「だから、恋人じゃないっ!」
ラクタリスの声で周囲の耳目が集まってしまった。彼は咳払いをしてフードを被り直すが、余計に怪しく見える。エンネニーナはこの際だからとことん責めてやろうと考えているようだが、あまり良い状況ではないとセアトは考えた。
「ラクタリスのいうことには一理ある。いきなり病人をつれてこの人数で押しかけても困るだろう。今日はとりあえず宿をとろう」
セアトの言葉にエンネニーナはしぶしぶ頷いた。
宿は馬房があり、五人で宿泊できる場所を見つけた。
街には公衆浴場があり、旅の汚れを落とすことができた。
そしてアウルスとラクタリスも着替えを終え、デキムスを残して四人は街へ繰り出した。
露天で買ったケバブサンドを頬張って、アイランを飲んだ。
「私は教会の司教様にお会いしにいきたいのですが」
エンネニーナが言った。
「俺は姉弟子の様子を見に行く」
「それならば、私もそちらに行きます」
ラクタリスにエンネニーナが答えた。彼女は先程から彼の姉弟子に興味津々だが、ラクタリスは困ったように首を振った。
「全員で同じ場所へ行く必要はない。夜まで各自で行動しよう」
ラクタリスがセアトを見た。
「いや、もし何かがあって誰かが戻ってこない状況になると探しようがなくなる」
「そうだな。俺とセアトは特にすることがない。情報収集をしたいがつてもない。せいぜい宿屋の酒場で話を聞くぐらいだ。俺がエンネニーナ、セアトがラクタリスについていくのはどうだ?」
アウルスの言葉にエンネニーナが明らかに不満そうな表情になった。
「私とセアトさんじゃダメでしょうか?」
「ダメだな。力の配分を考えると、俺とラクタリスが別れた方がいい」
「……そういうことなら」
エンネニーナが渋々頷いた。その様子をみてアウルスがニヤニヤと笑う。
「なんだ、セアトと離れ離れになるのが嫌なのか?」
「違いますっ。私はあなたが一番恐ろしいのですっ!」





