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1.彼らの東征は失敗に終わった

 偵察任務から帰還すると、東方遠征軍が宿営していた場所は戦場と化していた。

 砂埃が舞い上がり、視界は黄色く濁っている。

 怒声、矢が風を切り裂く音、武器のぶつかり合う音、鉄の匂い、そして火魔法により焼かれ、焦げた肉の匂いが漂っていた。

 犬耳族いぬみみぞくの兵士、セアト・ケルナスは味方の陣があった場所を駆けていた。

 切り裂かれた天幕、その中には幾つもの死体が転がっていた。

 すでに雌雄は決しており、味方の軍は総撤退を始めている。撤退とはまだ聞こえが良いほうだ。実際には壊滅的な敗走である。

 天幕の中を見渡す。ここは味方の司令部があった場所だ。

 中とはいえ、破壊され形状は成しておらず、周囲と同じく砂塵が舞い、見上げると空も見え、焼き尽くすような日差しに目が眩む。

 敵兵はいない。戦果を求めて散り散りに逃げていく兵を追って去っていったようだ。

 やるせない思いでその光景を眺めている彼の犬耳がピクリと動いた。重なり合う死体の山が僅かに動いたのだ。

 急いでその死体をかき分けて掘り起こしていくと、仰向けに横たわる男を発見した。

 血と泥にまみれて死んでいるように見える。声をかけても反応はないが、首に手を当てると脈を打つ振動が指に伝わってきた。

 男はトゥニカの姿だった。急襲で甲冑を纏う時間もなかったのだろう。泥を拭うと、壮年の男の顔が現れた。間違いない。プリーアの東方総督、キリキウス・リウィウス・デキムスだ。

 抱き起こそうとして、幾つもの刀傷を受けていることに気がついた。気を失ったままの彼を背負おうとしたが、力なくもたれかかってくるだけで、うまく背負うことができない。

 近くの死体から服を剥ぎ取り、デキムスが落ちないように背中にくくりつけた。

 そして、セアトは戦場から逃れるため走り始めた。


 プリーア皇帝歴201年6月7日、ミナレイヤ平原での出来事だった。



「生きている奴がいるぞ!」

 叫び声が響いた。

 セアトは全力で駆ける。だが、デキムスを背負った状態で、折れた槍や剣、そして死体を避けながら走るのは容易ではない。その姿が敵の注意を引いてしまう。

 前方に槍を持つ二人組の兵士が現れた。彼は剣を抜き、槍を払って横を駆け抜ける。しかし兵士たちは追いすがってくる。

 逃げ切れないと判断をして、振り向きと同時に、一人に的を絞り、一気に距離を詰めて剣を叩きつけた。

「うがっ」

 敵が悲鳴を上げた。前蹴りを入れて、もう一人の兵士にぶつける。

 その隙に振り向いて走り出そうとしたが、足がもつれて倒れた。

「くっ」

 セアトにとってこれが初陣だった。勢いで斬りつけることには成功したが、腕に残る震えが止まらない。恐怖が全身を支配しているのだ。焼き付くような地面の熱が肌に伝わり、焦燥感が胸を締めつける。しかし今は走るしかない。彼は歯を食いしばり、再び立ち上がった。

 幾本かの矢が降り注ぎ地面に突き刺さる。

 一人で戦場から逃れることは難しいが、デキムスを背負ったままではさらに厳しい。この状況は彼が作り出したものだ。

 皇帝が変わる度に示威のために行われる東方遠征だったが、今回の行軍はあまりにも不用意だった。

 適当に国境付近の敵の都市を荒らして帰還する予定だったはずが、トラシル王国が迎撃のための軍を派兵しなかった事で、さらに東へと敵の領内の奥深くへと侵攻していった。

 デキムスは野心家だと噂されていた。彼はこの東征で大きな戦果を得ていずれは皇帝に名乗りをあげるつもりだったのかもしれない。

 いずれにしろこの男の判断ミスでプリーアの東方遠征軍三万は地上から姿を消そうとしている。この男を助けることで軍団の再興ができるのか大きな疑問である。

 暗い未来しか予想できなかったが、それを打ち消すように首をふる。今は一歩でも遠くへ戦場から逃れなければならない。

 走り始めるが、しばらくも行かないうちに足が止まる。

 今度は五人の敵兵が前方を塞いでいた。獲物を見つけたかのように下卑た笑みを浮かべている。

 この状態で逃げ切るのは不可能だ。そう判断したセアトは刃を敵にではなく、自分とデキムスを結ぶ紐に向けた。

 その時、彼に背後から声を掛ける者がいた。

「おい、何をそんなところで立ち止まっている。さっさと逃げろ」

 振り向くと、人族の青年が立っていた。年齢はセアトよりも5歳ほど年上だろうか。彼よりも一回り大きな体躯をしている。泥や血で汚れているが、プリーア軍の鎧だとわかった。その鎧の隙間から見える筋肉が隆々としている。相当に鍛え上げた兵士のようだ。

 しかし、彼の持つ剣はその様相とは異なり根本から折れた貧相なものだった。

「背中の男には見覚えがある。デキムス総督だな。生きているんだろうな?」

 男の声にセアトは頷く。

 デキムスは彼の背中で弱く浅い呼吸をしている。彼の血が背中を伝わって、足元へと流れ落ちていく。危険な状態であることには変わらない。

「これを飲ませておこう」

 男が懐から回復薬を取り出してデキムスに飲ませようとするが、小さく口を開くだけで飲もうとしなかった。その様子に苛ついたのか、男は瓶を喉の奥へと突っ込み無理矢理に流し込もうとする。

 デキムスは咳込み、回復薬の液体を吐き出した。セアトは自分の背中でそれをするのはやめて欲しいと思ったが、お構いなしだった。

 その間にも敵兵は十人以上に数を増やして彼らを囲むように散開して間合いを詰めてくる。

「俺はアウルス・ルフス。百人隊長だ」

 男がどこか呑気な声で自己紹介をした。その声を聞いた敵兵たちは一歩後ずさる。


「うおおおおおっっ!」


 突然、敵兵の一人がアウルスに向けて槍を突き出して襲いかかった。

 アウルスはいとも簡単に槍の柄を片手で掴み、手繰り寄せて折れた剣の柄で殴りつけた。敵兵は吹き飛び、アウルスの手には槍が残る。

「よっと」

 彼は折れた剣を捨て、槍に持ち替えて構え直した。

 それを合図に戦闘が始まる。

 アウルスは凄まじい力で槍を振り回し、敵の武器を薙ぎ払い、槍を突き立てた。

 槍は彼の剛腕に耐えきれず、折れて使い物にならなくなったが、その度に彼は敵の武器を取り上げて持ち替えて戦った。

 セアトも戦ったが、背中にデキムスを抱えた状態ではうまく立ち回ることができなかった。剣を振ろうとする度に大きく揺さぶられ、支えきれずに倒れそうになる。攻撃を諦めてアウルスを真似て拾い上げた盾で敵の攻撃を防いだ。防御に専念する。

 その隣で、アウルスが次々と敵を屠っていく。

 遠方に立っていた敵兵の一人が火魔法の火球をアウルスに向けて放つ。セアトが火球の射線に入り、剣で火球を弾いた。すかさず、アウルスが魔法使いに槍を投げつけて倒す。

「魔法剣か。若いのにいい武器を持っているな」

 アウルスの頬が緩んだ。彼は拾った剣で挑みかかってくる敵兵を斬り捨てる。またその剣が折れた。



 いつしか敵の包囲は緩んでいた。

 彼らの視界に一騎の敵の騎兵が映る。騎兵はしばらく戦闘をしている彼らの様子を見守っていたが、すぐに背後に向かって味方の援軍を呼び寄せようとしていた。

 その騎士をめがけてアウルスが槍を投げ放つ。

 槍は見事に騎兵の胸元を打ち抜き、騎兵は地面へと落ちていった。

 セアトがあまりの彼の勇猛さに呆然としていると、アウルスの手が彼の肩に置かれた。

「おい、何を佇んでいる? 馬が手に入ったんだ。その男を連れてさっさと戦場を離脱しろ」

「アウルスは?」

「俺か? お前たちの後備あとぞなえをしてやる。あとは生きている味方の捜索だな」

 アウルスが笑った。彼とはこれが最後になるかもしれない。セアトも何か答えようとしたが、いい言葉が思いつかなかった。

 結局、彼は黙ったまま頷く。そして、主を失った馬のもとへ駆けようとしたとき、アウルスに呼び止められた。

「お前の名前を聞いていなかった」

「セアト・ケルナス」

「背中の男は助かる見込みはあるのか?」

「偵察でこの先にある修道院を見つけている」

「……なるほど。まあ、これほど愉快な戦場を作り出した男だ。死んでも気にしない」

 アウルスが頷いたあと肩をすくめた。ここは敵国の領内なのだ。修道院は隔絶された世界であり、修道士は毎日を神に祈りを捧げながら暮らす人々ではあるが、敵国の兵士を助ける確率は低いと考えているのだろう。

「では、女神の加護を」

「いや、それは戦場に残るあなたに」

「ふふっ、では三人の女神は私のもとに、二人はそちらに」

 アウルスが槍を拾い上げる姿を見た後に、セアトは馬が立っている場所へ駆け出した。

 矢が彼に向けて放たれるが、女神の加護か、彼は無事に馬の元へたどり着くことができた。

 振り向くとアウルスが弓兵を始末していた。

《プリーア東方の地図》

挿絵(By みてみん)

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