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 領地に帰る日。

 レティシアはひとりで庭園に訪れていた。

 数日過ごしただけなのに、寂しく思うのは何故なのだろうか。

 手元にはティデットさまからいただいた青緑の極上の絹のリボンがあった。

 領地に戻れば見られるような、湖水のような青緑。

 それがティデットさまの右目に重なって見える。

「そんなにその花がお好きなら株分けをしましょうか?

 あるいは種子でも。

 気候に差があるので根付くかどうかは難しいでしょうが……。

 まあ、そういう賭け事も楽しそうですね。

 芽吹くか、どうか。

 箱を開けてみなければわからない。

 可能性というのは魅力的です。

 それだけ待つことができますから」

 優しく穏やかな口ぶり。

 艶やかな声にレティシアは振り返る。

 やはりそこには身分には不釣り合いな姿をした第二王子がいた。

 太陽の下でもかすむことのない百の星を従える月の神のように優美な姿だった。

「ティデットさま、ご加減はどうですか?」

 声が震えないように気をつけて、レティシアは尋ねた。

「いつも通りです」

 微笑みながら言う。

「調子がよろしくないということですね」

 声が硬くなるのがわかる。

 いつだって微笑みに、穏やかな物腰に、ごまかされてきたのだ。

「私は待つのを諦めたのです。

 ですから、何を聞いたのか、お忘れになって、平穏な暮らしにお戻りください。

 貴女に似合うのは、そう言った未来です」

 ティデットさまは穏やかに言う。

 目の前の青年は喪われるのだ。

 近い将来、王国によって殺されるのだ。

「視たのですか?」

 勇気を奮い起こしてレティシアは確認をした。

「いいえ、視ていません。

 幸福を願っています。

 ロディアーヌさまほどの力があれば、魔法のように叶ったのでしょうが……黄金の時代は去りました。

 残念ながら祈るだけです」

 優しい拒絶だった。

 だからこそ、レティシアは決断をしたのだった。

「『英雄譚』はハッピーエンドになりませんか?」

 後悔はしている。

 今、現在だって、後悔はしているのだ。

 王宮の中で暮らしていけるのだろうか。

 不安な要素しかない。

 そして領地に戻っても同じぐらい後悔をするだろう。

 あの時、どうして言わなかったのか、と。

 ティデットさまの片色違いの瞳が見開かれる。

「後悔しますよ」

 忠告するように言う。

「もうしているので、手遅れです」

 レティシアはハッキリと告げた。

「これから先も後悔をたくさんしますよ」

 本当にお優しく、誠実な方だ。

 『王子』の称号にふさわしくないほど、素敵な方だ。

「私にも賭け事の楽しさを教えてください。

 可能性に賭けてみたいのです」

 ティデットさまが待つのを諦めたのなら、自分が可能性に賭ければいいだけだ。

「やはり貴女はこの庭園の花のようですね。

 知っていますか?

 観賞用に育てられた花たちと違って、ここの庭園の花はたくましく、どこまで生きていける。

 たとえ人の手を借りなくても。

 そして飛び切りの眠りを連れてきてくれる」

 ティデットさまは静かに言った。

「私はティデットさまのお役に立つことができるでしょうか?」

 短い人生だというのならば、少しでもあたたかな想い出を。

 生まれてきたことを後悔しないように。

「眠るのが好きではない、という話をしたのを覚えていらっしゃいますか?」

「はい」

 レティシアはうなずいた。

「次に目を開けられるかのかが怖いのです。

 死は身近にあり続けているのです」

 初めてティデットさまの心にふれたような気がした。

 いつだって綺麗に隠されていたのだ。

 先見の力が発露して以来、ずっとひとりで闘ってきたのだろう。

 誰にも言えずに、誰にも悟られずに。

「では、この花を集めてポプリを作りましょう。

 それを安眠枕にするのです」

 レティシアは必死に言った。

 未来はあるのだ、と伝えたかった。

「貴女は私の安眠枕になってくれますか?」

「もちろんです」

 レティシアは断言した。

 寄り添う覚悟は、できた。

 だからうつむかずに、視線はそらさずに、見つめ続ける。

 ふいにレティシアは抱き寄せられた。

 突然のことに驚いたし、思ったよりも力強い抱擁にビックリしたが、それだけではすまなかった。

 布越しだというのに熱いのだ。

 羞恥心からではない。

 自分の体温よりはティデットさまの体温の方が明らかに高いのだ。

 ぐらぐらに沸いた風呂よりも熱いのだ。

「ティデットさま!」

 悲鳴のような声になってしまった。

「いつも通りです」

 耳元で艶やかな声が穏やかに言う。

 だから、いっそうにレティシアの恐怖心をあおった。

 気がつかなかったのだ。

 いつも平然としていたから、見落としていたのだ。

 女官のエマが言っていた通り、病魔は進行しているのだ。

 心臓が凍りつくような、もっと怖いことだった。

 今にも生命という炎がかき消えてしまうのではないか。

「ご存じないかと思われますが、王族はみな黄金の左目を持って生まれてくるのです。

 というよりも、黄金の左目を持っていなければ、王族と呼ばれないのです。

 私は運良く黄金の左目を持って生まれ落ちました。

 だから、父から息子として認められたのです。

 戯れに一夜摘んだ花から」

 レティシアの耳元で艶やかに告げられた過去の話は重い。

 だからこそ、ティデットさまはレティシアの意志を尊重してくれたのだろう。

 逃げ道を残してくれていたのだろう。

 母の出自が低い、ということは、ティデットさまの母君は本当に一夜の慰みものになったのだろう。

 そして母の歳よりも長生きをした、とも言っていた。

 ティデットさまは19歳になったばかりだ。

 母君は成人したばかりの頃に、手折られた花だったのかもしれない。

「そうなのですか」

 レティシアは相槌をうつのでせいいっぱいだった。

「そして王国の始祖になったロディアーヌさまの伝説を知っていますか?

 黄金の左目には力が宿る、と」

「ええ、手をかざしただけで病人の病を治し、砂漠で水を探し当てて、荒れ狂った海を沈める」

 この王国では知らない者がいないほどの王国創世記の伝説だ。

 小さな頃から何度も聞かされて、誰もが片色違いの瞳を持つ王族に敬意を持った。

 今でも玉座を埋めるのは、黄金の左目を持った王族だけだ。

「他者の心を介入して、その精神を操る。

 そんなこと伝説なことができるのは、全き黄金の左目を持つ者だけです。

 私のように金紅石のような淡い色では、できないことです」

 ティデットさまは告げた言葉、レティシアの知らない知識だった。

 ネズミ姫と呼ばれるほど色々な本を読んできたけれども、どこにもそんな文献はなかった。

 王族だけの秘密なのかもしれない。

 もたらされた重々しい真実にレティシアは震える。

「ですが、王族は尋ねるのです。

 求婚する際に、右の目の色も好きかどうか。

 たとえ黄金の左目を持っていなくても、愛してくれるか尋ねるのです」

 ティデットさまは言った。

 レティシアはほんの数日前の過去を思い出す。

 交換条件として出された問いだった。

 だからこそ、ティデットさまは嬉しかったのだろうか。

「とても美しい色だと思います」

 レティシアはくりかえした。

 辺境の居城で見るような湖水のような青緑の瞳は、しみじみとして慕わしい。

 18年という人生のほとんどを過ごしてきた場所だ。

 嫌いになれるはずもなかった。

「やはり、私は果報者ですね」

 ティデットさまはそう言うと、脱力した。

 体力の限界だったのだろうか。

 力のないレティシアには抱えきれるはずはなく、地べたに座りこむような形になってしまった。

 人間のひとり分の重たさが、こんなに重いとは知らなかった。

 風に揺れる灯のように軽い魂だとしても、重かった。

 すぐに医師を呼ばなければいけないだろう。

 立ち上がって、引きずってでも、連れて行かなければならない。

 もっと体力をつけておけば良かった、と思うけれども後悔ばかりだ。

 それでも可能性という賭け事を教えてもらうと約束をしたのだ。

 未来は希望がなくてはならない。

 やがて姉夫婦が探しに来てくれた。

 いつまでもレティシアが部屋に戻ってこないことを不審に思ったのだろう。

 助かった、とレティシアは思った。

「ティデットさまを医師の下に連れて行ってください。

 熱が高いのです」

 レティシアは義兄であるセイドリックに頼んだ。

 王国の騎士団長を務めるだけあって、即断即決だった。

 無言でうなずいて、ティデットさまを抱えて、王城へと向かっていった。

「帰り支度はすんでいるわ」

 姉のブリジットが親切に言った。

 レティシアは首を横に振った。

「ティデットさまが目覚めるまでお傍におります」

 レティシアは歳の離れた姉を見上げた。

「どういう意味か、わかっているの?」

 ブリジットは驚いてレティシアの肩をつかんだ。

「理解しています。

 たとえ一夜の戯れで摘まれた花でもかまいません」

 レティシアは良く磨かれた碧玉のような瞳を持つ美貌の姉を見た。

 まだきちんと答えを返していないのだ。

 重たい秘密を話されて、愛している、と求婚されたのだ。

 『私も愛しています』と返さなければならない。

 高熱に浮かされた言葉だったとしても。

 病のために弱気になった言葉だったとしても。

 次にティデットさまが目を開けられるように。

 一番初めに目に入ったものが自分でなければいけないのだ。

 レティシアは一生を寄り添うと覚悟をしたのだから。

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