悪辣女神の暇ツブシ
思えば昔から人生は上手くいかない事ばかりだった。
いつもいつも周囲と比べられて、自分は貶められて相手は常に持ち上げられる。
親だってそう。
姉に対しては優遇する癖に妹である自分はいつもアレは駄目これは駄目と言われて、何をするにも否定から入られた。
姉には広々とした部屋を与えておきながら、自分には狭い部屋。他に空いてる部屋があったのにお前はすぐ散らかすから駄目だとか言って決めつけられた。
学校でもそう。
他の子は可愛いとちやほやされるけど、自分にはそういった言葉を向けられた事がなかった。
幼い頃からそうやって差別されてきて、大人になってもそれは変わらず。
姉はとっくに独り立ちしたのに、自分はそれを認めてもらえず。
むしろ独り立ちしたはずの姉に親はあれこれ買っていて、自分にはマトモに何かを買ってくれたこともない。
姉が病気で倒れた時、両親は甲斐甲斐しく見舞いに訪れ差し入れをしたけれど、自分が事故に巻き込まれて入院する羽目になった時、両親は見舞いにきてもくれなかった。
――どろどろと駄目なものを煮詰めたような感情を浮かべて今までの生い立ちを語った女に、女神の表情は虚無であった。
女神にとって人間は玩具である。
その一生なんてただの娯楽でしかないし、しかしその娯楽もつまらないと思えば簡単に見限るもの。
普段女神は面白そうな事になりそうな気配を察知した人間の魂を回収して、適当な異世界に放り込んで観察するのを趣味としていたが、今回は違った。
何か気付いたらいたのである。え、なに怖……どっから入り込んだのかしら。まるで虫ケラを見る時のような目を女神は向けてしまっていた。
負の感情を延々撒き散らしていた女は、一通り語り終わった事に満足したのだろうか。口は一度閉じたものの、しかしその目は相変わらず淀んでいた。
第一印象では決して仲良くなりたくないタイプ。何か暗い雰囲気漂うどころじゃないし。近づいただけで幸運とかそういうの吸い取られそうなくらい、不幸な気配がぷんぷんしているのである。
女神は気付かれないようそっと周囲に結界を張った。
何故って下手に近づかれたら運気とかそういうの全部吸い取られそうだからである。
女は言う。
ここに来たら新しい世界に転生させてくれるっていうから、と。
その言葉に女神は察した。
この女の魂は、たまたまここに迷い込んだとかではなく誰かに案内されてきたのだと。
誰だこんなの送り付けた奴、と思ったが多分女に聞いてもロクな答えは返ってこないだろう。
女神が人間の魂を転生させて眺める趣味を知っている誰かの仕業であるのは間違いないが、それが誰であるかを明らかにしたところで、この女が既にここにいる事実は何も変わりがないのだ。
こんなの転生させてもな、と女神は思った。
面白みの欠片が見当たらないのだ。
多分、転生させても変化はない。女は自分が不幸のどん底にいるような言い方をしていたけれど、話を強制的に聞かされた女神からするとそれは別に不幸でもなんでもなかった。
どんな世界に転生させてもこの女が辿る道はそう変わりがない。先がわかりすぎているものなど、何も面白くないのだ。女神がうんざりするのも当然だった。
「それで? 貴方はどういう世界に転生したいのです?」
とはいえ、適当な世界に放り込んで今度は自分の不幸をこんな世界に転生させた女神のせいだ、なんて思われても面倒くさい。お前が不幸なのはお前のせいです、と言ったところでこういった手合いは聞く耳を持たないのだ。
どうせ求めるもの何もかもを与えたところでこういう奴は幸せにはなれないしならない。
あまりの面倒くささに多少投げやりになるのも致し方ない事であった。
「次は、私が差別されない世界がいい」
はぁん? と声に出さないだけ女神としては堪えた方である。
まぁそういう事になるんだろうなという予想そのまますぎて、面白みが欠片もない。せめてそこに一滴でも面白さの気配が漂っていたならば、女神だってもう少し慈愛をもって接する事ができたのだが。
「貴方が差別されない世界、ねぇ……
二種類あるけどどちらにします?」
言いながら女神はぴっと指を一つ立てた。
「まず貴方が優遇される世界。こちらはそうね……王の娘とかに生まれる感じかしら。周囲は貴方をお姫様として扱ってくれるから、不当な差別はないでしょう」
言えば、女の目が僅かにきらめいた。
「ですが」
立てていた人差し指を何となく女神は下へ向ける。
「王族というのは責任もそれなりに重大です。無能であればいいように使われるだけ。貴方がちやほやされ続けるためには、それなりに優秀でなくてはなりません」
そう言えば女の目からきらめきは容易く消えた。
「王族として知識は勿論マナーは必須。海外の言葉も覚え立ち居振る舞いは常に優雅に。人の目があろうとなかろうと貴方は王族として常に振舞わなければなりませんし、優秀さを示さねばなりません。
ですが、そうであるならば貴方は常に姫君として扱われ、不当に虐げられる事はないでしょう。
まぁ、王家のために政略結婚とかする事になったりするかとは思いますが」
女王が認められているならともかく、そうでなければどこぞの貴族の家に嫁入りか、はたまた他国との縁を結ぶための輿入れか。政略であろうともお互い歩み寄ろうと思えば幸せな結婚生活も可能であろうけれど、しかし女神は無理だろうなぁと思っている。
女の目が、なんていうかとても淀んでいるからだ。
見知らぬ相手と結婚とか冗談ではない、とその目は訴えていた。
事前に聞くだけだからそう思うのであって、もし出会えば案外うまくいくかもしれない可能性を端から切り捨てている。
お姫様という部分には食いついたくせに、そのための努力はしたくないらしい。まぁ、女神からすると割と最初からわかりきっていたのでこの反応をされても別にどうという事はない。
「もう一つの世界は、本当に平等な世界。
貴方も他人も何もかも全てが同じ扱いをされます」
「そこにします」
即答だった。
こっちの世界だってそもそも別に素敵なものでもないのだが、それを聞かされる前に女は決断していた。
「本当にいいのですね?」
「はい」
「王族の娘と違って向上心とか必要ないとは思いますが、本当に?」
「はい」
「わかりました。後からの文句は受け付けませんよ」
言いながら女神は女の返事を待つことなくその世界に魂を転送した。
まぁ、すぐ死ぬんだろうなぁ、と思いながら。
そんな女神の予想を裏切る事なく、女の魂は早々に戻ってきた。
それを見た女神の感想としては、あぁやっぱりな、である。
転生し新たな生を得た女は、これで自分は不当に虐げられる事もなく皆と同じ平等な扱いをされると本気で思い込んでいた。
実際その世界は確かに平等ではあったと思う。
顔の造形だとか体系だとかで上下の区別をつけられる事もなければ、食事の内容もあからさまに差があるわけでもない。生活も皆同じようにしていて、貧富の差も無いと言えた。
だが、まぁ、その世界を端的に表現するならば。
ディストピアと呼ばれるような世界であったのだ。
容姿で差別される事はない。
当然だ。だって皆同じ姿かたちなのだから。
ある人間を参考に遺伝子を改良されて生み出されたクローン体。
男も女もない。性別がないので男女差別という概念もなければ、容姿は皆同じなのでそういった事で誰かと比べる事もない、というか比べようがない。
食事だってそうだ。
見た目は全て同じ。
内容は若干異なるらしいが、それだって割り当てられた仕事によって消費されるエネルギーを見越して割り振られている。
食事は毎朝出されるゼリー状の飲料と、あとは木の実のような固形物が一つだけ。
だがしかし、それだけの物であっても栄養価は抜群に高く、また人が一日に必要としている栄養素も全て含まれていた。
ゼリー状のドリンクだけではあっという間に消化されて昼か夜には空腹で動けなくなるのではないか、と思われそうだが、飲料と一緒に出される木の実のような固形物も一緒に摂取すると、胃の中で水分を吸って膨らむからか、夜まで空腹を感じる事などなかった。
食事は毎日一食だけ。
生まれた時には既に成長した身体になっていて、赤ん坊だとか幼少期というのをすっ飛ばしていた事に女は驚いていたけれど、しかしそれ以上に食生活が厳しかった。
ゼリー状の飲料も固形物も、味などほとんどしないのだ。
それを胃の中に流し込んでいくだけの行為を食事とはとてもじゃないが言いたくなかった。
もし女が前世の記憶など持ったまま転生していなければ、何も疑問に思う事などなかっただろう。
周囲の人間が皆同じ顔をして同じ声をしている事も、そういうものだと受け入れていただろう。
毎日皆が決められた労働に従事している事も。
それ以前に、そもそも自由なんてものがないとしても。
何も、何も疑問に思う事なく暮らしていくはずだったに違いないのだ。
しかし女には前世の記憶というものが存在し、そのせいで周囲と異なる状態に陥ってしまった。
個性などというものは認められない世界で、彼女は自分らしさを求めるようになってしまった。
皆が同じであるからこそ差別は起きないというのに、そこに差をつけようとしてしまったのだ。
ついでに食生活の改善もしようと試みていた。
結果として。
女は不良品と見なされ処分された。
早々に死んだのは、そんな理由である。
全にして個、個にして全。
そんな感じのコミュニティで違う事をしようとした時点で異端と見なされるのは、ちょっと考えたらわかりそうなものなのに……と女神は思っていたのだが女はその事実に気付けなかったようだ。
見た目も中身も同じであることが当たり前で、労働内容も皆平等に同じだけの作業をさせられる。
故に、配分される富も同様。全てにおいて同じである。
外見で差別される事もなく、貧富の差もない。
それだけを聞けば差別のない世界だと思えるが、実際は同じであるという枠組みから外れた時点で異端者、不良品と見なされて処分されるだけである。
生き延びたいなら周囲と同じであり続ける事。
そうでなければ待っているのは死だ。
基本的に同じ遺伝子で作られた身体なので、病気などに罹る事もほとんどないはずだが、それでも病気になった時点でも処分は決定される。
女は前々から周囲とは言動が少し異なっていたから、処分寸前であったのに。
そこに加えて彼女は定められていた就寝時間にすぐに寝付かず、夜更かしをしていた。
だがしかし起床時間は皆同じなのだ。
周囲と比べて睡眠時間が若干足りていない女は、睡眠不足に陥って仕事の効率も下げていた。
明らかな病気ではなかったけれど、それでも異常であると判断されてしまったわけだ。
処分はあっさりと終わった。
あえて拷問だとかをする必要性はどこにもない。だからこそ、使えなくなった道具を捨てるが如く処分は一瞬だった。
病気になった者や年を取って作業効率が落ちてきた者たちと同じように、彼女は処分されたのだ。
「あんなの平等って言わないわ!」
「何を言っているのです、皆同じ扱いだったのだから、差別は発生しなかったでしょう」
「だって殺されたわよ!? ちょっと仕事でミスしただけで!」
「だからでしょう。他の皆さんはミスしなかったのに貴方だけがミスをするから。皆がミスをしていたなら、貴方だけが処分される事はなかったと思いますけど」
「それに、何あの身体。おかしい。性別がないなんておかしいじゃない!」
「そうでしょうか。性差を廃絶できているのだから、男女差別は発生しません。それに、そもそもあの世界では性行為をする必要がないのでモテだの非モテだので一喜一憂する必要もありません。
仮にバレンタインの日があの世界にあったとして、貰えるチョコの数が異なればそれもまた差別となってしまうでしょうから」
性別での差別もなければ、身長も体重もほとんど同じ個体しかいないのでそういった部分での差別も発生しない。声だって同じだ。なのであいつ一人だけ変な声、なんて言われて揶揄われるような事もない。
更に、あの世界では生まれる者は皆同じ、クローンなのだ。つまりは親と呼べる者もいない。
故に、幼い頃に両親が事故死して、だとか離婚して片親しかいない、だとかで家庭環境についてあれこれ言われるような事もない。
「個を重んじるから差がつくのです。ですから、そういうのが一切無い世界へ送って差し上げたというのに……貴方はどうしてそこであえて差をつけようとしたのです? 差別のない世界を望んだのは貴方でしょうに」
姉と比べられるのが嫌だとか、周囲の友人たちと比べられるのが嫌だとか、あの世界に送り出す前、散々こっちが聞く前からグチグチと語っていたではないか。
優れた個と比べられるのが辛いというからこそ、周囲全てが同じ個である世界に送ったというのに、何故そこで自ら出る杭になろうとしたのか。
「皆同じところで違いを出せば、それは不良品として扱われる。ただそれだけの事でしょう?
だってほら、農家で作ったリンゴやミカンだって出荷する時にあまり傷が酷い物ははねちゃうでしょう? それと同じ事ですよ」
「だってあんなの! 人権なんて何にもないじゃない!!」
「ありましたよ、あの世界にも。ただ、貴方がそこから逸脱しただけです」
内心を隠す事もないように女神はうんざりとした表情を向けた。
そもそも、どうしたって差は生じる。それが行き過ぎて差別につながるのは確かにいただけないと思う部分もあるけれど、完全に差別をなくそうというのであればまずその差をなくさなければならなくなる。となるとどうなるか。
生まれも育ちも見た目も何もかも、できうる限りの差をなくすとなれば、そりゃあこうなったっておかしくはないではないか。
生まれた子を全て平等に扱おうとしても、親のスペックで生まれた個体の性能が異なるのであればそれはやはり差がつく事となってしまうわけで。
「人間って、異分子を排除しようとする生き物なんですよ。ま、それは人間に限った話ではないのですけれども」
女神の言葉に女は何を言っているのか、という顔をして睨んだ。
「でも、人間って一人一人違うでしょう? 親が違う、生まれ育った環境も違う。種族として人であっても、決して自分と同じ存在っていないじゃないですか。
でもじゃあ、それってつまり、人間って一人一人全てが異分子って事ですよね?
なら、異分子を排除しようとする人間の本能だか行動を制限するとなると、全てを同じにするしかないのでは?」
たとえそっくりに生まれた双子だとかであっても、見た目は同じかもしれないが中身が違うのだからそれも同じであるとは言い難い。
それを言うならクローンだって中身が異なれば違うだろう、と言われるだろうなと思ったのに女はその部分に反論しなかった。
まぁ言われたところで、双子と比べればこちらの方が圧倒的に同一に近いと言い返すだけなのだが。
それに双子よりもクローンの方が圧倒的に数が多く、また育て方も何もかもを同じにされているのだ。あの世界では思想も統一されていた。だからこそ、考え方の違いなどもあまり差がでなかった。
人間と言っているが、女から見ればあれはどうしたって人形とかそういうものにしか見えなかったのだろう。
考え方が違うからこそ時として衝突する。けれど、決して分かり合えない者たちばかりではない。勿論一生涯ずっと分かり合えないな、と思う相手もいるかもしれないが、そういった部分を含めて人であるのだろう。
だが、女はそんな部分を見なかったことにしてそういったモノがない世界を選んだ。
そのくせいざそんな世界に生まれ落ちたら世界に馴染めず文句ばかり。とはいえ、そうなる事は女神も想像がついていた。
何故って聞く前から語った女の境遇で大体察するというものだ。
姉は広い部屋をもらっていたけど、自分は狭い部屋。
女神は神の力を持ってその女の過去を視た。だからこそ女の言葉に嘘はない。
だがしかし、それが正しいかと言われるとそうでもなかった。
確かに姉の部屋は十畳ほどの広さがあった。対する妹の部屋は六畳ほど。
確かに姉と比べると狭くはあるが、しかしそれでも狭すぎると嘆くものでもない。
なお間に八畳ほどの部屋があったし妹はそれを空いている認識していたが、そちらは両親の部屋である。
姉は、確かに優遇されているように思えるだろう。
しかし彼女は習い事などに使う道具もそれなりにあったため、それらを置くスペースも必要だったからこそ広い部屋をあてがわれたに過ぎない。
対する妹は、習い事などしていなかった。親が貴方もやる? と聞いていたけれど、やらないと言ったのは妹だ。であれば、そういった物を置く必要もない。姉が習い事に使う道具を置くスペースは大体三畳ほど。つまり、姉も習い事をしていなければ妹と大体同じ部屋のスペースしか使っていない。
学校での話だって、確かに彼女の友人たちは皆可愛いと言われてちやほやされているように見えたかもしれない。
けれどそのお友達は皆お洒落に夢中になっていて、あれこれ試している真っ最中だったのだ。毎日身だしなみに気を使ってあれこれ工夫している中、彼女はそういったものを見ているだけだった。
キラキラした集団の中に一人だけ一切そういうの気にしていないのがいるなら逆に目立つけれど、しかしその相手を褒める言葉など出てくるはずもない。
事情があってできない事も考えて、貴方はやらないの? とか聞くくらいはしても、やる気がないと言われれば「そう」としか言いようがない。
お洒落する気もないし、元が悪いわけではないけど何もしなくても圧倒的美人というわけでもないのだ。褒めようという部分がなくてもどうしようもない。
むしろキラキラした中に一人だけ逆の意味でもさっとしたのがいる事に、陰でコソコソ悪口を言われたりしていないだけマシだろう。
そのほかの不満だって、妹はまるで自分が被害者のように言っているがしかしその状況をマトモに見る事ができている第三者であれば、そりゃそうなるとしか言いようがなかった。
成人して家を出ていった姉に援助する両親にあれこれ文句を言っていたが、姉だってもらってばかりではなかった。
年を取った両親の代わりに車の運転をして両親を病院に連れていったりだとか、お互いがお互いに助け合っていたのだ。
しかし妹はそういう事をしていなかった。
そのくせ自分も何かしてもらえると思っている。
部屋だって姉はいつもきっちり片付けていたけれど、妹は散らかすばかりだった。
そのせいで、自分で狭いと言っていた部屋はもっと狭く感じていただろう。決して足を伸ばして寝る事もできないくらい狭い部屋というわけでもないのだから、片付ければ充分マシになるはずなのに。
日々のだらしない生活を両親に不安に思われていて、こんなの一人にしてマトモな暮らしができるか、となったらとてもそうは思われなかっただけの話だ。
姉は一人で朝決まった時間に起きて学校や仕事に行っていたが、妹は起こしても中々起きる気配もなかったのも原因の一つである。
要するに、生活がだらしないのだ。
挙句本人は面倒くさがり。面倒だからやらないまま放置して、結果周囲は散らかる一方。
しかも何がアレって、この女、自分は真面目できちんとしていると思っているのだ。
両親はこの妹を正しく把握しているが、本人はその事実に気付いていない。
だからこそ余計に自分はちゃんとしているのに親が口煩いと思い込んでいる。何度も同じことを注意されているのはできていないからなのに、彼女は一切その事実を鑑みてはいなかった。
妹も姉のように身の回りの片づけをきちんとして部屋の中を清潔にしていれば、両親だって妹のお願いを聞いて六畳の部屋ではなく八畳の……両親が使っていた部屋を譲っていただろう。両親はそこを寝室に使っていただけで、言ってしまえば寝具が二人分入れば別に六畳の部屋でも問題なかったのだから。
そうして朝きちんと自分で起きて身だしなみを整えて学校や仕事に行っていたなら、両親も姉と同じように一人暮らしがしたいという妹の言い分を聞き入れたかもしれない。
だが実際、朝自力でマトモに起きれない奴を一人にさせて、学校や仕事に遅刻せずに行けるか? という話だ。普通に考えれば不安しかない。自分で料理をするにしても作るまでしかせず後片付けは一切しないし、掃除も雑なので妹の部屋は姉の部屋と比べるとなんとなく薄汚れていた。仕方なく母が妹の部屋を片付けた事もあったけれど、それもあって余計に口煩く言われるようになったという事を妹は気付いてすらいなかった。
自炊くらいはなんとかなる、と妹は言っていたようだがどの口が……と母が黙殺したのも当然の話だろう。
仮に一人暮らしをさせたとしても、何というか自炊は早々にやらずコンビニ弁当、で食事をするならマシな方だ。最悪お菓子が主食になりかねない。
夏冬の冷暖房とかずっとつけっぱなしで光熱費も馬鹿みたいに跳ね上がりそうだし、面倒だからとお風呂にマトモに入るかもわからないし、これでこの子が一人暮らしするにしても大丈夫だね、なんて結論に親が至るはずもない。
女神ですらこの女の生前のあれこれを神様パワーで視ているが、正直ドン引きである。うぅわ……みたいな引いた声が出ていてもおかしくなかった。女神も自分の生活は割と雑な部分もあると自覚しているが、これと比べられたらブチ切れる自信しかない。それくらいに酷かった。
しかもこの妹、自分が不遇な立場だと信じて疑っていない。
かろうじて友人、みたいな相手に己の不幸を嘆いて聞かせていた事もあるようだが、過去視しているそのかろうじて友人の表情はどこまでも白けていた。
女神はそのかろうじて友人の考えている事も神様パワーで覗けてしまうが、妹がお友達だと思っているそのかろうじて友人、見世物を見てる気持ちでお前の事見てるぞ。
ちなみにファーストフード店で家族に関する愚痴をこぼしている真っ最中のシーンを女神は視てしまったわけだが、妹は自分を搾取子だと思っているようだった。
これには女神も失笑するしかない。
お前、何も搾取されてませんけど!?
と声に出さないだけ女神もかなり頑張った方だ。
お給料とか過去のお年玉貯金とかそういうのとられてから言ってくれません!? という気持ちになるのもやむなしだった。搾取子ってアナタが読んでたライトノベルのドアマットヒロインに限りなく近い感じなので、それと自分を比べる事をおこがましいと思ってほしい。
女神は過去、色んな人間を転生させてきた。転生したら何かこう、良い感じにチートとかでつよつよハッピーライフが送れると信じて疑わない頭の中お花畑ちゃんもいっぱいいた。
転生する時に何かいい感じの能力とか与えられさえすれば人生安泰だと思い込んでるようなのもいた。
辛くて苦しい努力だとかを避けて、楽して最強の立場が欲しいとか、他力本願極まりないようなのもいた。
ただ、そういう存在であったけれどいざ望んだ力だとかを与えたとしても、必ずしも本人が望んだとおりの人生になるなんて事はない、という事実に気付けば多少なりとも反省したり、次は失敗しないようにだとか――まぁ転生チートがそう何度もあってたまりますかという話なのだが――ともあれ一応前向きに同じ失敗は繰り返さないぞ、みたいに思う者たちではあったのだ。
まぁ、女神の目から見てそれでも次も失敗しそうなのも一杯いたけれど。
だがしかし、目の前のこの女は。
何も反省していなかった。
彼女が望んでいるのは何もしなくてもちやほやされて、自分の思い通りになる都合のいい世界だ。
……普通に考えてあるわけないじゃないですか。
女神が現実を突きつけたところで、多分この女がそれを理解する事はないだろう。
何せ最初に提示した世界のうち、より楽そうな方をあっさりと選ぶ程だ。
素直に王族転生して王女様にでもなってそれなりに努力していれば、まぁ割と本人が望んだとおりの世界になったかもしれないというのに。
しかし彼女は王族という柵がどれだけ面倒であるかはわからずとも、礼儀作法だとか王族として必要な知識だとかを学ぶ事の面倒さだけは悟ったらしく、それを選ぶ事をしなかった。
転生に夢見てるお花畑ちゃんを転生させて、自分の前の人生とは異なる世界で自分の知ってる常識とは異なる道理がしれっと存在しているところで右往左往しているのを見るのは女神的にも愉しいのだが。
不幸に陥る者が大半だけれど、時たま幸せな人生のまま終わる者もいない事はなかった。
足掻くサマを見るのが愉しいので、結果は別にどうでもいい。
だが、女神の目から見てもこの女はそういうものとは対極であった。
今までの転生者たちは変わろう、変えようという思いがあったのだと思う。
前の人生に不満があったから、次の人生ではそうならないように。
そう思って結果更なる不幸に突き進んでいった者もいるけれど。
彼女は幸せになりたいと思ってはいるのだろうけれど、そのために何か、努力をしようという気概が全く見受けられないのだ。
周囲が自分のために動いてくれないから自分は不幸なのだと嘆いている。他力本願どころではない。
自分で動いた結果であれば、良くも悪くもまだ心の中での折り合いだってつけられるだろう。
良い結果なら頑張ったからだと自信がつくだろうし、悪い結果であれば運が悪かったと思うなり、自分の実力不足だったと思うなりして次は同じ失敗をしないようにと努力をしたりすることもあるだろう。
けれども女は周囲に原因があると思って自分は関係ないと本気で信じているようなので。
これでは何度やり直したところで無意味だ。周囲の人間に余程恵まれているのであればともかく、そうでなければ何度だって同じ失敗を繰り返して過ちの果てロクでもない終焉を迎えるのだ。
なおも文句をきぃきぃ喚いている女に、女神は露骨な溜息を吐いた。
「わかりました。それでは、もう一つの平等な世界に次は転生させましょう。ですが、そこでも失敗するようならもう次はありませんよ」
そう言えば女は文句を言うのをぴたりと止めて、何かを期待するような眼差しを向ける。
「あ、ちなみに最初に言った王族に転生するというのとは違う世界ですので。精々頑張って下さいね」
次の人生で失敗すれば、女の魂は女神の所に戻ってくるでもなく別のところに運ばれるだろう。
何故って別に女神がここにあの女の魂を連れてきたわけではないので。あんなの押し付けてきた相手については後で調べておくとして。
女を転生させた世界を女神はその力でもって眺めていた。
個性なんてものが認められない分何もかもが平等な世界とは違い、次に転生させたのは個性も認められる世界だ。
平等に、頑張ったら頑張った分だけ評価される。
いや、頑張ったら、という言い方は間違いかもしれない。結果を出せば出すだけ評価される、が正しいか。
個のない世界では仕事は皆同じ内容だった。危険だとか楽だとか、そういう基準がそもそも存在していなかった。
だが新たに転生させた世界では、安全な仕事から危険な仕事まで幅広く存在している。
そうなれば当然報酬も変わってくる。
安全な仕事はそれなりに、危険な仕事は危険だからこそ危険手当もついてくる。だがしかし危険なので場合によっては命を落としかねない。
報酬に差が出るという事はつまり貧富の差が出るという事だが、安全な仕事と危険な仕事が同額報酬であるのは不公平であるので、どうしても大金が欲しいなら危険な仕事を頑張ってもらうしかない。
身分関係なく結果を出せば上にのし上がれるシステムの世界なので、そういう意味ではチャンスは平等に存在している。
なので若くて沢山働けるうちにガンガン稼いで老後はのんびり……というのが恐らくベストだろう。
とはいえ、それって女が最初に生きていた世界とそう大差ないと思うのだが。
それ以前に、あの女の怠惰っぷりでは仕事ができる年齢になるよりも学校での成績争いで早々に敗北しそうではある。
危険じゃない仕事で高額報酬となれば、それなりに学校で優秀であると認められなければそういった仕事にありつけない。あの女がそれを早い段階で理解できれば……とは思うがまぁ、無理でしょうねと女神は思っている。
人ではなくどうせなら愛玩動物にでも転生させてやるべきだったかしら……と思ったが、動物にしたらそれはそれで動物社会も中々にシビアだ。あの女では生きていけないだろう。
飼い主のいる家にもらわれてしまえばそこそこ安泰だろうけれど、しかし果たして人間としての贅沢を覚えたまま犬や猫になったとして、満足できるかと言われればまぁ無理だろう。
与えられるご飯はどちらかといえば餌としか言いようのないものだろうし、娯楽は人だった時と比べてかなり少ない。
一日中寝て過ごすのが至福……! というタイプならまだしも、あの女はだらだらしながら動画とかマンガとか見てゴロゴロしたいタイプであるっぽかったので、何もする事がないから寝て過ごす、というのも長くは続かないだろう。
姉と比べてだらしない部分があったとしても、それなりに両親から甘やかされていたのだから、最初の世界が多分一番あの女には向いている。
まぁでも、幸せが案外身近にあった事に気付いたとしても。
「とっくに手遅れですものねぇ……」
戻りたいと願ったところで、既に死んで転生している身だ。
完全に手遅れである。