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妄想トリップ〜花の歴史飯〜

作者: 穂波澪

 土曜日の半日講義を終え、笠野花は使った資料を全て職員室に持ち帰ると、自身の小さな城で身を投げ出し深いため息をつく。

 1週間やったぞ…午後からは待ちに待った休暇なのだと、喜びをしみじみと噛み締める。隣の席の学年主任の平松が、花の方へキャスターのついたイスを捻り、花へと体を向ける。


「偉いご機嫌ですね」


 花は背筋を伸ばし、同じように平松に向き直ると、声を潜めて「見つかったんですよ」と内緒話でもするように口に手を当てて告げる。


「ほぅ…こっちもですか?」


 平松がニヤリと悪徳商人のような鋭い目つきで、お猪口を煽る仕草をする。60代後半の平松は数学担当の学年主任であり、シルバーヘアーをオールバックできっちりと固め、高そうなスーツをびしっと着こなしており隙のない印象を与える。その上、強面な表情も相まって、何やら怪しい取引のような雰囲気が醸し出されている。花はおかしくなって、堪え切れずにころころと笑う。


「私が呑めないの、知ってるじゃないですか」


 そうでした、と豪快に笑う平松に、「でも」と花が続ける。


「今回の肴は、期待大です」


 ギラリ、と鋭い眼差しが飛んできて花は得意げに笑う。下戸ながらも酒に興味津々な花は、酒の味以外の知識については、酒に目のない平松に匹敵する。そして、肴に関しての知識は平松の一枚上手といえよう。その花が期待する肴なのだ、平松はごくりと喉を鳴らす。


「美味しかったらまたお裾分けしますね」


 花は帰り支度の整った背丈の半分ほどある大きな黒のリュックサックを担ぐ。ずしっとした重みがこの1週間の疲労の集大成のようで、花はぴしりと背筋を伸ばす。


「では、行ってまいります」


「ええ、良い週末を」


 平松に見送られて足早に職員室を後にし、部活に勤しむ学生たちに声をかけられながら校門を出る。花は刀を手に戦さ場に切り込む戦士のごとく、熱い志を胸に颯爽と帰路へつく。家の冷蔵庫で花を待つ、今日の晩餐たちが勝利の雄叫びを上げているようだ。






 人は食事をとる。

 それは、生きるために必要だから?お腹が空くから事務的に?それとも、美味しいものを食べて楽しむ、娯楽のため?

 もちろん、それもある。しかし、笠野花にとっての食事は、それだけにはとどまらない。

 彼女にとって、食事をすることの最大のメリット、それは、かの有名な偉人たちと同じ食を囲み、その身を持って歴史を知る、いわゆる学問の一つなのだ。


 歴史教員であり、根っからの歴女でもある花は、己の舌をも駆使して全力で歴史を学び味わう。かの有名な偉人たちと、杯を交わし同じ食卓を囲む、そんな夢見事を現実へと変えてくれるのだ。

 

「私が下戸じゃなかったら…!」


 今日の晩餐は、絶対に酒にあうはず。何度目かわからないほどの、悔やみごとを嘆いた花は、平松を思い浮かべる。

 ザルの酒愛好家、彼ほどの肝臓を持っていればもっともっと歴史の世界に浸れるというのに。

 いかんいかん、と花は首を横に振る。無い物ねだりほど、時間も労力も無駄にしてしまうものはないだろう。

 それよりも、と花は不敵に笑う。酒にあう肴を世話してやった花に、平松は一目置いており花におすすめはないかと肴だけでなく酒に関しても聞いてくるようになった。これはもう、平松の舌を掴んだと言っても過言ではないだろう。

 これで、気になっていた酒の味を根掘り葉掘り聞くことができる。想像さえできれば、あとはもうこっちのものだ。歴史へと思いを馳せるうちに磨かれた、花の想像力は現実の舌をも凌駕する、より巧妙な虚像を作り上げることができる。


 

 自宅に着いた花は念入りに手を洗うと、前掛けを腰の高い位置にぎゅっと結ぶ。郷に入りては郷に従え、せっかく歴史のご飯を食べるのだから、エプロンにIHじゃなくて、その時代に使われていたものをできる限り使うのが花流だ。

 今日のテーマは江戸時代末期、そう志士たちの熱い戦いが繰り広げられた幕末だ。時代の大きな渦に巻き込まれた庶民たち、そしてその渦中にいた志士たちに思いを馳せ、最高の晩餐を作り上げる。

 まずはお米から。京都の老舗の米屋で取り寄せたもので、せっかくの歴史飯の日なのだからと、少し奮発した。お米が輝いて見えるのは気のせいではないはず。沢山種類があって迷ったが、今日の締めは京都のあの志士たちが食べたものにしたいからと、祇園の料亭で使われているものにした。そして、京都の水といえば伏見、日本酒の仕込みとしても使われている水をお取り寄せした。そして、やっぱり炊き方にもこだわりたい、と昨年のボーナスで買った土鍋、もうこれでお米は大成功間違いなしだ。


「えっと…たしか、お米は最初に入れた水を吸うから…っと」


 お取り寄せした水を米にたっぷりそそぎ、さっと洗い流す。けちらずたっぷりと。もったいなく感じてしまうが、これがきっと大事なのだ。お米に傷をつけないように軽く研いですすぐを繰り返す。そして吸水だ。水をたっぷり注いで置いておく。


「美味しい水をたっぷり吸っておくれ」


 鼻歌まじりにお米に声をかけると、いよいよおかずの準備だ。メインの天ぷらに、副菜は壬生菜のおひたしと賀茂茄子の田楽。想像だけで涎がこぼれそうだ。

 まずは天ぷらの下処理から。今日のネタは穴子と芝エビだ。どちらも駅前の大型スーパーで購入したもので、身近なものでこだわりすぎないのも花流だ。


「お米にお金をかけすぎたからっていうのもあるけどね」


 花は毎月寂しいお財布事情にしんみりする。花の歴史飯は自炊だけではない。各地の遺跡を巡って、その地で昔ながらの美味しい食事を食べるのだって、なかなかにお金が嵩む。


「まあ、作り方はちゃんと江戸時代風だから問題なし!」


 両手を合わせ、気分を入れ替えると花は穴子と芝エビの下処理にかかる。殻ごと天ぷらにしても美味しい芝エビだが、今日は衣のザクザク感を引き立てたいからあえて殻を剥く。頭を落とし、丁寧に殻と背腸をとったエビを、塩と片栗粉でさっと揉み流水ですすぐ。油で揚げるまでに少し時間があくので、今日は酒につけておこう。我が家で唯一の酒である、料理酒にエビをつけて、お次は穴子の準備だ。こだわりすぎない、とは言ったものの普段手にすることのない穴子は、花にとっては十分高級品である。せっかくだから、美味しく食べたいと、花は平日の昼休みに動画サイトで予習しておいたのだ。


「よしっ!やるぞ!」


 まな板の上に穴子を置き、あらかじめ沸騰させておいたポットの湯を慎重に、かつ大胆に穴子に降り注ぐ。


「あつっ」


 跳ね返る湯にビビりながらも、たっぷりのお湯を注いだ穴子は身を反らしほかほかと湯気を出す。湯気を払いながら、包丁を手にした花は「やさしく、やさしく」と呟きながら、包丁の背を穴子に当てる。


「滑りをとって…」


 滑らすように、穴子の上を包丁でなぞっていくと、白っぽいものが穴子の身から離れていく。これが、臭みのもとになるらしい。包丁を洗い、適当な大きさに穴子を切る。一本まるまる揚げるのも贅沢だが、今日は歴史飯。江戸時代に屋台で振舞われていた天ぷらは、串に刺さっており立ったままサッと食べられるので小腹満たしにぴったりだっただろう。学生時代に空腹を持て余し、コンビニ前でホットスナックを摘んでいた頃を思い出す。きっと、大人から子供までたくさんの人が香ばしい熱々の天ぷらを頬張ったのだろう。

 空想の世界に行きかけた花は、いかんいかんと現へと戻ってくる。まだ料理の途中なのだ、妄想に浸るのはまだ早い。

 切った穴子を串に刺していく。大きい身は存在感が大きい。きっと、他の具材の中でも穴子は花形だったに違いない。お次はエビだ。身の小ぶりな芝エビは、ひと串に三匹ずつ。ぴよんと飛び出たしっぽが可愛らしい。

 そして、これこそが江戸の天ぷらだ、と言えるごま油。関東ではごま油、関西では菜種油が使われていたらしく、どちら流でいくか迷った。締めは関西、ならば関西縛りで行くかと思いかけたが、ハッと閃いたのだ。これは江戸流でいくべきだ、と。

 我ながら天才すぎる、と花は自画自賛しながらたっぷりのごま油を温める。そろそろ米の吸水が終わったはずだ、と花は油が温まるのを待つ間に炊飯に取り掛かる。しっかりと水気を切り、土鍋に米と伏見の水を注ぐ。ガス火を調整して、米たちに敬礼をする。


「美味しく炊き上がってください」


 米たちを送り出した花は、続いて副菜の準備に取り掛かる。今日は京野菜づくしだ。

 まずは賀茂茄子。まるまると太った茄子を、大きめに輪切りにして水につける。その間に田楽味噌の準備を行う。せっかくの賀茂茄子だから、味噌も京風に白味噌かと思いきや、ここはあえての江戸で愛されていた赤味噌を使う。


「これも、全部は完璧なストーリーのため…」


 花はくっくっと怪しい笑い声を漏らしながら、鍋に赤味噌に酒をいれていく。そして、砂糖。昔は高級品だった砂糖、江戸時代後期には庶民の間でも使われていたとされているが、やはり贅沢品としての立場は健在だっただろう。白砂糖ではなく、今日は三温糖を使うとしよう。鍋に火をかけ、しっかりと混ぜ合わせる。赤味噌の濃厚な香りが台所を包み込む。

 田楽味噌を作り終え、次は水を拭き取った茄子をたっぷりの油で焼いていく。油の攻撃を受けながらも、茄子の両面にしっかり火を入れていく。こんがりと油を吸った茄子がその身を最大限に輝かせ、花はごくりと唾を飲んだ。箸で押さえただけでわかる、このとろとろさは野菜の中の大トロと言っても過言ではないだろう。茄子に気を取られていると、お米からふつふつと沸騰している音が聞こえ、火加減を弱火に変えておく。そして、茄子を火から下ろし、作っておいた田楽味噌をのせる。


「完璧…!」


 茄子田楽の完成である。食欲をそそるビジュアルに花が見惚れていると、油の予熱完了を伝えるアラームが鳴る。慌てて天ぷらの衣の準備に取り掛かる。花は今日の為に準備しておいた小麦粉をとりだす。普段ならサクッと軽い食感を作るためにグルテンの少ない薄力粉を使うのだが、今日はあえて中力粉を使用する。江戸時代に使っていたと考えられる小麦は、おそらく今で言う中力粉だと言われているからだ。

 そして、卵。江戸時代には、卵黄と白身、それぞれを使った2種類の天ぷらがあると言われているが、卵の物価を考えると、卵を使った天ぷらはなかなか庶民には手が出しにくいのではないだろうか。今日は江戸時代B級グルメ風で行きたいのであえて使わないことにする。中力粉を水で溶き、どろっとした衣を作ると、下準備しておいた海老と穴子の串にたっぷり纏わせる。そして、勢いよく油の海へ投下していく。シュワーと油の合奏が奏でられ、美味しさが耳からも伝わってくる。


「もう美味しい…飯テロすぎる」


 花は溢れてくる唾液を何度も飲み下す。人生の中で上位にランクインする幸せな音だ。そんな幸福なメロディーをBGMに、花は壬生菜のおひたしの準備に取り掛かる。壬生菜とは水菜の一種で、江戸時代に京都の中京区で生まれた野菜だ。水菜と違い、葉が丸いのが特徴で栽培されていた地域の名をとって、壬生菜と言われている。旬には少し早いが、この名前を知ってしまった花は、どうしても今日の歴史飯に壬生菜を使いたかったのだ。あらかじめ塩を少量入れて沸かしておいた、たっぷりのお湯で壬生菜をさっと茹でる。シャキシャキとした軽やかな食感を楽しむために、茹ですぎないのがポイントだ。茹で上がった壬生菜を今度は冷水で冷やし、食べやすい大きさに切る。味付けの砂糖、醤油、それからたっぷりのすり胡麻で和えると完成だ。鮮やかな緑が油でいっぱいの脳を軽やかにリセットしてくれる。


「お米もそろそろかな…」


 土鍋の火を止め蓋を開けたい衝動を抑え、そのまま蒸らしておく。この作業が大事なのだ。花がぶつぶつ呟いていると、大音量で鳴っていた油の音が、プツプツと小さくなってきた。どうやらてんぷらが上がったようだ。菜箸で慎重に油の海から串たちを揚げていく。こんがり狐色にあがった身が、衣のざくざくとした硬さを箸を通して伝えてくる。普段のお上品な天ぷらとは打って変わって、ガテン系のがっつり天ぷらだ。熱々を頬張りたい気持ちをグッと堪え、花はたれづくりを始める。鍋に醤油、酒、砂糖を入れ、煮立たせる。大根おろしと天つゆでサッパリさせるのもいいが、今日はあくまでも江戸風。天丼のような甘辛いタレで、がっつりこってりいただくとしよう。

 ご飯が蒸らし終わるまであと少し。その間に、今日の主役である漬物たちを用意しておこう。たくあんに、瓜の奈良漬、それにしば漬けだ。ここの、漬物たちが揃ってこそ、今日の歴史飯が完成するのだ。食べやすいサイズに切り分けた漬物を、さらに細かく切り刻んでいく。


「もう、この瞬間から幸せ…」


 酒粕の匂いだけでほろ酔い気分の花は、上機嫌で漬物を刻みながら、漬物から発せられる匂いを少しも漏らすまいと胸いっぱいに吸い込む。三種類の漬物を刻み終わり、米の蒸らしもちょうど良いはずだ。

 うまく炊き上がっていますように、と祈るように土鍋の蓋を開けると糖度を含んだ蒸気が花の視界を覆い尽くす。土鍋の中にはふっくらと粒のたった米たちが、ぴかぴかと光り輝いている。米一粒一粒がぱつぱつに肥えており、今にも弾けそうだ。そっとしゃもじを入れて米粒を潰さないように慎重にかき混ぜると、より一層甘みを含んだ蒸気が鼻腔をくすぐる。今すぐ、茶碗いっぱいの米を書き込みたいという衝動を堪え、花は茶碗に控えめに米を盛る。


「落ち着いて、私。これは前半戦だから」


 山盛りにお腹いっぱいお米を食べたい欲を必死に抑えながら、花は出来上がった料理たちを食卓に並べていく。壬生菜の緑に、茄子の紫、メインの天ぷらは茶色、そして米の白と、なんとも食欲をそそる色たちである。


「よし…いただきます」


 はやる気持ちを抑えながら、まず花が手に取ったのは壬生菜のお浸しだ。シャキッという瑞々しい音とともに、キリッとした苦味が口いっぱいに広がる。丸い葉っぱの可愛らしい見た目からは想像もつかない、なんとも大人な味である。


「おお…」


 音を楽しむようにリズムよく咀嚼していると、苦味と共にピリッとした辛味を覚える。なんとも爽やかな、クセになる辛味にパクパクと箸が進む。苦味に辛味と、子どもの頃は苦手意識さえあったはずなのに、いつからか平気になっていた。歳を重ねるにつれて、美味しいと感じるほどに。


「ゴーヤとか、魚の腸とか、サザエの内臓とか…苦味と旨味は紙一重よね」


 苦味が広がった口に、お待ちかねの白米を一口頬張る。

 

「あまっ!」


 一口噛んだだけで広がる甘みに、思わず声が漏れる。雑味がなく、米本来の甘味がストレートに脳に届く。さすが京都料亭、格が桁違いだ。もう一口、と米本来の甘み味わう。このお米ならおかずがいらないレベルに美味しい。でも、今日は最高のおかずたちが待っているのだ。

 ごくり、と喉を鳴らした花は続いて丸茄子の田楽に箸を入れる。とろり、と解けるように割れる身は箸で持ち上げるとその身を保つのが難しいと言わんばかりにとろけている。花は落ちないように、口で向かい入れる。


「っ!」


 うますぎる、と花は拳を握り締め身を傾ける。丸茄子だからだろうか、やわらかな身はとろっとろに解けている。あまじょっぱい赤味噌の田楽が、茄子本来のやさしい甘さを引き立てている。これはお米が進む、と花は追いかけるように米を頬張る。味噌の塩味がお米をも引き立て、なお一層甘味が増す。ナスを堪能した花は、いよいよメインの天ぷらに手を伸ばす。まずは芝エビから。


「二度漬けは禁止ですよーっと」


 コップに入れたタレにエビの身を浸す。こってりとしたタレが天ぷらの油と合わさり、艶々と光り輝く。タレがこぼれないように、花は大口を開けて急いでエビの身を頬張る。


「っ!」


 思わず息を飲む。あまじょっぱい、天丼のようなタレがザクザクの衣に身を包んだ、これまた甘みのあるエビと合わさり、なんとも贅沢な旨味が口いっぱいに広がる。衣がザクザクしているからか、お上品なイメージの天ぷらではなく、ハンバーガーやフライドチキンのような、ファストフードのようながつんとしたコッテリ感がある。カロリー爆弾、罪の味である。串を横に持ち、最後のエビの身にかぶりつく。串ものってかぶりつくには食べにくいし、箸で串から外すとちょっと趣が変わるし、試行錯誤して食べても頬にタレがつくし、外食で他人と食べにくいランキング(花調べ)では上位に入るが、手づかみで食べるフライドチキンが格別に美味しいのと同様、頬が汚れるのも手が汚れるのも気にせず豪快に食べた方がジャンクフードの美味しさは増す気がする。

 お次は穴子。


「うわっ…」


 あまりの大きさに、串からずっしりと重みが伝わる。これもタレにたっぷりとつけて…、がぷっと大きな一口を頬張る。エビとは違う、穴子のふわふわとした身が、ザクザクの衣と対照的でお互いの特徴を引き立てている。穴子は丼ものとして有名な通り、この天丼のようなあまじょっぱいタレがよく合う。寿司屋で食べる穴子は上品でこっくりとした美味さだが、江戸風天ぷらは確実にジャンクフード、若者の好きな味だ。纏うものが違うとこうもスタイル変更できるものかと、クラッシックからJ-popくらいの音楽性の違いを感じる。天つゆだともっと穴子の淡白な旨味を全面的に引き立てるのかもしれない。でも、ヤンチャな少年が可愛い雑貨が好きなのをこっそり見つけてしまったかのような、それ自体の良さが控えめにチラッと覗くような、タレの後にふわっと残る穴子自体の旨味を感じられるだけで穴子自体の株がグッとあがる。むしろ、さりげないからこそよけいに、その良さが際立つ気もする。

 そして、箸が汚れるのも気にせずに、米をかき込む。口の中で完成された天丼は、天ぷらはサクサクのままで、米もベタつかず弾けるような弾力でそれぞれのいいところを保ったままお互いの旨みを引き立てる。うまい、うますぎる。うまい以外の言葉が出てこない。穴子を頬張り、その身を飲み込まないうちに、再び米をかきこむ。夢中で食べ続けた花は、最後に残った穴子の身を顔を傾けてかぶりつく。その旨味をしかと味わいながら咀嚼すると、口の横についたタレを舌で舐め取り、ほぅと息をつく。そして、花は口に残る旨みに集中するように、そっと目を閉じる。

 

 そう、花の歴史飯の集大成である。

 時は江戸末期、徳川幕府を中心とした様々な思想が渦巻いていた波乱の世。そんな中、京を騒がせている若き志士たちが、日頃の喧騒を離れ一軒の飯屋の暖簾をくぐる。


「お花さん、夜分すまねぇ」


 まるでモデルのような、すらっとした手足の長い、長身の男前が体を半分覗かせながら花を呼ぶ。江戸末期の京都、そして壬生といえば彼らである。花は炊事の手を止め、出入り口の方を振り向き、喜びに崩壊しそうな表情筋をなんとか引き締め笑みを浮かべる。


「あら、土方さん。こんばんは」


 花の歴史飯の醍醐味、それは当時と同じ飯を食べ、歴史の偉人たちの世界に妄想トリップすることである。世間では新撰組鬼の副長と呼ばれ、恐れられている土方歳三を、花はまるで同郷の友人のように明るく出迎える。そして、その後ろに控えていた面々を見て、「まあ!」と驚きの声を上げた。

 土方の背後には、新撰組局長である近藤勇が、顔を真っ赤にさせておぼつかない足取りで沖田総司に支えられているではないか。慌てて戸口を大きく開けて、3人を店の中に招き入れる。


「お花さん、急にごめんね」


 幼さの残るふっくらした頬をした沖田が、申し訳なさそうに肩をすくめる。座敷に横たえられた近藤から、ごおおという豪快な低音が響いてくる。近藤から漂う酒のにおいが、彼の泥酔を示している。花は、いいえと笑いながら、近藤に申し訳程度の上掛けをかけてやる。


「今日は花街で?」


 新撰組、特に江戸出身の面々にはよく贔屓にしてもらっているが、このメンツがこの時間にこの店に来るときは大抵、宴会の後、である。酒を好まない土方と、花街の空気が落ち着かない沖田は、酒に弱く早々と潰れた近藤を引き連れ、よく腹を満たしに花の店を訪れるのだ。花の問いかけに、否定も肯定もせず肩をすくめた土方は、ふと、台所の方を見やる。その後を追うように、沖田も視線を台所へと向けると、大きく息を吸い込んだ。


「なんだか、懐かしい匂いがしますね」


 彼らが、この店を贔屓にしている最大の魅力を発揮するチャンスが訪れ、花は自慢げに胸を張る。


「今日は是非、食べていってほしいものがあるんです。お二人とも、お腹は空いてますよね?」


 花が前掛けの紐を結び直し、体を調理場へ向けながら2人に尋ねる。沖田がパッと顔を輝かせて、その言葉を待ってましたと言わんばかりに「はい!」と大声で返事をする。土方は素直で遠慮のない沖田を呆れた目で諌めながらも、花の口にした、「食べていってほしいもの」に興味があるようだ。いそいそと台所が見える場所に腰を据える。


「まずはこれでもつまんでいてください」


 花が作り置きしておいた壬生菜のおひたしを座敷に出す。沖田がそれを見るやいなや、「あっ!」と何かに気づいたように花の顔を見やる。


「これ、僕が持ってきた野菜ですか?」


 沖田の問いに花がにっこりと微笑み首肯する。つい昨日、沖田が近所の子のお守りをしたお礼にもらったからと、花にお裾分けしてくれたのだ。剣の腕がすこぶる良いと評判の沖田だが、私生活は面倒見の良いお兄さんで、よく近所の子たちと遊んでやっており、その影響からか小さい子を持つ親世代に結構好かれている。土方は初耳だったようで、なんの話だ?と沖田に問い詰める。

 

「よく遊んでる近所の子の親御さんなんですけど、なんだか困ってそうだったから赤子の子守りしてあげたんですよ。そしたらそのお礼にって。屯所で食べてもよかったんですけど、サボってたのかって誰かさんに疑われそうだったので」


 こっそり持ってきた割には、隠す気のない堂々とした言い草に、土方は面食らったように頭を抱えた。おそらく、貴重な食料を横流しにしたことを咎めるか、それとも聞かなかったことにするか悩んでいるのだろう。サボってたうんぬんは、おそらく、沢山の隊士に囲まれている中だったら怖くて近寄れなかった子どもたちが、沖田1人のところを狙って隊務中でもお構いなしに話しかけに行っているんだろう。そんな姿がサボってるとみられる可能性はなきにしもあらずか。

 のらりくらりと、つかみどころのない少年は楽しそうに笑っている。年少ながら隊長を任せられており、剣の腕も右に出るものはいないが故に、おそらく厳しいことを言える人物は限られているのだろう。花も野菜のお裾分けをもらった身であるから、あまり土方さんを困らせてはいけませんよ、と嗜めることもできずにあいまいに笑い流し台所に戻る。

 沖田は出された壬生菜をパクりと頬張る。シャキシャキと音を鳴らしながら、物珍しそうに歯応えを楽しんでいる。


「これって生ですか?すごくシャキシャキしてますね」


 沖田が座敷から、台所の花に話しかける。横では聞かなかったことに決め込んだらしい土方が、むしゃむしゃと壬生菜を頬張っている。

 

「少しだけ火に通してますよ、生でも美味しいんですけどね」


 花が揚げ物の準備をしながらそう言うと、沖田はへぇと曖昧に返事をしてまた箸を取る。苦味のある壬生菜は好みが分かれる。2人とも黙々と食べているところからどうやらお口にあったらしい。だが、京に来てしばらくたった2人にとっては、もう馴染んだ味なのだろう。花ほどの感動はないようだ。まあ、これは想定内だ。むしろ、あとの二品とのギャップをつけたかったから、花はあえて京野菜の壬生菜を最初に持ってきたのだ。


「お待たせしました、お次はこれをどうぞ」


 小鉢が空になったのを見計らって、花が焼きたてのナス田楽を持ってくる。2人の視線が釘付けになったのを感じ、花は満足げに鼻を伸ばす。


「賀茂茄子の田楽です。今日は江戸風に、赤味噌で仕上げています」


 こっくりとした味噌の赤味が、その味の濃さを物語っている。京では白味噌を使うことが多いが、江戸出身の彼らの舌にはきっとこっちの方が合うだろう。沖田が嬉しそうにナスの身を割る。


「わっ!とろとろですね!しかも身が大きい」


 よくぞ気づいてくれました!と花は、ずいっと身を乗り出す。


「賀茂茄子って、京で有名な茄子の種類なんですけどね、丸くて大きい身が特徴で、火を入れるとトロトロに蕩けてとても美味しいんですよ」


 花の説明が終わらないうちに、土方がぱくりとナスを口に入れる。と、同時にはっと息を飲むのがわかった。


「美味しいでしょう?」


 花が得意げに土方に問うと、見られていたことに気づいた土方はバツが悪そうに顔を背ける。


「悪かねぇな」


 照れているのだろう、素直ではない褒め言葉に花はにっこりと嬉しくなる。土方は言葉ではなく、その身で美味しさを表現してくれるのだ。食べている姿をずっと眺めたくなる。反対に沖田は…。


「うわっ!めちゃくちゃ美味しいですね!」


 沖田の方を振り向くと、ちょうど一口食べていたところだったらしい。目を輝かせながら、花の方を勢いよく向く。


「やっぱり秋はナスですね。えぐみが一切なくて、甘くてとろとろで…それに、このタレ、すごく美味しいです!赤味噌、こっちではあんまり見なかったからすごく懐かしいなぁ」


 ご機嫌な様子の沖田に花はくすっと笑う。黙の土方とは対照的に、沖田は言葉で美味しいを伝えてくれる。その誉め殺しに花は上機嫌になり、ついつい、おかわりを沢山あげたくなってしまう。しかし、今日はまだメインが待っているのだ。おかわりをあげたい気持ちをぐっと押し殺し、花は台所に舞い戻る。

 2人に絶対に食べてもらいたかったのはこれなのだ。花は肩を回し、気を引き締める。


「おっ、いい音ですね」


 じゅわわわっと油のいい音が座敷まで聞こえてくる。沖田は伸びをしながら、台所の様子を窺う。


「花さん、何を作ってるんですか?」


 沖田が待ちきれない様子で花に尋ねる。土方も気になっているようで、耳をそばだてているようだ。


「お二人も食べたことあるものだと思いますよ」


 花が返事にならない回答を返すと、沖田はなんだろう、と腕を組み考える。そして、花の手元が見えたらしい、土方がほうと感心した声を漏らした。


「懐かしいな…」


 土方が目を細め、眩しげに過去に思いを馳せる。


「幼い頃、姉さんに連れられて屋台に行ったな…」


 土方が幼い頃の思い出を回想し、そっと口角を上げる。そして、屋台、と言う言葉にピンと来たらしい沖田が、「えっ!」と大声を出す。


「もしかして天ぷらですか?!今日、ここで食べられるんですか?!うわー!僕たちはなんで幸運なんだろう!」


 おそらく、屋台の食べ物という認識が強かったのだろう、花が正解とも不正解とも言わぬ間に、沖田が1人で大喜びしている。そんな姿が可愛らしくて、花はにっこりと笑みを深める。


「お待たせしました、どうぞ召し上がってください」


 2人の前に揚げたての芝海老と穴子の天ぷらを出す。待ってましたと言わんばかりに左右から手が伸びてくる。


「やっぱり天ぷらと言ったらごま油ですよね」


 胸いっぱいに香りを吸い込み、沖田がほうとため息を漏らす。食べる前からご満悦な様子である。そんな沖田をほって、土方ががぶりと穴子に喰らいつく。ザクっという耳触りのいい音が座敷に響く。


「うめぇな」


 唇に移った油を、ペロリと舌で舐めとる様がなんとも色っぽい。そんな土方の隣で、沖田も続いて芝海老を頬張る。


「んっ!これも絶品ですね。このタレとよく合います。それにこのエビ、全く臭みがなくて、甘くて美味しいです」


 沖田に手放しに褒められ、花はにっこりと微笑む。江戸風の天ぷらがあまりに懐かしかったのだろう、2人とも優しい笑みを浮かべる。花はそんな2人の様子が嬉しくて、2人の向かいに腰を下ろしてその姿を眺める。花はつい、ぽろっと今日の料理の思惑を漏らす。


「前に、江戸の思い出話をされてたでしょ?それを聞いて、私も皆さんに故郷の味を味わってほしいなと思って」


 花がそう言うと、2人は顔を見合わせて面映いように、少し困った笑みを浮かべる。


「気を遣わせちまって悪かったな…どれも懐かしい味だったよ」


「すごく、美味しかったです。お花さん、ありがとう」


 2人に優しい眼差しを向けられ、花は照れ臭くなりお盆で顔を隠す。と、その瞬間、ガバッと視界の端で何かが動いた、かと思えば近藤が目覚めたらしく、起き上がって天ぷらの匂いに釣られるように三人の元へ擦り寄ってくる。


「近藤さん大丈夫ですか?」


 沖田が慌てて手を伸ばすと、その手を握って「この匂いはなんだ!?」と沖田に詰め寄る。


「お花さんのお手製の天ぷらですよ」


 沖田が面食らいながら、そう教えると近藤さんは「なに?!」と目の色を変える。それと同時に、酔うほど飲んできたはずの近藤のお腹からぐぅーと腹の虫が雄叫びを上げた。まだ酔いは覚めていない様子だが、腹はばっちり減ったらしい。

 花はくすっと笑いながら、「近藤さんも召し上がってください」と天ぷらを差し出す。


「かたじけない!」


 近藤は花にそう断ると、両手に串を持ち、その大きな口で一気に平らげていった。


「うまい!」


 ものすごくいい顔で次々に串を平らげていく、近藤の食べっぷりは見ていてとてもすっきりする。花は、土方、沖田と顔を見合わせてくすっと小さく笑みを漏らす。


「まだまだいっぱいありますから、皆さん、たんと召し上がってください!」


 花は立ち上がって調理場へ向かう。京の夜はまだまだこれからだ。



 花はゆっくりと瞳を開けて、ピントの合わない視界をぼんやりと眺める。妄想トリップ後は脳がものすごく疲れるようで、さっきたっぷりと食べたはずなのに口寂しい気分になる。


「……かっこよかったなぁ」


 幕末、というだけで胸が熱くなる激動の時代。その時代を生き抜いてきた志士たちはやっぱり、一味も二味も違う。

 花は余韻に浸りながらも、重い腰をあげ締めの準備に取り掛かる。今日の締めは、新撰組たちが食べていたと言われているお茶漬けだ。諸説あると思うが、腹が減っては戦はできぬ、勤務前にさっとかきこみ腹を満たしていた、らしい。

 花は土鍋からご飯を注ぎ、その上に刻んでおいた奈良漬、沢庵、しば漬けを乗せる。そして、味噌を少し。赤、黄、茶となんとも食欲をそそる色だ。


「これにお湯を注いで…」


 ご飯が隠れるほど、たっぷりのお湯を注いで…完成だ。さっぱりとした見た目が食欲をそそる。

 端に置いておいた味噌を溶かし、食べやすいように刻んだ漬物を伸ばす。


「では…いただきます!」


 ぱくっと一口、口に放り込むと漬物の酸味ががつんと鼻に抜ける。甘い沢庵とは全然違うその酸味に驚きつつも、さっぱりとした酸っぱさに、味噌と奈良漬のこっくりとした旨みが合わさって、なんとも癖になる味だ。


「これ、絶対二日酔いの時に食べたいやつだ」


 酒も飲めやしないのに、そんな感想が出てくるほど後味がすっきりとしている。

 花は茶碗を片手に持つと、茶碗に口を当ててサラサラと流し込んでいく。新撰組隊士たちと同じ味を、今、こうして味わえているのは、ずっと変わらず伝統を継承してくれている職人の方や、過去の歴史を分析してくれている歴史家の皆さんのおかげだ。花は今日食べた、歴史飯を振り返りながら、ほっと一息つく。

 花にとって、食はただの生命維持機能ではない、歴史を学び感じる場なのだ。たくさんの人たちの人生が積み重なりを感じながら、花は大きく伸びをする。花の歴史飯はまだまだこれからも続いていく。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 実家の伏見の水が出てきたのが嬉しいです! いろいろ勉強になります。江戸時代末期の歴史に疎い私ですが、花の食事風景を観たことで、興味を持ちました! また、食事というテーマにふさわしく、とっ…
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