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あと3時間で30歳になる童貞の話

作者: 牛乳


 30歳まで童貞を守った者は魔法使いになれる――そんな伝説をご存じだろうか。


 まぁご存じだろうね。有名なネタだし。

 そう、伝説なんて大仰なものじゃない。胡散(うさん)臭い都市伝説ですらない。ただの与太話。モテない童貞の戯言(ざれごと)に過ぎない。

 ではなぜ急にそんな話をしたかというと、この俺自身が明日、童貞のまま30歳になるからだ。


「ハハ……はぁ……」


 無為な思考に頭の半分を占められながら、無為なネットサーフィンで時間を浪費する。

 俺の名前は……別に名乗るほどのものじゃない。29歳の会社員。どこにでもいるような男だ。

 楽しかった小学校時代を経て、中学では微妙に黒歴史も生まれたが大事には至らず、高校大学と順調に進んで仲の良い友人もできて今でも連絡を取り合うが、恋人はできず。会社員になった今でもそれは変わらない。

 もちろん努力はした。素行や身だしなみに気を付けて、トークスキルも自分なりに磨いたつもりだ。

 けど足りなかったんだろうな。

 今にして思えば、時間はまだあるとかガッつくのはみっともないとか言い訳を重ねて、心の準備という名の妄想だけをしながら決定的な行動は起こさなかった。その結果がこれだ。

 自宅のマンション。季節は冬。時刻は午後9時を回ったあたり。

 あと3時間で――終わる。貴重な何かが。


 自分が不幸な人間だとは思わない。

 むしろ幸せな方なのだろう。大きな怪我や病気をしたことはなく、五体はもちろん身体の細かいところまで不足はない。

 仕事だって順調だ。働いていて楽しいわけでも殊更(ことさら)にやりがいがあるわけでもないが、デスマもパワハラもないし、残業代だってちゃんと出る。福利厚生もしっかりしていて、例えば誕生日休暇なんてものまでもらえる。総じてホワイトな職場と言えるだろう。

 もし誰かと立場を交換できるなら。そうしてやるぞと宣言すれば、喜んで立候補する人間が世界中にいるはずだ。おそらく億を下るまい。21世紀前半の地球はそんな世界だと、こうしてネットを眺めていればわかる。

 この世は不幸に満ちている。ああ、気が滅入る。


 そう、気が滅入るのだ。

 確かに俺は不幸ではない。だが『不幸でない』と『幸せである』は必ずしもイコールじゃないんだよなぁ!


「……あ、ココちゃんだ。配信やってる」


 ネットの海を漂ってるうちに、動画サイトに辿り着いていた。彼女は俺が今はまっている Vtuber だ。

 お前らどうせ知らんだろう。無理もない。チャンネル登録者数が300ほどしかない弱小個人勢だからな。ガワもいまいち萌えないし、トークの方もパッとしない。

 ではなんで推してるかというと、単純に声が好みだから。話術はないが喋りのテンポそのものがなんかこう、妙にツボなのだ。気付けば登録ボタンを押していた。あと人が少ないだけにリスナー一人ひとりのコメントにしっかり反応してくれるのがうれしい。大手じゃこうはいかんよな。


「でもゲーム実況か……」


 サムネをクリックする指が止まる。

 タイトルを読めば、某有名鬼畜ゲーをクリアするまで終われませんとか書いてある。そんな芸人みたいな企画なんかしなくてもいいのに。

 なんて言うのも無粋ってやつか。この子なりに登録者数とか増やそうと頑張っているのだろう。

 でも俺ゲームにはぜんぜん興味ないんだよなぁ。雑談や歌枠なら嬉々として参加するんだが。

 まぁ一応挨拶だけはしておくか、常連として。

 プレイの合間を見計らってコメントを打ち込む。こんココ、出遅れちゃった、っと。


『あっ、チャーリーさんいらさーい! まだまだ終わらないからぜんぜんだいじょぶだよー!』


 すぐに反応が来た。

 かわいい。癒される。

 こんな子が近くにいればな。

 ちょっと前までは V なんてと馬鹿にしていたのになぁ。二次元のふりしてるくせにこっちに干渉してきてんじゃねぇよ、とか。

 けどこの子たちは俺なんかよりよっぽど価値のある存在だと思う。少なくとも俺には見知らぬ300人から支持を集めるなんて絶対に無理だ。


 ってゆーか。

 歌枠なら。

 歌、か。

 頼んでみる、というのはどうだろう。プレイの息抜きにでも、あれを歌ってもらないかと。あと数時間で誕生日を迎える俺のために。

 ハッピーバースデートゥユーを。


「……いやいやいや」


 ない。それはない。

 あまりにも一人よがりすぎる。この子なら態度に出したりはしないだろうけど、絶対キモいと思われる。他のリスナーにも迷惑だ。やめておこう。いや、やるべきじゃない。やっては駄目だ。

 ぐっとこらえて途中まで書きかけていたコメントを消して、別の当たりさわりのない文を打ち込む。

 作業中だからあんまコメントできないけど、聞いてるから、っと。


『そうなのー? うーん、気にしなくていいよー! なんの作業かな? あんまりムリしないでねー』


 やさしい。すき。


 ごめんな、作業ってただのネットサーフィンなんや。無理なんかしようがないんや。むしろそっちこそ無理すんな。

 ああいや、そういえば今日はまだメールチェックをしてなかったな。あれも作業っちゃ作業だし、やっとくか。

 といってもほとんど広告メールだから捨てるだけなんだけどね。


 えーっと、広告広告広告これも広告……あ、これポイント付きのやつだ。クリック、と。

 広告広告クリック広告……ん、アンケートに答えて3ポイント、か。一応やっとこう。

 おっと悲鳴が。ココちゃんが死んだか。

 えー、男性、独身、20代。職業は……と、いくつかの質問にポチポチと答えていく。ふふふ、まだ20代だぜ。でも明日から30の方を選ばなきゃいけないんだよな。ハァ。

 まぁいい。回答完了。ポイント付与は後日ね、了解。

 広告クリッククリック広告……次は、えー、お気に入り作家の新刊の案内。電子書籍ストアか。

 ふむ、どれどれ?

 ……ちっ、NTR かよ。最近そればっかじゃねぇかこの人。

 あーあ、変わっちまったなあ。昔はもっとかわいいの書いてくれてたのに。もっと平和なのをくれよ。

 そろそろお気に入りから外すかな。いやもうちょっと様子を見るか。減るもんじゃなし。(ただし時間は擦り減る)

 他に目ぼしいもんは……お、なんだこれ? 『世界初(たぶん)! 99%AI製エロCG集』? へー。

 ちょっと見てみるか。


 えーっとなになに? 人間がやったのは最初のキーワード入力と最後の検品のみ。キャラ、構図、シチュエーション、すべてAIが決めて描いてます。それぞれに1キロバイト未満のフレーバーテキスト付き。もちろんこれもAI出力。サイバーダイモン社製描画AI使用。全28枚。実験的作品につき特別価格41円……

 ほぉー。

 面白そうじゃないか。

 サークル名は、『セクシーセンクシャー』? ネーミングセンス……

 けど他の作品を見渡してみると、先駆者を名乗るだけあって変わったものが多い。なんだよ伊勢海(いせかい)でエビに転生して海産物ハーレムを作る恋愛シミュレーションって。せめて擬人化しろよ。

 いや、それよりAIの画像集だ。

 絵柄はまぁまぁ好みだし、表情差分なんかもサムネを見る限りじゃそう悪くはなさそうだ。それにこの値段なら中身がクソでも我慢できる。今後に対する投資だと思えば。

 というわけでぽちっとな。

 数クリックで購入を完了し、早速中身を見てみることに――する前に、ヘッドホンを外す。

 推しの声を聴きながらエロ画像を鑑賞するような趣味は俺にはないというか、いや不通に無理。あと一応配信画面を一度開いて何か起こってないか確かめておく。

 何かってなんだよ。知るかよ。

 悪かったな小心者で。とにかく問題はなさそうなので、改めて鑑賞開始である。さてAIのオカズとはどんなもんかな?



         ・


         ・


         ・



「……うーん……」


 思わずうなる。

 業界初のAI製エロ画像集とやらを見てみたわけだが。なんていうかこう、なんて言ったらいいんだろうなぁ?

 とにかくこう、なんか気持ち悪いのだ。

 キャラ自体はかわいい。人間として不自然な身体つきやポーズをしているわけでもない。背景が一部エッシャーの騙し絵みたいなわけわからんことになってるとかならあるが、そこまで厳しく見ているわけじゃない。どう言ったらいいかなほんと。


 例えばだな。

 例えばこの巨乳の子の画像。風呂場シチュで全裸だから他よりわかりやすい。

 うん、白くて柔らかそうな肌だ。

 ただその柔らかさが、おもちの柔らかさなんだ。

 引っ張ればうにゅーんと伸びそうな、そして最後にはぷちっと千切れてしまいそうな、そんな質感に見えるのだ。

 食べ物が人の魂を宿して人の形をとり、人のふりをしている。そんな気持ち悪さ。これがいわゆる『不気味の谷』というヤツなのだろうか。


 この一枚に限らず他のも多かれ少なかれ同じ感じ。どの女の子も次の瞬間には『でゅるん』と崩れ落ちそう。気色悪い。

 塗りが悪いのか、線の微妙なゆがみからきているのか、あるいは俺のAIに対する偏見のせいか。

 テキストの方にはそこまでの違和感はないんだけどな。互いに全然関係ない3枚の絵なのにまったく同じ一文が使い回されてるとか、それぐらい。

 まぁいずれにせよ。


「……無理」


 オカズとしては使えない。


「えー、そう? すごくいい出来だと思うけど」


 え。


「わたしたちもうかうかしてらんないなーって思ったんだけど、そうでもないの?」


 え、あの。


「やっぱり男の人って変なところで繊細だよね」


 そう言ってくすりと笑う女の子。

 いや。


「だれ!?」


 イスごと思い切り後ずさりながら、悲鳴のような声で問う。

 キャスターがベッドの足に当たって大きな音が鳴り、パニックを助長する。


「お、反応早いねお兄さん」


 対照的に女の子はあっけらかんとしている。


「いったん普通に受け答えしてからノリツッコミ、とかじゃないんだ。あはは。判断が早いっ! 天狗の人もにっこりだね」


 女の子。

 そう、女の子だ。


 JK、いやさらに下か。明らかに10代前半以下の女の子がそこにいた。しかもとんでもない美少女。

 いや本当に。

 目はぱっちりと大きくて、小さめながらすっと通った鼻筋に、ふるんとした桜色の唇。髪はハーフツインのセミロング。いちいち描写するのも馬鹿らしくなるほどの、とにかく非の打ちどころのない美少女だ。二次元かっつーの。

 ただし見逃せない点もある。

 現実離れした美少女とはいえ人間であることには変わりない、はずだが、そうとは言えないところが1つある。頭に小さなツノが一対生えているのだ。背中には小さなハネ、そしてお尻には長いしっぽも。おまけに宙に浮いている。4つじゃねぇか。

 そんな存在が、俺しかいなかったはずの部屋にいつの間にか出現していた。


「あぁもぉ、そんなに怖がらないでよお兄さん。こちとらこんなにか弱い女の子だよ?」


 関係あるか。


「あの、誰ですか。なんで」


 正体と目的。それがわからなきゃ怖いに決まってんだろ。人のテリトリーに勝手に入ってきておいて。

 もっともその特徴の数々からある程度というか、一つ思い浮かんでる単語、種族名があるのだが。


「えー、なにそれー? 敬語なんか使わないでよぉ」

「……」

「いやあの、そろそろツッコミぐらい入れてくんない? さすがに居心地悪いんですけど」

「……」

「あれこれマジなやつ? ガチで警戒されてる?」


 そうですね。


「はーもーしょーがないなー。名乗りはもうちょっといい感じの雰囲気でやりたかったんだけどなー、しゃーない」


 ため息を一つついて、それでも最低限には格好をつけたかったのか、その場でくるりと一回転すると、少女は両手を広げるポーズをとった。


「わたしは夢魔。あるいは淫魔。男性の夢に(こた)えて欲望を叶えるモノ。――サキュバスだよ」


 やっぱり。

 本物かどうかは、というか実在するものなのかとかは置いといて、そう主張するだろうなぁとは思ったよ。少なくとも宙に浮いてる時点で普通の人間ではない。

 あと格好もエロいし。

 いや、サキュバスと聞いて連想するような黒ボンテージ系のエロ衣装じゃなくて、もっと普通……いや普通ではないな。少なくとも人前でする格好ではない。

 どんなのかというと、上は体にぴったりとフィットするクリーム色の縦セーター、ただし袖はあまり気味でいわゆる萌え袖になっている。そして下。ズボンもスカートもはいてない。おぱんつ丸出し。しかもありがちな黒パンではなく、普通に中学生が履いてそうな普通の白ぱんつだ。ワンポイントのピンクリボンが天才的。

 前面に押し出された生活感が、下手なセクシー衣装よりもエロい。目のやり場に困る。


「残念ながら名前はまだ(ネームドでは)ないから、適当にサキちゃんとでも呼んでね」

「帰ってください」

「判断が早い!?」


 愕然とする少女――自称サキュバス。


「え、なんで? サキュバスだよ? エッチなことできるよ? あ、もしかして精気を吸い尽くされて死んじゃうとか思ってる? だぁいじょうぶだよぉ! 昔はそういう事故も多かったって聞くけど、今はちゃんと安全対策とかちゃんとしてるから!」

「いえ、そういうことじゃないんで。帰ってください」

「じゃあなんで? ってか敬語やめてよ。なんか疎外感感じるから」

「疎外してるんですよ」

「ひどくない!?」


 愕然とするサキュバス。(2回目)

 声でけーよ。同居してる両親が変に思うだろうが。

 あ? そうだよ実家住みだよ。いわゆる子供部屋おじさんだよ悪かったな。

 とにかくこいつにはさっさとお帰り願おう。


「知ってるんですよ。サキュバスが若くて美しいのは見せかけだけで、本当の姿は醜い老婆だって」


 ネットで見た。

 言ってやると、そいつは一瞬きょとんとしてから額に手のひらを当てて「あちゃーっ」となった。痛いところを突かれた、みたいな感じじゃないな。

 どういう反応だ、これ?


「いやあの、それ教会が流したデマだから」


 ため息とともにそんなことを言う。デマ?


「どういうことです?」

「ごめん、その前に敬語やめてもらっていい? マジで。拒絶されてるみたいでほんとつらいの」


 みたいじゃなくて拒絶してるんだけどな。

 けどまぁ、その言葉に嘘はないのだろう。人外だろうが女の子にこんな顔をさせるのはこちらとしても心苦しい。かわいそうなのは抜けない。

 あと家で仕事中みたいな喋り方をするのも肩がこるしな。


「わかったよ。これでいいか?」

「あ、うん! ありがとう!」


 一転して笑顔。くっそかわいい。意味のわからん侵入者のくせに。


「で? デマってのは?」

「それね。えっと――こほん。むかしむかしのお話です。一人の若い修行僧がとある悩みを抱えていました。『お師匠さま、お助けください。なんかエロい夢を見るんです』」


 なんか始まった。


「お師匠さまである偉いお坊さんは思いました。『いやゆーてキミ若いんやし、別にフツーのことやろ』と。しかし詳しく聞いてみたところ、夢の中に見知らぬ女が現れて(みだ)らな誘いをかけてくるというのです。お師匠さまは思いました。うらやましい、と」

「おい」


 思わずツッコんでしまった。サキュバスは語りのポーズを維持したまま、ぱちりとウィンクをよこしてくる。

 くそう、かわいい。


「しかし立場的にそう言うわけにもいかず、こう(さと)すことにしました。『それは悪魔だ。正体は醜い老婆だ。惑わされるな』。修行僧は『まじすか。なら拒否余裕っすわ』。こうして彼の貞操は守られました。そしてお師匠さまは怒ったサキュバスにちんこを食いちぎられました」

「おい」


 またしてもツッコむ。股間がきゅっとなった。

 少女の姿をした悪魔は陽気に笑う。


「あはは、インガオホーってやつかな。とにかくそんな感じ」

「つまり、その話が広まった、と?」

「そう。ま、もとはと言えば『禁欲的な子の方が美味しい』なんていって修行僧を狙い撃ちにしてた昔のお姉さま方にも問題はあったんだろうけどねー」

「なるほど」


 相槌が半笑いになってしまった。


「あとこのときのお姉さまがご丁寧に老婆に化けてたのがまずかったっぽい」

「ほぼ自業自得じゃねぇか」

「インガオホー、インガオホー。ふふっ」


 くそっ。

 敬語をやめたらわかったが、話しやすいなこの子。

 だが気を緩めるな、こいつはかわいくても悪魔で、招かれざる客だ。


「わかってくれた? じゃあえっちしよ。お兄さんの童貞うばってあげる」


 すすす、と寄ってくるそいつを、こちらもすすす、と横に動いてかわす。


「え、なんで」

「なんでじゃない。あんたのその姿」


 指差してにらみつける。

 が、1秒も持たずに目を逸らしてしまう。


「すがた?」


 その服装。縦セーターと丸出し白ぱんつ。

 端的に言って俺の性癖にぶっ刺さりすぎなんだよ。これが偶然であるわけがない。

 くそう、マジで目のやり場に困る。困る一方でどうしてもちらちら見てしまう。気付いてないわけはないだろうに指摘してこないのは、優しさでもあるだろうがむしろこちらを萎えさせないためだろう。

 とにかく。


「言っただろう、お姉さまとやらが老婆に化けてたって。つまりサキュバスには変身能力がある」

「そ、それは」

「本性を現せ。話はそれからだ」


 決まった。

 言ってみたかったセリフ、では特にないが、ちょっと気持ちいい。

 サキュバスも今度こそ図星を差された反応だ。あー、と困ったようにうめいている。


「いやまぁ……別にやってもいいんだけどさ、変身を解くのは」


 うん?

 あれなんか、そんなダメージにもなってない感じ。


「なんだよ、もしかしてSAN値が削れる系の見た目なのか? それならお引き取りください」

「敬語やめてってば。そういうんじゃなくて、わたしの――わたしたちサキュバスの本体は霊体なの」

「レイって、幽霊ってことじゃないよな。アストラルボディ?」

「あ、うん。まさにそれ。だからある程度霊感のある人じゃないと見るのはムリ。OK?」

「じゃあ、霊感のあるやつにはどう見えるんだ?」

「んー? こんな感じ?」


 言って、彼女は手のひらの上にぽんと人魂のようなものを生み出した。

 人魂。ウィル・オ・ウィスプ。

 テニスボール大の核を中心に炎が揺らめいている例のアレ。まさにザ・人魂だ。「へぇ……」と声を上げると、俺が十分に確認したと察してか、ふっと掻き消えた。


「ま、実際どうだか知らないけどさ。サキュバス同士だと普通に女の子の姿で認識してるから」

「ふむ……」

「納得してくれた? じゃ、えっちしよ?」

「いや待て」

「えーっ? 今度は何よぉ? あ、もしかして音を気にしてる?」

「む」


 確かに、それもある。さっきから何度もドアの方に意識が行っているのを気取られたようだ。


「そこもだいじょーぶっ。防音は完璧だから!」


 するとそいつはまた何かをその手に出現させた。

 鈍い金色の、一抱えもある円盤が、2枚。形は吸盤上で、中心に皮の帯で作られた持ち手がある。

 要するにシンバルだ。

 

「え」

「ほら耳ふさいでふさいで」


 とっさに言われるままにしてしまうけど。いやちょっと待てお前まさかそれを。


「じゃ、いっくよー!」


 ガッシャーーーーーンッ!!


 本当に打ち鳴らしやがった! 躊躇(ちゅうちょ)なくこのガキ!

 手のひら越しにも十分な衝撃音が耳に入り込んでくる。しかもそれだけにとどまらず。


「っきゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!」


「んなっ!?」


 思いっきり悲鳴を上げやがった。

 アニメにしたら映えそうなシーンだ。PVに使われそう。

 じゃなくて!


「な、にを、おまえ」


 まだ耳をふさいだまま、絞り出すような声で言う。

 心臓がバクバクしている。

 そんなおまえこんな、今何時だと。


「ふっふーん。だいじょうぶだいじょうぶ」


 だけどそいつは涼しい顔。というかドヤ顔だ。


「ほら、もう耳はいいから。周りの反応見てみてよ」


 俺の手を耳からやんわりと離させつつ、そんなことを言う。顔が近い。手のひらやぁらかい。なんかいい匂いもする。これがウワサに名高い『女の子のいい匂い』か。

 そんな場合じゃねえ。

 こいつの言う通り、こんな時間にこんな騒ぎ、お手本のような近所迷惑だ。両親だって黙ってないだろう。すぐにでも怒鳴り込んで……


「……来ない?」


 あたりは静まり返っている。

 窓を開けて外を見てみても、何か異変が起きてるような空気はない。具体的には俺のように外をうかがう人影とかがない。

 寒いからすぐに閉めた。

 次にドアをそっと開けて恐るおそる首だけを出してみる。

 すると母親がちょうど廊下にいて一瞬肝を冷やしたが、


「ん、あんたもトイレ? ごめん先入っていい?」

「いや……なんか、音しなかった?」

「音? どんな?」

「えっと……がしゃん、みたいな」

「何も聞こえなかったわよ」

「そっか。気のせいかな」


 棒読みで言う俺を気にすることもなく、母親はそのまま洗面所に入っていった。俺はドアを閉じ、室内に向き直る。


「ね?」

「どんな魔法だよ……」

「どんなも何も、フツーに魔法だけど」


 当たり前のように言ってくれる。

 魔法、魔法ね。


「もういい? じゃ、やろっか」

「待て」

「またぁ!? もーっ、ぐずぐずしてたら日付け変わっちゃうじゃん! 童貞のまま20代を終えちゃってもいいの?」


 どどど童貞やけども。

 逃げるわけじゃないが時計へと目を逸らす。もう11時に近かった。なるほどこのままではせっかくのチャンスを前に30歳を迎えてしまう。


「いや、なんで俺の年齢を知ってるんだ?」

「え? あ、それは」


 どうでもいいところをついてみると、今度は向こうが目を逸らした。気まずそうというか、『やべぇ』みたいな顔。

 思い当たることと言えば。


「……そういえばメルマガのアンケートに年齢の項目もあったな。いったいいつから見てたんだ」

「いやー、あのー、あはは」


 ごまかすように宙に浮きながらくるくる回るサキュバス。笑ってごまかそうってか? かわいいんだよちくしょうめ。

 まぁいいや。別に見られて困るような行動は特にしてなかったし。してなかったよな?

 話を戻す。 


「とにかく、だ。本体は見えない、それはわかった。じゃあなんで今は、その姿は見えてるんだ? それにさっき触ったよな。その理屈を聞いてない」


 それともこれも幻影なのか? 触れられた感触も含めて。実は夢の中という線はなさそうだが。

 とにかくまだどんな罠があるかわからないし、慎重にならざるを得ない。


「あー……」


 そいつは納得したように、また少しめんどくさそうに半笑いになる。


「それは単純に、この体は物質で作ってあるってだけだよ。あ、でも別に変なものは使ってないよ。ただの水だから」

「水?」


 水って、水だよな?

 とてもそんなふうには見えんのだが。


「水。ってかさ、こういうマジメな話? みたいなのするならせめて下履かせてくんない? このかっこはさすがに恥ずかしいんだけど」


 このかっこ、と言われて思わず視線を下げてしまう。

 むき出しのおぱんつ。慌てて逸らす。


「は、恥ずかしいって、サキュバスがか? 今さら?」

「いやいや、エロい雰囲気なら別にどんなかっこでも平気だけどさぁ! でもこんな、交渉っていうか解説みたいなのパンツ丸出しでやるのってバカみたいじゃんっ」


 性的に恥ずかしいんじゃなくて場違い感がイヤってことね。


「好きにしろよ」

「ありがとっ。じゃあそこの水もらっていい?」


 彼女が指差したのは、机の上のミネラルウォーターのペットボトル。中身は半分ほど残っている。


「別にいいけど」

「ありがとっ」


 再度礼を言って微笑むと、そいつはぱちんと指を鳴らす。同時にボトルの水がちゃぽんと外に飛び出した。

 予想はついていても目を見張らずにはいられない光景だ。

 指パッチン魔法、実在したのか。

 水はそのまま宙をすべるように移動して彼女の腰の周りにまとわりつくと、しゅるるると高速で回転し始めた。

 どうなる? と思った次の瞬間にはもう、変わっていた。

 ふわりとひらめくフレアスカート。色は焦げ茶で、膝上20センチの超ミニだ。目の前で見ていたのに、元が水とはとても思えない。


「……すげぇな、魔法って」

「まぁねー、サキュバス秘伝の液体操作だからね。このぐらいなら朝飯前さ」


 秘伝?

 液体操作が? サキュバスと関係あるのか?


「ちなみに防音してるのは結界の魔法。わたしとお兄さん由来の声や物音は部屋の外には漏れないようになってるってわけ。どんなに声を上げても、上げさせてくれてもだいじょぶだよ」

「部屋に侵入してきたのは?」

「ちょっと無視? それはアストラル状態で壁をすり抜けただけ。ついでに説明しとくと、シンバルを出したのは召喚&送還魔法で、火の玉は幻影ね。このへんはお兄さんも、ん、あー……マンガとかで見たことあるだろうから想像つくでしょ?」


 ん? なんか今、言い淀んだような。

 気のせいか?


「ってか、かわいーね、これ。ちょっと地味かもだけど」


 こちらの思考を断ち切るように、そいつはそんなことを言いながらスカートの両端をつまみ上げる。さっきまで見えていたおぱんつが今は見えそうで見え、みえ……

 ではなく。

 今の言いよう、これらはどうやらこいつの趣味というわけではない模様。


「じゃあその服装って」

「うん、お兄さんの好みが反映されたものだよ。さっきまでのも、ね?」


 煽り気味な声。ぐっと羞恥心がこみ上げる。


「あ、でも別に心を読んでるわけじゃないから、そこは安心してね? もんもんと漏れ出た煩悩に影響されてるだけだから」

「そういう言い方をされるとなんか嫌だな」


 でも確かに、こいつの言動に俺の心を読んでるようなそぶりはない。


「あはは。えっと、なんだっけ? あ、そうそう。この体に使った水についてだよね。それも安心して? 変なのじゃないから。そのへんの沼の水とか。他の人間から無理やり搾り取った水分とかじゃなくて、ただの普通の水道水だから」

「水道水、だと?」

「大丈夫だいじょうぶ! 魔力でつないで固めてあるからちょっとやそっとじゃ崩れたりしないって。さっき図らずも実演しちゃったけど、わたしたちサキュバスに代々継承される液体操作は、もともとは出してもらった体液を一滴でも多く摂取するため、つまり命をつなぐために編み出された技術だから」


 ああ、そういう。


「だから一族の名誉にかけてそんな事故なんか起こさないよ。起こすような子は同胞と認めてもらえないぐらいなんだし」


 あんまり強調されると逆に不安になる件。

 というかこれはフラグなのでは。


「でもさっき、まだ名前すらないって」

「無茶言わないでよ。ネームドなんて1,000人以上の男を落としてようやく至れるかどうかってレベルの話だよ? わたしまだ20年も生きてないんだから」


 未成年じゃねぇか。サキュバスだからいいのか?


「いやそういうんじゃなく――」

「それにわたし自身はまだ小娘かもだけど、人体のデータだけなら歴代のお姉さま方が集めてくれたものを見せてもらえるから。言っとくけどとんでもない量だよ? 人間の()()()()()を収集することにかけては他のどんな種族にだって負けないよ。人体構造への造詣の深さは、それこそ当の人類よりも深いんじゃないかな。AIとは違うのだよAIとは」


 うかうかしてんじゃねぇ。

 てか種族って、サキュバス以外にもけっこういるのか。


「だからそうじゃなくて!」

「え?」


 たぶん今思いっきり眉間にシワが寄ってると思う。そいつはきょとんとしている。この表情も何度目なんだか。


「あんた言ったよな、アストラル体で壁をすり抜けて侵入したって」

「え、それは」

「別にそこを責めたいわけじゃない。サキュバスに人間の法が適用されるとも思えないし」


 だから未成年でも問題ない。

 いや客観的な事実として。


「でも霊体で侵入したということは、水で身体を作ったのはその後ということだろう。つまりその水って、うちの水道から出したものなんじゃないのか?」

「細かいな!」


 愕然とするサキュバス。(3回目)


「細かくない。大概の生き物は、その体積は同じ重さの水と同等らしい」

「え、どうしたの急に」

「例えば俺は60キロだから、この体を水で作ろうと思ったら60リットル必要になる。あんたは俺よりだいぶ小柄だが、まぁ中学生ぐらいの体格だし、少なく見積もっても40キロはあるだろう。40リットルだ。うちのバスタブの半分ぐらいの量だぞ。無視できるか」

「いやいやいや、それでこんなかわいい娘とえっちできるんだから安いもんじゃん!」


 自分で言うな。

 異存はないが。ないんかい。


「ってかそんなに使ってないし。何リットルとかはちょっとわかんないけど、さっきも言ったけど魔力でかさ増ししてるから見た目よりかなり少ないはずだよ。たぶんシャワー1回分ぐらい?」

「そうなのか? いやでも」

「でもじゃないっ。ってかそうじゃん。えっちとシャワーってセットみたいなもんだし、終わったあと女の子帰す前にシャワーぐらい貸すじゃん。童貞でもそんぐらいわかるっしょ? その1回分だと思えばいいじゃん。わたしたちには必要ないんだし。それにそもそもここって実家でしょ? 光熱費を出してるのはご両親じゃないの?」

「光熱費はガスと電気で、水道代とは別だが」

「細かい!」

「というかその理屈だと親の金で女を買うみたいな情けなさが」

「めんどくさい! めんどくさいよこのひと!」


 愕然とするサキュバス。(がくさばっ)


「生活費ぐらい入れてないの!?」

「いや、月五万ほど」

「十分じゃねぇかよぉ!」


 今日イチの怒声。そしてぜいぜいと肩で息をする。

 水の体なのにな。内部まで精巧に作りこまれてるということなのか。

 セイコウに。サキュバスだけに。


「ああもう! それで!?」

「え?」

「もう疑問は終わりかな! こっちもいいかげんお腹空いてるんだけどな!」

「お、おう……えっと」


 疑問。訊きたいこと。

 うんまぁ、特にはもうないかな。


「ないならさっさと始めましょ。ぐずぐずしてたらホントに日付が変わっちゃう」


 さっきも言ったなそれ。


「いやでも心の準備が」

「いらないよ、そんなの」


 その言葉とともに、そいつのまとう雰囲気が変わった。

 年端もいかない少女から発せられているとはとても思えない、淫靡な気配、妖艶さ。

 淫魔がとうとうその本性を現したとでもいうのか……! みたいな……!


 思考が半分現実逃避しつつ、物理的にも距離を取ろうと後ずさる。

 とはいえそう広いわけでもない部屋だ。あっという間に壁際まで追い詰められた。


「逃げちゃだーめ」


 顔の両横にそいつの両腕が突き出される。

 いわゆる壁ドン。向こうの方がだいぶ背が低いが、宙に浮けるのならそれも関係ない。

 てか近い近い! 近いって!


「だいじょぉぶ、怖くないよー」


 その声は、顔は、(みだ)らな迫力たっぷりで。説得力はあんまりない。


「人間同士のセックスにはなんかいろいろめんどくさいことも多いみたいだけど、わたしたち相手のえっちはそういうのなーんにも気にしなくていいの。ただ欲望と快楽に身を任せればいいんだよ?」


 怪しく目を光らせるそいつの背後を、何かが横切った。

 しっぽだ。


「わたしはあなたを品定めしたりしないし、誰かと比べたりもしない。本当の本当に、なぁんにも気兼ねなんかしなくていいの」


 一度大きくふおんと揺れて、それからハート形の先端が彼女自身の腰のあたりで何やらうごめき始めた。

 何を、と疑問に思うよりも早く、ソレはふぁさりと軽い音を立てて床に落ちる。

 さっき履いたばかりの、焦げ茶色のフレアスカート。

 落ちたからと言って水に戻ることもなく、『脱ぎ捨てられた女の子の衣服』という視覚情報を俺の脳に送り込んでくる。

 脱いだということは、その下に隠されていた下着が――いやさっきまで丸出しだったわけだけどそれはそれとして、下着が……しかしこの角度では、みえ、みえ……


「なに見てるの?」

「みっ!? 見てない何も!」


 反射的に頭を上げると、ほんのりと恥じらいながらはにかむ美少女の顔。

 そして、


「なーんてね。見てもいいんだよ」


 その少し下、俺の見ている前でセーターの襟ぐりが細い人差し指でゆっくりと引っ張られ、広げられる。

 垣間見える胸元。小ぶりなおっぱい特有の緩やかな谷間が暗がりの中に浮かび上がってうおおおお!

 なんてことだこいつ、男を誘惑するすべを心得てやがる! そりゃそうだ!


「どう? あなた好みの(カラダ)でしょう? これ、ぜーんぶ好きにしていいんだよ?」

「で、でも水、なんだろ? ただの」

「そうだね、でも味も手触りも本物と変わらないし、それにさっき()んだばかりの水だからこそ、他の男には正真正銘指一本触られてないし、それどころか見られてすらいない、完璧な新品だと思わない?」


 それは、そうなのだろうか。


「あなたしか知らない秘密の雪原に、あなただけが最初の足跡を刻むことができちゃうねぇ?」

「いや、でも……」

「……どうして?」


 ここまでされてなおためらう俺に、彼女は気遣うような疑問符を浮かべる。

 何か言わねばって気にさせられる。

 これが悪魔の誘惑か……悪魔?

 そうか。だったら。


「あ、愛がほしいって、思っちゃダメか?」

「……ああ、そっか……」


 ちょおおおおい! そこで悲しそうに微笑むのはズルいだろ!

 ツッコんでくれよ!


「ごめんね。わたしはこれでも悪魔のはしくれだから、それだけはあなたにあげられないの。あなただけじゃなく、他の誰にも」


 マジレスすんなや!


「でも、愛はないけど。わたしは今、心からあなたに抱かれたいと思ってるし、抱いてあげたいと感じてる。それじゃぁダメ?」


 話を広げるのもやめろ!

 くっそ、さてはこれ言ったやつ俺が初めてじゃないな。そりゃそうか。


「ってゆーか、さ?」

「うっ」


 そして物理的な距離は縮まった。元から近かったのがさらに。あともう数ミリで口と口とが触れ合うほどの。


「愛なんかないからこそできることもあるとは思わない?」

「ちょ、ちょっとだけ離れてくれませんか」

「イヤ。敬語もやめて」


 にべもない。『にべ』が何かは知らんけど。


「たとえば、これは練習」

「れ、ん?」

「ガス抜きでもいいかな。いつか本当に愛する人ができたとき、その人にぶつけてはいけないものをぶつけてしまわないように、今のうちにありったけの欲望をさらけ出しておこう?」


 あくまで優しく、押しつけがましくなく。しかし有無を言わせもしない。両立しないはずの要素が矛盾なく同居した語り口。ほんとに20歳未満かこいつ。


「で、でもそんな相手なんて、俺には」

「できるよ」

「え?」


 あ、離れた。

 ほんのちょっとだけだけど。イヤだって言ったくせに、こちらの望んだとおりにしてくれた。


「あなたなら、自信さえ身につければ、きっとすぐにでも」


 そしてそんなふうに肯定してくれる。

 サキュバスとしての、懐柔のための手管なんだろうとは思う。しかし……


「ねぇ、あなたは何がしたい? 何をしてほしい? なんだっていいよ?」


 ん? 今なんでも――いややめとこう。言ったよって言われるだけだ。


「躰は新品だけど、中身は百戦錬磨のサキュバスだから、何だって応えてあげる。恋人同士のいちゃらぶセックスから、ハードなSMプレイまで。変わったところだと触手攻めなんかもあるね。そうそう、あとのことも気にしなくていいよ。ベッドがびちゃびちゃのぐちゃぐちゃのドロドロになっちゃっても、液体操作で全部吸い上げてあげるから」


 そうプレゼンするそいつの、俺のほほにそっと指を触れさせながら誘惑を続けるそいつの――『サキ』の顔は、淫らな内容とは裏腹に、実に楽しそうだった。わくわくと楽しみにしているようだった。

 本当に俺との行為を望んでくれているのだと感じられた。


「…………じゃ、じゃあ」

「うん。なぁに?」

「えっと……引かないんでほしいんだけど」

「だいじょうぶ、引かないよ」


 駄目押しの念押しを受けて、俺は意を決して自分の望みを口にする。


「まず、もう一人呼んでほしい。分身とかできるならそれでもいいけど」

「ひゅーぅ? まさかの3P? 思ったより肉食じゃーん」


 なぜか嬉しそうだけど、そういうのじゃないんだ。


「そだねー、時間がないから別の娘を呼ぶのはムリだから、分身になるかな。水を追加でもらうことになるけど、いいよね?」

「いいよ。それで、二人で濃厚に絡み合ってほしい」

「うん。……うん?」

「お互いしか見えないって感じで、俺のことは無視して」

「うん……?」

「そうしてくれたら俺はそれを見ながら、まぁその、なんだ。ソロプレイに励むから」

「……」

「いや、それが一番興奮できるんで。マジで」

「おまえ百合男子かよぉ!?」


 今日イチの怒声。(記録更新)


「引かないっつったじゃん……」

「いっ! ……言ったけど確かに! それはゴメンだけど!」


 猫がふしゃーってなるときのポーズで叫ぶサキ。ハネがピーンと逆立っている。


「なんでそうなんの!? それじゃ意味ないじゃん!」

「いや別に、出した液はご自由にお召し上がりいただければ」

「そういうことじゃなくて! お兄さんが童貞のままだって言ってんの!」


 んんん?


「俺が童貞のままだったら、何かダメなのか?」

「え? そりゃ――あ!」


 おっとぉ?

 なんだ、またあからさまに『やべぇ』って顔。目を思いっきり逸らして、つつつーっと水平移動して俺から距離をとる。


「いや、あの、それは、アレよ。童貞喰いはサキュバスの(ほま)れっていうか、逆に童貞を残したまま帰るなんて恥っていうか、ねぇ?」


 ねぇとか言われても知らんが。


「目が泳いでんぞ」


 あとハネがめっちゃぱたぱたしてる。


「およっ、泳いでないよ。てか水の体だもん、目ぐらい泳ぐよ」

「秒で矛盾させてんなよ」

「うるさいなぁ! わかったよやってあげるよレズプレイ! でもアレだかんな! どさくさに紛れてお兄さんも参加させてやるかんな!!」


 先に言うかそういうことを。


「まぁ、別にいいけど」


 百合の間に挟まる男はなるべく許したくない主義ではあるが。『やっぱ()れるモノ欲しいね、あ、ちょうどいいとこに棒があんじゃーん』的なノリであるならギリギリ許容できる。

 ただし、だ。


「よし! じゃぁさっそく――」

「待て」

「なんで!?」


 ドアの方に向けて手をかざそうとしたそいつを制止する。遠隔で水を取り寄せようとしたんだろうが、そうはいかない。


「明日にしてくれ」

「はぁ!? はぁあああ!?!??」


 はいはいがくさばがくさば。


「なんで!? できるわけないじゃん!」

「今日はもう一発抜いちまってるから、万全の状態で臨みたいだけなんだが。なんでできないんだ? イヤとかじゃなく、『できない』なのは、なんでだ?」

「それは――えっと、あの、えっと……」


 そして訊き返すと、激おこモードだったのが急に勢いをなくす。

 おいおい、まさかと思ったが、マジで()()なのか?


「そういえばあんた、なんか妙に日付けをまたぐことを気にしてたな。時間がないとも言ってたし」

「え、えー? そうだっけー?」

「否定はしないんだな。もしかしてウソはつけない感じか?」

「っ……!」


 小さな肩がびくんと跳ねた。

 じーっと顔を見つめるが、必死な様子で目を逸らし、冷や汗まで垂らしている。

 よく聞く話ではあるな。悪魔は契約を順守する。相手を縛り、(おのれ)も縛られる。だからこそそこに虚偽があってはならない。

 呪術の基本だ。知らんけど。


「あと一つ気になってたんだが、魔法の説明をしてくれたとき、ちょっと言い淀んだよな? 召喚や幻影なんかは俺にも、げふんげふん、馴染みがあるよね――みたいな感じだったか」

「え、や、あ」

「俺にも、使える可能性があるよ、って言おうとしたんじゃないのか?」

「そっ! そんな、こと、ないでしょー。常識的に考えて普通の人間に魔法なんて」

「使えるわけない、か? じゃあそう言ってみろよ」

「……」


 もう白状してるようなもんだろ、これ。


「『30歳まで童貞を守った者は魔法使いになれる』」

「ぐっ……」

「やっぱりそうか。信じてなかったが、おまえの反応からして、マジなんだな、これ。無理やり襲うんじゃなく俺に同意させることにこだわってたのも関係ありそうだな。そういや俺の年齢知ってたのも、覗き見とかじゃなく事前に情報を持ってたからか」

「うぬぬぬぬ……ああもう! そうだよその通りだよ! わたしはあなたを魔法使いにさせないために童貞を奪いに来たの!」


 やけくそ気味に叫びやがる。

 つまり、認めやがった。いやおい、マジにマジなのか?

 さすがに予想外の展開だぞこれは。ガチの罠だったってことか。振り返って時計を見てみると、11時23分。危ねぇ。


「なんだってそんなことを」

「は~~あぁ~~…………」


 こちらの疑問を無視して、サキは大きなため息をついている。

 こんなことをする理由、動機は、いくつか考えられなくもない。例えば進化直前まで熟した精力が単純に美味しい、とか。あるいは。


「なぁ、もしかして魔法使いってサキュバスの天敵だったりするのか? そういうことなら、あんたらには危害を加えないって約束するが。なんならそういう契約を結んでもいい」

「……ずいぶんと、上からものを言ってくれっるね。ドシロウトのくせに」


 声ひっく。

 なんかまた雰囲気が変わったような。


「そんなに魔法使いになりたいの?」


 うつむいていた頭がゆらりと上がり――俺のことを見据える目は、顔は。やはりあどけない少女のもので、大した迫力はないはずなのに。

 ただ、これまではあった気安さや親しみ、そんな友好的な色が抜け落ちていた。


「なりたいんだろうね。ご主人様(マスター)もめちゃくちゃ努力したって言ってたし、毎日楽しそうだしさ。面倒なことはぜーんぶわたしたちに押し付けて、毎日へらへらへらへらへらへらさあ!」


 マスター?

 いやそっちも気になるが、サキのこの剣幕。もしかして地雷を踏んでしまったか。

 やばいかも。


「……はぁ~~…………」


 また大きなため息。

 思わずビクッと身構えてしまうが、どうやらこちらを攻撃する意思はないらしい。


「……で?」


 拗ねたようなやさぐれたような表情で、端的な疑問を投げてきた。


「で、って?」

「童貞だけ差し出すか、命ごと持っていかれるか――どっちを選ぶ?」

「いやいやいやいや」


 何急に物騒なこと言い出してんのこの子。

 誰だよ攻撃の意思はないなんて言ったやつ。俺だよちくしょう。

 向こうにしてみれば虫をつぶすようなもんだろうしな、敵意を(みなぎ)らせるまでもないということか。


「同意が必要なんじゃなかったのかよ」

「必要だよ。でも本人に首を縦に振らせればいいだけだから、手段は脅迫でも別にいいの。ただそういうのはわたしの趣味じゃないからしたくないってだけ」

「マジかよ……」


 くそう、どうする?

 どうしようもない気がする。

 なんとなく形勢逆転みたいな空気になってたけど、実際のところこっちと向こうの力関係は何も変わってない。サキはいくつもの魔法を使いこなす人外で、俺は素質があるだけの一般人。勝負にもなりゃしない。

 このまま日付けが変わるまで粘れれば、とも思うが、


「言っとくけど、30歳になったからってすぐに魔法が使えるようになるわけじゃないよ。魔力を捉える第六感(シックスセンス)に目覚めるだけだから。それも最初はごく弱いし。震度ゼロとかそんなレベル」

「……ああ」


 だろうね、って感じ。こいつが断言しているということは嘘ではないんだろうし。


「てか、わたしがここにきている以上、そうなる可能性すらないけどね。さぁどうする? とりあえず11時半までには決めてね。あと4分かな」


 時計を見る。11時26分。


「なんとか見逃してはもらえないのか?」

無理(ムリ)。あなたを魔法使いにさせないのはご主人様(マスター)の意思であって、使い魔たるわたしはただ従うだけ」

「そのマスターってのは」

「ああ、彼のことは何も教えてあげられないよ。そういう契約だから」


 まぁ知ったところでどうしようもないか。

 でもとりあえず事態の全容は把握できた。この世界には実は魔法があり、童貞のまま30歳を迎えた男は魔力を知覚することができる。サキのマスターもその過程を経てかどうかは知らんが魔法使いになり、そしてライバルの芽を摘むためにこうして使い魔を派遣している、と。なるほどねぇ。


「あと3分」


 カウントダウンはやめろぉ!


 うぬぬぬぬ。

 この子で童貞を捨てるか、それとも殺されるか。改めて並べてみると何を悩むことがあるのかという選択だが、代わりに失うものを思うとどうしても踏み切れない。

 魔法。

 ついさっきまで()()なんてまるで信じてなかったその力は、とてつもなく自由に見えたのだ。これを手放すぐらいなら、それこそ一生童貞でも構わないと思えるほどに。


「いっそ魔法で無理やり魅了でもしてくれりゃいいのに……」

「そんなの最初からやってるよ」

「え?」


 サキは腕組みをして、ほっぺをぷくりとふくらませる。やはりかわいい。

 そして両手を広げて。


「この姿がそう。お兄さんの理想の女の子なんでしょう?」


 あ、そういう。


「フェロモンだってずっと出してんのに、むしろなんでここまで(あらが)えるの? 体の方はちゃんと発情してるはずなのにさ。意味わかんないんだけど。自信なくすんだけど」


 たぶん、そこまでセックスに執着がないせいだと思う。

 性欲は普通にあるし、オナニーだって毎日のようにやっている。童貞であることにコンプレックスも抱いてる。しかしセックスそれ自体をこの俺自身がするということに対しては、なんか別にそんなにって感じなのだ。理由は知らん。

 まぁアレだな。例えば海水浴場で一人だけ普段着でいるようなもんだ。

 恥ずかしいから水着に着替えたい。でも別に泳ぎたいわけじゃない。

 さっきサキがスカートを履きたがったのと同じような感じだと思う。サッキのサキ。ふふっ。


「あと30秒だけど」

「え!? あ、ちょ、まっ」

「別に半になった瞬間に首をはねたりはしないけどさ。早く決めてね」

「くそっ……別の選択肢はないのか……!」


 言いながら、もう半分ぐらいあきらめているのが自分でもわかる。

 サキは、スン、と鼻を鳴らした。


「なくはないけど」

「だよな、ある……あるのかよ!?」

「……あはは、ノリツッコミだ。やっとやってくれたよ」


 へらりと笑って、彼女は親指で窓の外を差した。


「バックアップ要因としてね、近くに双子のガチムチインキュバスが待機してるの」

「え?」

「うちのご主人様(マスター)は用心深いんだよね」

「えっと……」

「知ってる? 童貞って、別に女の子じゃなくても奪えるんだよ?」

「……」

「で、どうする? チェンジする?」

「……ノーチェンジでお願いします」


 そうして俺は彼女を受け入れた。

 至福のひとときを得る代わりに、ひとつの可能性を手放すと決めた。


 くそ。

 くっそぉ。

 最初から選択肢なんてなかったんじゃねぇかよ。


「じゃぁ……まずキスから、ね?」


 床に足をつけ、正面からぴったりと密着しながら、俺の両ほほに手を添えてサキがささやく。


「……レズプレイは?」

「後で。まず確実に童貞を奪わせて? 焦らしまくったバツとして」


 焦らすつもりだったわけじゃないんだが。

 まぁ、仕方ないか。



         ・


         ・


         ・



 行為はおよそ三時間に及んだ。


 サキが言うには、俺は『なかなかの当たり』らしい。

 正直悪い気はしないが、まぁ信じまい。嬢のリップサービスを鵜呑みにするほど純真ではないつもりだ。結局最後まで余裕なんか持てなかったしな。まさに無我夢中ってやつだ。サキュバス相手だけに。

 そうしていつの間にか眠ってしまったようで、目が覚めたときにはもう彼女はいなかった。

 夢だったのか、とも思った。けっこう汚してしまったはずのシーツがきれいになってたし。しかし。


「ふう……至れり尽くせりかよ」


 寝落ちする前に伝えられた二つの置き土産がちゃんと残されていたから、現実だったと信じられる。

 何かというと、まず一つは風呂場に張られた防音結界だ。おかげでこんな時間だが気兼ねなく汗を流すことができた。夜明けには効果が切れるそうなので、両親に不審に思われる心配もない。


 部屋に戻ると、ほんの少しだけ彼女の残り香を感じた、気がした。

 気のせいだろう。そんな痕跡なんか残さないと思うから。

 それよりもう一つの方だ。

 スリープ状態になっていたパソコンを起こす。画面の中ではサキが来る直前に開いたフォルダがそのままになっていた。

 ただし中身が違う。


「……ははっ」


 タイトル、『童貞のまま30歳になる目前でサキュバスに襲われた男の話』。

 この夜の出来事が、俺好みの二次元絵に置き換えられた上で画像集として再現されている。


 ――まず一つはお風呂場を防音しておいてあげる。あともう一つは……ふふっ、見てのお楽しみ。わたしのことをいつでも思い出せるように、ね。パソコン(それ)に入れておくから。


 痕跡を残さないとは何だったのか。

 いやコレを『サキュバスが実在した証拠』として公開したところで精神の健康を疑われるのがオチだ。それに、そもそも他人に見せたいとはまったく思えないしな。

 それにしてもよくできてる。

 サキの(見た目の)かわいらしさはそのままな一方で、俺役の顔は描かれていないあたりポイント高い。こりゃ一生モノのオカズだな。

 じっくり見てるとムラムラと来てしまうので途中を飛ばして最後のページを開く。そこに描かれていたのはディフォルメされたサキがコンピューター的なものを水没させて笑っている絵だった。横には『突き放せ、AI!』なんてセリフが添えてある。

 うん、とりあえずセクシーセンクシャーとサイバーダイモン社に謝れ。


「ふふふふ……」


 さて、じゃあそろそろ寝るかな。

 さいわい明日、いや今日は休みだ。昼までゆっくり寝るとしよう。そしていい夢を……これ以上見ようってのは、贅沢か。

 心がふわふわと浮き立っているのを感じる。

 パソコンの電源を――そういやココちゃんどうなったかな?


 なんか急に思い出した。

 えっと、時刻は4時半過ぎごろ。さすがにもう終わってるだろうと思いつつも一応確認してみると。


『あ~……うぅ~……、もぉやぁ~~!』


 驚いたことにまだやっていた。

 同接、同時接続も4人、つまり俺を除いて3人も残ってる。すげぇなこいつら。


『ねむぅい~~、アタマまわんないよぉ~~……』


[Arufa:がんばえー]

[Blabo:あと少しだぞー]


 最初は20人ぐらいいたことを思えばだいぶ減っているわけだが、それでも。


『うんがんばう! おらっくたばれぇい! オマエさえいなくなればみんな幸せになれるんだぁ!』


 お、おう。荒ぶっておられる。

 どうやらちょうどラスボス戦らしいな。

 ふだんゆるふわ系のココちゃんがこんな声を出すなんて珍しい。ってかすでにかなり(かす)れ声になってるが、大丈夫なんだろうか。

 こういう危なっかしいところもこの子の魅力の一つだよな。守ってあげたくなる系女子。


[Arufa:罵声たすかる]

[Blabo:ちょうど切らしてた]


 リスナーも訓練されてんな。まったくもって同意だが。

 とりあえずプレイの妨げにならないよう黙って見とこう。


『いいかげん倒れろー! ぎゃーっ!!』


[Arufa:倒れた(ココちゃんが)]

[Blabo:まず自分がお手本を示すのは大事だよね]


『あははははっ! うるさいやい!』


 失敗してどうしてこんなに笑えるのか。底抜けに明るいところもまた魅力か。

 今なら大丈夫だろうとコメントを打ち込む。


[Chari:惜しかったね。知らんけど。]


『知らんのかーい! ってチャーリーさん! 戻ってきてくれたんだ? お帰りなさぁい。え、もしかしてずっと作業してたの?』


 うっ。

 惜しみのない感謝と気遣わしげな声。罪悪感がががが。


[Chari:いや、寝落ちしてた。さっき起きた。]


 嘘は言ってない。作業(意味深)もしてたし。ごめんなさい。


『あはは、そうなんだ。今ラスボスに負けたとこー。そんでねー、えっと、あー……ダメだー! アタマ回んなーい!』


 ああ、本当にいい子だなぁ、この子は。この状況で少しも愚痴っぽくならないなんて。


『今なんじぃ? 5時? ……えっ!? 5時!? なんでウソでしょ!?』


 どうやら時間を忘れて没頭していたらしい。それだけ楽しんでたってことなのかな。


『ねぇ待って、みんな大丈夫なの明日? ってか今日?』


 そして真っ先にこっちの心配か。

 Vtuber として、配信者として、好かれ嫌われないためにやっているのかもしれないが、それでも大したものだと思う。


[Arufa:おまいう。ワイはニートやから平気や]

[Blabo:私は午後から]


 他のメンツも大丈夫らしい。そうでなきゃこんな時間まで残らんか。

 おっと感心してないで俺もこの天使を安心させてあげなくては。


[Chari:誕生日休暇取ったから平気。昼まで寝る。]


『たんじょうび? え、チャーリーさん今日誕生日なの?』


 あ。

 しまった、なにマジレスしてんだ俺。普通に有給とかでよかっただろうが。


『ってゆーか誕生日休暇なんてあるんだねー? いいなー、学校にもそういうのあればいいのに』


 ちなみに彼女自身は学生だそうだ。現役女子高生。本当かどうかは知らん。


[Arufa:それよりココちゃん、まだ終わってへんで]

[Blabo:お姫さまが待ってる]


『あ、うん。今度こそだね! よーっし!』


 そしてプレイが再開される。

 どうやら何事もなく本筋に戻ってくれるようだ。

 自分の誕生日の話をあっさり流されたことに寂しさを感じなくはないが、安心の方が大きい。いやそりゃ推しに祝ってもらえるならもちろん嬉しいよ。でもやっぱ気後れするっていうかさ。まぁもう過ぎたことだしどうでもいい。


 それよりこれは、最終ステージの最初からなのかな? きっつ。

 足場が少なく高低差も激しい地形に、いやらしいタイミングでばかり襲ってくる敵たち。さすが鬼畜ゲーの名は伊達ではないな。

 しかしココちゃんはそんな危険地帯を鼻歌交じりに踏破していく。


『ふーんふふーん、おっひめっさまー、おっひめっさまーはー、待っちぼうけー♪』


 特別ゲームの上手い子ってわけでもなかったはずなので、きっともう何度も、下手をすれば何十回も挑んでいるのだろう。それもこんな時間まで。

 お疲れさまだよほんと。尊敬する。


『ふんふんふふーん、た、った、ったーん♪ ハッピバースデートゥーユー♪』


 !?


 ちょ、おい。おいおいおい。

 不意打ちかよびっくりしたじゃねぇか。びっくりしすぎてお前こんなもん、嬉しいかどうかすらよくわかんねぇじゃねぇか。

 ごめんウソ。めっちゃ嬉しい。

 他のリスナーたちも別に気にしていないのか何も言わない。


 そっか。

 こんなに簡単なことだったのか。


『ハッピバースデートゥーユー♪ ハッピバースデートゥーユー♪ ハッピバースデーディアちゃーりーさーん♪ ハッピバー、あ』


[Arufa:あ]

[Blabo:あ]

[Chari:あ]


『あ゛――――――――っ!! 落ちたー!』


 飛び乗った足場が急に落ちた。

 まぁよくあるトラップだ。


[Arufa:声汚ったな]

[Blabo:耳ないなった]

[Chari:のど大丈夫……?]


『あっはっは……もぉやぁーっ!』


[Arufa:さっき落ちたとこやんけ]


『そうですね!』


[Blabo:歌なんか歌ってるから]


『……そうですねっ。ふふっ』


[Chari:すまねぇココちゃん。俺が余計な情報出したばっかりに。]


『えー? ふふふっ、チャーリーさんのせいじゃないよぉ。ふふっ、ぷふふふふふふふふふふ……』


 ハイになっているのか、彼女はそのまましばらく笑い続けた。

 数十秒後、それが不意に途切れると、パンッ、と破裂音のようなものが響いた。気合を入れるために自分のほほを張った音、だと思う。


『ぃよっし! 行きます! 次が最後です!』


 力強い宣言。


『次で決めます! ラスイチ! 今度こそラスイチですっ!!』


 フラグにしか思えないが。


[Arufa:百万回聞いた]

[Blabo:親のラスイチより聞いたラスイチ]

[Chari:もっと親のラスイチ聞けよ]

[Delta:親のラスイチってなんだよ……]


 あ、4人目。


『あははははっ、みんなひどぉーい! ってデルタさん!? いてくれてたの!? ありがとー!』


 そうしてまたひとしきり笑って、もう一度、いや二度、パンパンと音を響かせてから、ココちゃんの最後の挑戦(最後の挑戦とは言ってない)がスタートした。


『行くよっ! ココの勇気が世界を救うと信じて! うおーっ!!』


 もうわざと言ってるだろ。

 案の定というか、大方の予想通り、彼女がゲームをクリアしたのはこのさらに一時間後なのだった。


 日はまだ昇らない。


 それでも明るい朝だった。

 失ったものはたぶん大きいが。

 俺という人間が30代として初めて迎えるこの朝は、思いの外にぎやかで楽しい、そんな朝だった。












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