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若き竜との邂逅

 森の中を二人の少女たちが走っていた。


「待って、ユールル! そんなに走っては危ないわ!」


 一人のタタ族の少女がもう一人の少女に向かって叫ぶ。叫んだ方の少女は、長い髪を風になびかせ、タタ族の成人の証である入れ墨を頬に入れている。

 女は両頬に、男は額に逆三角形の入れ墨を彫るのが習わしだった。


 叫ばれた方のユールルは、年は幾分か下であり、その頬は白く、入れ墨も入っていない。タタ族の少女にしては珍しく耳の所で切りそろえられた短い髪には、さらに邪魔にならないように黒い布が頭に巻かれていた。


 この二人の少女は姉妹だった。姉は十六歳、妹は十一歳だ。


「フィム姉様! 早く! 行ってしまう!」


 ユールルは歩みの遅い姉を時折、振り返りながら、しかし、足を止めること無く走っていく。


(早く、早く、竜が見たい!)


 アルニア帝国の外れに位置する砂漠から続く森の中には、彼女たちのようなタタ族と呼ばれる少数民族が暮らしていた。


 彼らは全て会わせても五百人に満たないほどの小さな部族であり、季節ごとに住む森を変えながら生活をしている。木の樹皮や動物の毛皮から服を作り、またその実や肉を食べ自給自足で完全に帝国から切り離された独立した生活を送っていた。タタ族にとって森は全ての命の源であり、決してそこを離れることは無かった。


 彼らは一見してアルニア人とは異なる特徴が見られる。

 森の中で生活するため肌は日焼けしておらず、皆一様に背は低く、男も女も小柄であった。また裸足で木の葉の上を音も無く歩くほど身軽であった。多くは黒髪で、瞳の色は黒か灰色であり、木の皮で作られた薄茶色の衣服にはタタ紋と呼ばれる刺繍が施されていた。


 年に一度、年貢を納めていれば、帝国も彼らには干渉して来ない。外界とは完全に独立したこの森で、タタの民は平和に暮らしており、彼らの多くは森で生き、森で死ぬ。その一生に満足していた。


 しかし、中にはそうでない者もいる。広い世界に夢を見るのだ。


 走る少女の心は弾んでいた。裸の木の根を器用に避けながら、森の端へと向かう。

 ようやくそこまでたどり着いた所で、ユールルは足を止めた。活発な妹にやっと追いついたフィムは、ふうとため息をつきながら言った。


「農作業を抜け出して来たなんて父様が知ったら、きっとカンカンだわ」


 砂漠において、季節は乾期と雨期を繰り返す。

 その間にあるうっすらとした春は、タタ族にとって大切な季節だった。春に植えた植物は、雨季を経て、秋に収穫し、乾季に備えて保存する。そのため、男も女も関係なく、一族は全員、春になると畑を作った。


 族長の家族も例外では無く、今は父の目を盗んで抜け出してきているのだ。

 心配する姉を、ユールルは笑った。


「姉様は父様を怖がりすぎだよ。それに、竜族を見たら、すぐに戻ればいい。畑を作り終える前には戻れるよ」


 そしてユールルは、森の端から、一歩、砂の上に足を踏み出す。

 柔らかいその感触が、少女のむき出しの足を包んだ。


 そして、少女は空を見上げる。


 空には、青い空を黒く染めるほどの竜の群れが飛んでいた。大きな翼を広げ、黒いうろこは、太陽の日差しを反射して、虹色に輝いているように見える。


 竜たちは悠々と空を飛んでいく。まるで、この空の支配者は自分たちだと主張するようだった。


「わあ……!」


 思わず二人は感嘆の声を揃えた。

 森の中からでは、巨木が邪魔をしてこの群れは見られない。三十年に一度、住処を変えるというその竜たちが、近いうちに空を飛ぶと長老から聞いて、ユールルはどうしてもそれが見たかった。


 毎日空を見上げては、その日を待ち望んでいた。

 だから今日、竜の姿が木の葉の間から見えたとき、急いで姉を呼んで、一緒に見に来た。フィムとはよく、森の外や竜たちの話をしていたから、絶対に二人で見たいと思っていた。


「すごい……。あんなに綺麗な生き物は見たことが無いよ!」


 ユールルは空を見上げながらそう言った。


「姉様! やっぱり、森の外の世界には楽しくてすごいものがいっぱいあるんだよ!」


 ユールルはもっと幼い時に、まだその時存命だった母も一緒に、家族で「砂漠の星」を見て以来、森の外に広がる世界に強く惹かれていた。それは姉のフィムも同じで、きっとこういう素敵なものがあるに違いないと森の外を空想しては、よく遊んでいた。


「本当ね……! ユールルと一緒に見れてよかった」


 フィムもうっとりと竜たちを見つめる。

 と、二人の視線に気がついたのか、まだ若い、体の小さな竜が群れから離れ、二人めがけて降りてきた。


 少女たちは、驚いてその竜を見つめる。

 一瞬、その竜と、ユールルは確かに目が合い、お互いを認識した。


 ユールルはその知的に満ちた瞳を見つめ、その竜の心を確かに感じた。好奇心に駆られた若い竜は、少女たちと同じく見慣れない者たちをのぞきに来たのだった。


 若い竜は、二人とほんの目と鼻の先をひゅっとかすめると、砂をいくつか巻き上げ、再び群れに戻っていった。


「姉様! ねえ、見た? 今竜が、私たちを見ていたよ!」


 興奮してそう言ってフィムを見ると、彼女もまた、目を輝かせてはしゃいだ。


「うん、ユールル! 私も見たわ! なんて賢くて素敵な生き物なのかしら!」


 二人の少女は、群れの黒い帯に戻っていったその竜に、手を振る。

 最後の竜がその空の果てに見えなくなるまで、見送っていた。

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