チョコレートブラウン
「だからさー、なんでこんなにキレイに倒せるわけなの?」
遅れてやって来たジェリーさんが不思議を通り越して「疑義あり!」と手を上げそうな目をして言ったわ。
「毛皮もキレイで余計な傷は無いし、君たち2人も無傷だよね。ビースト相手にどうやったらこんな完全勝利みたいな倒し方が出来るんだよ?」
ビーストの死骸をチェックしながら、ジェリーさんがボヤいたの。なにが不満なのかしら。
私はちょっとやらかしたけれど、2人はとても上手に対応してくれて、無事にビーストも倒せたというのに。ねえ?
「正確に10秒後に真正面に現れると予告されてみろ。しかも至近距離だ。お前にだって倒せる」
肩をすくめるセスさんをジェリーさんはしゃがんだままうろんなものを見る目で振り返ったわ。
「正確に10秒後…?」
「ヨツバの占いだ」
「占い…?」
セスさんを見ていたジェリーさんの視線がそのままこっちに向いた。やだわ。なんか、目が据わってるわ。
でも、予知の力のことを話す気はないの。
気味が悪いと思われたり、遠ざけられたりするのは嫌。
にこ、と笑って誤魔化そうとしたらジェリーさんの目が細められたわ。でも、ジェリーさんがなにか言う前に、大きな手がぽんと私の頭に乗ったの。
「占いの詳細は企業秘密だそうだ。何にせよ、ヨツバのお陰で無事にビーストを退治することが出来た」
ライドさんはそう言って、優しく微笑んでくれたわ。なんだか、ほっとした。
「企業秘密、ね」
はぁっ、と大きく息をついてジェリーさんは立ち上がった。
それから、連れて来ていた5人の男性に指示をしてビーストの死骸を運ばせたの。
5人とも若くて屈強そうなひとたちよ。まるで引越し業者の人みたいに、大きなビーストを布でささっとくるんで担ぎ上げたわ。タンスを運ぶみたいにね。
森の中には荷車は入れないから予めひとを手配してあったみたい。
重いはずのビーストを、5人がかりとはいえ簡単に運び出して行く彼らに目を奪われてしまう。
実は私、スポーツマンの筋肉って好きなのよね。
逞しい腕や胸につい目がいっちゃう。
「ヨツバ?」
「え? あ、はい? わ!!」
近っ!
呼ばれて振り返ったの。そうしたら、ライドさんの顔が思いの外近くにあったのよ。
びっくりしたわ!
「好みの男でもいた?」
からかうみたいに言われちゃったわ。男性に見惚れていたことに気づかれちゃったのね、恥ずかしい。
でも、好み…?
顔は見てなかったわ。
「いえ、筋肉が…」
「筋肉?」
「あ、いえ。なんでも」
筋肉の好みなら、皆さん甲乙つけ難く素敵な上腕をしていたけれど。
へらっと笑うと、ライドさんは口元に笑みを浮かべたまま首を傾げたの。
いいんです。なんでもないんです。気にしないで下さい。
「大物だね。ところで、この森にはもうビーストはいないのかい?」
ジェリーさんが周りを見回しながら言ったわ。なんだろう。ちょっと呆れたような口調よ。どうしたのかしら。
それに、「大物」ってさっきのビーストのこと?
本物のビーストを見たのは2回目だからよく分からないけれど、確かに大きかったわね。
あら。みんなが私を見てる。
ひょっとして、今の私に聞いたの、ジェリーさん?
「さあ…?」
みんなの視線に負けて首を傾げたの。そうしたら、ジェリーさんはがくりと肩を落としたのよ。
「さあ、って。他にもビーストがいたらクーリッジ家の馬車が襲われないとは、言えないんじゃないのかい?」
ああ、そう言うこと?
んー。確かにそれはそうなんだけど。
うん。明日は大丈夫。カイルさんは襲われないし、少なくとも明日はこの森を通り抜ける道でビーストに襲われるひとはいないわ。
「大丈夫です。カイルさんを襲うビーストはさっき退治したビーストですから。この森にビーストがもういない、かどうかは分かりませんけれど」
この森は全てを見通すには広過ぎるわ。私の力、そんなに広範囲には及ばないもの。
出る場所をどこか見つけられれば、そこから辿ることはできると思うけれど。
「……そう」
ジェリーさんはとっても微妙な笑みを浮かべて言ったわ。
「僕にはよく分からないけど。ライドもセスも君の占いを信用しているみたいだし、僕はライドとセスを信用してるから2人が信用してる君の占いを信じるよ。ってことで、今日はここまでだね」
あら、微妙な言い回し。嫌われちゃったのかしら。
ライドさんはジェリーさんの言葉に苦笑してたわ。それから私を見ると「気にしなくていい」って頭をぽんぽん撫でてくれた。
ちなみにセスさんは、我関せずって感じだったわ。
翌日、カイルさんは無事に納品を済ますことが出来たそうよ。アリーさんがわざわざ占いのスペースまで報告とお礼に来てくれたの。
クーリッジ家自慢のお茶を持って来てくれたのよ。
それも2キロくらいありそうな大きな袋で!
「わぁ、嬉しい! 昨日ご馳走になったとき、とっても美味しいと思ったの!!」
「お口にあって良かったです。良かったら、いつでもいらしてくださいね。とっておきのお茶をご馳走しますわ」
本当にとても美味しい紅茶だったのよ。
嬉しいけれど、ビーストを退治したのは私じゃないのに、いいのかしら? なんて言うんだっけ、こういうの。漁夫の利?
まあ、いいか。貰ってしまおう。うふふ。
そうだ。カミラおばさんとギレルモおじさんにお裾分けしよう。
「まあまあ、クーリッジ・ティーじゃないか。どうしたんだい?」
カミラおばさんがとっても嬉しそうに言ったわ。
こんなに喜んでもらえると、私も嬉しくなっちゃう。
「昨日のお客さんがお礼にってくれたのよ」
「ああ、昨日のお客さんはクーリッジのお嬢さんだったのかい。クーリッジ・ティーは美味しくて人気が高くてね。なかなか手に入らないんだよ。ありがとう、ヨツバちゃん」
おばさんはそう言って、昨日のリンゴで作ったジャムをくれたの。
美味しそうよ。食べるのが楽しみね!
ギレルモおじさんもとっても喜んでくれたわ。
「いいのかい、こんなにたくさん。クーリッジ・ティーは高品質を保つために大量生産はしていないんだよね。予約もなかなか受け付けない、とても希少価値の高いお茶だよ」
そう言って、フルーツグラタンをご馳走してくれたの!
熱々のカスタードにレモンとシナモンの香りがするリンゴがたっぷり入っていて、本当にすごくすごく美味しかったわ。
ふふ。ほっぺたが落ちちゃう。
クーリッジ家のお茶って、とても有名なのね。
アリーさんったら、そんな貴重なお茶をたくさんくれたんだわ。
ありがたく、大事に頂かなくちゃ!
お茶の袋を抱えて、今日は少し早いけれどホームに帰ることにしたの。
そうしたら、入り口に見慣れない後ろ姿があったわ。
マーサ先生と話している、姿勢の良い立派な軍服の後ろ姿…。
あれは…。
「あら、ヨツバちゃん。お帰りなさい。今日は早かったのね」
マーサ先生が私に気づいて声をかけてくれたわ。
そうして、その人が振り返った。
サイドからバックにかけてを短く刈った髪は、額にかかる前髪で明るい茶色と分かる。瞳もチョコレートみたいな濃い茶色で、精悍な顔立ちの背の高い美丈夫。
このひとって…。
「ご挨拶なさい、ヨツバちゃん。ブラッドリー・ロチェスター第2王子殿下ですよ」
やっぱり!
マーサ先生の言葉に、慌てて姿勢を正して頭を下げたわ。
「こんにちは。先日は行き倒れていたところを助けていただいて、ありがとうございました」
ブラッドリー王子は私を見て破顔した。
この世界に来て助けてもらったときと同じ、ほっとするような優しい笑顔。
イケメンだった気がしていたけれど、やっぱりものすごくイケメンだわ。
「元気そうでなにより。ちょうど良かったヨツバ。おいで。少し、散歩をしよう」
はい? 散歩、ですか?
戸惑いつつ、手招きされて近づくと、ブラッドリー王子はお付きの人に、私が抱えていた紅茶の袋をホームの中に運ぶよう指示して私の手を取った。
とても自然に腰に手が回されて、くるりと向きを変えられたの。
すごいわ。これが、エスコートってやつかしら。
「近くを歩いて来る」
ブラッドリー王子はマーサ先生にそう声をかけて、歩き出した。
川辺をゆっくりと歩いたの。
土手にはシロツメクサがたくさん生えていたわ。よく見ると、スミレも咲いている。
「ヨツバは旅の途中道に迷ってこの国にたどり着いたと聞いたが、こちらで困っていることはないか?」
旅…、のつもりはなかったのだけれど。
いつの間にかこの国にたどり着いていた、と言うのは間違い無いのよね。
「はい。大丈夫です。先生方も、良くしてくださいますので」
本当に。
マーサ先生もメリナ先生もナンシー先生も、とても優しい。職業柄、ということもあるかも知れないけれど、見ず知らずの私にすごく親切にしてくれるの。
「スロースの生まれなのか?」
スロース、というのはこの国からだいぶ遠い国の名前なんだそうよ。私が最初に「ニホン」という国から来た、と言ったでしょう? でも、この世界には「ニホン」という国はない。お役所で戸籍のようなものを作る手続きをしたときに、お役人さんが「スロースにニンホルンという都市がある。そこのことだろう」って言って、出身地をスロースとして登録してくれたのよね。
そのときは、なにが起こったのかよく分かってなかったし、聞かれるままにあれこれ答えたのだけれど、答えられないこともたくさんあって。
占い師だって言ったせいかも知れないけれど、旅芸人の一座から逸れたか盗賊の類に襲われたかしたのだろうってものすごく哀れみの目で見てくれたのよ。
マヨイビトの話を聞いた今となっては、異世界から来たと言ってしまっても問題は無かったのだろうと思うけれど、あのときは怖くてとても言えなかった。
今はもう、本当のことを言っても良いんじゃないかとも思うの。でもね、ギレルモおじさんの話だと、マヨイビトってこの世界に新たな知識や技術をもたらす者として期待されるっぽいじゃない?
聖女様が音楽で人の心を癒すみたいな、ね。
私、そういう特別なワザとか持ってないし、なんかちょっと言い出しにくいなぁ、って思っちゃっているのよね。
だからブラッドリー王子に聞かれても、実は私、異世界から来たんですって言うのは躊躇っちゃったの。
「ええと、スロースという国のことは分からないんです。私の話を聞いてくださったお役人さんが、スロースだろうと見当をつけて手続きをしてくれたんです」
ブラッドリー王子は穏やかな笑みを浮かべたまま頷いたわ。
「そうか。ずっと、占いをしながら旅をしていたのか? 大変だったろう。困ったことがあったらいつでも声をかけるといい。相談に乗る」
胸に染みる優しい声。ブラッドリー王子は寛厚な方なのね。
偉ぶってないし、社交辞令的でも無い。窮状を訴えたら、本当に助けてくれそう。
まあ、分からないけれど…。
占いをしながら旅をする、か。それってまるでジプシーみたいね。でも、それも悪く無いかも知れないわ。
そう、思っていたとき。
………!?
ザザッと、電波状態の悪いテレビみたいな、砂嵐のような映像が浮かんだ。
なに…?
不鮮明な画像。粗い目隠しをされているみたい。その向こうで動いているのは、ひと…?
足を止めた私を、ブラッドリー王子は心配そうに見下ろした。
「どうした?」
今のはブラッドリー王子の未来?
どうしよう。伝えたほうがいいのかしら…?
あんまりはっきりとは見えなかったけれど。
…それとも、曖昧なことは言わない方がいい?
見上げたら、チョコレートブラウンの瞳が優しく見つめていてくれたわ。変なことを言ってしまっても、受け止めてくれそう。だから思い切って聞いてみたの。
「王子様は…」
言いかけたところで、くすっと笑われたわ。
うん? 「王子様」って呼びかた、おかしかったかしら?
「いや、何でもない。続けてくれ」
…笑ってるわ、王子様。やっぱり変なのね。
なんて呼ぶのが正解なんだろう。帰ったらマーサ先生に確認しておこう。
えーと。
「あの、銃の手入れってご自分でされますか?」
ああ…。失礼のない言い方を、と思っていたのに単刀直入になってしまった。だって、笑うんだもの…。
途切れ途切れに見えた不確かな未来。今まで一度もあんな風に見えたことはなかったわ。
クリアではない未来で、誰かが銃をいじっていたように見えた。
ブラッドリー王子は、一瞬、訝しむように眉を寄せて、それから頷いたわ。
「…ああ。自分の銃は自分で手入れを行うが、それが?」
うーん、そうか。王子様でも自分で銃の手入れをするんだわ。けれど、かすかに見えた人影は、ブラッドリー王子その人ではなかった…。
髪が、長かったもの。
「では、どうぞ気をつけてなさって下さい。銃が暴発、したりしないように」
銃が暴発する未来が見えたわけじゃないけれど、何かの細工をしているようにも思えてそう言ったの。
ただ。ずいぶんとおかしな見え方をしたわ。
どうして、あんな風に見えたのかしら…。
ブラッドリー王子は少しの間私を見つめていたけれど、
「…………気をつけよう」
そう言って、私の頭をぽんと撫でたの。