帰還
「魔法石を持って来い!! 早く!!!」
声が聞こえる。
「ヨツバ。しっかりしろ、ヨツバ。目を閉じるな。俺を見ろ」
目、開いてる?
何も、見えないよ。
「う。あ…、げふっ」
「しゃべるな。しゃべらなくていい。俺の声を聞いて。ゆっくり息をして」
暖かい手が頬を撫でてる。
ひゅーひゅー喉が鳴って、上手く空気が入ってこない。
「大丈夫だ、ヨツバ。大丈夫。頑張ってくれ、頼むから…!」
泣かないで…?
「ヨツバ? 聞こえるか? さあ、もう大丈夫。よく頑張ったな。いいか、ヨツバ。家族のことを考えるんだ」
か、ぞく…?
「優しい父親だった? 母は明るいひとだった? 兄のことも、いつか話してくれただろう?」
おと、さ…。…かあ、さ。に、い……。
「そうだ。いいこだ。それでいい。忘れないで、ヨツバ。ヨツバがどこにいても、俺は…」
「四葉! 何してるの、こんなところで。もうみんな集まってるみたいだよ」
「…っ?!」
え?
「どうしたの? ハトが豆鉄砲くらったようなカオ、してるよ?」
「み、なみ?」
周りを見渡す。建ち並ぶたくさんのビル。行き交うひと人。車の走る音。排気ガスの匂い。
元の世界に、戻ってきた…?
「なあに? 立ったまま夢でも見てた? え、やだ。なんで泣いてるの? 大丈夫?」
夢…?
夢だったの?
いいえ。いいえ、違うわ!
鮮明に蘇る、ブラッドリー王子の声。
いい報告が出来るかも、と言っていた。あれはきっと帰還の魔法石が見つかったことを言っていたんだわ。
正式な鑑定の結果を待って、私に話すつもりだったに違いない。
「ほらほら、四葉、泣き止んで? わあ、素敵なネックレスしてるのね、アンティーク? とても似合ってる! 泣いてちゃもったいないよ?」
それは、ブラッドリー王子がくれたあのネックレスだった。
理屈はわからない。服も靴も何もかもあの日のものに戻っていたけれど、ネックレスだけが残されていたの。
夢じゃない。
夢じゃないわ。
涙が止まらなくて。どうしても止まらなくて。みんなと遊ぶはずだった約束をキャンセルして家に帰った。
それから。
泣いて泣いて泣いて、泣き続けて。
部屋にこもって何日もずっと泣いて過ごした。
だって、止まらないんだもの。
思い出すたび、瞬きするたび、涙は溢れて流れ落ちる。
お父さんもお母さんもお兄ちゃんも、とても心配していたわ。
何かあったのかって何度も聞かれた。
誰かに乱暴されたんじゃないかって話している声も聞こえたわ。
そうじゃないの。それは違うって、それだけは否定して。
こんなに泣いても、涙って枯れないんだ、なんて他人事のように思ったりして。
そうして、私は決意した。
帰ろう。あの世界へ。
ブラッドリー王子のもとへ。
そう決めたら不思議と涙は止まったの。身体の方が分かっているのね。泣いてる場合じゃないって。
お父さんとお母さんとお兄ちゃんに、話したわ。
行きたい場所があること。会いたい人がいること。これから私はその場所に行くための場所を探すこと。タイミングによっては、お別れの挨拶ができないかもしれないこと。もしも突然私がいなくなったら、どこかで必ず幸せに過ごしていると信じて欲しいこと。
みんなそれぞれに複雑な表情をしていたわ。
当然よね。それはどこなのか、誰なのか、納得できる説明は出来ないのだもの。
夢と現実の区別が出来なくなってしまったのかって、とても心配されたわ。
だけど、結局は私を信じると言ってくれたの。
それから、私は「その場所」を探し始めた。世界の歪みが生まれる場所。この世界とあの世界が繋がる場所。その瞬間を。
いつ、どこで起こるか分からないけれど、私はそれが起こるのは国内だろうと考えているの。
向こうで出会ったマヨイビトは全員、日本人だったから。
いろいろ試してもみたのよ。
私の力では相変わらずせいぜい3日後までしか分からないのだけれど、直接その場所に行かなくても、テレビの放送やインターネットの配信画像でも、それがライブ映像であるならばその場所の未来を視ることが出来たの。
大学の授業の合間やアルバイトの行き帰り、家にいるときはほぼずっと、テレビやインターネット画像を見続けたわ。
同じ場所を何度も何度も。
3日と開けずに繰り返し探し続けて、休みの日には出来るだけいろんな場所に出掛けるようにした。
季節が巡っても、諦めなかったわ。
その場所が見つかったらすぐに出かけられるよう、小さなボストンバッグに荷物を準備しておいた。
向こうに持っていけるかは分からないけれど、写真はたくさん入れたわ。
いつそのときが来てもいいように、家族との時間は大切にした。
大学を卒業して、私はアミューズメントビルのワンフロアを占める占い専門エリアに占い師として就職したわ。
水晶玉を使った占いよ。
長期的な占いは出来ないけれど、3日以内のことならよく当たると、密かに人気も出てきた夏の半ば。
台風の接近でその日は朝から大雨が降っていて、客足は全く期待できなくてね。
バックヤードで従業員同士、テレビを見ながらおしゃべりしていたのよ。
「ねえ、四葉ちゃん。この台風、被害はどうかしら」
占い師のひとり、ミサコさんが黒い衣装のシワを気にしながら座って言ったわ。
「そうですね。ミサコさんのお家は大丈夫ですよ」
「そ? 良かった。これ、よかったら食べて」
わーい。お菓子もらっちゃった。
「えー、いいな。四葉ちゃん、私も占って。お礼に踊るから」
そう言ったのはやっぱり占い師のサリーさん。
サリーさんは趣味がベリーダンスで、占いもベリーダンスの衣装で行っているのよ。
スタイルがすごく良くてね。
お客さんの中にはこの肉体美に惹かれて来る人もいるんじゃないかと思うわ。
「サリーさんのお家はマンションですよね。サリーさんのお部屋は大丈夫だけど、一階のひとは大丈夫じゃなさそうです」
「うわ。まじか、ありがとう。あ、踊る?」
いいえ。結構です。
丁寧にお断りしてテレビに視線を戻す。
背景は海。
横殴りの雨を窓の向こうに映しつつ、安全な場所にいることを強調しながらリポーターが現地の様子を告げる。
そうして、ゆっくりとカメラの映像が左から右へと横に移動する。
「!!!」
あれは!
「ミサコさん、ミサコさん! あれはどこですか? ほら、今中継しているあの場所です!」
「ん〜? ああ、あれは台風の中継では定番の岬よ。場所は確か…」
ミサコさんはその場所をスマホで検索して見せてくれたわ。
「ほら、ここよ」
ええっと、私も同じ画面を表示させたい。あん、指が震えて入力が…。と、出来た!
ニュース番組の、台風速報を伝える特設サイト。そこに、テレビに映し出されたカメラの映像が映し出されている。
間違いないわ!
ああ! やっと見つけた!!
「私、帰ります。ごめんなさい。さよならっ!」
「え?」
「四葉ちゃん、早退?」
こんな天気だしね、と雑談する声を背中に、私は急いで帰り支度をしたわ。
ロッカーはいつも綺麗に使っていた。来られなくなったとき、出来るだけ迷惑は少なくなるように。
そして、ロッカーには小さなボストンバッグを準備していた。家に帰らずとも、出かけられるように。
急がないと。
その岬はここからは少し遠い。台風で交通機関もどうなってるか分からないし。
とにかく、急ごう!
私は駅まで走った。
電車をいくつも乗り継いで、なんとかその岬の最寄駅までたどり着いたときにはずいぶん暗くなっていたわ。
風は強いけれど、幸い雨は止んでいた。
タクシーを捕まえて、岬に向かってもらったわ。嫌な顔、というか心配そうな顔を運転手さんにされたけれど、行けるところまででいいので、って無理をお願いしたの。
運転手さんはかなり頑張ってくれたわ。
お陰で時間には少しゆとりが出来た。
よかった。ここから歩いても間に合いそう。
タクシーを降りてから、スマホの画像を頼りにその場所を探す。
この辺りのはず。
どこ? えっと、あの岩があの位置に見えるから、ここからはこっちに向かって…。
あ、あった! あそこだわ。あれ、あそこって海の中じゃない? うわぁ、行けるかなぁ。
うううん。行かなきゃ!
頑張って、四葉!!
近づいてみると、そこには大きな岩が連なっていて、激しい波しぶきが打ちつけていた。
波の音がうるさいほどに響いて、他の音は何も聞こえないわ。
私は岩によじ登り、慎重に先へと進んだ。こんな暗い中、海に落ちたら大変よ。ゆっくり、ゆっくり。焦らないで。ゆっくり…。
ここだ。
大きな岩の先端で、そっと目を凝らす。
大丈夫。間に合ったわ。
呼吸を整えてその時を待つ。
どきどきする。待ち遠しい。波の音がまた激しくなった。
早く、早く。
大きな波が迫ってくる。今だ。黒い波の壁に向かって一歩踏み出す。
波が、私を濡らすことは無かった。
「……………………」
耳に痛いほどの波の音は、草原を渡る風の音に変わった。
全てを飲み込むような暗い海は、見晴らしのいい丘に変わった。
遠くに、複雑な形状の大きな建物が見える。
覚えているわ。あれは王宮だ。
還って来た…!
深まりきった秋のように冷たい空気の中、感慨深くて、胸がいっぱいで、どれくらいそうして立ち尽くしていたのか。
さくり、と草を踏む音がして私は後ろを振り返った。
「………………」
そこにいたのは、凛々しく精悍なお顔に驚きの表情を浮かべた、愛しいひと。
喜びが胸に溢れたわ。自然と笑みが浮かんだ。
「…ライシャが、ここで待てと。ヨツバ、本当に…?」
少しかすれた声。
低く深みのある優しい声が、私の名を呼んだとき。
走り出していたわ。
大きな胸に飛び込んだ。
「ヨツバ。ヨツバ。ヨツバ…!」
大好きな艶のある声が、何度も私の名を繰り返す。
逞しい腕が、強く私を抱きしめて、いつもそうしてくれていたように、私の髪を撫でる。
「ヨツバ。顔をよく見せて」
見て。触って。
還って来たわ。私、還って来た。あなたのもとに!
「少し、大人になったな」
「あれから、4年が経ちましたもの」
「4年…?! そうか。こちらはあれから半年だ」
半年…。
「あの後、事件は…? 他に怪我をしたひとは…?」
ブラッドリー王子はもう一度私を抱きしめて、首を横に振ったわ。
「問題ない。みんな無事だ。ずっと、心配していた。どうしているか、と。とても長い、半年だった」
耳元で、切なげな声がささやく。
「あのとき、助けてくれてありがとうございました」
帰還の魔法石を使ってくれたから、私は無事でいられた。
必ず見つけてくれると約束してくれた魔法石。
約束を守ってくれて、ありがとう。
「俺を助けてくれたのはヨツバの方だ。痛い思いをさせた。すまない」
私は首を振って、ブラッドリー王子の胸にしがみついた。
ブラッドリー王子が無事で良かった。
こうして、また会えて良かった。
「ずっと、会いたかった」
小さな声で伝えると、私を抱きしめる腕の力が強くなったわ。
「戻って来てくれて、ありがとう」
微かに震える声に、胸が熱くなった。
大変だったんですよ?
とてもとても、とても大変だったんです。
でも、頑張りました。あなたに、会いたかったから!
どんなに頑張ったか、いつか話したい。
ちゃんと、褒めてくださいね?
心地よい腕の中、そっと見上げた唇に、強く優しい愛情を受け止めて、私は静かに目を閉じた。
幸せの鐘が鳴る。
純白のドレスに身を包み、晴れた空に思いを馳せる。
私がこの世界に戻って来てから半年が経ったわ。
それはそれは、目まぐるしい半年だったの!
戻って来た私を、みんな暖かく迎えてくれたわ。
パールさんなんて、泣いて喜んでくれたのよ。
セスさんとジェリーさんは本当に本当にとても歓迎してくれたの。
「セスさん! ジェリーさん!」
「ヨツバ?! 戻って来られたのか。良かった。本当に」
ええ、セスさん。私、頑張ったの。
抱きついたらそっと抱き返してくれたわ。
「全く君は、本当に驚かせてくれるよね。もうブラッドリーのそばを離れないでよ?」
ふふ。もちろんよ。
えい、ってジェリーさんにも抱きついちゃう。ジェリーさんはため息をつきつつぽんぽんと背中を抱いてくれた。
2人とも、私にとっては兄のような存在よ。
今後は何か危険を察知したらすぐに相談するように、と口々に言われたわ。
そんなところも、お兄ちゃんみたいでしょう?
国王陛下や王妃様も私の再びの登場を喜んで迎えてくれたわ。
王妃様からは、私が元の世界に戻っている間、どれだけブラッドリー王子が気落ちしていたかを聞かされてね。恥ずかしいような嬉しいような、面映い思いだったわ。
それから、ブラッドリー王子と私の結婚話がとんとん拍子に進んで、準備に大わらわだったわ。
準備ってね、王子の妻としての花嫁修行が含まれているのよ。大変だったわ。すごくすごく大変だった。
元の世界から戻ってくるのも大変だったけれど、それと甲乙つけ難いほどの大変さだったのよ!
特にマナーと王族のみなさまを覚えるのがね、難しかったわ。
だって王族の皆さんは親戚筋だけあって、お顔立ちが似通っていらっしゃる上に人数が多いのだもの。
それに、パーティやお茶会もたくさん出席しなければいけなかったわ。これは、今後も続くわけだけれど。
社交、というのはなかなか奥深くて大変なものなのね。
ブラッドリー王子は、私がてんてこ舞いしているとすぐにやって来て優しくアドバイスしてくれたわ。
以前から優しいひとだけれど、ますます優しい、というか私に甘くなったみたい。
二人っきりのときはべたべたに甘やかしてくれるのよ。
何日かに一度、そうしていちゃいちゃ過ごす時間がとても幸せなの。
寄り添い、触れ合いながら色々な話をしたわ。
元の世界のこと。家族のこと。私の力のこと…。
「そうか」
あら?
「あまり、驚かれませんね?」
「占いにしては変わっていると思っていた。予知能力と言われれば納得できる」
髪に、頬に、唇で触れながら抱きしめる腕の中で甘えつつ、拭いきれない不安を吐露する。
「気味が悪くはありませんか?」
「なぜ? ああ、サプライズが出来ないのは少し不便かもしれないと思うが」
なぜ? とても自然にそう問い返してくれたことが嬉しかったわ。
本当に、戻って来られて良かった。
このひとの側にいられて良かった。
私は、幸せだ。
もちろん、人前ではちゃんと節度を持って接しているわ。
王妃様から言われているの。
凛として強く気品を持って行動するように、って。
気品。なかなか持てるものじゃないわよ。
これは今後の課題ね。
「ヨツバ様。お時間です」
気品。
優雅に、美しく。
しっかりと背筋を伸ばして立ち、開かれた扉から胸を張って歩み出す。
祝福の拍手が鳴り響く。
大好きな愛しいひとが、大好きな凛々しい笑顔で、私に手を差し伸べる。
私を護ってくれる手。抱きしめてくれる手。励ましてくれる手。髪を撫でてくれる手。
私は幸せいっぱいの笑顔で、その手に手を重ねた。




