愛の姿
お座敷には雪見障子が設置され、午後に差し込むお日様を遮ってくれる。
い草の香りが微かに香るお部屋は不思議な静かさが漂って、タカネさんやスタッフさんの声が、やけに遠くに聞こえる気がした。
閉じられた窓の向こう、皐月の葉が揺れたわ。
風がそよいでいるのね。
三分の一くらい残った氷が少しずつ溶けていく。
器にくっついていた水滴が、また一雫ぽたりと落ちた。テーブルの上の水たまりが、ぽよんと少し大きくなる。
早く食べないとみんな溶けてしまうわね。
もったいないなと思いながら、私はジャン・リード様を見つめ続けた。
ジャン・リード様はしばらく私を眺めるように見ていたけれど、ようやく口を開いて言ったわ。
「真意、か。とくに含みを持たせたつもりは無いよ。ブラッドリーは君を愛していない。そのままの意味だ」
「では、なぜ、そのように考えるのですか?」
「ブラッドリーは責任感の強い男だ。国内の治安維持を担う者として、ビーストによる被害の対策に何年も苦慮してきた。守護者出現の預言を誰よりも喜んだのはブラッドリーだろう。そうして、実際に守護者が現れるのを誰よりも待ち望んでいた。ブラッドリーが君を求めるのは君が守護者だからだ。残酷なことを言うようだが、あいつが求めているのは守護者だ。ビーストから、あいつがなによりも大切にしている国民を護ってくれる存在だ。それが君だったからこそ、あいつは君を大切にしているだけで、愛しているから、ではない」
ジャン・リード様の言葉をゆっくりと噛み締める。
ジャン・リード様はお茶をひとくち、唇を潤して言葉を続けた。
「繰り返すが、ブラッドリーは責任感が強い。お披露目の舞踏会で、君は元の世界に帰るチャンスがありながら帰らなかった。だが、その後の様子を見れば本音は帰りたかったのだということは想像に難くない。君が諦めた帰還の代償として君の幸せを願ってはいるだろう。ブラッドリー自身が君を幸せにしなければという使命感を感じているかもしれない」
でもそれは愛では無い、と。
そう、言うのね?
「では、ジャン・リード様。愛とはなんでしょう?」
「なに?」
「ジャン・リード様は、ブラッドリー王子が私に対して抱いている感情は愛では無いとおっしゃる。では、「愛」とはなんでしょうか?」
ジャン・リード様は、ぎゅっと眉を寄せたわ。
「愛とは惹かれ合う心だろう。共にありたいと願い、幸せを願い、その者の幸せを己の幸せと感じるような心だ」
私はゆっくりと頷いた。
「では、心惹かれるのはなぜでしょう。共にありたいと願うのは? なぜ、そのひとの幸せを願うのでしょう?」
「………………」
「他人を好ましく思う理由は様々あると思うんですよ。一緒にいると楽しい。容姿が好みだ。経済力がある。けれど、突き詰めれば結局、自分をいい気分にさせてくれるから、ってことだと思うんです」
趣味が合うから楽しい。話が合うから楽しい。美味しい食事をご馳走してくれるから楽しい。自分では買えないような高価な贈り物をしてくれるから楽しい。容姿が好みだから楽しい。不安を拭い去ってくれるから楽しい。
「このひとと一緒にいたい。その理由は、そのひとがなにを求めているかによって変わるでしょう。趣味なのか、おしゃべりの楽しさなのか、安定した生活を成立させる経済力なのか。ジャン・リード様は好きな女性にどうやってアプローチなさいますか? おしゃべりで楽しませようとしますか? 共通の趣味で楽しませようとしますか? 美味しい食事で楽しませようとしますか?」
ジャン・リード様は静かに私を見てるだけ。
ちゃんと、聞いていてくれてるかしら。
「私の世界では、男は胃袋を掴め、なんて言ったりします。浮気をしても、結局は料理の上手な女性のもとに男は帰ってくるから、と言うのです。でも、その話を聞いて私は思いました。数ある女性の中から、料理の腕が一番だという理由で私が選ばれたとして、それで私は「愛されている」と言えるのだろうか、と」
男は美味しい料理を食べたいだけで、作っている人間が誰かなんて見ていないかもしれないでしょ?
「だけど、その男が私の求めるものをもたらすのであれば話は変わります。美味しい料理に男が満足して、私が共にありたいと願う何かを私に与えてくれるなら」
ジャン・リード様の眉間にはくっきりとシワが刻まれている。
私は少し微笑んで見せた。
そんなに怖い顔をなさらないで?
「もっと、具体的な話をしましょうか。私がなぜブラッドリー王子を愛しているのか、です。ブラッドリー王子は立派な方です。大変なお仕事をなさっていて尊敬出来ます。とても優しくて、落ち込んでいるといつも励ましてくれます。地位も名誉も財産もお持ちです。結婚したら住む場所に困ることも食べるものに困ることもないでしょう。眉目秀麗で、素晴らしい美丈夫でいらっしゃいます。笑顔が素敵で、博学でいらっしゃるのでお喋りしていても楽しいです」
思い返せば、その全てが愛おしいと思えるわ。
「でも、一番は私を護ってくれるひとだから、です」
この世界に迷い込んだとき、私を助けてくれたひと。この世界で生きる術を、その場所を、「私」という存在に価値をくれるひと。
何があっても護ってくれると信じられるひと。
「私にとってブラッドリー王子は必要なひとです。私もブラッドリー王子に必要な人間でありたいと思います。ブラッドリー王子が守護者を必要としていて、その守護者が私であり、結果的に私が必要とされるのならば、それは私にとって幸運なことです」
ビーストの被害を食い止めること。
ブラッドリー王子の悲願のために、私は役に立つことが出来る。被害にあったひとたちを思い、胸を痛めていたであろう彼の人の、その痛みを和らげることが出来る。
それはきっと、安らぎになっただろう。
私は、ブラッドリー王子の求めに応えることが出来るのよ。
未来を知るこの力を、これほどありがたいと思ったことはないわ。
「愛はギブ&テイクだと言いたいのか?」
「そうです。ギブだけでは自分が辛いでしょう。テイクだけでは相手が辛いでしょう。それとも、犠牲的精神が愛だとおっしゃいますか?」
尽くす、という行動にやりがいを感じるひとはいるでしょうけれど、感謝の言葉や気持ちという見返りは欲するのではないかしら。
「好きなひとに好かれたいと願うとき、その相手が喜ぶことをしようと思いませんか? それは、喜ばせてあげる、代わりに好きになって欲しいと、思っているからでしょう?」
そうして、自分を喜ばせてくれる相手を「好き」になるのではないかしら。もっと喜ばせて欲しいから、共にありたいと願う。もっと喜ばせて欲しいから、自分も相手を喜ばせようと思う。お互いにお互いを喜ばせ合う存在。利己的に見えるけれど、そこにはきっと、「愛」がある。
お互いに与え合って、その「愛」は大きく育っていく。
ただ、与えれば必ず返ってくるわけじゃないわ。ギブだけ、テイクだけ、となったら、その愛は一方通行。
喜んでもらえないこともあるだろうし、喜んでもらえても、それ以上を求められないこともある。
残念だけれど。
ふう、とジャン・リード様は息をついた。
「参ったな。つまり、国の安寧のために守護者を求めるブラッドリーの気持ちも、君への「愛」だと?」
「ブラッドリー王子が求めるものを私が与えて、私が求めるものをブラッドリー王子が与える。その関係性を「愛」と呼んでもいいのではないか、というお話です」
「そうか。君はやはり、心の強いひとだね」
「そもそも、ブラッドリー王子自身が愛していると言ってくれるのですから。疑う理由なんてありません」
「そういうところが、ね」
苦笑を浮かべるジャン・リード様からは悪意は全く感じない。視える限り、おかしな行動もない。
話せば話すほど、ジャン・リード様は普通に良い人で、だからますます分からなくなる。解せないわ。
じぃっと見つめたら、まだ何か言いたいことがあるのかと言わんばかりに肩を竦められてしまったわ。
どうしよう。
この際だから、ぶっちゃけて聞いちゃおうかしら。
それとも、それはさすがに危険かしら…?
「ブラッドリー王子の、銃のことなんです」
あ、いけない。考えがまとまらないうちに言葉が口から出てしまったわ。
この後どうしようかと迷っていたら、ジャン・リード様の顔色がすぅっと青白くなったの。
表情も、少し強張っているように見えるわ。
あらら?
これはどういうことかしら。




