噂
「ヨツバ様、ビアンカ・ビショップ様よりお茶会はしばらく中止にしましょうと、連絡がありました」
困ったように眉を下げ、パールさんが告げる。
私はため息をついた。
ほんの少し未来が見えるからって、思い通りになんかならないわよね。
王宮では、少し前から小波のようにひとつの噂が広がっているの。
曰く。
私が、ブラッドリー王子から求婚されているにもかかわらず、ラウル王子にまで色目を使って誘惑している、と。
落とし穴的な嫌がらせでは効果がないと考えて、趣向を変えてきたみたい。
まさかこんな根も葉もない噂がまことしやかに囁かれていくとは思わなかったわ。
世界は違っても、こういうゴシップってみんな好きなのね…。
当然、噂はブラッドリー王子の耳にも届いて、ブラッドリー王子はすぐに様子を見にきてくれたわ。
「不愉快な思いをさせてすまない。このまま放置はしないから、少しの間我慢して欲しい」
そう言って優しく抱き寄せてくれたのよ。なんて頼もしいのかしら。
と言って、私もやられっぱなしではいませんけどね。
やられたらやり返す。鉄則よね。
だって、舐められたくはないもの。
「で、どうしてこちらにいらっしゃるんですか?」
呆れてます、と敢えて口調に表して尋ねると、ラウル王子はあっけらかんとした笑みを浮かべたわ。
「お茶会を中止にするって言われたからさ」
そのお茶会が、どうして中止になったと思っているのかしら。
分からないわけないわよね?
聞けば、勉学の成績は優秀でお仕事の手腕も側近の方が舌を巻くほどだというわ。
「おかしな噂の出所、ラウル王子なのではありませんよね?」
恨めしくじとっと見つめると、ラウル王子は面白そうに肩をすくめたわ。
「どうして俺が、俺自身の不名誉な噂を流す必要があるんだよ?」
「やっぱり。噂のことはご存知なんですね。ご自分でも不名誉だと思っているのなら、どうしてここにいらっしゃったのですか?」
ここはタカネさんのお店。
いつもの畳のお座敷。
こんなところで会っていたら噂を助長させることになりかねないわ。
ラウル王子はにこっと笑った。
「タカネのスイーツのファンだからさ」
白々しくないですかね?
良くない目つきになってしまいそうで、仕方なくテーブルを見たわ。
「……………そうですか。では、私はこれで失礼します」
「まあまあ、待ちなよ。本当に、ヨツバは面白いよねえ。それで、君はヨツバの用心棒なの?」
四人がけのテーブルの、お誕生席的な位置に腕を組んで座るタカネさんを見て、ラウル王子が言ったわ。
タカネさんはラウル王子が来てからずっと、そこに座って睨みをきかせてくれているの。
「今、アンタとヨツバを二人きりにするわけにはいかねぇからな。第三者の目があるってのは大事なことだ」
ありがとう、タカネさん。
頼りになるわ。
感謝を込めて微笑むと、タカネさんは腕組みしたまま頷いてくれたの。
「それに、ゆっくり味わって欲しいからな」
「ふふ。美味しいです」
今日頂いているのはクリーム白玉あんみつよ。
バニラのソフトクリームがまた絶品なのよ!
そうよ。危うく食べ残してお店を出るところだったわ。
短気は損気とは良く言ったものよ。
「タチバナのおっさんに、かき氷機を作れねぇか相談してるんだ。上手くいったら食わせてやるからな」
「かき氷! わぁ、楽しみです!!」
「へえ、なんだか分からないけど美味しそうだね。これもすごく美味しいよ」
ラウル王子が食べているのは私と同じクリーム白玉あんみつよ。
溶けかかったソフトクリームとあんこを上手に絡めて食べていらっしゃる。
所作はとても美しいわ。お皿の中がぐちゃぐちゃになったりしないの。
流石、王子様ね。
「私に、なにかお話が…?」
ラウル王子は、うーん、と困ったような、戸惑ったような笑みを浮かべたわ。
私に何か用がある、というわけではないのかしら?
「具体的に話したい用件があるわけじゃないんだ。ただ、ヨツバと話してみたくて」
「はぃ…?」
私べつに面白キャラじゃないし、芸人さんみたいに面白いことが言えるわけじゃないし、ただ話しても面白いことはないと思うけど…。
タカネさんを見ると、眉間にシワを寄せて口をへの字に結んで、難しい顔をしていたわ。
「なんで、私と…?」
「ヨツバは貴族の娘じゃないから」
「はあ」
そんなに珍しいですかね? 庶民の娘が。
「王宮に勤めるものは、ほぼ皆貴族の出た。行儀見習いが目的であったり、良縁を求めていたりする場合もあるな。男爵家とか子爵家とか、地方に領地があったり、経済的にあまり上手くいっていない貴族の子弟が働いている場合もある」
なるほど。珍しいんですね。
「順を追って話そう。父である国王は、父親として子供たちに様々なことを教えてくれたが、国王として王子に教えたことはひとつだけだ。人を見る目を磨け、と」
人を見る目を磨け。それが、国王陛下の帝王学ということかしら。
「最初の家庭教師だけは、父自身が信頼する者を付けてくれる。それは、ウォルター兄さんもブラッドリー兄さんも同じだ。だがそれ以降、身の回りの世話をする者や学びたいことの専門の教師陣は自分で選ばなければならない。おべっかを使う者や、甘言を弄して近づいてくる者も多い中、本当に俺自身のことを思ってくれる人を見極めなければいけないんだ」
それは…。幼い王子には過酷なのではないだろうか。
甘やかしてくれるひとや甘い言葉をかけてくれるひとの方が、心地よく感じられると思うもの。
「もちろん、何度も失敗する。騙されるし、その度に用心深くなる。猜疑心が拭えなくなる…。そうして、貴族の娘の厄介さを学ぶ」
「厄介さ?」
「貴族の娘は、気位が高くわがままで浪費家が多い。教養がある分、口が達者でああ言えばこうと言い返す。見栄っ張りで虚栄心が強く高慢だ」
それはまた、悪役令嬢の見本のような特徴ですね…。
「…えぇっと。そういうひとも、いるかもしれませんけど、貴族の女性がみなそうだ、というわけではないでしょう?」
実際、ブラッドリー王子の妃殿下候補だった5人の令嬢たちは、全くそれらの特徴に当てはまらないと思うわ。
「そうかもね。でも、見分けるのは難しいよ。女性は、綺麗な蝶に擬態するのがとても上手だからね」
…綺麗な蝶のように美しい女性に、嫌な思いをさせられたことがあるのかしら。なんて、聞けないけど。
「ウォルター兄さんは、すでに伴侶を決めて結婚している。義姉君は穏やかでおっとりして見えるけれど、聡明で貴族としての知識や常識を良く踏まえた女性だよ。さっき、俺が言ったような女性では無いね。ブラッドリー兄さんが選んだ候補の女性たちもそう。本当に、兄さんたちはどうやって選んでいるんだか」
さぁ?
まあ、でも。同じように失敗を繰り返して学んでおられるのではないかと推察しますけれど。
「ブラッドリー兄さんは候補者を選んだけれど、さっぱり結婚へと進まない。ビーストの被害が増えてきて仕事が忙しかったこともあったから、あまり急かす声も出てなかったな。ブラッドリー兄さんが結婚しない間は俺も催促されることはないからありがたかったけどね。でも、そうこうしている間に、ブラッドリー兄さんが自紋のネックレスを庶民の娘に与えたと報告があった。驚いたよ」
「驚いた?」
その知らせを聞いたときのことを思い出したように、口元に笑みが浮かぶ。
「ブラッドリー兄さんは良くも悪くも優等生なんだよ。なんでもそつなくこなすし、面倒な公務も嫌がらないし、仕事熱心で国民に慕われているし、部下からの人望も厚い。側近の者たちを困らせるような振る舞いもない。それなのに、触れることは許されない、手折るなど言語道断、そんな花を摘んできたんだから」
ラウル王子は話をしながらもぱくぱくとあんみつを口に運ぶわ。
綺麗に食べ切って、満足そうに湯飲みに手を伸ばす。
「俺はね、正直ワクワクしたよ。ブラッドリー兄さんが禁を破るなんて滅多に無いことだからね。そして、同時に羨ましかった。俺はそれほど優等生じゃないし、側近の者に叱られるようなこともそれなりにやるけど、でも、俺には出来ないことだから」
小さく息を吐いて、ラウル王子は私を見つめる。
ラウル王子の視線が居心地悪く感じる理由がなんとなく分かってきたわ。
「誤解しないでね。俺はブラッドリー兄さんが非難されるのを望んでいるわけじゃないよ。非難される状況を、どうやって覆すのか、あるいは甘んじて受け入れるのか、その対応には興味を持っていたけれど。だけど結局、ヨツバは守護者だった。しかも、ビースト対策に貢献していて守護者と呼ばれるに相応しい成果を上げている。非難どころか、誰もブラッドリー兄さんとヨツバの結婚を反対する者はいないだろう。ブラッドリー兄さんは昔から勘がいいんだ。見習いようがないよね。どうしてそうしたのか聞いても、「なんとなくそうした方がいいと思った」とか言われるんだよ。ヨツバのこともそう。貴族の女性ではない、だけども王子の妃として申し分の無い女性。そういう女性を見つけてくるんだから」
貴族ではない、ということがラウル王子が女性を評価する上で大きなウエイトを占めているのね。
私、貴族ではないからブラッドリー王子に選ばれた、とは思ってないんだけどな。
「ラウル王子は、貴族の女性よりも庶民の女性の方が良いと思っているのですか?」
まるで高嶺の花を見るような、そんな目で見つめるから居心地悪く感じるんだわ。
「庶民の女性は、素直で裏表がなくて、贅沢を好まず慎ましい。感情表現がはっきりしていて、言外に腹の中を探り合うような、駆け引きめいたやり取りも必要ない。人格よりも身分を重視されることもない。そして可憐でか弱い存在だ」
「…………庶民の女性を美化し過ぎですね」
庶民の女性だって贅沢が嫌いなわけじゃないと思うわ。王子様が「贅沢」だと感じるようなことが出来るほどのお金がそもそも無いのよ。
そのひとなりの贅沢は、それなりに楽しむと思うわ。誕生日にケーキを食べる、とかね。
素直で裏表がないひとは貴族の女性でもいるでしょうし、感情表現がはっきりしている、というのも良し悪しでしょう。
人格よりも身分を重視、するひともいるでしょうし、「可憐でか弱い」のは身分や地位がそうなのであってそのひとそのものじゃないと思うわ。
逞しい女性、たくさんいるわよ。
だけど。
王族のお家騒動抑止のために長年かけて植え付けられてきたのだろう、庶民女性への認識。
それ、間違ってますよ。と伝えることは正しいことなのか否か。
「あのですね、ラウル王子。貴族の女性は気位が高いのではなく気品があるのですよ。きちんと自己を主張出来て、身嗜みに気を使うことが出来るのです。高慢かどうかは身分の低いひとや使用人への態度で判断できるでしょうし、お金の使い方も合う合わないがあります。そういった主義主張や価値観や趣味が合う女性が、貴族の女性の中にもきっといますよ。ラウル王子も仰ったじゃありませんか。人格よりも身分を重視されるのは嫌だと。ラウル王子も、貴族か庶民かという身分よりも、その人となりを見て判断するべきです」
考えて、私はそう言った。
庶民の女性に夢見すぎよ。だけど、勝手なことを言って王族の教育に携わってきた方々の努力が水泡に帰すなんて恐ろしいじゃない。
だから、貴族の女性に対する認識の方を改めてもらえれば良いかな、と思ったの。
ラウル王子は、にわかには考えを変えられないみたいだったけれど、ブーメランには気付いたようで神妙な顔をしていたわ。
クリーム白玉あんみつもすっかり食べ終わったし、お腹は満たされた。
そろそろお部屋に帰った方がいいわね。
ラウル王子とおしゃべりしちゃったから遅くなったし、パールさんも心配してるかもしれないし。
そう思って戻ることを考えたときよ。
それは視えたの。
やばいやばいやばい。
それは、やばいわ。
なんてことしてくれるの?!
「ヨツバ? どうした」
タカネさんが心配そうに私の顔を覗き込む。
私は、慌ててタカネさんに訴えた。
「タチバナさんを呼んでください!」




