お勉強
自分が、生まれ育った世界とは異なる世界にいるのだと気付いたとき、一番に思ったことは。
言葉が通じて良かった、ということ。
元の世界とこの世界でよく似た言語が発達したってことなのかしら。よく分からないけれど、読み書きも問題なく出来ることは、本当にありがたいと思うわ。
そうでなければ、こちらでの生活は相当に困難だったと思うもの。
歴史や文化の勉強以前に、言葉の勉強をしなくちゃいけないところだったわ。
この世界の識字率ってどのくらいなのか分からないけれど、積まれた教本の中には読み書きの本もあったから出来ないことも想定されていたと思うのよね。
読み書き出来ることが分かったとき、パールさんはとってもほっとした様子だったし。
「では、本日はここまでに致しましょう。次回までにこのページまで目を通しておいて下さい」
「はい。ありがとうございました、ヘイズ先生」
マナー教師のホイル先生に習った通り、歴史教師のヘイズ先生に丁寧にお辞儀をする。
これがなかなか難しいの。
勉強したり、食事をしたりするときってテーブルと椅子が近いでしょう?
立ち上がるには椅子を引かないといけなくて、でもあまり大きな音をガタガタさせるのは良くなくて。
高貴な身分の方はね、お付きの女中さんや執事さんがいて、タイミングを合わせてサッと椅子を引いてくれるからただ立ち上がるだけでいいのだけれどね。
私は…、さすがにパールさんにそこまでやってもらうわけにはいかないじゃない? だから自力で立ち上がらなくちゃいけないのよ。
まあ、でも。ゆっくりならなんとか出来るわ。
そのためという訳じゃあ無いけれど、スカート部分にボリュームの無いシンプルなワンピースを着ているし、先生もちゃんと分かっていて待っていて下さる。
私がお辞儀をするのを見守って、良く出来ましたと微笑んで下さるのよ。
ヘイズ先生は壮年の女性。きっちり髪をまとめていて、姿勢が良くて、少しふくよかで笑うとチャーミング。
いかにも学校の先生って感じなの。
学校…。なんだか懐かしいわ。
部屋を出て行く先生を見送ってこっそりため息をつく。
宿題、多くない?
目を通せって言われたページかなりあるけど。
テキストになってる分厚い歴史書は、お伽話を読んでいるみたいで楽しい読み物なの。だから読むこと自体は苦じゃないのだけれど。
読めば読むほど、なんて言うか、いろいろなことがあったことが分かる訳じゃない?
他国と争ったこともある。国内が不安定だったこともある。最初から今のように平和だったわけでも豊かだったわけでもない。
過去は過去だからといって現在と無関係では決して無く、未来に対しても無責任ではいられない。
テストで高得点を取るための勉強じゃない。
王子の妃なるための勉強よ。歴史をただ知って覚えるだけじゃだめなの。
過去の過ちを理解して、未来に活かすことを考えなくちゃ。
そう思うと責任が重過ぎて気が重いのよ…。
ちなみに、私はまだブラッドリー王子の婚約者として正式に確定しているわけじゃないの。
ブラッドリー王子が舞踏会で私にプロポーズしようとしたことと、国王陛下や王妃様が反対していないことから、「内定してる」ってところかしら。
「お疲れ様でした」
パールさんがお茶を入れてくれたわ。
授業は私の部屋で行われているのよ。マンツーマンだから、広い場所は必要ないしね。
「ありがとう、パールさん」
「少し休憩なさって下さい。夕方はお茶会がありますからね」
ああ、お茶会…。
よく、分からないシステムよね、お茶会。
必要なのかしら、お茶会…。
お茶会そのものは良いのよ。
美味しいお茶。美味しいお菓子。弾むおしゃべり。
いわゆる女子会よ。
楽しいわよ。
楽しい、はずなのだけれどね。
私にとってはこのお茶会もお勉強の場。
純粋に楽しむだけでは済まないところがツライわ。
「それで? レイラ、予算は下りそう?」
あ。スコーンがある。美味しそう…。好きなんだけど、だめね、ボロボロこぼして悲惨になる未来が視えるわ。
「あれはちょっと金額が高過ぎますね。稟議書がないと無理だって言われたのでマデリンに頼んでありますよ、ビアンカ」
ミルフィーユも美味しそうなんだけどなぁ。
絶対無理ね。視なくても分かるわ…。
「作ったわよ、稟議書。でも、ナイト様は捺印して下さるでしょうけれど、オハラ様はどうかしら?」
あ! あれ、和菓子じゃない?
わぁ、かわいい。丸っこいフォルムだけれど4箇所に小さな切り込みが入った薄緑の、練り切りと言われるお菓子。
これ、四葉のクローバーの形よね?
タカネさんが作ってくれたんだわ、きっと。
ちゃんと黒文字もある!
わーい、いただきまーす!
「それは任せて下さい、マデリン。ちゃんと押して頂きますわ」
おーいしーい!
「キャロルの方はどうなの?」
甘いけど甘過ぎない、絶妙な甘さよ。
口溶けも良くて、本当に美味しいの。
タカネさんってなんでも作れるのね。すごいわ。
「王宮や王都に常駐している者は目が行き届くのだけれど地方に駐屯している者は難しいわね」
美味しい。いっぱい食べたい。あん、でも、和菓子を独り占めするのは良くないわよね。
…そうでもないかしら。
みなさん、和菓子は好まれなかったりして。
「美味しいですよね、そのお菓子。マヨイビトの方が作っていらっしゃるそうですけれど、ヨツバさんの世界ではお馴染みのお菓子なんですか?」
隣に座っていたおだんご頭のティナさんがにこっと笑った。
あは。
好まれる方、いたわ。
「私の世界では有名なお菓子ですけれど、馴染みかというとどうでしょうね。日持ちがしないし、練り切りっていうんですけど少し高価なので、私には特別なお菓子って感じです。もっと安価で手軽に買えるタイプの和菓子もあって、それなら馴染みと言えると思いますけれど」
「そうなんですね。私もいただこう。ところで、ヨツバさんはどう思いますか?」
「はい?」
首を傾げたら、キャロルさんも私を見て言うの。
「地方に駐屯している警察機関員の健康管理ですわ。栄養バランスの良い食事をさせたいのですけれど、なかなか地方に住む者までは管理が行き届いていなくて悩んでますの」
ああ、その話。
ちゃんと、聞いてましたよ?
「そうですねぇ…」
黒文字で一口サイズに分けた練り切りを口に入れつつ考える。
「栄養指導が出来る人を育成して地方に派遣、ですかね。あとは定期的に健康診断を行って、健康を維持できているかチェックする、とか」
健康診断は元の世界ではメジャーな健康管理の方法だけれど、こちらではどうなのかしら。
そんなことはもうやってますってことなら、その精度を上げる、とか?
「なるほど、そうね。いいと思うわ。そうなるとまず人材ね。あ、そのお菓子、私も食べたいわ」
キャロルさんが四葉のクローバー型の練り切りを指差した。
「いい案だと思いますけど、またお金がかかりますね…。私も食べますわ」
「まあまあ、レイラ。稟議書が必要なら作るわよ、交渉、頑張って。ねえ、私にもちょうだい?」
「警察機関員の整備は国民の安全のためには欠かせないわ。もちろん、武器の開発もね。頼んでいた部品の仕入れはどう、ティナ? こっちにも回して〜」
「はい、どうぞ。順調ですよ、ビアンカ。配送ルートも決めました」
お茶会は思っていたよりも和気藹々と進んだわ。
ギスギスした雰囲気だったらどうしようかと思ったけれど、全くそんなことはなかったの。
みなさん、仲が良いみたい。
お茶会のメンバーはブラッドリー王子のお妃候補だった5人の令嬢と私。
マナーとか、お茶会そのものに私が慣れることと、そして5人の令嬢との交流、情報交換と共有が目的よ。
みなさんの話を聞いていて、つくづくすごいと思ったわ。みなさんそれぞれもそうなんだけど、ブラッドリー王子が、ね。
結婚適齢期が近づくと、お妃候補を選抜しお妃教育をしながらより相応しいひとを選ぶ、というのは王宮の慣習だそうよ。
理系に強く武器の製作・開発に関心の強いビアンカさん。文書の作成・管理が得意なマデリンさん。数字に強く、経理的なことや交渉ごとが得意なレイラさん。料理や栄養に詳しく健康管理の知識が深いキャロルさん。地理に詳しく、あらゆる物の産地や流通を把握するティナさん。
それぞれの特技は生家の事業と強く結びついているわ。
そして、ブラッドリー王子は国内の治安維持を担当する警察機関のトップ。
ブラッドリー王子にとってはどのひとも、とても重要で有益。
つまり、どのひとと結婚することになってもプラスアルファの何かがあるのよ。
それはお金とか身分とか、そういう漠然とした物ではなくて、具体的で実効性のあるものよ。
さらに、結婚しなかったひとたちとも友好な関係を築いておけば、全てのプラスアルファが手に入るわ。
そして実際手に入れている。
家柄も人柄も王子様のお嫁さんとして申し分なく、かつ、警察機関のトップという立場にとっても有効なひとたち。
しかもね。話をしていると分かるのよ。みんな、ブラッドリー王子のことが好き。
花嫁に選ばれたなら、きっと喜んで嫁ぐと思うわ。
でも、どちらかと言うとその気持ちは尊敬や敬愛といった意味合いが強いように思うわ。
前にキャロルさんが「いい友人関係」だと言っていた。
きっと、本当にそうなんだと思うの。
すごいと思うのは、おそらく意図してそういう関係を作ったのだろうということよ。
彼女たちの中から妃は選ばない、と最初から言われていたと誰かが言っていたもの。
好かれ過ぎず、だけどこんなに慕われている。
絶妙な距離感を保って接してきたんじゃないかしら。
だから誰も、選ばれなかったからといって、可愛さ余って憎さ百倍なんてことにはならないの。
すごく、強かなひとだと言えるわよね。
最初から「選ばない」と宣言していなければ、結婚詐欺よ。
ただ。
私はこっそりティナさんを盗み見た。
時折見せる寂しげな微笑。憂いを含んだ瞳。
その瞳が私を見るとき、切なげな影が落ちるように思えて気になった。
そうして。
「このお菓子本当に美味しいわね。見た目も美しいし、気に入ったわ! 次も作ってもらいましょう」
ビアンカさんの声にお皿を見ると、四葉のクローバー型の練り切りは全て無くなっていたの!
あああぁ…。
美味しかったものね、タカネさんの練り切り。
故郷のお菓子がみなさんにも好評だったことは嬉しいけれど。
くすん。
1個しか食べられなかったわ…。




