花嫁修行
坪庭に、小さなサツキが植えられていた。
「サツキちゃん、帰れて良かったね」
ひとつだけ花をつけたサツキ。その鮮やかなピンクをぼぅっと眺めていたところに、やって来たのはヒレンさんだった。
「良かった、でしょうか?」
ブラッドリー王子には言えなかった。サツキさんが帰った世界は、災害に見舞われるのだということを。
そしてそれを、私が知っていたということを。
あのとき、一瞬だけ見えたわ。崩れ落ちる家屋と、燃え上がる炎。
死地に送り返してしまったことになるのではないか。
その思いは大きな杭のように深く胸に刺さっている。
「良かったでしょ。あんなに帰りたがっていたんだから。僕はそう思うけど」
穏やかで柔らかな、いつもののんびりした口調でヒレンさんが言うの。
「でも…」
「俺も良かったと思うぞ。ヨツバは地震のことを気にしてるのか?」
タカネさんが土鍋をテーブルに置きながら言ったわ。
すごい湯気。
なんのお鍋かしら。
タカネさんがさっと蓋を開ける。
中を覗いて、ヒレンさんがふわんと笑ったわ。
「う雑炊かい? 美味しそうだね」
う雑炊?
「食欲が無さそうだから、元の世界の美味しいものを食べさせてやってくれって、ヨツバのとこの女中が言ってきたからな。ほら、ウナギを使った雑炊だ。ゆっくりで良いから食え」
「パールさんが?」
体調が悪いわけじゃないし、ちゃんと食べてるつもりだったけどな。
だって、気は塞ぐけどおなかは空くもの。
タカネさんはお椀に雑炊を3人分よそって、自分も座布団に座ったの。
レンゲに似たスプーンで熱熱の雑炊を口に運ぶ。
「美味しい…!」
何の出汁だろう。よく分からないけどお出汁が効いててウナギの甘いタレの味がほんのり口に広がるし、ウナギは柔らかくてでも身はしっかりしていて、とにかく美味しいの。
「当然だ」
職人気質なタカネさんはふふんと満足そうに頷いた。
「サツキは全部分かった上で帰りたいと言ったんだ。本望だろうさ」
「そうだね。普段は控え目で人の物を欲しがったりする子じゃなかったのに、あんなに必死に帰りたいって言ってたんだもの」
あんなに必死に? ヒレンさん、見ていたの?
確かに、サツキさんが望んだのよ。だけど、だからって割り切れないわ…。
「ヒレンさんたちは、あのとき?」
「いたよ、あのホールに。見てた。あのさ、サツキちゃんの旦那さんの話、聞いたことある?」
「少し。楽器を教えてくれた人だって」
「そう。サツキちゃん、結構大変な子供時代を過ごしてきたらしいんだ。その大変なところを助けてくれたのが旦那さんなんだって。だいぶ歳が離れているみたいだよ。恩人でもある旦那さんのこと、すごく想ってた。地震が起こることが分かったからこそ、尚更帰りたかったんじゃないかな。旦那さんを助けるためにね」
「それに、地震が起こると分かってるんだ。サツキのことだから、策を立てて難を逃れているんじゃないか?」
難を逃れて…。
ああ、そうね。
いつかの占いのお客さんみたいに、未来が見えなかったわけじゃない。
ちゃんと、サツキさんの未来はあった。
その未来は困難なものになるだろうけれど。
きっと、旦那さんと力を合わせて窮地を切り抜けるに違いない。
サツキの花が風に揺れた。
彼女が奏でる弦の音が、聞こえた気がした。
ヒレンさんとタカネさん、2人のお陰でだいぶ気持ちが楽になったわ。
サツキさんのこと、良かったんじゃないかってようやく思えるようになったの。
そうしてお部屋に帰るとき、何だかイヤな感じがしたのよね。
ほら私、視えてしまうでしょう?
なんかね、困っている私自身が見えたの。
だけど何に困っているのか、はっきりは分からなくて。
勉強してる…?
なんで? いったい、なんの勉強してるのかしら。
勉強って嫌いじゃないけど得意じゃないのよ。
理由や目的によっては、ちょっと、やだなぁ。
だけど、命の危険があるってわけじゃないし、お部屋に戻らないわけにもいかないでしょう?
避けられる類のものでも無さそうだし、恐る恐るお部屋に戻ったわ。
「お帰りなさいませ、ヨツバ様」
いつも通り明るい笑顔で迎えてくれたパールさんに挨拶を返そうとして、それが目に入ったの。
「パールさん、これは…」
書物机に積まれた厳しい書物の数々。
厚みがえげつないわよ。15センチくらいありそう…。
「先程、王宮の、文化や伝統を守る担当部門から届きましたの。ウィーズルの歴史や文化、算術やマナーなどを学んで頂くための教本ですわ」
「はい?」
ウィーズルの歴史、文化?
学ぶの? 私が?
「王宮のしきたりやならわしなども覚えて頂かなくてはなりません」
王宮のしきたり…。それって、まさか…。
「ブラッドリー殿下の婚約者として、必要な教養を身につけましょうね?」
パールさんったら、満面の笑みでそんなこと言うのよ。
ブラッドリー王子の婚約者。
私、婚約したことになるのかしら?
でも、まだ、私、結婚なんて身近に考えられない…、のよね。
しかも王子さまと、なんて冗談みたい。
ブラッドリー王子が言ってくれたみたいに、今心配しているだろう家族が望んでいること、つまり、私が元気に幸せに暮らすこと、を心掛けたいと思うの。
いつか、本当に帰還の魔法石が見つかって、どちらかを選択したとき、それがどちらであっても決して後悔したくないもの。
帰還の魔法石が見つからない可能性もあるしね。
結婚はね。いつかは…、とは思うわ。
いつか、このひととずっと一緒に、ともに手を取り合って生きていきたい。同じ物を見て同じ物を感じて、一緒に時を重ねたい。そう、思えるひとと。
そうね。ブラッドリー王子みたいな素敵なひとと結ばれることが出来たら、きっと幸せなんじゃないかしら。
だけど、相手は王子様よ。結婚したら、私、王子様の妻になっちゃうのよ。
大丈夫なの、私で?
「私、ブラッドリー王子が好きー!!」って気持ちだけで、結婚なんて大事なこと決めても良いものなの?
やり直し不可よ? たぶん、不可よ。
勢いで決めてしまって、いいと思う?
「ヨツバ様? どうなさいました?」
ええ、まあ、ぶっちゃけて言うと、怖気付いているのです。
結婚そのものにも、その相手が王子様だってことにも。
ああ、思い出す。
舞踏会で聞こえてきた、数々の陰口を。
「…ねえ、パールさん。ブラッドリー王子にはお嫁さん候補のご令嬢がいらっしゃるでしょう?」
「はい。いずれ劣らぬ、見た目も美しい才女ばかりですが、ヨツバ様とて遜色ございません。堂々となさいませ。なにしろ、ブラッドリー殿下から王子紋のアクセサリーを譲られたのはヨツバ様だけなのですから!」
うふふふふ、とパールさんは誇らし気に笑ったわ。
いえ。遜色、あるわよね。
さすがにそこで頷けるほど図々しくないわよ、私。
「…それって、これのことよね? これって何か意味があるの?」
「まあ。ヨツバ様はご存知無かったのですか? 王族の皆様はそれぞれご自分の紋章をお持ちなんですよ。そのネックレスはブラッドリー殿下の紋章を象ったものです。紋章は信頼のおける大切なもの、ひと、に与えられます。与えられれば大変な誉れです。例えば、近衛兵はそのユニホームにお守りする王族の紋章を戴きます。ブラッドリー殿下は王族の中でも取り分け紋章を与えたものが少ないのです」
パールさんは私の首のネックレスを見て、また、うふふと笑ったの。
どうしてそんなに嬉しそうなんだろう…。
「異性にアクセサリーとして贈られた場合は、さらに特別な意味を持ちますわ」
「特別…?」
「はい。特別にお気に召された、ということです」
…あはは。
「……占いの腕を見込んで、くださったのよ?」
確かに、気に入ってはくれたのだろうけれど。
パールさんが思っているような意味では無いと思うの。
でも、パールさんは首を横に振ったわ。
人差し指を立てて、「ノン、ノン!」って言いそうな雰囲気よ。
「技術に対する評価であれば、ブローチの形が一般的です。ネックレスなどのアクセサリーは「特別」なのですわ!」
…なるほどねー。
つまり、クリスさんたちの認識が概ね正解ってことね?
お手は付けられてませんけれども。
どちらにしても王子様のお気に入りって意味みたいだし、そりゃあ、悪徳ハンターさんを退けるには十分だわよ。
でもこれ、出会ってわりとすぐにくれたのよ。
そんなにすぐに、そんな風に気に入ってくれたのかしら?
……………なんで?
「でも、王族の男性は「野の花を手折ってはならない」って厳しく教えられると聞いたわ」
「そうなのですよ。あの、これは参考程度に聞き流してくださいね。実は数代前の国王様が色恋に対してとても大らかでいらっしゃって。王妃様以外の女性にも広く愛情を注がれたのです。その結果、まあ当然ですが沢山の御子様がお生まれになりました。そのとき問題になったのが庶民の女性との間に生まれたお子様です」
ふむふむ。これはアレね。
国王陛下が仰っていた、スロース国とは真逆の歴史ってやつね。
「生母様とお子様はともかく、親戚だと申し出る者が後を立ちませんで。小さなお子様の権利をめぐって大変な諍いに発展したのです。そういったお子様は1人や2人では収まらず、本当に権利を持つ者は誰なのか、きちんと調査を行うのは至難の技だったと聞きます」
「それは、…大変ね」
「しかも、王妃様にもお子様がいらっしゃいましたから…。王妃様が直接何かをした、ということはないのですが王妃様を慮って、まあいろいろとあったようですわ。庶民の母親はそうとう肩身の狭い思いをしたようです」
「なるほど」
「当時、王宮に出入りしてた貴族の令嬢や女中の中にも、国王陛下がお手をつけた女性がいました。結局、子を成したものについては、身分にかかわらずみな、十分な生活費を与える代わりに王族としての権利を放棄させたのです。後の争いの火種を潰したのですわ」
王族としての権利を放棄…。
それは、王位継承権を、ということかしら。
「このとき、特に辛い思いをされた方がいらっしゃったそうですわ。その方が庶民の女性だったので、同じような思いをする女性を無くすために、庶民の女性に対して慎重に接するよう厳しく指導するようになったのです。庶民の女性はか弱く傷付きやすく繊細であると。その姿がいかに可憐で美しくても容易に近付いたり、汚してはならないと教えられます」
それが「野の花を手折ってはならない」という教えになったってことね。
表向きは庶民の女性を傷つけないようにするため、その実は庶民の女性を妻に迎えた場合の面倒ごとを無くすため、ってところかしら。
「王族や貴族の男性の中には、庶民の女性の気安さ、心の強さ、気取りの無さを新鮮に感じる方が少なくないようですわ。感情表現もストレートで分かりやすいと好まれるようです」
「それはそれで、庶民の女性と結ばれることがあっても良いのでは?」
「もちろんです。ですが、貴族ましてや王族と庶民とでは文化が違います。王族の文化に馴染んでくだされば良いのですが、「いい」と感じるものが異なる場合、なかなか上手くはいかないのですよ。第一王子では無いとはいえ、王子の妃というものはただ着飾って王子の隣でニコニコしていれば良いというものではありません。張り切り過ぎて、庶民の感覚で王宮内を改革しようとするのもよろしくありません。周囲が求めるものとご自分の主張、上手にバランスを取らなければ、ご本人も周りの者もストレスを感じるばかりです。やがて、軋轢が生まれます」
難しいのね…。
パールさん、意識してるかしら。私ってきっぱり庶民なのよ。
その話でいくと、私やっぱり王子様の婚約者としては相応しく無いのではないかしら?
それに、王子の妻って何をするの?
「えっとね、私も野の花の側よ? 貴族や王族の文化もお妃様の役割も分かってないわ」
上目遣いにパールさんを見たらね、パールさんはにんまりと笑ったの。
「ヨツバ様は守護者ですもの。身分については問題ありません。失礼ながらマヨイビトでいらっしゃるので、無関係の者が親戚を騙ることも出来ません。それに、とても素直な性格でいらっしゃいますから、新しいことを身に付けることもそれほど難しくはないと思いますわ。王族の文化や妃の役割に興味を持って頂けて何よりです。立派なお妃様になるために、しっかりお勉強致しましょうね!」
あん。やぶへび…。




