候補者
「好きなだけお泣きなさいな。我慢することはありませんよ」
ふかふかの巨大なクッションに埋もれて、ただ泣いた。
なんで涙が出るのか。どうして泣いているのか。
もう、わからない。
悲しいのか、苦しいのか、それも分からない。
一体、なにに傷ついているのだろう。
帰れなかったから?
うううん。だって、そんなに帰りたかった?
サツキさんを帰してしまったから?
…そうね。あれで良かったと、言い切る自信はないわ。
帰らなかったから?
………………………………。
泣いて泣いて泣いて。
不思議ね。湧き出る泉のように、涙が次々と出てくるのよ。身体中の水分がみんな涙になってしまったのかしら。
このまま泣き続けたら、その内、干からびてしまうんじゃないかと思うほど。
柔らかなクッションからクチナシとベルガモットの香りがするの。
とても、落ち着く。良い匂い…。
深く吸い込むと、心の内側に向いたトゲトゲした何かが、こそげ落ちていくみたい。
甘い香りと清々しい香りに包まれて、いつしか眠りに落ちていた。
ふと。
密やかで、それでいて楽しそうな話し声に、ぼんやりと目を開いていたみたい。
近くもなく遠くもない位置で、ちゃぶ台のような低い丸いテーブルを囲んだ6人の女性が、床に置かれた大きなクッションに座って談笑しているの。
ほのかなランプの明かりに照らされた彼女たちは、まるで絵画の妖精のよう。
綺麗なひとたち…。
「あら。気がついた?」
私の方を向いて座っていた女性が、目を覚ました私に気がついて言ったの。
…あれ?
あの女性は…。
………………頭が見たものを否定したがっているけど、無理よ。見間違いようがないもの。
夜会巻きにされた豊かな髪。誰かを思わせる凛々しい瞳。凛とした、鼻筋の通った美貌。
「…王妃、様」
がばっと飛び起きたら目眩がした。
あ。視界が回る…。
「まあまあ、大丈夫? 急に起き上がるからよ。さあ、こちらへどうぞ」
一番近くにいた女性が大きなクッションをひとつ、隣のひととの間に置いてぽんぽんと軽く叩いたの。
………そこに座れってこと?
躊躇うわ。だって、場違いじゃない、私?
う。みんなが私を見つめてる。私がそこに座るのを待ってる様子、よね?
おずおずと用意してくれたクッションに座ったわ。
我ながら、怖々…って感じに見えたと思う。
はっきり言って、状況が理解できない。
「喉が渇いたのではない? さあ、カモミールティよ」
あ、ありがとうございます。
「あら、髪が絡まってしまってるわ。少し、触っても良いかしら?」
あ、はい。大丈夫です。
「はい。冷やしたタオルですよ。まぶたに当てておくと良いですよ」
ありがとうございます。ひんやりして気持ちいいです。
「ババロアはお好き? 二種類あるのだけれど、見えないわね。良いのよ、そのまま冷やしていて。両方とも盛っておくわ」
え? あ? え? ババロア?
「着替えも用意していますからね。そのドレスでは寛ぎ難いでしょうから、後で着替えましょう?」
何から何まで…。痛み入ります。
ところで、みなさまは、どなた様?
おしぼりで顔を拭くお父さんみたいで恥ずかしいけれど、押し当てるようにして涙で汚れた顔を拭ったわ。
そうしてそうっと伺い見ると、たおやかに微笑んだ王妃様と目が合ったの。
「こちらはいずれも公爵家もしくは侯爵家の、ブラッドリーの妃殿下候補だった令嬢たちです。みな優秀な女性ですから、学ぶべきところは多くあるでしょう」
は?
ブラッドリー王子の、妃殿下候補?!
妃殿下って、つまり、お嫁さんってこと?
こんなに綺麗でスタイルの良い女性が5人もお嫁さん候補なの?
なんて贅沢な…。
だって本当にみんなすごい美人なのよ!
おまけに揃いも揃って胸が大きくてウエストが細いってどういうことよ! ズルくない?!
寄せて上げてるにしたって、私には作れないボリュームだわ。
大きく開いた胸元から覗く肌が桃みたい。
柔らかそう。触ってみたいわ………。
ん? ちょっと待って?
「だった…?」
つい、口から出てしまったわ。
「ええ。ブラッドリーはあなたを選んだので彼女たちはお役御免よ。けれど、みなとても優秀なので、それぞれの希望に合わせて王宮内の役割を担ってもらうことになっているの。あなたにとっても助けになるひとたちよ。頼りにすると良いわ」
「……………………」
待って待って。ちょっと待って。
ブラッドリー王子って、こんなに美人揃いの候補がいるのに私を選んだの?
本当に?
確かに、プロポーズじみたことを言われたし、あ、愛してる、なんてことも言われたけども。
「何かの間違いじゃ…。それに、私は身分が」
「…ブラッドリーに甲斐性がないということがよく分かるわね。身分を気にすることはないわ。あなたは守護者だもの。どの爵位にも引けを取りません」
前半なんて仰ったのか聞き取れなかったけれど…。
守護者って、爵位と並ぶようなものだったの?
そう言えば、ダネルさんが話の中で、私なら身分を気にすることは無いって言っていたのよね。
あのときはライシャさんに会う前だったと思うけど、ダネルさんは私が守護者だと予測していたってことかしら。
ブラッドリー王子も…?
「…でも、みなさんみたいに綺麗な方々を差し置いて私が?」
ブラッドリー王子って、嗜好が少し変わっているのかしら…。
「私たちのことは、気にする必要ないのよ」
そう言ったのは、長いウェーブ髪のきりっとした美人さん。いかにも理系って感じのお姉様よ。
「私はビアンカ・ビショップ。よろしくね」
「マデリン・マーズです。そう、気にすることは無いわ。殿下は私たちの中からは選ばないと早くから仰っていたんですから」
絹のように美しい髪のストレートロングさんが言ったわ。
「そうそう。だから私、王宮に就職するつもりで来たんです。あ、レイラ・レッドグレイヴです」
エアリーなミディアムレイアーさん。ちょっと、ミステリアスな雰囲気があるわ。
「殿下とは信頼のおける友人関係なのよ、私たち。ちゃんとご自分に必要な人選をしていらっしゃるわよね。憎らしいくらいに。私はキャロル・キンケードよ」
ふふふ、と笑うのは後れ髪が色っぽい、ムードのある編み込みさん。
「ティナ・テンプルよ。そうね。今思えば、殿下は始めから妃殿下としてでは無く、王宮の業務に相応しい者を求めていらっしゃったきらいがありますもの」
ゆるやかなおだんごさんからは、微かな憂いを感じたわ。
はふっ、と王妃様がため息をつかれた。
「我が息子ながら酷いわね。結婚が希望なら、ブラッドリーよりももっと良い物件を見繕うわよ」
「あら。ふふふ。王妃様、それはいずれ是非」
編み込みさんがすかさず言うと、私も私もと他の皆さんが続いて、王妃様ははいはいと応じていたわ。
おだんごさんだけが、にこにことそれを眺めていた。
「さあ、そんな難しい顔をしていないで。お上がりなさいな」
長いウェーブさんにくすりと笑われてしまった。
うーむ。無意識に「考える人」のようになっていたわ。
結局、どういうことなの?
この美女さんたちは妃殿下候補だけど、その実は王宮に有益な実力者で、ブラッドリー王子もご本人たちも認識は一致していて?
「可愛らしいひと」
うふ、っとおだんごさんが笑った。
「…………………」
照れちゃいます。
なんか、考えてたことが何処かに飛んでったわ。
「さあ、お話しましょ! 私、あなたとお話がしたかったのよ。ブラッドリーが自紋のネックレスをあげたひとがいるって聞いていたのに、ちっとも会わせてくれないのだもの」
みなさんね、微笑ましいものを見るような目をしているのよ。
子猫や子犬を見るような、ね。
嫌じゃないのかしら。
私なんかがブラッドリー王子に選ばれて。
っていうか、私、選ばれて良いの?
あのプロポーズらしきものに、返事、してないけどね?
…みなさん、経緯はわからないけれど、そもそもはブラッドリー王子の妃殿下になることを目指していたのではないの?
みっともなく大泣きしたからかしら。
それとも私が年下だからかしら。
とても優しくしてくれるの。
なんだかよくわからないままに、美味しいお茶と美味しいデザートとおしゃべりを楽しんだわ。
時間を気にしていなかったけれど、しばらくして私また寝ちゃったみたいなの。
気がついたら夕方だったわ。またしても、よ。
だけど。
甘いデザートを食べて、甘い香りのハーブティーを飲んで、関係のないおしゃべりをしてたっぷり眠ったら、少し気持ちの整理が出来たみたい。
それから迎えに来てくれたブラッドリー王子に連れられて王妃様のお部屋を辞したの。
王妃様は、またお話しましょうと、気さくに仰ってくださったわ。
そういえば、目を悪くしてらっしゃると聞いたけれど、その後お加減はどうなのなしら。
お話している間は、不自由そうには見えなかったけれどね…?
ブラッドリー王子は午前中に一度とお昼過ぎに一度、迎えに来てくれていたらしいわ。
私が爆睡していたから、王妃様のお付きの方に追い返されてしまったみたい。
もうね、本当に、面目無いわ。
「落ち着いた?」
「はい。すみませんでした。取り乱してしまいまして」
「…………少し、寄り道をしよう」
「はい?」
ブラッドリー王子は私の手を引いて、西の塔に登ったの。ゆっくりだけど、かなり階段を登ったわ。
「わあ…!」
塔の上には小さな部屋があって、窓から景色が見渡せたの。
遠く稜線の向こうに夕日が沈んでいく。
オレンジとピンクがまだらに染める空が綺麗だった。
「昔から、嫌なことがあったり、思い悩むことがあるときに、よく登ったんだ」
「………………」
隣に立つブラッドリー王子が暮れていく空を眺めながら言うの。
「思うことがあるなら、聞かせてくれないか」
「………………」
思うこと…。
あるわ。でも、言葉に出したら、また取り乱してしまいそう。
「…じゃあ、俺の話を聞いてくれるか?」
ブラッドリー王子の話? なあに?
見上げるとブラッドリー王子は自嘲気味の笑みを浮かべていた。
「帰還の魔法石が見つかったと報せがあったとき、俺はヨツバを失うことを覚悟した。あのとき伝えた通り、たとえ側にいられなくても俺の気持ちは変わらない。だが、光が収まったその場所にヨツバの姿を見て、嬉しかった」
少しずつ空の紫が濃くなっていく。
小さく星が瞬き始めた。
「俺のために残ってくれたなどと自惚れてはいない。けれど、泣きじゃくるヨツバを見て、俺は喜んだことを恥じた。ヨツバを愛していると言ったのに、そのヨツバがこんなにも苦しんでいる状況を嬉しいと思ってしまったことが情けなかった」
ブラッドリー王子はそっと私の髪を撫でた。私がそこにいることを確かめるみたいに。
「それでもやはり、こうして今目の前にヨツバがいることを嬉しいと思っている。そのためにヨツバが多くのものを犠牲にしたことを分かっているのに、な」
痛ましそうなその瞳を見ていることができなくて、私は俯いた。
「そんなにも辛い思いをして、でも、ヨツバはサツキにあの石を譲ったんだな」
「それは、私が優しいからじゃないわ」
みんなが優しくしてくれる。
それこそ、腫れ物に触るように。
それはきっと、元の世界に帰ることの出来るチャンスを、私が優しさからサツキさんに譲ったと、そう、思っているからだわ。
私自身も帰りたいのを我慢したのだと。
でも、そうじゃないの。
「ヨツバ…」
「私は、サツキさんの思いを押し除けてまで帰りたいと思う強い気持ちがなかった。サツキさんにご主人がいるように、私にも両親と兄がいる。きっと心配してるわ。探してくれているに違いないのに、帰るチャンスがあったのに、そうしなかった。私は親不孝の薄情者だわ」
あれから一体何日? 何ヶ月経ったの?
うちはごく普通の家庭で、特別裕福でもなければ貧乏でもない。毎年のように海外旅行に行くような贅沢はしたことないけど、明日のご飯に困るような困窮も無かった。
両親はほどほどに仲が良くて、兄は団欒にいたりいなかったりで。
でも、いなくなった私を、勝手にいなくなったのだから知らないって忘れてしまうようなひとたちじゃない。
可愛がってくれていたもの。
溺愛されてたわけじゃないけど、普通に愛されて育ったわ。
あちこち探し回っているのではない?
眠れない夜を過ごしているのでは?
ご飯はちゃんと食べている?
「せめて、元気でいると、伝えられたら良いのに」
いっそ、帰還の魔法石なんて見つからなければ良かったのよ。
そうすれば、帰れないのは仕方がない。私のせいじゃない、って言えたのに。
もう、出し尽くしたと思ったのにね。
こぼれ落ちた涙を暖かな手が拭ってくれた。
「そんな風に考えるな。ヨツバに幸運の名をつけた両親だ。自分たちの娘が、その名の通り幸運を引き寄せ、困難を打開し、道を切り開く強さを持っていると、きっと信じてる。言葉で伝えることが出来なくても、いや、伝えられないからこそ、両親と兄が願っているだろうことを叶えよう?」
いつしか力強い腕の中に包まれていたわ。
「ヨツバは俺のわがままに付き合って、仕方なくこの世界に残った。そう、考えればいい」
ブラッドリー王子の腕の中は暖かで安らかで心地良い。
「帰還の魔法石を探そう、ヨツバ。ひとつあったのだから、必ずほかにもある。わがままに付き合わせた詫びだ。見つけ出してみせよう。それまでに、魔法石の使用期限を凍結する技術を開発させる。ヨツバが帰りたいと思ったときに帰れるように。だけど、出来ればヨツバ。俺が死ぬまでは側にいて欲しい」
優しく甘く強く、囁きが耳を打つ。
「帰還の魔法石はマヨイビトがこちらに来た、その場所その時間に帰してくれる。俺の死後でも、発動すればこちらに来る前の時間に戻れる。ヨツバが心配している、家族の苦しみも無かったことになる。だから…」
暖かな腕の中、私は言葉の代わりに強く強くその背を抱きしめ返した。




