邂逅
開かれた扉。その瞬間聞こえてきたメロディに、胸が熱くなった。
さくらさくら。
弦を爪弾く緩やかな旋律。
懐かしく優しく、記憶を揺蕩う波紋のような音色。
奏でているのは、長い黒髪の、前髪を切り揃えた、日本人形を思わせる女性。
驚いたわ。着ているのは着物なのよ。椅子に座って、大きな琵琶のような楽器を抱えているの。
サツキさん?
あの方、サツキさんでは?
聖女のサツキさん。私と同じ、マヨイビトの。
思わず足を止めてしまった私を、ブラッドリー王子が優しくエスコートしてくれたわ。
いけない。
国王陛下の御前だった。
厳かな雰囲気のこのお部屋は謁見の間。
慌てて足を進めて、ブラッドリー王子に倣い、教わった通りに礼をする。
ゆっくりと玉座を見上げると、穏やかな表情の国王陛下と目が合ったわ。
そしてちょうどそのタイミングで弦の響きが鳴り止んだの。
「先だってのビースト討伐、見事であった。そなたの活躍のお陰で、被害を最小限に留めることができたと報告を受けている」
深みのある豊かな声が、労いの言葉を告げる。
「…ありがとうございます」
国王陛下から労いの言葉やお褒めの言葉を頂いたら、ヘンに謙遜したり恐縮したりせずに、「ありがとうございます」と受けるように言われていたけれど。
恐縮するわよ!
声が震えちゃうわっ。
我ながら、ぎこちなくてみっともないと思うけど、国王陛下は鷹揚に私をご覧になっていたわ。
国王陛下のすぐ右後ろにサリーのような衣装を纏った女性がいてね。何かを国王陛下に耳打ちしたのよ。
そうしたら、かすかに口元に笑みを浮かべられたの。
わぁ。
笑い方が、ブラッドリー王子と似てる…。あ、違った。ブラッドリー王子が国王陛下に似てるのか。
「ビーストに関する、そなたの助言は今後の事業の大きな助けとなるだろう。感謝している。今後も我が国の発展に協力して欲しい」
有り難くももったいないお言葉。
それほど大したことは出来ないけれど、それでも、出来ることは精いっぱいやらせて頂きますね。
あ、えーと。
「頑張ります」
ふふ、と忍び笑う声がすぐ近くから聞こえたわ。
あら?
なにかしら、ブラッドリー王子様?
ちらりと盗みたけれど、素知らぬ顔をして見せるのよ。
もう。なんで笑うのかしら。
うん?
………国王陛下にも、笑われている気がするわ。
「近く、お披露目の宴を開かねばな。楽しみにしているといい」
「お披露目、ですか?」
「そうだ。皆が待ち望んでいた守護者が現れたのだからな。皆も喜ぶだろう」
「………………」
なるほど、そうか。
さっきの、サリーの女性が予言者のライシャさん。
耳打ちしていたのは、判定の結果を伝えていたのね。
守護者。
ビーストの被害からこの国を救う者。
ライシャさんは、マヨイビトのひとりが守護者であると予言した。
私がその守護者だと、言われることは分かっていたわ。
「予言者の判定、ですか?」
昨日の夕方、ブラッドリー王子とセスさんが部屋に訪ねてきたの。
そうして言われたのよ。予言者の判定を受けるように、と。
「急なことで申し訳ないが、明日、国王陛下が時間を取れることになったんだ」
「前にも話したよね? いずれ王宮で守護者の判定を受けてもらうことになるって」
そう言えば、言われたような気がするわ。
「ヨツバは守護者の条件に当てはまるからな。心配しなくてもいい。そう時間はかからないから。予言者ライシャが、国王陛下と謁見している間に判定を済ませる」
ブラッドリー王子にそう言われたとき、視えてしまったの。だから、私が守護者だと言われることは分かっていた。
だけど、ねぇ?
私が、守護者?
国1番の予言者であるライシャさんの予言を間違いだと言える根拠なんてないけれど。
正直に言うと、荷が重い。
だって、ビーストを倒すお手伝いはしてきたけれど、実際に倒していたのは私じゃないもの。
だけど国王陛下はね。私みたいな小娘の、尻込みする気持ちなんてお見通しで。
「不安に思う必要はない。この国はビーストによって栄え、同時にビーストによって脅かされて来た。ビーストの脅威をどう拭い去るかは長年の課題だったのだ。そなたはその課題に、ひとつの答えを示した。その手にビーストを倒す力を持たずとも、そなたの示した答えはこの国をビーストから救う可能性が大いにある。それだけで十分、守護者の名に相応しい。気負わずに、これまで通り頑張ってくれれば良い」
そう、仰せられたの。
さすが国王陛下よね。度量が大きいと思わない?
お前は守護者だ。だから国を守れ。なんて言われたらどうしようかと思っていたけれど。
守護者だから、とかそういう責任めいたものは求められていないんだわ。
これまで通りでいい。
そう言ってもらえてほっとした。
「はい!」
元気よく答えると、国王陛下は少し微笑んで頷かれたわ。
そうして、手にしていた扇の先をご自身の左耳に触れさせたの。
これって何かの合図なのね?
控えていた女中さんや執事さん、サツキさん、護衛の方と思われるひとすらささっと部屋から居なくなったわ。
お部屋に残ったのは、国王陛下とその横に立つ、ちょっと怖そうなオジさん。後で、宰相だと教えてもらったわ。
そして私と、ブラッドリー王子だけ。
ブラッドリー王子は迷う様子があったのだけれど、国王陛下とアイコンタクトの後、残ることになったみたい。
国王陛下は少しだけ砕けた調子になって、仰ったわ。
「本来ならばクーデター阻止の功績も讃えねばならないのだが。少々事情があってな。こちらは公にすることができないのだ。すまないな」
「! いいえ、とんでもありません」
国王陛下は優しく微笑んで下さったわ。
なんて言うか。こんなこと思ったら失礼かもしれないけれど、素敵ね、陛下!
渋くて、一見強面なんだけど微笑むとそこはかとなく色っぽくて、そして目元がとても優しい。
思わずうっとり見つめてしまったわ!
「リカルドは可哀想な身の上でな。留学という名目でやって来たが、実際には亡命して来たに等しい」
「亡命…」
スロースの国にいられない理由があるってこと?
王子様なのに?
「スロース国は過去に流行病で多くの王族が命を落としている。その際、国を継ぐ者の選定に苦労した歴史を持つことから、王は多くの子を成すことを求められるようになった。苦労するのは王よりも周りの者だからな。その結果、跡目争いが激しく行われることとなったが、後を継ぐ者がいない事態よりはお互いに競い合い切磋琢磨して、強く賢く、もっとも王に相応しい者がその座につくことを良しとしているようだ」
跡目争い。
つまり、その争いが原因でリカルド王子は国を追われた、ってこと?
「我がウィーズルは真逆の歴史を持っていてな。真逆だが、後継者問題の難しさは共通するものがある。リカルドは、二度と祖国の地を踏むことは無いだろう。故に、この国から追い出すには忍びない」
リカルド王子はスロース国に戻れば命の危険がある、ということなのかしら。
確か、バリーさんが言っていたわ。
リカルド王子は祖国に帰れない、と。
だから、彼らが企てたクーデターそのものを無かったことにする、ということ?
公にすれば不問に付すというわけにはいかない。
きっと、国民も納得しないわ。
だけど、断罪も国外追放も出来ない。
でも、それだけではないのではないかしら?
国王陛下は仰らないけれど…。
表向き、なのか公然の秘密、なのかはともかく、留学の名目で滞在している他国の王子にクーデターを起こされるなんて、外聞が良いとは言えないでしょう?
クーデターは阻止することが出来たとは言え、王の求心力、統治力、国民を導く資質に問題ありと他国に判断されかねないと思うのよ。
ウィーズルは国が乱れ弱っている、なんて他国に思われるのは良くないわよね?
考えを巡らせていたらね。
ふ、と国王陛下が口の端を上げられたの。
なんだか急に凄味が溢れ出たように見えて、目を見張ったわ。突然雰囲気が変わったと言うか…。
「思っても口に出さない聡明さは美点だが、口に出さずとも表情に現れるのは愛嬌と見るべきか。まだ若いし、伸び代はあるのであろうな」
あら、やだ。
顔に出てました?
あくまでも、周りの国からそう思われてしまうのではないか、という可能性を考えただけで、私がそう考えているわけではないのですよ?
王宮への不満が高まった理由は、そう仕向けたひとがいるからだと分かっていますし。
ええっと…。
「………精進します」
セスさんに、ポーカーフェイスのコツを教えてもらおうかしら。
国王陛下はくすりと笑って頷かれたわ。
雰囲気も、砕けた元の調子に戻られて、そして仰った。
「期待しよう。クーデターを阻止したそなたの働きは、主だった王族や中央の権力者は理解している。いずれ、その功績には報いよう」
「ありがとうございます」
「ところで、今、王宮には5人のマヨイビトが暮らしている。同郷の者同士、語り合いたいこともあるだろう。席を設けてある。会食を楽しむといい」
「わぁ! ありがとうございます!」
マヨイビトが5人も?
嬉しい! 是非お話したいわ!
ぺこりと元の世界式に頭を下げると、国王陛下は面白そうに目元にシワを浮かべられたわ。
えへ。
やっぱり素敵だわ、国王陛下。俳優さんみたい。
隣に立つブラッドリー王子を見上げると、良かったねって優しく微笑んでくれたのだけど。
でもその微笑みは微妙〜に複雑〜な感情が入り混じって見えたのよ。
なんだろう。私、何か変なことしたかしら?
一度お部屋に戻ってね、着替えることにしたわ。国王陛下にお会いするために、きちんと正装しなくちゃいけなかったから、お姫様のようなドレスを着せられていたのよね。
でも、そんな格好じゃ、会食なんて楽しめないでしょ?
もっと気楽でシンプルなワンピースに着替えて、パールさんに髪も直してもらってね。
会食のお部屋に連れて行ってもらったのだけど。
「ねぇ、パールさん。クローゼットの中、いつの間にか青っぽい色のドレスが増えてない?」
デザインも私好みのシンプルなものばかりになっているような…。
案内してもらいながら聞いてみたの。
気になっていたのよね。
「はい。最初はヨツバ様のお好みが分からなかったので様々な種類のドレスを用意してあったのですが、お好みに合いそうなドレスに入れ替えました。ご希望があればデザイナーを呼んでオーダーすることも可能ですよ?」
ドレスをオーダー?
そのお金はいったい誰が出すのかしら…。
「ヨツバ様の衣服には予算がついておりまして、その範囲内でしたら大丈夫ですわ。私がきちんと管理をさせていただいています」
「よ、予算? 国のお金ってこと? それって、国民の税金よね?」
「まあ、そういった部分もあるかもしれませんが、国は近隣諸国を始め多くの国と貿易をしておりますので、その利益もありますわ。それに、ヨツバ様は派手な装飾を好まれないので、比較的リーズナブルな金額に収まっていますよ」
そうなの? でもやっぱり、身の程は弁えるべきだと思うわ。
「節約しましょう、パールさん」
パールさんは困ったように微笑んで、
「かしこまりました。では、後ほど衣服についてはご相談させて頂きますね」
そう言って、到着した扉をノックして開いた。
「さあ、どうぞ」
お昼の日差しがたっぷり入る、明るいお部屋。
中央に大きなテーブルが用意されているけれど、そこにいたひとたちは思い思いの場所で流れる旋律に耳を傾けていたわ。
曲は「ふるさと」。
ああ! 涙が出そう。
私はそっと、優しい音色に聴き入った。
「では、ヨツバさんの活躍を祝って、カンパーイ!」
音頭をとってくれたのはタチバナさん。
三十代くらいかしら。5人の中では一番年上に見える、威勢の良い男性よ。
「こっちの世界に来てからずっと保護を受けずに頑張って来たんだって? 大変だったろう」
そう、声をかけてくれたのは角刈りの体格の良い男性よ。お名前はタカネさん。二十代後半くらいかしら。
「はい。保護を受けられることも知らなくて。怪しいやつだと思われたら怖いと思って迷子のフリしてました」
「まあ、そうだよね。僕も最初ここに連れてこられたときは侵入者として捕まったと思ったもの」
そう頷いたのはヒレンさん。二十代半ばから後半くらいののんびりした雰囲気の男性よ。
「ねえ、わたし、ブラッドリー王子との馴れ初めが聞きたいわ。どこでどんな風に出会ったの?」
興味津々、目をキラキラさせて身を乗り出したのはカスミさん。
二十代後半くらいの、グラマラスな美女さんよ。
「な、馴れ初めって。行き倒れていたところを助けてもらっただけですよ?」
「えぇ〜? それだけってことはないでしょう?」
くふっ、と色っぽい唇で笑みの形を作って、じっとりと見つめてくるのよ。
いやん。サカナになるような楽しいお話は出来ませんってば。
助け舟を出してくれたのはサツキさんだったわ。
サツキさんは、ほわほわっとしたちょっと儚げな美人さんなのよ。
「カスミさんったら。ヨツバさんが怯えてますよ。カスミさんはいわゆる恋バナが好きなだけで怖いお姉さんじゃないんですよ。それよりいただきましょう? 今日のお料理は、タカネさんが腕を奮って下さったんですよ」
え。タカネさんが?
すごい。これって懐石料理よね?
先付け、お凌ぎ、お碗、向付、八寸、焼き物、炊き合わせ、ご飯、水菓子。
一品ずつ出されるのではなく、全て並べられているけれど、どれもとても美味しそう。
「料理人さんなんですか?」
タカネさんは少し照れたように笑ったわ。
「もともとは蕎麦屋なんだ。王宮の中でも店を持たせて貰ってる。良かったら、食べに来てくれ」
「ぜひ!」
お蕎麦! 食べたい。絶対行くわ。
それからね、お料理を頂きながら色々な話を聞いたわ。元の世界のこと。こちらに来てからのこと。大変だったこと。元の世界と違うこと、同じこと。美味しいお店とか、知っていると便利なこととか、たくさん教えてくれた。
みなさん、今は王宮で仕事をしながら暮らしているのですって。
タカネさんはお蕎麦屋さん、タチバナさんは大工さん、ヒレンさんは学校の先生、カスミさんは女中さん、そして、サツキさんは楽士兼聖女として。
元の世界のお仕事をこちらでも続けている、ということのようだけれど、元の世界よりものんびり暮らせていると言うわ。
そしてね、元の世界のことなんだけれど。
マヨイビトの元の世界はそれぞれ違っているのではないかと言われているのよね。
パラレルワールドになっているっていうか。
だけど、私程度の歴史の知識では私の世界と他の人の世界が違うかどうかの判断はできなかったわ。
でもね、時代が違うのは分かったの。
興味深いのはカスミさんとタチバナさんよ。
どうやらカスミさんは平安時代、タチバナさんは戦国時代のひとらしくてね。
カスミさんは後宮でとある女御に仕えていたのだそうよ。
タチバナさんは雇われ大工さんで、あっちこっちでお城作りに携わったり、罠を作ったりしたんですって。
他の3人は、生まれ年からもっと近代に近いことが分かったわ。そして私が一番生まれ年が後だったの。
元の世界が同じなのか違うのか、みんなで色々話してみたけれど、結局、よく分からなかったのよ。
元号とか全部分かるわけじゃないし、歴代総理大臣とか暗記してないしね。
例えば、関ヶ原の戦いで東軍が勝った、とかはみんな一致するのよね。
だから、はっきり違うと言える決め手がなくて。ひょっとしたら元の世界はひとつだけれど、マヨイビトの住む時代がバラバラだから異なる世界のようにみえるんじゃないか、っていうヒレンさんの意見にみんななんとなく同意する感じだったわ。
不思議ね。この世界に迷い込むことが無ければ、絶対に出会うことの無かったひとたちとこうしておしゃべりしている。
絶対に、知り得ないことも聞けたりしちゃうんだわ。
「ねえ、タチバナさん。織田信長って知ってますか? 私の時代ではとても有名な戦国武将として伝えられているんですよ」
ミーハーに聞いてみたら、ヒレンさんもタカネさんもタチバナさんに注目したわ。
「僕も聞きたいです。伝えられてる通りの豪傑だったのか」
タチバナさんはうーんと首を捻りながら言ったの。
「信長かぁ。あれはイイ女だが気性が激しくてなぁ。明智とは良い仲だったらしいが痴話喧嘩の末に殺されちまったと聞くぜ」
うん?




