目的
今夜は薄曇り。
星は隠れ、月もぼんやりとその位置を知らせるのみ。
昼間の蒸し暑さも夕方には重たく残っていたけれど、夜半が近づいて、今はもう散ってしまったに違いないの。
部屋の空気がひんやりと冷たく感じるのは、きっと外気が大きな窓から忍び寄って来るからだわ。
なんだか背筋がぞわぞわしたりするのも、伯爵の刺すような視線は関係ないわよ。
そう。きっとね…。
「妻と娘の身体に残された傷痕は、明らかにビーストによるものだ。それは、はっきりと断言できる」
伯爵は言う。
そうね。それはきっとそうなのでしょう。遺体はビーストによって傷つけられていた。その見解を否定しようと思っているのでは無いのよ。
怒らずに、聞いてくださるかしら?
「以前立ち寄った街で、ビーストに襲われた遺体を見ました。その遺体の、…頭部の損傷は酷いものでした」
「……………」
伯爵はすぐに私の言わんとするところを察したよう。
前のめりになっていた上体を、ゆっくりと椅子の背もたれに預け、自身を落ち着かせるように焼き菓子に手を伸ばしたの。
あ、召し上がるのね。
私も食べていいかなぁ。
話が一区切りしたら、食べちゃおうかな?
結構頭使ってるし、こんな時間まで活動してるし。大丈夫。食べちゃっても、カロリー消費できるわよ、きっと!
食べると決めたらなんだか心が躍るわ。早く食べたい。
お菓子に気を取られる私をよそに、顎を撫でながらリアムさんが言ったの。
「ビーストは狙った獲物の急所をよく知ってやがる。頭を潰しちまえば動かなくなると分かっているのさ」
絶対にそう、とは言えないかもしれないけれどね。
でも、やっぱり、ビーストに襲われて顔に傷がつかない、というのは考え難いと思うのよ。
ほら、昼間、奥様と娘さんの葬儀に参列した方の話を教えてもらったでしょう?
お顔はキレイだったとその方は言っていた。
ええっと確か、安らかに永遠の時を得たのだろう、と言っていたのよね。
お顔を見て、安らかと表現出来るなら、きっと穏やかな様子だったのだろうと思うわ。
だけど、ビーストに襲われたなら、恐怖に引き攣ったり、怯えて涙したり、安らかとはほど遠い表情になると思うのよ。
もちろん、お化粧を施したりはするのでしょうけれど…。
私は伯爵を見た。
何事か、考え込むように彷徨っていた視線を捕まえて問いかける。
「伯爵はお医者様だと伺いました。奥様と娘さんの遺体に、不審な点は本当にありませんでしたか?」
「………………」
伯爵は、黙ったままじぃっと私を見るの。
生意気な小娘だとお思いでしょうね。
酷いことを言っている自覚、あるわ。
愛する人が惨い亡くなり方をした。そのときの様子なんて思い出したく無いでしょうに、思い出させようとしている。
「何か心当たり、ありそうだね、伯爵?」
黙り込む伯爵に対して、慎重に、探るように声をかけたのはジェリーさんよ。
伯爵は、小さく、ため息をついたわ。
「…外傷が酷いわりに、出血が少ないように思えた。喰われたせいでそう見えるのかとも思ったが、後に警察で受けた検視の説明では引き裂かれ潰されてはいるが喰われてはいないようだと言われた」
食べられていない?
みんな、顔を見合わせたわ。
「…どういうことです?」
呟くように疑問を口にしたのはライドさんだった。
「傷痕が、爪で付けられたものばかりで、牙で付けられた傷がなかったのだ。ビーストに襲われたことは明らかだったため、検死は行われなかったが、食べるためでなければなぜ襲われたのかと警察官も不思議そうにしていた…」
ふむ、とリアムさんが顎を撫でる。
「通常野生動物は、無闇に獲物を獲ったりはしないんだがな。縄張り争いや、ビーストの方が獲物として襲われ反撃するときくらいしか、そもそも争わないだろう。まあ、そもそもと言ったら、常に満腹なんてことも無いだろうがな」
だとしたら、やっぱり食べられてないのは変よね?
「ヨツバさんは、どう考えてますか?」
何かを含んだような笑みを浮かべてダネルさんが私を見るの。
やだわ。どうして私に振るの?
ええっとね…。
「…通常、野生動物が行わない行動をとるのなら、そのビーストは通常ではない、つまり、懐柔の魔法石で操られたビーストだと思います」
「懐柔の魔法石? それはなんだ?」
…あれ? ぺろっと言っちゃったけど、内緒なんだっけ?
思わずライドさんを見ちゃったら、ライドさんは大丈夫と優しく頷いたの。
「使用を禁止されている魔法石です。動物を手懐けることを容易にします」
「禁止…。そうか。確かに…、その魔法石を所持しているのならば、あの男がビーストを森林公園に集められたのも頷ける。しかし、ではあの男が…?」
あの男。
伯爵がそう呼ぶ男が奥様と娘さんを襲わせたのか、ということよね?
「奥様と娘さんは、ビーストが身体を傷つける前に、亡くなられていたのではないかと思います」
「………?!」
伯爵は静かに目を見開いたわ。
がたんと大きな音を立てて、椅子を蹴倒しながら立ち上がったのは御子息のフドーさん。
「そんな! じゃあ、母さんとカリンはなんで死んだんだ!!」
怒りと悲しみと憤りと。さまざまな感情を溢れさせた瞳と声でフドーさんは言ったわ。
そうなのよね。
ビーストに襲われたことが直接の原因では無いのなら、どうして亡くなったのか。
「ヨツバさんはどうしてそう考えるんです?」
ダネルさんはどうしていつも微笑み方が胡散臭いのかしら。ね?
執事さんがフドーさんの椅子を直して座らせてあげてるわ。後ろ手に縛られたフドーさんを、不憫そうな表情で見ている。
「顔に傷が無かったのは、そう指示したからだと思います。どのように指示したのかは分かりませんが、ビーストがその指示を理解したとして、逃げ惑うひとを相手にその指示を成功させるのは難しいと思うんです」
目の前に突然ビーストが現れて、それが襲いかかってきたらびっくりするどころでは済まないと思うのよ。
パニックよ。恐慌状態になるわよ。
そんなひとの行動、予測できないでしょ?
大きなビーストが、ひょいと大きな前足で叩いたら、結構広い範囲で傷だらけだと思うの。
ビーストが人間並みに言葉を理解したとしても、顔を避けるのって難しいと思うわ。
だから、ビーストが二人を傷つけたときには、二人は既に動かない状態だったのではないかと思うの。
「眠らされていた、ということは?」
「そうかもしれません。でも、それだと、なぜ食べられなかったのかの説明が出来ません」
「亡くなっていたなら説明が出来るのですか?」
「証拠はありません。例えばこうであれば説明が出来る、というだけのことです」
「それは?」
「例えば、です。毒物によって亡くなったとしたら? お二人の体内にはまだ毒物があって、それを食べたらビーストも毒に中ってしまう。だから食べなかった、もしくは食べさせなかった」
ただ、そう考えても合点のいかないことがあるの。
それは、毒物を飲まされたら少なからず苦しむだろうということ。
穏やかに、眠るように息を引き取る。そんな毒物でもなければやっぱり無理のある説になってしまうわね。
「そういう毒物は、無いわけではない」
伯爵が重たくそう言ったわ。
「おいそれと手に入れられるものでもないがな。だが、なぜだ? なぜそこまでして妻と娘を殺す必要がある?」
「それに、頑なに顔を傷つけないようにする理由も、分かりませんね」
伯爵の重量感に比べて、ダネルさんはふんわり軽く付け加えるように言うのよ。
ちょっと待って。順番にね。
「殺したのが“その男”とは限りません」
「どういうことだ」
「その男ではない何者かが、奥様と娘さんを殺害したとします。男はそれを目撃していたのか、もしくは最初に死体を発見したのでしょう。死体を利用しようと考えた。伯爵に、ビーストに対する憎悪と、王宮に対する不信感を植え付け、協力させるためです」
「……………」
「協力を得るために奥様と娘さんを殺害するか、というと少し疑問です。“そこまでして”殺す必要はないように思えます。ですが、あくまでも推測ですので、協力を得ることが“その男”にとっては十分な理由である可能性もあります」
その場合は、殺害するところから“その男”が行ったと考えられるわ。
「顔を傷つけないようにしたのは、死体が奥様と娘さんであるとすぐに分かるようにするため。ビーストの爪で顔が傷ついてしまっては、誰だか分からなくなってしまう可能性があります」
顔だけ無傷なんて不自然だけど、少しだけ傷つけるなんて器用なマネはきっと出来ない。
その不自然さはあまり話題にならないと考えたのかもしれないわね。
実際、警察でも疑問視されてないみたいだし。
私たちは懐柔の魔法石が使われた可能性を知っているから、疑問に思うけれどね。
伯爵は大きく息をついて、深く沈み込むように座ったわ。
痛ましげな視線を向けていたライドさんが、気持ちを切り替えるようにゆっくりと瞬きをして、そして言ったの。
「伯爵、御子息の役割はなんだったのですか?」
そうそう、屋敷から逃げ出そうとした御子息のフドーさんね。
フドーさんを見ると、ぎゅっと眉根を寄せて険しい表情をしていたわ。
伯爵はフドーさんを見つめながら言ったの。
「息子は、私の指示に従っただけだ」
「どのような指示を?」
「…あの男が、ビーストの被害を根絶させるためには王宮に対抗できる力が必要だと言ってね。同志を集めたいと言ったんだ。ハンターの中には家族をビーストによって失い、ビーストに対する憎しみをもとにハンターになった者も少なくない。そこで息子にそうしたハンターに声をかけさせ、密かに反王宮組織の人材を集めた」
反王宮組織……?
なんだかどんどん話が大きくなっていくみたい。
それじゃあ、“その男”の目的って。
政治的なことってよく分からないけれど、そういうのって、クーデターっていうんじゃないのかしら?




