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3年前のこと

その晩、仕事から帰ったニューマン伯爵にコルウス森林公園の調査結果を報告したいと申し入れたのよ。


伯爵はたいそうお疲れのご様子でね。夕食後のナイトタイムに時間をとって下さるとおっしゃったわ。


少し時間が出来ちゃったでしょう?

だから、ライドさんに頼んで調べてもらったの。

伯爵の奥様と娘さんについてよ。


奥様の名前はアヤメさん。娘さんはカリンさん。

3年前の6月半ば、事故で他界している。

事故の詳しい状況は分からなかったわ。だけど、葬儀に参列した近所の方の話を聞いてもらうことができたの。


こちらの葬儀では、故人とお別れをするための時間というのを設けるそうなのだけれど、その時間が通常と比べて、とても短かったのですって。

その短いお別れの時間、すでに棺は閉じられていたのだそうよ。でもね、お顔だけは見ることが出来たそうなの。

「事故だって聞いたけれど、お顔はきれいでねぇ。安らかに永遠の時を得られたのだと思いますよ」

その方は、そう言っていたと教えてもらったわ。




アヤメさん、か。

やっぱり、そうなのかしらね?


約束の時間になって、私たちは最初に通されたお部屋で伯爵を待った。

肖像画の奥様はとても幸せそうに微笑んでいるわ。

娘さんはね、ちょっとすまし顔。でも、笑みが内側から溢れ出るような、そんな表情。

男の子の方はキリッと前を見据えて、でも口元はやっぱり笑みの形になってるの。


光り輝くような、幸せな家族の肖像。



「お待たせした」

伯爵が、執事さんを伴ってやって来た。

ゆったりとしたラフな格好の伯爵は椅子に座ると、私たちにも座るように促したわ。

「ハンター協会の方はいないようだが?」


そうなの。リアムさんとダネルさんは別件で後から来ることになっているのよ。


「はい。後から参りますが、先に話は進めさせていただきます」


ライドさんが答えると、伯爵は頷いた。

リアムさん達がいないこと、あんまり気にしてないみたいね。


そんな会話をしている間に、執事さんが手早くコーヒーとお菓子を出してくれたわ。

美味しそうな焼き菓子。いわゆる「ブッセ」かしら。

口当たりの軽いお菓子よね。

でも、こんな時間に食べたら太っちゃうんじゃないかしら。

…今更かしら。



私は真剣に葛藤していたのだけれど、そんなことに誰かが気付くはずもなく…。


「では、話を聞こう」

コーヒーを一口、味を確認するように飲んだあと、伯爵がおっしゃったの。


ああ、悩んでる間にお話が始まってしまった。

さすがに、むしゃむしゃ食べながら、は失礼よね…?



「コルウス森林公園を調査した結果、公園内にビーストのコロニーが存在することが確認されました。その数は継続して調査中ですが、100頭近くいるのではないかと思われます」


淡々と述べるライドさんを伯爵は感情の現れない瞳で見ているわ。

これから糾弾されると分かっているでしょうに、とても落ち着いた静かな瞳。

水のように揺らぐことなく、風のように(そよ)ぐこともない、その様はまるで石庭のよう。



ライドさんは続ける。

「見せていただいた各資料からも、それと窺えるものが多数ありました。3年前からコルウス森林公園は利用の実績がなく、不自然な金の動きが見られます。伯爵はご存知ですよね?」

「もちろんだ」

一瞬の躊躇いもなく、伯爵は頷いたわ。

やっぱり、隠す気は無いのね。


「なぜです?」

「なぜ?」

「王宮所有の森林公園を私的に利用しビーストを繁殖させ人民に被害を与えるなどという行為は、非道な背信行為と見做されても反論できるものではありませんよ」


伯爵はそっと一口コーヒーを飲むと、ライドさんを強く問うように見つめ返したわ。


「ビーストを繁殖させ人民に被害を与える…。それは、王宮も同じではないのかね?」

「なに?! それはどういうことだ、ニューマン伯爵」


ばちッと火花が散った気がしたわ。

そのくらい、ほんの一瞬だけど、空気が張り詰めたの。

だけどそのとき。


「……………」


建物の外で、どさりと何かが落ちる音がして、続いて怒号が響いた。

執事さんはハッとした表情(かお)をしたけれど、伯爵はわずかに目を伏せただけだったわ。


少しして、廊下が騒がしくなって、すぐに勢いよく部屋の扉が開けられたの。


「離せよ! 触るなっ!」

「うるせぇ、静かにしろ」


リアムさんとダネルさんに連行されて来たのは、二十歳くらいの若い男性だった。

…どこかで見たようなひとだわね。どこでだったかしら?


後ろ手に縛られたそのひとはまるで手負いの獣みたい。

闇雲に暴れようとするけれど、ダネルさんにがっちりと押さえ込まれて唸ってるわ。


「ご子息を、逃がそうとしたのですね。ニューマン伯爵?」


ライドさんの言葉に、伯爵はほんのわずか、自嘲的な笑みを零した。

それから、気持ちを改めるように小さく息をついたわ。


「ハンター協会の方々、どうぞ座られよ。フドー、お前も座りなさい」


フドー。そう呼ばれた男性は、きゅ、と唇を噛んで迷うように視線を彷徨わせた。

逃げ道を探してるのかしら。あ。諦めたみたい。

俯いたあと、言われた通りに座ったわ。

そうしたらね、執事さんがすぐにコーヒーとお菓子を3人にサーブしたの。早業よ。あっという間。スゴイわ。


この方が優秀なのか、それとも執事さんというものはみんなこうなのかしら。

私には出来ない職業だわ。ほら、私ってガサツだし。


…でも、フドーさんは後ろ手に縛られたままなのよね。

飲めないし、食べられないわね。…もったいないわ。



少し遠い目で肖像画を見ていた伯爵が、ライドさんに視線を移す。

そして言ったわ。恐ろしいほど静かな口調で。


「私の妻と娘は、ビーストに襲われて死んだのだよ」


ビーストに…?

また、空気がぴりっと緊迫したわ。

ちりちりと、伯爵の滲み出るような悲哀が、静電気みたいに肌をざわめかせるの。


「3年前のことだ。その頃すでにビースト増加による被害については注意喚起がなされていた。外出の際にはハンター協会が発表しているビーストの出現情報を確認していた。あの日も、十分に注意した上で、妻と娘は買い物に出掛け、そして帰ってこなかった。翌朝、山向こうの丘で発見された2人は、手も足も体も引き裂かれて元の姿を留めていなかった。無残な遺体を抱きしめて泣いたあの日から、考えてしまうのだ、王宮の使者よ。我が国の政策は本当に正しかったのか、と」


伯爵の言葉を受け止めるライドさんは、少し眉間にシワが寄っている。

その微かに歪んだ表情に、胸が痛んだわ。


「他国のようにビーストを排除していれば、妻や娘は死なずに済んだのではないか? ビーストから採れる魔法石は大きな恩恵を国に与えたが、それは愛する者の命と引き換えにしなければならないほど必要なものなのか? どう考える、王宮の使者よ? それとも、ビーストの脅威など身近に感じることのない安全な王宮に(すま)う方々には縁遠い出来事ゆえ、思うところなどなにもないか?」


伯爵の奥様や娘さんに訪れた不幸は決してライドさんのせいでは無い。

だけど。

ビーストを排除しない、と。

最大限にその脅威を利用するのだと国が、つまりは王宮がそう決めた。その結果得られる恩徳は絶大なものだわ。不正に奪おうとするものが現れるほどに。

けれどその恵みは、大きな災いをも内包していた。


そう。

最初から分かっていたはずよ。

ビーストから採取される魔法石は有益だけれど、同時にビーストによってもたらされる厄災があると。


避けることの出来た不幸だと、考える人が多くいても、何ら不思議では無いわ。

少なくとも、私はそう思うわ。



分かっていたことだから、ライドさんは黙って伯爵の言葉を受け止めるのだろうか。


王宮の決定により被りうる被害。

王宮の一員として、その責を負うべきだと、思っているのだろうか。



ライドさんは、ほんの少し、瞳に憐憫の色を浮かべたわ。けれどすぐにその瞳は凛とした光を灯したの。



「ニューマン伯爵。逝去された奥方やご令嬢に対してはお悔やみ申し上げる。伯爵の心痛も察するに余りある。王宮の政策の是非を問うのは国民の権利であり、不満や疑念を訴えることは許されている。但しそれは、正式な方法で行われた場合に限られる。許されぬ行いは、どんな理由であっても、許されぬものだ」

毅然としたライドさんの言葉に、伯爵は穏やかに返した。


「そうだろう。もちろん、言い逃れようと思っているわけではないよ。だが、問題提起にはなるのではないかと期待している」

「問題提起?」

「そうだ。先程「なぜか」と尋ねただろう。その答えでもある」

伯爵の言葉に、それまで黙っていたジェリーさんが言ったの。

「問題提起ってどういうこと?」



伯爵はコーヒーのカップを手に取って、ふと、その手を止めた。

その様子を見て、執事さんがすぐにコーヒーを注いで回ったわ。フドーさんの分は新しいカップに入れ替えていたけれど、でも、飲めないわよね。

執事さん、気づいていないのかしら。

フドーさん、飲めないコーヒーを恨めしそうに見つめているのに。


湯気のたつコーヒーに口をつけてから、伯爵は再び肖像画に目を向けた。

そうして、ジェリーさんの問いに答えるように話し始めたの。

「あれは3年前の夏。妻と娘を失って、自失したまま機械的に日々を過ごしていたときだ。ひとりの男が現れて言った。家族を奪ったビーストが憎いだろう、と。そのビーストがなぜ国内にいるのか考えたことがあるか、と。王宮の政策が誤っているのだとは思わないか、と」


「男…?」

「知らない男だったよ。そのとき、初めて会った。王宮の政策に物申すならば、あなた方の言う通り正式に文書を整えて提出すべきだ。だが、それでは家族を失った者の悲しみは届かないだろうとも男は言った。そもそも、ビーストの被害と魔法石の利益を天秤にかけて魔法石の利益を取った王宮なのだ。被害が出ることもそれによる批判も最初から織り込み済み。普通に訴えたところで変わりはしない。事実、それまでだって被害はあり、被害者の家族は訴えていたに違いないのだ。だが、政策が変わることはなかった」


「…対策はしていたよ? 警備の人手も増やしていたしハンター協会への支援も増やした。ハンターの育成にも注力していたし、決して、被害に目をつぶったわけでも、被害者の声を無視したわけでもない」

ジェリーさんの言葉に、伯爵は静かな笑みを浮かべたわ。


「そうだろうな。分かっている。王宮が極悪非道な組織ではないことは、私にもね。だが、分かっていても、妻と娘を失った心の傷は癒えない。癒えないのだ、王宮の使者よ」

「………………」


「男は、現王宮には国を任せられないと言った。これ以上、ビーストの被害で涙する人を増やすわけにはいかないと。だから、コルウス森林公園にビーストを集めたいとね。ビーストを倒すのは難しいが、ビーストを(おび)き寄せ、広大な森林公園内に押し込めておくことなら出来ると言った。そんなことが可能なのかと疑問に思ったが、男はやってみせた。王宮所有の森林公園に許可なくビーストを集めることは許されないと、もちろん分かっているが、そうすることでビーストの被害が減るのなら、罪を背負ってもいいと思った。だが…」


伯爵はそこでひとつ、息をついた。

それから、私たちをゆっくりと見回して、そして口を開いたわ。


「だが、そうして1年経ち、2年経ち、私は別の疑念を抱き始めた。森林公園のビーストは増えているが、ビーストの被害は減ってなどいないのではないか、ということだ。そしてもうひとつ。ビーストを誘き寄せることのできる男。妻と娘の命を奪ったのは、あの男が誘き寄せたビーストだったのではないか、ということだ」


「伯爵…」

「私は、男の言うように王宮から政権を奪おうなどとは考えていない。そして、現状を良しともしない。遠からず、森林公園に集められたビーストのことは王宮に知れるだろうと覚悟していた。これだけ大それたことをしたのだから、王宮も注目するだろう。そのときには、ビーストの被害について、これまでとは違う抜本的な改善を強く願おうと考えていた。妻と娘がビーストに命を奪われたということに、変わりはないのだから」



情報量が多すぎて、こんがらがって来たわ。


えーと。伯爵の奥様と娘さんはビーストに襲われて命を落とした。それが3年前でしょ?


そのとき、傷心の伯爵に取り入ってコルウス森林公園にビーストを集めた男がいる。いいえ。集めた、と伯爵に言ってただけで、実際には繁殖させて増やしたんだわ。

だから、伯爵が期待したようにはビーストの被害は減らなかった。


男の狙いは王宮から政権を奪うこと?

ビーストを森林公園に集め、被害を増やし、王宮への信頼を失わせて…?


政治って良くわからないけれど、そんな方法で、政権って奪えるものかしら。


うーん、待って。何か引っかかる。

何か…。

奥様と娘さんがビーストに襲われて亡くなったと聞いた時のライドさんの表情が忘れられない。

ライドさんはきっと責任を感じている。ビーストの被害を食い止められないことに、王宮の人間として。


被害は間違いなく出ている。ライドさんが責任を感じるのは当然なのかもしれない。だけど、今回は。

伯爵の奥様と娘さんに関しては…。


「本当に、ビーストに襲われたことが亡くなった原因なのかしら…」


なんだか視線を感じる、と思って顔を上げたの。

そうしたら、みんなが私を見ていたのよ。

え? なになに、びっくり!?


「それは、どういう意味かね、お嬢さん?」


…伯爵の目が、ギラリと光った気がしたわ。

いえ、光ったわ。とっても怖い。

やだ。

頭で考えていたつもりだったのに、口から出てたみたい? …かしら?


ええっとですね。そんなに、睨まないでくださいな?


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