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王子さま

きょとんとした私の顔、そんなに可笑しかったかしら。

ナンシー先生はくすくす笑ったの。


「そうね、あなたはこの国の人じゃないから知らないわね」

そう言って教えてくれたわ。

「あなたをここに連れてきてくれた方のことよ。ブラッドリー・ロチェスター第二王子。国内の治安維持に力を入れておられる方でね、今日も視察をされていたのよ。その途中であなたを見つけたのね」


私をここに連れて来てくれたひと?

あのひと、王子さまだったの?


王子さまってイマイチぴんとこないわね。生まれ育った国が王政ではなかったからかしら。

おとぎ話のイメージしかないわ。

王冠にパフスリーブにマントって感じ?


ふうん、そうか。あのひとが王子さま。ってことは、この国は王政なんだわ。


立派な軍服のようなものを着ていたわ。疲れて朦朧としていたからはっきり思い出せないけれど、イケメンだった気がする。

歳は私より少し上だと思うわ。20代後半から30代前半くらいかしら?

もう心配ないよ、って笑ってくれた。その笑顔が「本当にもう大丈夫なんだ」って思わせてくれて、ほっとしたの。

だけど、じゃあねって手を離されたとき、見えてしまった。血に染まるその人の姿が。


私、つい言っちゃったの。

血に濡れたナイフを持つ手は、そのひととよく似た袖の形の服を着ていたわ。

だから、「袖口の折り返しが黒くて、銀のステッチが入った、あなたとよく似た服の人があなたに危害を加えようとしている」って。


そのひとは驚いたように目を丸くして、それから私の頭をぽん、と撫でた。


その後、そのひとがどうなったか分からないけれど、王子さまが大きな怪我をすればニュースになるわよね。

だけど、そういった話は聞こえてこないから、きっと大丈夫だったんじゃないかと思うの。


台所に行くと、メリナ先生は早速トマトを洗い始めたわ。

そういえば、最初にここに来たあの日、お腹を空かせた私にナンシー先生が食べさせてくれたのも、今メリナ先生が作ろうとしているチキンのトマト煮だった。


「ヨツバちゃん、冷蔵庫からチキンを出してくれる? 真ん中の棚に塊肉があるから」

「はーい」

冷蔵庫を開けて、言われたとおりチキンを取り出すために中を覗き込む。

この冷蔵庫も、ここが今までの世界とは違う世界だって実感するもののひとつなのよ。


この世界には電気がない。ガスも、多分ない。

じゃあどうやって冷蔵庫を冷やしているかっていうと、「魔法石」ってものを使っているの。

魔法石って最初に聞いたときは、魔法を使えるひとがいるのかと思ったわ。でも、そうじゃなかった。

魔法石はビーストと呼ばれる獣から採取出来る物なのですって。

いろいろな種類があるのよ。

冷蔵の魔法石、冷凍の魔法石、温水の魔法石、保温の魔法石、加熱の魔法石、照明の魔法石、この辺りはメジャーでいわゆる家電(電じゃないけど)に組み込まれているの。


中にはすごく珍しい効果のある、レアな魔法石もあるそうよ。

そういう魔法石は高額で取り引きされるから、ビースト狩りを職業にするハンターさんは多いのだそうなの。


文化文明が元の世界と比べて遅れているのか進んでいるのかよく分からないけれど、この国には入浴の習慣があるし、食事は1日3食だし、働いて報酬を得て生計を立てるっていうところは元の世界と変わらない。

私は運が良かったと思うわ。衣食住を手に入れて、仕事も出来ているのだもの。

占い師、という職業がすんなりと受け入れてもらえる文化だったことも私にとっては幸運だったわ。


この国には「預言者」っていう職業のひとがいるんですって。どうやって預言するのか分からないけれど、歴代、王さまのそばには最高位の預言者がいて、王さまの補佐をするそうよ。


占い師は預言者には遠く及ばないけれど、占い師という職業は元の世界ほどマイナーな職業ではないみたいなの。


本当は私、今頃大学生やってるはずだったのよね。

勉強したり、サークルに入ったり、社会人になる日も本当は遠くないけれど、まだまだ平気だよねって、暢気に過ごしていたはずなの。


だけど、今。

私はこの世界で働きながら孤児院のお手伝いをして過ごしているわ。

不思議よね?


どうしてこんなことになったのかしら。

今はまだ、日々を過ごすのに必死で、家族に会えないこととか、どうしたら帰れるのか、とかあんまり考えられないの。

だって、もしも帰れなかったらって考えるのは怖い。

もしも、このまま家族に会えなかったら…。

うううん。考えない。

大丈夫。きっと、平気。


今はとにかく、元気で、生きていなくっちゃ。


それにね、この世界に来て、ちょっといいなと思っていることもあるの。

それは、インターネットが無いこと。

スマホも無ければパソコンも無いの。最初は寂しく感じたし手持ち無沙汰で仕方なかった。

だけど、毎日SNSをチェックして、本音と建前を使い分けて、短い文字のやり取りから上手に大勢(たいせい)を読み取っていかなければ、すぐに輪からはじき出されてしまうシビアな社会だったでしょう?

新しいもの、流行っているもの、氾濫する情報の波をサーフィンして、取り残されないように必死になって。

そんな中で秘密を抱えて、私、たぶん少し、疲れていたのよね。


ここにはそれが無い。

それが、なんていうか、開放感っていうのかしら。

すごく、気持ちがのんびりする。

だから焦らず、こののんびりを楽しむくらいの気持ちでいよう。

今は、そう思ってるの。


うーん。

私は首を傾げながら冷蔵庫からお肉を取り出した。

「メリナ先生。これ、鶏肉じゃなくて豚肉みたい」

メリナ先生は洗ったトマトをざるに並べていた手を止めて振り返ったわ。

「あら、そう? じゃあ、大豆も使ってポークビーンズに…」

そう言って私の手元を見たメリナ先生は、目尻を下げたわ。困ったような、呆れたような、そんな目をして笑っているの。

「ヨツバちゃんたら、それって牛肉よ。そうしたら、トマトをたっぷり使ったハッシュドビーフにしましょう」

…うん?



「この辺りによく当たる占い師がいると聞いて来たんだが、あなたのことかな」


デイジーホームがあるこの街はサーディンといって、王都メーアの隅っこにある小さな街なの。

中心の街マッカレルは流行の最先端都市で王族やお金持ちの貴族が住む華やかな街なのだそうだけれど、サーディンは畑や田んぼが広がるちょっとした田舎町よ。

私はそのサーディンの街の中心地にあたる商店街の中にスペースを借りて占いをしているのだけれど、お客さんなんて日に数人だし、あちこちのお店でお手伝いに駆り出されるのよ。


最初のうちはね、お客さんのいない時間はぼーっとしていたの。あまり社交的な性格じゃないから、ひとりの時間が苦じゃないっていうか、むしろひとりの時間大好きだしね。

だけど、そうしてぼーっとしていたら、「暇なら手伝って!」って青果店のおばちゃんとかカフェのおじさんとか精肉店のおばあさんとかに声かけられてね。


面食らったけれど、郷に入っては郷に従え、っていうし。そういうものなのかな、って思って言われるままにいろんなお仕事を手伝って、自分のスペースを空けちゃうことが結構あるのよね。


今日もカフェのおじさんに頼まれて出前を届けて戻ってきたら、スペースの前に貴族に仕える執事って出立の紳士が立っていたの。


あら。お客さんをお待たせしてしまったかしら。

でも、やだわ。私自ら「そうです。私が良く当たる占い師です」とは言い難いわ。

だって謙虚な国民性ですもの。


にこっと営業スマイルで誤魔化しちゃう。

「夢占いをしています。お陰様で好評をいただいてます」

どうぞ、と椅子を勧めたんだけれど執事さんは座らずに頷いて、商店街のすぐそばに停められた馬車に合図をしたわ。


ああ。なんだか立派な馬車が停まっているなと思ったのよ。このひとのご主人さまが乗っているのね。

降りて来たのは濃いベージュのドレスにヴェールのついた帽子をお召しのいかにも貴婦人って感じの女性だったわ。

メイドさんを従えて颯爽と歩いていらっしゃる。


そのひとは勧めた椅子に座ると、上品に微笑んで言ったわ。

「ようやく来ることが出来たわ。私、夢ってあまり見ないの。仕方がないから(まじな)い師にいい夢が見られるように(まじな)いをかけてもらってやっと昨夜夢を見ることが出来たのよ」


…うん。

いい夢を見るようにお呪いをかけてもらって見る夢は、きっといい夢よね。


なんだか、健康診断の前の日はビールを飲むのを止めるお父さんみたい。


「明日は娘のお見合いなの。絶対に成功させたい縁談なのよ。上手くいくにはどうしたらいいか、教えて欲しいの」

…うん。夢占いってそういうものじゃないんだけれどな?

呪い師の知り合いがいるのなら、そっちに頼んだ方が適任な感じもするのだれど…。ねえ?


にこにこと愛想笑いを続けながらとりあえず夢の内容を聞いてみたわ。


「雲の上で素敵な景色を楽しみながらお茶会をする夢よ! お茶もお茶菓子もとても美味しくて、夢のような時間だったわ!」

…まあ、夢ですものね。

とても楽しそうに聞かせてくれるご婦人を見つめながら、彼女の明日を見通して見る。

…あら?

おかしいわね。真っ暗だわ。何も見えない。


嫌な予感。こういう時はその前に何か悪いことが…。

未来を見る、その時間を変えてみましょう。ここからこの後、お菓子屋さんに寄って、帰り道は……。ああ…。


後ろに控える執事さんに視線を向けると、執事さんはすぐに「なんでしょう?」と身を乗り出したわ。


「ええっと、お帰りの道は、ヘリングの街道を通りますか?」

「はい、その通りでございます」

執事さんは少し驚いたように眉を上げたけれど、すぐに頷いて丁寧にそう言ったの。

「では、その道を通らずに帰ってください。ビーストが出ます」

「!!」

「まあ!!」


ビースト。

そう言ったら執事さんは顔色を変えたわ。

当然よね。とっても危険な獣なんだもの。私も実物は見たことがないし、未来視の力でも初めて見るわ。

でもね、執事さんはすぐにきりっと表情を引き締めて深く頭を下げたの。

「ありがとうございます。では、フラウンダーの街道を使って回り道をして帰ろうと思います」


うーん。地理がよく分からないけれど、その道なら大丈夫だわ。だんだんと、女性の明日が見えてきた。


私と同じくらいの年齢の女の子と、同年代の男の子が、お互いはにかみながら楽しそうにお食事をしている。

この女の子が娘さんね。


雰囲気は悪くなさそうよ。

でもこれ、ハタから見ただけじゃ上手くいくかどうかなんて分からない…。あ。

「お食事は魚介類がメインのお店なんですね?」

「ええ、そうよ! 新鮮なお魚料理が評判のお店なの」

私が言い当てたコトが嬉しかったのかしら。女性はにっこり笑って大きく頷いたわ。

「お相手の方はお魚はお好きみたいですけれど、貝類は得意ではないようです。間に合うのならメニューを変更された方が良いかもしれません」

そう言うと、女性は「あら大変」と目を丸くした。

「まあ、そう。では、さっそく手配をしなければ! どうもありがとう、とても助かったわ。お礼はいかほど?」


上品に微笑むご婦人に、にっこり笑顔を返した。

「2万ペタルです」

ペタルはこの国の通貨よ。だいたい、1ペタル=1円くらいかなって思っているの。だから、2万ペタルは2万円ってことね。

占いに2万円って高いと思う?

私は思うわ!

でも、お金持ちって、なぜか高い料金ふっかけた方が反応が良いのよね。

偉そうに高額を請求した方が安心するみたいなの。

安い金額だと、信用されないっていうか。不思議よね、お金持ちって。


ご婦人は満足そうに頷いて、後ろの執事さんに合図をしたわ。執事さんはささっと、流れるようなスマートな動作でお金を私に差し出した。

「確かに。では、どうぞ幸運をお掴みください」


優雅な仕草で去っていくお客さま一行を見送って、急いでスペースを片付けた。


ヘリングの街道に出るビースト。

あれを放ってはおけないわ。

でも、どうしたらいいんだろう?


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