暗闇の逃亡者
暗い暗い闇の中、“誰か”が歩いていた。
何も見えないような闇ではない。歩いている“誰か”が、小さな火が灯った蝋燭を革手袋の右手に持っていたからだ。わずかな光だが、それによりもう一人いるのが分かった。その両手には、二人の幼子が抱かれていた。
歩いているのは、二人共、若い女だ。
先頭の女は、細身の長剣を帯び、防具こそ身に着けていないが、そのまま出陣出来るような勇ましい出立ちだ。背中には、布袋を背負っいる。
黒い瞳に黒い長髪。髪は、後ろに一纏めに結ばれいる。動きやすいようにだろう。
目鼻立ちは、はっきりとしており、化粧っ気のない、すっきりとした美人である。年の頃は、18才くらいだろうか。
後ろを歩く女は、寝床から抜け出してきたような白いワンピースのような格好をしている。
長い金髪に碧眼。並大抵の美しさではない。だか、優しげで、それ以上に儚げ。
年齢は、先頭歩く、 女と同じくらい。
この美女の腕に抱かれている二人の幼子……いや、赤子と言ったほうが良かっただろう。その中の一人は、白い肌に短い金髪。おそらく自らの子、娘だろう。もう一人は、短い黒髪。性別までは、分からない。誰の子だろうか。ひょっとすると……。
四人がいる場所は、通路といよりトンネルのようなところだ。進行方向に向かって、ゆるやかな登り坂なっている。
「こんなところに、こんなものがあったのね……」
感心するかのように、後ろを歩く女が、悲しげな声で言った。
「城ですからね。このような抜け道は、数え切れないほどあります」
先頭の女は、答えた。
まるでその声に、反応するかのように、蝋燭の火が、ゆらりと揺らいだ。空気が、濁っている。
先頭の女は、ちらりと後ろを見た。
「それよりお妃様。姫君らは?」
妃と呼ばれた後ろを歩く女は、答える。
「二人共。よく眠っているわ。私が魔法魔法をかけたから……それにしても、なぜ陛下は、あのような恐ろしいことを……」
「お妃様!憶測を口にしては、いけません!」
鋭い声だが、なぐさめるように言った。
「国王陛下には、きっと……なにか……なにか……」
それ以上言葉を続けることは、出来なかった。考えをまとめることが、出来なかったからだ。先頭の女は、呼吸が荒くなっているのに気付き、腰を曲げ、左手を左膝に置き、ハーッ、ハーッと息を整えた。
その様子を見ていた妃は、思わず、謝った。
「ごめんなさい。ティーネ」
先頭の女、ティーネと呼ばれた女も謝る。
「申し訳ありません。お妃様。つい興奮してしまいまして……」
妃という自分とは、比べものにはならない高い身分の者に謝まわれてしまったのだから、非礼としか、言いようがない。
妃は頭を 振った。
「とにかく、急ぎましょう。皆、地下の抜け道を探しているでしょうが……こことて絶対に安全ではありません」
ティーネは、言い終わると体勢を戻し、再び歩き始めた。
妃もそれに続く。
二人は、しばらくの間、無言で歩き続けた。
やがて片開きの扉に突き当たった。扉には、錆びついた南京錠が、付いていた。
ティーネは、懐から短刀を取り出すと、短刀の柄を南京錠に叩き付けた。
ガゴッという鈍い音とともに、南京錠は、あっさりと壊れ、下に落ちた。
ティーネは、短刀を懐に戻すと、今度は扉を思いっ切り蹴飛ばした。扉は、外に向かって開く。
その瞬間、外の新鮮な空気が、風となり勢いよく流れ込んできた。その風により、蝋燭の火は消されしまう。ティーネは、その蝋燭を必要ないとばかりに、投げ捨ててしまった。
実際、蝋燭など、もういらなかった。
外には美しさ星空が広がり、その下に海が広がっていた。まるで星空を写すためだけのように……。
トンネルを歩き続けてきた二人にとっては、眩しくすら感じられた。
彼女達が出て来たところは、城にへばりついるような狭い狭い場所だった。
石造りで胸壁がない。兵の見張り用に、造られたのかもしれないが、胸壁がないので、うっかりすると落ちしまう。
注意深く、ティーネは歩を進めると、安全であることを確かめた。
そして、彼女は背負っていた布袋を、手早く妃に背負せた。それが終わると跪いた。
「お妃様、まことに残念ですが、ここでお別れです。けれどお妃様と姫君の御身は私に代わり、我が息子がこの剣にて、必ずやお守りになるでしょう」
ティーネは、帯ていた長剣を恭しく、差し出した。
妃の腕に抱かれているもう一人の赤子は、ティーネの息子だったのだ。
長剣を両手に持ったまま、立ち上がるとティーネは、妃が背負っている布袋の中に、その長剣を入れた。鍔から上は、飛び出たままだが。
ティーネは、再び妃に跪く。
「ごめんなさい。ティーネ。あなたにも付いて来てほしいのだけど……私の魔法力が足りないの……」
妃は、悲しげな声で言った。
跪くティーネを見つめる瞳には、妃と護衛役の従者という二人の関係を越えた、何かが、あった。
うつむいていたティーネは、顔を上げ妃の瞳を見つめ返した。
「よいのです」
ティーネの顔には、穏やか微笑みが、浮かんでいた。
「さあ、お早く……」
ティーネは、妃に言う。
それに応じるかのように、くるりと振りむき、星空を見上げた。
「夜空に輝く美しき星々よ……聖海から吹く清き風よ……」
目を閉じ、祈るように、呟くと妃の体は、黄金の光に包まれた。
名残り惜しそうに妃は、振り返り、ティーネを見た。
ティーネは、それに無言で、うなずく。
妃も、うなずく。そして、決心したかのように改めて、前を向く。
ハァーと深く、息を吸う。
「風よ!」
妃は、叫んだ。次の瞬間、彼女の体が、さらに輝き、黄金の光、そのものになり、流星のように、水平線の彼方へと飛んで行った。
ティーネは、立ち上がり、流星となった妃の姿が水平線に消えるまで、見ていた。流星が、消えてしまうと、星空を見上げた。
「夜空に輝く星々よ。お妃様を、姫君を……そして、我が息子を、お守り下さい!この命、捧げますので……」
言い終わると、ティーネは、ゆっくりと真っ直ぐに、歩き出した。そして、躊躇なく、身を投げた。
夜空には、美しい星々が、輝き、その下には、星々を写した海が、広がっていた。