苦痛を、より苦痛をッ!!
憎悪を向けながら地面に這いつくばる黒魔術師を見下ろすロクサーヌ。
黒魔術師にとって今のこの状況は実に信じられないものである。
(儂を……嬲り倒すだと!? かつて魔王様の配下で黒魔術のエキスパートとして貢献していたこの儂をッ!!)
黒魔術師の中に急激に渦巻く怒りの感情。
人間如きにここまでしてやられた自分と目の前の女が我慢ならない。
「……うぐぐぅ、まさかここまで力をつけるとは。人間とは侮れん。どうやら儂の負けかもしれんな」
黒魔術師は聞こえるように呟いた。
呼吸を乱して今にも息絶えそうなふりをして。
そして即座に別の魔術を行使した。
これこそまさに究極奥義、如何に力を身に着けた人間とは言えこの技には逆らえまい。
「――――時間よッ!」
時間停止を司る魔術。
黒魔術師以外の時間が完全に停止し、生命の息吹が停止している世界へと変わり果てた。
「うぐ……儂の左腕を斬り裂いたその実力は褒めてやる。だが甘いな、その程度の力で魔王様の部下であったこの儂に盾突くなど」
時間が止まった世界の中で黒魔術師は懐からナイフを取り出す。
鋭利な切っ先はロクサーヌへと向けられた。
「ここまで来たことは褒めてやろう、……死ぬがいいッ!!」
ゆっくりと近づき彼女の胸にナイフを突き立てようと振り上げた。
だが次の瞬間、彼女の隣にいたベルジュラックの目が動き、黒魔術師を睨みつける。
「へ?」
気づいたときにはベルジュラックの強烈なボディブローが炸裂。
内臓と骨をシェイクされたような激痛を味わいながら壁にめり込まされる。
(な、にぃッ!?)
直後に時間停止の効果が解け、全ての時間は元に戻る。
ロクサーヌから見れば地面に這いつくばっていた黒魔術師がいきなり壁にめり込んでいたという謎の状況に遭遇したようにも見えた。
だがベルジュラックの反応を見てすぐに理解出来た。
「どうやらなんらかの方法で私を攻撃しようとしていたみたいだけど」
「な……なぜだ……なぜその化け物、が」
これもまたベルジュラックの力のひとつである。
宿主であるロクサーヌに対し悪意や敵意をもって危害を加えようとする者への報復行動。
「言ったでしょ? 彼は私を守る唯一無二の騎士だって。私に危険が迫ればどんな攻撃からも私を守ってくれる。物理攻撃は勿論、魔術といった概念的なものからもね」
「馬鹿な……それほどまでの力を持った悪霊や悪魔などは聞いたことがないぞ!」
「当たり前でしょ。彼は私の憎しみから生まれたのよ。私と彼、2人合わせて憎しみの怪人。……この子は母体の守護と命令を必ず遂行する。ただの雑魚なら殴る蹴るで十分だけど、今回は復讐という特別な舞台だから……大盤振る舞いはしないと」
ベルジュラックはロクサーヌを守るように前へ出て黒魔術師を睨みつける。
まだ意識のある相手に憎悪の視線を送りながら唸り声をずっと上げていた。
黒魔術師は完全に冷静さを失っていた。
かつて魔王を倒した勇者でもないただの小娘に、ここまで追い込まれていることが信じられないでいた。
自分がすべき次の行動がわからず、ただただ無力に壁からずり落ちるしかない。
容赦なく続いていく報復の刻に、黒魔術師は息を荒げている。
「随分余裕のない顔ね。……そんな表情はつまらないわ。ホラ、回復なさいよ」
「なんだと……ッ?」
「んん? 私なにかおかしなこといったかしら? 『回復しろ』といったのよ。回復すれば腕も怪我も全部治って元通りになるんでしょう? そうすればまたアナタを痛めつけられる。……ここまで来て"殺してくれ"だとか"死にたい"とか思われても困るのよ。命は大切にしてもらわないと。――――じゃないと私が満足に復讐出来ないじゃない」
満面の笑みで恐ろしいことを口走るロクサーヌの、膨れ上がった憎悪が眼光として滲み出ていた。
ベルジュラックに並ぶその異様な威圧に黒魔術師は今までにない恐怖でその身を震え上がらせる。
復讐と憎悪に燃え上がる魂。
あれほど美しく清廉な女性をここまで魔性へと変えてしまうのだから。
「ま、待て……待ってくれ!」
「待ちません」
「なにが望みだ? 言うてみろ。その願いを叶えてやる!!」
「今欲しいのはアナタへの復讐」
ロクサーヌはブレない。
そして命乞いをする黒魔術師の姿に苛立ったベルジュラックが牙を剥き出しにしながら歩み寄ろうとする。
「馬鹿な、復讐をするのならカルラータであろうが!! なぜ儂を!?」
「共犯者だからよそれくらいわかって。……ベルジュラック、この男を回復させなさい」
彼女の掛け声のもとベルジュラックは雄叫びを上げるや自らの身体を液体状と化し、一瞬にして黒魔術師の口や鼻、耳から体内へと入り込んでいった。
「うご、うごがああああああッ!!」
「……回復手伝ってあげるわ。体内に忍び込んだベルジュラックは脳へと移動してアナタを操る」
次の瞬間、黒魔術師は自身の身体が勝手に動くのに寒気を覚えた。
右手を掲げて魔力を宿していく。
勿論自らの意志ではない、見えない糸かなにかで操られているような気分だった。
そして魔力によって自分の身体が治癒した。
殴られた際のダメージも切断された左腕も全てが治る。
「あ……ぁ、ぁああ……ッ!!」
怯えて子供のように震える黒魔術師を余所に彼の影からヌラリとベルジュラックが帰還する。
心なしか不気味な表情に邪悪な笑顔が見えた気がした。
「さぁ……復讐の続きをしましょうか。まだ夜は始まったばかりなのだから」
「ひぃ! あ、悪魔……ッ!!」
ベルジュラックの強烈なラリアット。
バウンドするほどの威力を背中や後頭部に喰らった後、素早く間合いを詰めたロクサーヌの踵落とし。
狙いは喉仏に定めて、これまで練り上げた柔軟さとボディバランスを駆使しての凶悪な一撃。
再度地面に叩きつけられ喉を潰されそうになり一瞬意識が途切れた。
本気で死を感じた瞬間であった。
「ぁ、ぐぁ……げほッ! うぐ……」
「ホラ、なに寝転んでいるの。立たせてあげるわ」
ロクサーヌが彼の襟首を掴み軽々と持ち上げる。
腕力すらも並大抵ではなく、最早人外の域とも言っていい。
目の前で憎しみに満ちた薄ら笑いを浮かべる怪物に黒魔術師がついに発狂した。
これは自分が対処できる領域を遥かに凌駕している。
人間の復讐の念がこれほどまでに恐ろしいものだったのかと今まで侮っていた。
「ひぃい! こ、殺せぇ! 殺してくれぇええ!!」
「ダメ~」
ロクサーヌに掴まれながらベルジュラックの強烈な一撃が腹部にめり込む。
まるで大砲かなにかを至近距離で受けたかのような衝撃と威力だった。
これでまだ加減しているのだから恐ろしい。
(なぜ……なぜこの儂がこのような目に……ッ!? 儂は、ただ手伝っただけであるというに……ッ!)
繰り返される苦痛と激痛にこの誇り高い精神が崩れていく。
まだ1時間も経っていないというに、まるで何年もの間この拷問に耐えているような気がした。
そして、黒魔術師にとってまさに"恐怖"とも言える報復行動が控えていた。
殴られる以上の苦痛と屈辱、だが痛みに耐えるだけで精一杯の彼にはまだ知る由もない。




