その9 急転
どうしてこんなことになったんだろう?
テスト三日前、生徒は早めに下校しなければいけないというのに、 図書室に居残ってわたしは一体何をしているんだろう。
(あれぇ?)
普段座ることのないテーブル席で、身をすくめるようにして俯いているわたし。 膝に置いた両手の甲がまだ濡れている。
(あれれ?)
上目遣いでそろりと見れば、正面の席には先輩が腕を組んで口をへの字にして座っている。
(うわっ、眉間、皺寄ってるよぉ……)
ほんと、なんでこんなことになったんだろう?
そう、先輩はいいとしても……、 ほんとはよくないけれど、まあ仕方ないとするしかないでしょ。 問題は隣の人物。
そりゃ、たしかに会ってみたい、とは思っていたけれど、イキナリですか?
先輩の隣、わたしの右斜め前の席には、気遣わしそうな面持ちの美人。わたしが口を開くのを待っているご様子。
少し落ち着いてきたとはいえ、いやそれだからこそか、 わたしは自分の置かれた状況というものが、よく理解できないでいた。
どうして?
どうして小峰先輩がここにいるのぉ~?
さて、ことの顛末は?と思い返してみれば……。
(うわっ、恥ずかしすぎるぅ)
やってしまった。穴があったら、どころじゃない。自ら掘ってでも入りたい。
(あー、失敗したぁー。もう……ダメ……)
写真の件が、ソフトランディングで落着したあと、先輩の少し汗ばんだ背中を見ながら、ちょっと色気めいたものを感じてしまったわたし。
(あー、ハグしたい。ハグハグされたい)
などと、ちょっとはしたない本性が表面化してきて、顔を赤くしてしまう。とどまることを知らない妄想は、期待を映像化してしまう。
(まずいって!さすがにこれ以上は)
このときのわたしの顔、見られるものなら見てみたい。
「ねえ、試験は大丈夫なん?」
あらぬ妄想の途中で、いきなり声をかけられたわたしは、ようやく我に返り椅子の上で飛び上がってしまう。
「えっ、なんでしょう?」
「試験。余裕?」
いつのまにかわたしに向き直っていた先輩が、少し首をかしげ気味に聞いてきた。さきほどの妄想をたくましくしすぎたせいか、目の前の先輩が(特に唇が)妙に生々しく思えて顔を合わせることができなかった。
「そんなふうに見えます?」
視線をはずしながら、現実への回帰に必死なわたし。
「うん。できそう」
「えっ?」
「いや、だって勉強できそうにみえるもの」
先輩の買いかぶりに、ようやく妄想から現実に復帰したわたし。
「否定しないという手もあるんですけど、残念ながら……」
「あれ?やっぱり」
「やっぱりってなんですか、やっぱりって。」
「文系は得意そうだから、理系?」
わたしの苦手分野を聞いてくる。そんなところで鋭くならないでくださいよ、先輩。
「XとかYとか、アルファベットなんて英語以外で見たくないです」
「なるほどね、数学ですか」
うわあ、なに?その勝ち誇ったような顔。
(う~、許せん)
そこで、高校に入ってからの、少し気になっていることを聞いてみる。
「先輩、赤点って取ったことあります?」
「なに?そこまでヤバいの?」
(ぐは、墓穴)
「いいえ!聞いたみただけです」
「いやあ、さすがに赤はないなあ。まあ、ギリギリんときはあったけど」
「裏切り者!」
「まだわからんでしょ。ま、お互いガンバ!ということで、よろしく」
「うー」
「なにデレってんだよ」とツッコミを入れられそうな態度で応答しながら、それが不思議と心地よいことをわたしは感じていた。
普段なら男子に媚びるような女子の態度を毛嫌いしていたわたしなのに。
たぶんこの時、わたしの心は無防備になっていたのだろう。無愛想という鎧、無口という盾、皮肉という剣。そんなすべての装備を取り外していた。
人付き合いが苦手という言い訳で、他人と距離を置こうとしてきたわたし。傷つきたくない自分を誤魔化してきたわたし。そんなわたしの取り繕ったうわべは、いつしか先輩によって剥ぎ取られていたみたい。
(この物言いは、ちょっとエッチっぽいけど)
おそらく、このとき以外であれば、先輩の次の言葉には軽く受け答えができたはず。
そう、いつものわたしであれば。けれど……。
むき出しになっわたしの心に、鋭く深く先輩の言葉が突き刺さる。
先輩もこんなことになるなんて予想もしなかったろう。
いや、わたし自身でさえ、自分がこうなるなんて思ってもいなかった。
「ねえ、試験終わったらさ……」
!
なんの変哲もないこの言葉が、この後の展開を急転させるのだった。




