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図書室と先輩  作者: アデル
5/22

その5 敵の名前

(名前聞きそびれたな)


 わずかな時間と反比例するかのような深い印象が、心地よく余韻となってしみわたる。


(また会うような気がする)


 ふと根拠もなくそう思った。もしかしたら、「会いたい」のかも知れない。彼女が退室してから十秒ほど、そんなことを考えていたわたしは、椅子に座ったまま右足を乱暴に横に振った。


「行きましたけど……」


 つま先がもう少しで届きそうなところ、その言動が実年齢に疑問を抱かせるということに気付いていない、まったくもってはた迷惑な「男の子」が一人。

 つまり、そこにいるのは大きな体を目一杯丸めてひざを抱えた先輩に他ならず……。

 わたしが美女の退場を告げると、口に当てた人差し指をようやくおろし、おおげさに息を吐き出したのだった。


「ぶっはぁ!」


 そして、のそのそとカウンター下から這い出してくる。


(クマみたい)


 四つん這いのまま、わたしの横まで来ると「どっこら、せっ」と立ち上がり、腰に手をあて背をそらす。


「うあぁ、まいったまいった。きついわぁ、ここ」


 深く息を吐き出しながらそんなことを言う。


「あたりまえです。先輩みたいな人には狭すぎです。というか、こんなところに隠れないでください。小学生じゃないんですから」


「いやあ、ここしかないって思っちゃってさあ」


「それにですね、さっきからわたしの足見てませんでした?ちょっとエッチいですよ」


「眼福眼福。君のきれいなおみあし、堪能させていただきました」


「うわっ、おやじくさ!」


 そのくせ、やることが子供並みなんだから、もう。


「ほめているんだけど?」


「じゃ、はい」


 わたしは右手の平を先輩の前で広げる。


「なに?」


「拝観料」


 先輩に、これ以上はできないというくらいの笑顔を向ける。


「うおっ、そうきたかあ」


「当然です。口止め料込みなんですから」


 そう、先ほどの一件。思わず加担してしまったけれど、事情を知っていれば、対応も変わったかもしれないんだから。権利よね。さっきの人に悪く思われるかもしれないリスクを背負わされたんだもの。


 ことの起こりは、わたしがカウンターにはいってから数分後。


「どうすっかなあ。あっ!」


 いつものごとく、独り言には大きすぎる声で今日の一言を発したかと思ったら、いきなりカウンターの中に突進してきた先輩。わたしに右手を上げるだけで挨拶を済ませると、本来人の入るべきでない場所に、その大きな体をすべりこませたのだった。


(どうしたんですかあ?)


 声をかけようとしたわたしに、左人差し指を口にあて、右手で拝むような仕草で(かくまってくれ)と目で訴えてきた。


(なんなの?)


 わたしが疑問符の整理で、少々困惑気味になっていたところに、先ほどの美女登場とあいなるわけで……。


「ああ、申し訳ない。今日、持ち合わせなくてさあ、これで勘弁してくれる?」


 先輩はそう言うと、ズボンのポケットから何かを取り出し、わたしの手の平にのせる。

 アメ?


(わたしはお駄賃ねだる幼稚園児ですか、もう)


「あっ、これ。」


 渡されたアメを見てみると、わたしの好きなミルク味。


「仕方ないですね。これで手を打ちましょ」


 ちょっと安くしすぎたかしら。


「ありがとさん。いやいや、助かった」


 言うやいなや、首を左右に振って関節を鳴らす。ポキボキと音を立てる。うっ、少しゾワゾワ。次に上体を勢いつけて右、左。どこかが折れてしまいそうな、ポキ、ボキ、ベギをまとめて圧縮したかのようなあの独特の音が響く。さらに、ゾワゾワ。聞いているこちらの背中がむず痒くなってくる。


「おお。鳴る鳴る。」


 調子に乗って指の関節まで鳴らし始める。


「先輩、やかましいです」


「ああ、気んもちイイ」


 息を吐き出しながら、爽快感をアピールする。


「あんな狭いところにいたから、体がさあ……」


「自分で入っておいて、文句ばっかり言わないでください」


 さて、そんな先輩に冷ややかな視線を浴びせつつ、わたしは違うことに神経を向けていた。聞いておくべきか、それともやめておくべきか。

「ジン」という美人の一言について。

 聞かないほうがイイのかもしれない。だいぶ心臓が早打ちを始めている。こんな展開、予想だにしていなかった。先輩に彼女がいるかもしれないなんて。

 ほんと、想定外。どうしよう。

「彼女だよ」なんて答えられたら立ち直れない。聞いたら後悔しそう。でも聞かなかったら聞かなかったで後悔しそうな気もするし。鼓動の早打ちが止まらない。足もかすかにふるえている。

 なんでこの人相手だとこうなっちゃうんだろう。今更ながらの自問。わかっているはいるけれど。

 先輩はこんなわたしの動揺に気付くわけもなく。


「まったく、小峰もなあ、融通きかないよなあ」


(ふーん、小峰さんていうんだあ)


 わたしは苗字がわかったことで、少し平静さを取り戻す。敵?の名前すら知らないうちに負けたくはないものね。


(敵と決まったわけじゃないけれど)


 そして悪い癖が顔を出す。


「小峰さんて言うんですか、今の人。……どんな人なんですか?」


(バカ!何聞いてんのよ)


 流れでつい聞いてしまった。どうしてこう、考えなしにそのまま口に出しちゃうかなあ。まったく。

 頭を抱えたいところだけど、後の祭り。結局、わたしの行動原理って、好奇心が最優先されているんだろうな。これでいつも失敗しているのに、同じことばっかり繰り返しているような気がする。もう少し制御機能をパワーアップさせないと……。

 けれど、わたしの真意を汲み取ることなく、先輩は的をはずした答えで応じてくれた。


「うん、ああ、今の? あれ、うちの副部長。ちょっとこわそうでしょ。俺、苦手なのよ」


(いえ、そういうことじゃなくて、「ジン」て、先輩の名前でしょ。どうしてあの人が先輩のこと、「ジン」て呼ぶんですか?)


 口に出せない疑問を目で問いかけてみる。無論、この人に通じるわけもなし。


(ふう、でもこれでよかったのかな)


 急いてはコトを仕損じる、っていうしね。


(でも、コトってなに?) 


 自分で考えておいて、つい可笑しくなる。


(まあ、いいか。そのうちわかるでしょ)


 墓穴は回避しなくちゃね。そうして詮索を諦めたわたしは、そのまま話を合わせることにしたのだった。

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