その4 美人は去り謎だけが残った
「あれ?」
入り口でまた誰かが声をあげた。まったくこの図書室ときたら、変な呪いでもかかっているみたい。入るときはなにかしら声をあげなければいけないとか。
それにしても珍しい。今度は女の人。カウンター越しにドアのほうを覗こうとしたら、それより早く、先程の声の主と思われる人がわたしの目の前に現れた。たぶん上級生。
きりりとした顔立ち。ふちナシ眼鏡が知的さをさりげなく演出している。肩までのストレートヘアがうらやましい。CMのモデルみたい。ちょっときつそうな印象だけど、十分美人といえる容姿。
すこし反発心が湧いてくる。しょうがないよね。
(どこかでみたような……)
記憶に波風さざめくけれど、すぐには思い出せず、カウンターを間にその人の顔を見る。わたしの視線に対して、まるでぶつけるようにその人もわたしを見た。けれどけっして挑みかかってくるような感じじゃなくて、人と話す時は相手の目を見ながら、というのを常にしているようだ。
こういう人は苦手だけど好き。
一瞬でいろいろ考えてしまった。初対面の人に対して、こんなこと考えるのは久しぶり。あとから思えば、「予感」だったのかも知れない。同じ一瞬の間、目の前のこの人は何を考えたのだろう。もし、機会があったら聞いてみたいような気さえした。
まとまりない思考がさらに拡散する前に、その上級生が聞いてきた。
「すみません。ジン……、じゃないや、えーと、二年の小森君、来ていますか?」
わたしの第一印象の不確かさを証明するかのような優しそうな声。少し意表を衝かれた。もっと棘っぽい声を想像したのに、やわらかいというか……。
まぁ、わたしの予想なんてこんなもの。
「小森先輩ですか。いえ、今日はまだいらしてないですが」
カウンターの右下隅に目をやりながら、そう答えて
(いらしてない、ってなんか使い方おかしくない?)
などと自分の言葉にツッコミをいれてみる。
(来ていません、でよかったのかなぁ?)
言葉の使い方がちゃんと身に付いていないという自覚があるものだから、つまらないようなことがすぐ気になってしまう。国語の成績、推して知るべし。
さて、話を戻して。
小森仁 これが先輩のフルネーム。図書委員になって間もない頃、名前を間違うのがイヤだったので、上級生に対しては、いつも名前ぬきで「先輩」と呼んでいた。でもさすがに三ヶ月もたてば、顔と名前も一致して、他の上級生のことは「何々先輩」と名前付きで呼んでいる。
けれどこの人にだけは、いまだに名前をつけないで「先輩」をそのまま呼び名にしている。わたしのささやかなこだわりというか、ひねくれた思いを込めているのだけれど、この人は気付いていない。……はず。
それにしても、この知的美人、気になる一言を発してくれたなぁ。
「ジン」
下の名前で先輩を呼ぶ人がいるなんて。
(もしかして、彼女?)
「どぎまぎ」って、こういう時に使うのかしら、などと思いつつ、胃の上のあたりがしめつけられるような感じに耐えなきゃならなくなった。
「司書室にも……、いないわね」
カウンターの後ろ、ガラス窓で隔てられた部屋を、背伸びしながら美人上級生が覗き込む。
(背はわたしと同じくらいかな)
関係ないことを思いながら、「はい」と意味なくわたしが答える。
「おかしいなぁ。部室にいなかったから、てっきりここかと思ったんだけど。しょうがないなぁ。……あ、ありがとう。ごめんなさい」
歯切れのいい口調で美人上級生はそう言うと、きびきびした身のこなしで図書室を出て行った。躊躇ないその仕草には、こちらが声をかける間も与えてもらえなかった。
颯爽ってこういうことかな。ちょっとかっこいいかも。なんかできる人って感じ?「ありがとう」と「ごめんなさい」を、ああもさりげなく言える人って、わたしには魅力的に映る。自分と比べてしまうからかもしれない。
(ああ、そうだ、写真部の人だ。どこかで見たことあると思った)
先輩や他の人と一緒にカメラを持って歩いている姿を思い出す。最初に起きた記憶のさざなみもこれでおさまった。……けど。
先ほどの一言が、別のうねりを起こして、大きな渦潮になりつつあった。
(ジン……)
美人は去り、謎だけが残った。なんちゃってね。




