その22 トイ、トイ、トイ!
「カーフィー オァ ティー?」
機内食の独特の不味さに閉口したあと、わたしは紅茶を頼み、何か忘れ物を探すかのように、あの日のことを反芻しながらそれを口に運んだ。
あの時の二人の顔は見物だった。先輩はぎょっとしたような表情で身を引くし、小峰先輩はポカンと口を開けてフリーズ美女と化すし。
「やっぱり今日は帰ります。二学期になったら、また誘ってください」
勉強や旅行の準備もあるしと言い訳をしたけど、本当は自分の言葉に急に気恥ずかしくなって、慌てて帰宅を申し入れたってわけ。
まったくもう、すぐ舞い上がっちゃうんだから、わたしってば。でもこれぞ「恋のヒット&アウェー」作戦?
「先輩が好き」ではなくて「そういうところが好き」と婉曲的な言い回し。フリッカージャブ的な? 必殺の右ストレートは温存しておこう。帰り道、上気した顔を元に戻せないでいたわたしのセリフじゃないけれど。
わたしにとって、忘れられない一日はこうして終わった。
「どうしたんだい?」
いつのまにか思い出し笑いをしていたのだろう、そんなわたしの様子を怪訝そうに訊ねる祖母。
「ううん、なんでもない」
「まだ時間かかるからね、休んでおくんだよ」
「ありがとう」
そしてわたしは、祖母の気遣いに合わせる様に、シートに体を預け目を閉じる。
試験期間中は、さすがに会いに行くということはしなかった。先輩たちのほうから来ることもなく。
(実際それどころではなかったのだと思う。二年生の課程は厳しいらしい)
わたしは落胆と安堵を胸に抱きながら、解答用紙の空欄を埋めるべく四苦八苦の4日間をやり過ごした。
試験日程の時間割も違っていたため、先輩たちとはついに顔を合わせないまま、わたしは一足早い夏休みに入ることとなった。
そのことを少し気がかりに考えていると、やはり疲れているのだろうか、次第に意識が遠のいてゆくような感覚が襲ってきた。抗う必要もないので、そのまま目を開けないことにする。すると睡眠移行時特有の脈絡の無さで、夢の世界がゆるゆると幕をあげ始めた。
「だって、わたし魔女だもの」
なぜかカウンター内で当番をしている関先生が事も無げに言い放つ。その途端、黒のとんがり帽子、黒マントに黒装束というイメージどおりの格好に変身する先生。
「やっぱり」
本を受け取りながら、わたしは横にいる先輩にこう言うのだ。
先輩、わたしたちなんか可愛いモンです。この人に比べたら、見習い程度に過ぎないですよ。
そんなシーンをまだ夢の外にいるわたしが見ている。
そう、あの日関先生がわたしに囁いた言葉。あれは、魔女の呪文。
そのとき、眠りかけていたはずなのに、それでも外の世界との繋がりを断ち切れないでいた聴覚が、耳元で囁かれた誰かの言葉を捉える。
「… … …」
え?
ビクっと体を震わし目を開けたわたし。すると祖母が申し訳なさそうに謝ってきた。
「ああ、ごめんよ。起こしちゃったかい」
「ううん、大丈夫。ねえ、バーバ、今の……」
「ごめんよ。もう寝たと思ったから……」
「そうじゃなくて、今のってアレでしょ」
「ああ、おまえが好きだったおまじない。覚えていたのかい?」
幼い頃、なぜだか気に入って寝入る時にも祖母にせがんだおまじない。
‘toi,toi,toi’
そう、そしてこれがあの時、関先生がわたしに耳打ちした言葉。「元気を出して」とか「頑張って」というドイツ語のおまじない。関先生がこれを知っていたなんて思いもしなかった。
まったく、あの人も得体が知れない。あのときの関先生の笑顔が目に浮かぶ。本当に魔女なのではないかしら。
「バーバ、ありがとう。わたしは大丈夫だから」
気乗りしないでいるわたしのことを心配してくれたのだろう、その心遣いに礼を言うと、祖母もようやく安心したかのような顔に戻る。
「ゆっくりね」
「うん」
関先生には二学期になってから、色々と聞いてみよう。どんな話が聞けるか、今から楽しみだ。自然、わたしの考えは先輩のことに移る。会わないままにしたことが逆に想像を掻き立てる。
あのとき先輩はどう思ったろう。小峰先輩とどういう話をしたんだろう。なにより、二人の関係をちゃんと聞いていない。
気にかかることが頭の中で渦を巻く。けれど今はそれを考えても詮無いこと。ならば楽しいことを考えながら、また夢の中へ行こう。
先輩に絵葉書でも出してあげよう。そうだ、ドイツ語で書いちゃえ。
受け取った先輩はどんな顔をするだろう。すぐにはわからない筈。
「deine Adelheid」で締めくくろう。
わたしのもう一つの名前「アーデルハイト」
もしかしたら自分からすすんで使うのは初めてかも。
誰?って思うよね。ふふ。
覚醒している部分がかなり薄れてきたことを感じながら、その時の先輩の顔を想像してみる。
そして二学期、図書室に入ってくる先輩は、いったいどんな一声をわたしに聞かせてくれるだろう。図書室で先輩とどんな会話を繰り広げることになるだろう。ひと月以上先のことがこれほどに待ち遠しいなんて初めてだ。今のわたしは、祖母がまた何か聞いてくるんじゃないだろうか、という顔で笑っていることだろう。と、そこまで思ったときだ。
わたしは本当に忘れ物をしていたことにハタと気がついた。
なんてこと!
「あー、小峰先輩にハンカチ返すの忘れてたあ!」
お・し・ま・い
つい先日このサイトを知って、高校生の時に書いたものをあげてみました。
いやいや、あの頃の私ってこんなもの書いていたんだと、
懐かしいやら、恥ずかしいやら、はずかしいやら、ハズカシイヤラ……。
うーん、黒歴史?
お目汚し失礼いたしました。




