その14 自己紹介
「ほら、やっぱり!」
書架に本を戻そうとした手を止める。
(ああ、よかった。きてくれた)
「消したい過去」から一日おいて、またまたこりずに図書室にいるわたし。明日から試験だというのにわたしもなにやってんだか。
でも一昨日は、お笑いを勝ち取っただけで終わってしまって、そのまま帰宅。昨日は用事があって来れなくて。
今日会えたら、ちゃんと謝りたいなぁ、などと殊勝にも思っていたわけで。入り口での一声に、わたしは内心安堵する。
「いや、オレもいるって言ったじゃん」
そしてもう一人。
美女と野獣?
(いや、それはさすがに先輩に悪いかも……)
それにしても……、入り口で声あげるのヤメにしませんか、先輩方。
「わたしが絶対いるって言ったら、いないかもしれないとか、言っていたじゃない」
「オレだっているとは思っていたさ」
いえ、そこで言い争いを始められても困るんですが。
「ちは」
争いが深みにはまる前に、わたしは挨拶をしてその場を収めることを試みる。
「こんにちは」
挨拶を言葉で返してくれるニコニコ美女。そしてその横で片手をあげて、挨拶を簡略化するうんざり顔の先輩。
うーん、王女様と(そのわがままに振り回される)お付の従者くらいにしてあげよう。
「いーい。わたしの勝ちだからね」
Vサインの左手を先輩の顔の前で振っている。ふむ、なんとなく、なるほど。カウンターではなく、テーブル席に戻りながら聞いてみる。
「景品はなんですか?」
小峰先輩が少し驚いたようにわたしを顔を向ける。
「あら、なんで?」
あのぉ、わかりすぎる会話なんですけど。
「わたしがいるかいないかで、なにかをおごるとかおごらないとか、たぶん、そんな感じじゃないですか?」
「あったりぃ。鋭いのね」
「ということは小峰先輩の勝ちですね?」
「いや、賭けなんてしてないから」
「あーもう、往生際の悪い!男でしょ!」
かわいそうな先輩。いきさつはだいたい想像できるなぁ。たぶん、小峰先輩が勝手に賭け事にしてしまったに違いない。そしてずるずるとそれに巻き込まれた形で、今、苦虫をかみつぶしたような顔をしている、というところのようで。
「『ラ・リーヴ』のモンブランで手を打つわ」
わたしも知っている駅前のケーキ屋さん。何度か買ったことあるけど、なかなかに美味しいお店。
勝ち誇った顔で小峰先輩がテーブルに着席する。つられるようにして先輩もその横に座る。
「ひどいんだよ、こいつ。オレも「いる」って言ったのに」
口下手な先輩がこの人に話術で勝てる見込みなんてまずないし。
「でも、「いないかも」って言っちゃったんでしょう。したら、先輩の負けですよ」
おぉ、わたしも酷い。
「でしょう?そうよね。ほら、みなさい」
「魔女だな、おまえたち」
女二人相手に口では勝てぬと諦めたのか、天井を仰ぎながら先輩が肩を落とす。
「ね、タカハシさんも奢ってもらう?」
先輩を横目に見ながら意地悪そうに笑いながら言う。その提案には心動かされるものがあるけれど、
「いえ、さすがに悪いですから」
と、一応遠慮という言葉は知っています、と先輩に向かって示してみる。
「もう、どうにでもしてくれ」
あらあら。
「ねぇ、そういえばさ、わたし、自己紹介してなかったわよね」
それはわたしも同じなんですけど。
「ごめんなさい、馴れ馴れしくしちゃって。いいかしら?いまさらだけど」
ささいなことだけど、きちんとしなければ気持ちが収まらないのだろう。なしくずしで知り合い面をするのが嫌みたい。あらためて小峰先輩の人柄に好感をもつわたし。
「ジンからいろいろ聞いていたから、あまり初対面って感じがしてなくって、ごめんなさいね」
(いろいろ?)
その言葉を聞いてわたしは先輩を視線を向ける。たぶんジロッて感じになったと思う。その中味が気になるぞっと。
すると、ギョッっとしたように上半身をひく先輩。
「いや、なにもヘンなことは言ってないから。ホント」
ムキになるところが怪しいんですが。
「そうね。少し変わった子が図書委員にいるって言ってただけよね」
「ジロッ」では優しすぎた。「ギロッ」とにらんであげよう。
「さてと……」
頭をかきながら視線をそらす先輩。
あ、逃げた。
仕方ないので小峰先輩に視線を戻すわたし。
「わたし、2年3組の小峰真琴。小さい峰に、真実の「真」、楽器の「琴」でコミネマコト。写真部の副部長やってるの。よろしくね」
実にわかりやすい説明。慣れているのかな。わたしではとてもできない芸当。
「1年3組の高橋です。よろしくお願いします」
(あちゃー、可愛くもなんともないな…)
まったく、わたしも先輩に負けず口が下手。でも逆にそっけない装いが、これ以上の追求を避けるにはいいのかも。
「下の名前は?」
ウワッ。逃げられなかった……。
小峰先輩と目を合わせるわたし。初めての出会いを思い出す。
逃がしてはもらえそうにないな、これは。というか逃げるわけにいかない、な。
(いいかな、この人だったら)
一瞬の戸惑いはあったけれど、わたしは自分の名前を口にする。
「あっ、すみません。「アデル」です。カタカナで「アデル」です」
あまり好きでない名前だけれど、ごまかすのもおかしな話。でも、それが顔に出てしまったのだろう。その変化を目ざとく感じ取ったらしく、
「ごめんね、言いたくなかった?」
と少し間を置いた後、小峰先輩が謝ってくる。
「いえ、そんなことないです。すみません、ヘンな気を使わせてしまって」
「そ。ありがと」
いいなぁ、この人。会話もなんかさりげなくって、絡み付いてくるようなイヤラシサがない。
と……。
眠たそうな目をしていた先輩が、その目をおよそ1.4倍ほどに見開いてわたしを見ている。
「はい?」
「……」
どうしたんだろ?
「なに?高橋さんて、そんな名前だったの?へぇぇ、知らんかった」
へなへな~。ち、ちからが・・・。こ、こら~。
「殴ってもいいわよ、私が許すから」
小峰先輩の許可は嬉しい限り。ほんとに平手打ちの一つでもしてあげようかしら。
「な、なんだよ。そんな、二人して苛めないでくれよ」
あらためて思う。この人になにかを期待するのはヤメよう。うん。