Chapter5. 目覚めと旅立ち
(ああ、これは夢だ。)
珍しいことに今、夢を見ているらしい。
養母さんに頭を撫でられながら、眠っている夢。
理由は杳として思い出せないが、何か嫌なことがあって泣いて帰った自分をよく養母さんは頭を撫でながら寝かし付けてくれた。
そんな、心が暖かに感じる夢。
「か、あさん?」
呟いて眼を開けると、温かい風が頬を撫でて。
そして一気に意識が覚醒した。
なぜなら、自分が目を覚ましたところは今までに見たことがないほど緑を湛えた場所だった。
自分が寝ていたのは、どうやら木の根元だったらしい。
飛び起きてみれば、額の上に乗っていた一枚の葉っぱがずれ落ちた。
頭から落ちたそれを手に取り眺める。それは、ほんのりとした温かみがあり光に当てていないのに薄ぼんやりとした光を発している。
――魔力。
ふとそんな単語と、褐色の肌をした美丈夫の妙に爽やかな笑顔が脳裏をよぎる。
「なるほど、これが知識というわけだ。」
そう呟いて立ち上がると、少しだけ残っていた疼くような頭痛に顔をしかめた。
ローゲが別れ際にしたのは、恐らく脳に直接知識を焼き付けたのではないかと当たりを付けた。
かつて、国家反逆罪だかで軍送りになったという仲間がそんな技術があると言っていた。都市から追い出される前に施術された時の話を酒が入るとよくしていたが、激しい痛みを感じて身体中に力が入らなくなると言っていたから少なくとも、それと類似することをされたのであろう。
不意打ちをかけられたことに情けなさを感じて短く舌打ちをする。
しかし、こうやって実際に“知らない”ことを“知っている”というのはまぁ便利に感じる辺りがやるせなかった。
溜め息を一つして、気持ちを切り替える。
ぐるりと辺りを見回すと、目覚めた場所は鬱蒼とした森の中に見える。
しかし、木々が枝葉を広げて太陽の光も差さないはずなのにこうやって視界を確保できる程度には仄明るい。
見上げてみれば、先程拾った光る葉を生い茂らせた枝が眼に入る。この光る葉のお陰でここは明るいらしい。
人の気配も、こちらへ敵意を向けてくる生物の気配も感じないことからある程度安全の確保された土地と考えて、まず自分の状態をチェックすることにした。
跳ね起きたときから気にはなっていたのだが、まず服装が違う。これも異世界に転生させたための神様方の配慮なのだろう。
上着は黒に近いくすんだ緑色のシャツ。下は茶褐色のパンツと簡素だが頑丈な革のブーツ。そして、フードのついた丈の長いマント。
死の間際に身に付けていた迷彩柄の野戦装備とは大きく違う格好となっている。
しかし、そんなお伽噺から飛び出したような格好を裏切るものが二つ。
一つは上半身にあるショルダーホルスター。左肩に重みがあることから、下賜された銃はそちら側にあるのだろう。20センチ程と少々ショルダーホルスターに納めるには大きいが、マントを羽織っていることを考慮するならば悪くはないのだろうが少し体を動かしづらい。
幸い、ベルトによりある程度の調整が行えたため、何度か銃を引き抜いて位置を変更し、とりあえず妥協できる範囲まで微調整を終わらせる。
もう一つは左足に付けられたダンプポーチ。贅沢を言うなら腰に下げたいところではあるが、残念なことに今履いているパンツにはベルトはない。リロードに若干の難があることを確かめて顔をしかめた。恐らく、これが何のための装備であるか神様方も知らなかったのだろう。
結局、どちらも改善の必要性有りと心に留めるだけにする。工具も材料もない今、無い物ねだりをしたところで栓がない。もう一度それらの固定を確かめてから身に着けている物のチェックは終了とした。
「あとは、あれか…。」
自分が寝ていた場所の程近くに置いてあった、ズタ袋の紐を緩め中身を確認する。
中には大振りなナイフ、一巻きのロープとシャッターの付いたランタン(それ用の獣脂)。そして油紙に包まれた保存食と栓の閉められた皮袋が数日分入っていた。皮袋は揺らしてみるとたぽたぽと音が鳴ったので、恐らくこの世界の水筒なのだろう。
しかし、どれだけ探してもマッチなど着火に必要なものは入っていなかった。
最悪、貴重な銃弾を分解して火をおこせばいい。
だが、折角周りに木が大量に生えているのだから、ファイアピストンでも作るかと溜め息を吐きつつもナイフを持って立ち上がる。
その時何か知識の片隅に引っ掛かかるものがあったのだが、夜になるまでに行動せねばと考えて一旦捨て置く。
「しかし、神様も意外と抜けたところがあるんだな。」
銃などはいいとしても、マッチや火打ち石を入れ忘れるとはとぼやきながら、人生で数度しか作ったことのないファイアピストンはどう作ったのかと頭を悩ませることとなった。
◇
意外と自分の記憶力も捨てたものではない。そう予備も含めて作成した5つほどのファイアピストンをズタ袋へと放り込みながら自画自賛する。
当時は使う機会などないだろうと考えたその知識が、異世界というよくわからないところで活躍することとなるなどは露にも思っていなかったのだが。
これはもしかすると錆び付いた古い知識も思い出す必要があるかも知れない。そう考えながら、ズタ袋からロープを取り出すと工作の片手間広い集めた枝を縛る。結構この森は広かったが、長い間人の手が入っていなかったのか乾いた枝は結構な量が集まり、ズタ袋には入らなくなってしまった。
そのため、纏めるのに使ったロープの端を余らせて持ち手を作る。これで、ズタ袋と一緒に担いでしまえば良い。
まだまだ食料や飲料水の補給など問題点は多いが、当座最大の問題であった火の心配がなくなったのだ。これでやっと旅立つ準備が整ったと言えるだろう。
忘れたものはないかと、もう一度荷物を一通り確認している最中。ふと、気になったので起きる時頭の上に乗っていた光る葉を拾う。
感傷と言うわけではないが、久しぶりに良い夢を見れたのはこれのお陰かもしれないと考えて、とりあえずその一枚と同じように落ちていた数枚の葉を一纏めにし、ズタ袋へと入れておいた。袋の中がぼんやりと光って、夜でも探し物が楽そうな状態となったのは少しだけ間抜けな光景に思えたのだが。
それと、ナイフは鞘ごと余ったロープを使ってダンプポーチの横にくくりつけ、すぐに使用できるよう出しておく。
すべてを確認し終えて、よしと呟くと立ち上がり森の中から抜けることとした。
先程、色々と集めている際に結構荒れてはいるものの明らかに人の手によって切り拓かれたと思われる道を見つけたのだ。
それに沿って歩いていけば、森の外に出ることは可能だろうと考えたのでまずはそこを目指すこととする。
出発しようと、荷物をひっかけてちらと自分が寝転んでいた場所に目を向けたが、すぐに視線を前へと戻すとユキは歩き出した。
暫く道なき道を歩いていくと、少し木々が拓けた場所に出る。
やはり、先程も確認した通りそれは人の手によって作られた道があった。だが、殆ど草に埋もれていて人通りが全く無いことをうかがわせることから、もしかするとこの先にあるのはすでに人の居なくなった村落跡地なのかも知れない。
実際のところ人にいきなり会うよりも、そういった廃村などを見つけることができたほうがユキにとっては都合が良いのだが。
とまれ、進まないことには何もわからないのだが。
問題はこの道がユキから見て左右二方へと延びており、かつ鬱蒼とした木々のせいで全く空が見えていないことだろう。
もう少し使われた形跡がある道ならばいくらでも調べようがあるのだが、残念ながらここにあるのは使われた形跡が全く無いもののため調べても何もわからない。
仕方ないか、と手近な場所に落ちていた枝を拾いそれを倒して進む方向を決めるかと腰を下ろしたのだが、ふと気配を感じてその場所から飛び退いた。
そこには、小さな何かがいた。
ふわふわと光を発しながら何かが漂うように飛んでいる。
それを見て反射的にナイフを抜き、いつ襲いかかられてもいいように逆手に構える。
暫くの間、その体制で固まっていたのだがそれは何をするわけでもなくふわふわと飛んでいたのだが、埒が明かないと感じたのか少しずつ近寄ってくる。
近寄ってきたそれを目にして、その姿がはっきりと分かったとき。驚きで思わずナイフを取り落としかけた。
それは、小さな人の形をしていた。
手のひらに満たないサイズしかない、昆虫のような一対の羽が生えた愛らしい顔立ちの少女だった。
光を発しているのは背中に生えた羽で、パタパタと小さくそれを羽ばたかせて飛んでいる。
驚きで目を点にしぽかんと口を開けていると、不思議そうな顔をした少女は首をかしげながら話しかけてきた。
「おにいさん、まいごなの?」
意思の疎通ができるのか。色々と衝撃を受けすぎたため軽い目眩を覚えたが、ひとまず話が通じる相手に出会えたと前向きに捉えることにし、未だ不思議そうにこちらを見つめている少女に話しかけることにした。
「…そうだね、迷子だよ。」
そう返し、はたと気づく。
少女の発したものも、自分の口から漏れた言葉は聞き覚えの無いものだった。
しかし、知らないはずの言葉を俺は問題もなく話せている。
恐らくローゲの仕業であろうと考え顔をしかめるこちらをよそに、少女は言葉が返ってきたのが嬉しいのかその顔に満面の笑みが浮かんだ。
「ひさしぶりに、人とはなしちゃったの!」
きゃいきゃいと笑いながら、パタパタと飛び回る姿を見ていると警戒するのがバカらしくなってきたためナイフを鞘へと戻す。
すると、彼女はこちらへと近づきとすんと肩に腰を掛けた。
この少女には警戒心というものはないのだろうか。
「おにいさん、どうしたの?」
こちらのそんな心配はよそに少女はニコニコと嬉しそうに話しかけてくるが、ユキは少し迷う。
彼女から敵意や害意といったものは感じない。しかし彼女に本当のことを話して良いのか。
少し考えたが、当たり障りの無い会話に留めることを決めて口を開いた。
「実はねさっき道を見つけたんだけど、どっちに行っていいかわからないんだ。」
「そうなの?じゃあ、あんないするよ!」
ちなみに、この話し方はだいぶ作ったものだ。
敵地で諜報や情報収集に勤しむ時には、こういった話し方を重宝した為だ。
それに気付かないまま、ご機嫌といった様子で少女は右手側をゆびさす。
「あっちにね、むかしいっぱいおにいさんみたいなかみのけのひとがいたの!だから、こっちにむらがあるとおもうの!」
そう言うと少女は得意気な笑みを浮かべて『ついてきて!』と肩から飛び立つ。
少し、不安もあるが他に妙案も浮かばなかったため苦笑しながら頷き少女の後を追う。
30分ほどだろうか。
飛ぶのに疲れたのか、また肩へと座り直した少女から色々と聞かれていたのだが、それをのらりくらりとかわしながら歩いていると森の終わりが目に入る。
そして、それと同時に目に飛び込んできたモノに気づいたとき。自然と足は駆け出していた。
森を抜けた先。
頭上に広がっていたのは――。
―――どこまでも続く青空だった。
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5話かけてやっと異世界へ。