Chapter1. 困惑と邂逅
覚醒するはずのない意識が戻った時、まず感じたのは浮遊感だった。
下へ、下へとゆっくりと沈んでいくような。
しかし、ふわふわと漂うようなそれは、沈み行くと言うよりも降りながら浮かんでいるという不思議な感覚。
次に覚えたのは、困惑だった。
(自分は、死んだのではないのか?)
目は開かないし、四肢に力は入らない。
声は出せないが、息苦しさも感じない。
冷たさも、熱さも。何も感じない。
もう何も感じないはずなのに、確かに自分を認識できていることが不思議で仕方がない。
もしかして、夢を見ているのか。
(いや、それはない。)
すぐにそれは否定できた。
当たり前だろう。あの傷で助かるわけがない。
腹から腸がこぼれるほど負傷していたし、応急処置として包帯は巻いていたが、縫合されていない傷からは血が流れっぱなしだった。
ましてや医療設備の整った本陣まで往復で2時間かかる距離だ。救援が間に合うはずもない。
生還の確率など、論じるのが馬鹿馬鹿しくなるほど絶望的だ。
つまり、あの瞬間に自分は死んだのだ。
死んだはずだ。
いくつもの可能性を考えては否定していく。
しかし、いくら考えても考えても答えが出ない。
だからこそ。この理解が追い付かない現状について匙を投げることを決めた。
(なるようになれだ。)
作戦行動中、絶対にすることのなかった思考の放棄だがそもそも自分の生き死にすらわからないのだ。
じたばたしたところで、現状の打破などできるはずもない。
もういっそ夢を見ていると考えることにし、浮遊感にも似たそれに身を委ねるのことにしたのだった。
◇
どれだけ降りたのか。
思考の放棄を決定してから暫くは自身の鼓動で時間が測れるか試してみたが、いくら確かめようとしても鼓動や脈拍を捉えることはなかった。
(つまり、死んでいることは確定したわけだ。)
普通ならば更に混乱するだけだろうが、そのことを自覚した時妙に落ち着いた。
ユキ自身、まったくの無宗教だったためか死後の世界なぞ生前はまったく信じていなかったのだが、もしかすると現状は死出の旅路なのかも知れないと漠然と考える。
行き先はまず間違いなく地獄だろうが。
益大もない考えが浮かぶほどには落ち着いていたためだろうか。
否、落ち着きすぎていたためか。
いつの間にか、先程まで続いていた浮遊感が無くなっていたことに気付かなかったのは。
そして、次の瞬間一気に体が強張ることとなった。
「下に着いたのか?」
そう呟いた瞬間にはっとする。
声が出たのだ。
思わず漏れそうになった息を飲み込むと共に、またも混乱する。
思考が追い付かない。オーバーフローを起こしかけながらも、なんとか平静を保とうとして、やっと気付く。
声が出る。息をしているという有り得ない事実に。
死んだはずなのに、まるで生きているように。
瞬間。視界が拓けて四肢の感覚が戻る。
突然すぎて動くことができなかったが、兵士として培ってきた経験ゆえか、目だけが自然と動き現状を把握しようとする。
まず飛び込んできたのは、巨大な植物に侵食された廃墟。それも、屋内であろうと思われる光景。
自分達が戦場としてきた廃墟とよく似た雰囲気をしているが記憶にない景色。
いや。と頭を振る。
壁や柱に掘られた精緻なレリーフ。
一度だけ、中東とかつて称されていた地域での戦闘に参加したとき陣地を構築した場所に、様式は違えども似たようなものを目にしたことがある。
そこは聖堂ないし神殿と呼ばれる場所ではないか。身内にいたその宗教を信仰していた誰かから、説明を受けたことを思い出しながら、そう当たりを付ける。
一瞬、自分が最期にいた場所には同じような廃墟がなかったことを思い出したのだが、すぐにそのことは思考から追い出した。
今、それを追求することは悪手だ。必要なのは現状の把握だと言い聞かせて。
混乱からは未だ立ち直ることはできないが、それでも必死にやらなければならないことを考える。
先程は何もできなかったからこそ思考を放棄したが、今は違う。
ならば、考えろ。
自分に言い聞かせる。
思考を放棄するな、模索しろ。
常に戦場において自らが行ってきたように、次の手を考えろ。
理論もへったくれもないが、それでも答えを見つけることを優先して。
暫く思考の取捨選択を繰り返して、現状最もそれらしい答えをぽつりと口にする。
「助かったの、か?」
誰にも答えを求めない、ただの確認のためだけの呟き。
だが、それに答えが返ってきた。
「否。汝は死した。」
背後から、声が掛けられた。
心臓が高鳴った気がした。
乱れる呼吸を必死になって抑えながら、ゆっくりとユキは振り返り…そしてその瞬間、いくつかのことを本能的に理解した。
たとえば、今いる場所は死後の世界だということを。
たとえば、自分が今立っている場所が神殿で間違いないということを。
そして、死の間際で聞いた声は気のせいではなく。
それが自分を呼ぶ声だったことを。
「会う時を心待にしていたぞ、今生最新の戦の枝よ。」
息苦しいまでの重圧をその身に感じながらも理解する。
ー今相対している者が、神であると。
3/23 投稿。
次回より文字数が増える予定です。小出しにしすぎました。