四、「誰になんと言われようと」
「小説読ませてもらったけど、面白くなかった」、「物語なんて書いても無意味。そんなことより勉強(就職)しろ」。
もしかしたら、こんな事を誰かにいわれるかもしれません。しかもこれは、メッセージや感想などのデジタルな0と1の羅列で作られた文章ではなく、人間の口から発された、現実の言葉である場合が多いです。
要するに、自分へと直接語られた、貴方の作品への評価です。
これらを肯定的に捉えるのは、並大抵の労力や胆力、精神力ではできません。率直かつ無遠慮で、冷酷で残酷な言葉ですから。
これに対して筆者が出来る事は、それらの言葉にショックを受け、蹲った貴方の背中をさするぐらいの事です。
まず最初に、とどめを刺す様で申し訳ないですが。
貴方の作品は、ええ。もしかしたら、万人受けするものではないかもしれません。もしかしたら、何の価値もないのかも知れません。しかし、それだけの物ではない筈です。
そもそも、万人受けする小説が、果たして「良い小説」でしょうか? 違うでしょう。万人受けするからと言って、世界中の誰もがそれを好きではありません。万人受けしないマイナーなジャンルが好きな人もいます。
ノンファンタジーな戦記物。ダークヒーロー風の主人公によるローファンタジー。近未来SF。これら三つ、筆者が書いてきた連載の全てが、万人受けするものではありません。ましてや、近頃の方々が読みたくなるものでもありません。
ですが、これを読んで、ブックマークや評価をつけてくれた方もいます。ポイントが全てではなくとも、貴方の作品を見ているという確かな意思表示です。私は私の書きたい物を書いていて、それに「読んでるよ」と声を書けてくれる方がいらっしゃるんです。
それに、全ての小説は、すべからく始めから価値など0です。何度でもいいます。たとえ十万ポイントの作品だろうが、百万人が書籍化を希望した小説だろうが、全ての価値は0です。
何故なら、それはやはり、文字と言う名の記号の羅列に過ぎないからです。「琥珀の如き煌き」も、「ああああ」も、同じく文字でしかありません。この文字一つ一つに、なんら価値など存在していないのです。
では、価値のあるものとは? それは、貴方が決めるのです。一億円のスーパーコンピューターを無価値だと思うのも、誰かが拾い上げた石ころが唯一無二の宝物で、無限大の価値を持つのだと思うのも、すべては貴方が決めるのです。
貴方の小説は、物語は、評論は。全て、無価値でしょうか? いいえ。貴方がそれを書いた時点で、貴方の思う無限の価値が既についているのです。だったら貴方は、誰が何と言おうと、貴方にとって尊いそれらを書いて行ける筈です。
勉強なんかより、就職なんかより。貴方が描いたそれらの価値は、本当に素晴らしいものです。なら、蹲っていることはありません。誰にでも誇ってそれを書いてよいのです。
~2017/10/07 追記~
上記ではああ述べましたが、勉強も就職も、大事な事ではあります。貴方の書いた物の方が、たしかにずっと素晴らしい物で、それらの一切をあきらめてまで勉強・就職を行う必要はありません。
しかし、貴方が描く世界は、今存在する現実において成り立っているものです。その点において、貴方は無数の人間と、それらが連なった社会の上にあるのです。貴方が現代に生きる文明人である以上、様々な関係をおろそかにしてはいけません。
勉強も就職も、貴方の創り出す物に及ばずとも。ないがしろにしては貴方の身を、引いては貴方の作品をも滅ぼしてしまうかもしれません。
生きて行く以上、貴方を包み込んでくれる様々な物に感謝し、そして付き合って行かなければなりません。けれどそれらは、最低限で全く構いません。貴方は、誰に強制される事もなく、自由に書いていいのです。
忘れないでください。
・誰から何と言われようと、それは貴方の小説の価値を決めるものではありません。
・たとえどれだけ残酷な言葉で踏みにじられた石でも、書いた貴方にとっては煌く宝石です。自分ではない誰かの評価は、絶対のものではありません。
追記・貴方の立つ現実をないがしろにしてはいけない事も、心の片隅において置く。
・誇ってください。貴方は無限の価値を生み出せる人間です。