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一.邂逅の四月(6)

 四月の末週に急遽、住人たちの総意でれいの歓迎会を開くことになった。

 皆の都合に合わせた結果、平日金曜日の夜に決まり、社会人組は遅れての参加が見込まれた。


 なぜかおれが、大学帰りに近くの公園で場所取りをすることになっていた。

 花見に似せてやろうと言い出したのはそもそも宏美ひろみではなかったか。

 大学が「千夜せんやハイツ」から歩ける距離にあり、公園もその両者にほど近いことから、ここが候補地に採用された。


 一人地面にブルーシートを敷いていると、園内に他に誰もいないにも関わらず場所取りをしている自分の行為に疑問が湧いた。

 桜はすでに散ってしまっていて、ここに居座っていても花が落ちきった裸の枝を眺めるしかないのだ。

 おれは桜の満開時には絶好であったと思われる場所に陣取って、柵の中の植生に目を凝らした。


 黄色やピンクのビオラが整った花弁を保ち、同じく黄色で小さい花を咲かせているのはカタバミであろうか。

 時折吹く強い風に押されて、群生している皆が一斉に決まった方角へと全身を傾けた。

 今日の歓迎会も、玲という強烈な存在が「千夜ハイツ」の皆の意識を傾注させたわけで、つまりはおれもカタバミの一本ということだろう。


「お前って馬鹿正直だよな。まだ五時だぞ」


 明智あけちが両手に酒を提げてやってきた。

 荷を袋ごと隅に放ると、明智はおれの隣に腰掛けた。

 そして懐から煙草を取り出して火を点けた。おれにも「やるか?」と勧めてきたが丁重に断った。


「煙草もギャンブルもやらない。彼女はいない。北条よ、お前は何を楽しみに生きてるんだ?」


 煙を吐き出し、無精髭にくるまれた顎を撫でながら明智が言った。

 明智はおれや麻里亜まりあと同じ、ここから近いところにキャンパスを構える大学の学生だが、二浪二留のため二十四歳にしてまだ二年生だ。二十三であるおれの一学年後輩という立場になる。


「明智、お前に彼女がいるという話は聞いていないが?」


「言ってないよ。いないからな」


「……それでなぜ、おれを非難できる?」


「俺が煙草もギャンブルもやるからだ。おい、先に飲んでようぜ。年長組が来るのはどうせ夜遅くになるだろ」


「コップがない。食べ物や食器は麻里亜さんと玲さんが持ってくる手筈だ」


「……お前さ、その玲さんっての止めない?高校生相手に凄く他人行儀じゃん。みんなみたいに、玲ちゃんって呼べばいいだろ?」


「管理人だからね。住人はお客様ということで、敬意を表しているのさ」


「俺のことは呼び捨てにしてるだろうが」


「そこは友人として接してるんだ」


「ふん。じゃあ矢崎やざきさんも友人ってわけ?」


「宏美は……単なる習慣だよ」


 明智は「まっ、どうでもいいや」と言って、自分の腕を枕にシートに寝そべった。

 おれも持ち寄っていた文庫本を手にとって時間を潰すことにした。


 午後六時を回った頃に麻里亜とブレザー姿の玲が現れ、さほど時を置かずに白川しらかわ氏も合流した。

 取りあえず酒と食事が揃ったので、五人で花見ならぬ「裸見」の乾杯をした。

 ちなみにその微妙な命名は明智に因った。


 七時を過ぎて律子りつこさんが駆けつけ、陸奥むつと宏美の到着にはさらに一時間を要した。

 遅れた三人は各々酒やツマミを持参しており、シートいっぱいに飲食物が溢れた。

 玲の入居を祝って一同は思い思いに杯を傾け、箸を動かした。


「このチキン南蛮、旨いな。相当なものだ。柳さんが作られたとか?」


 陸奥が舌鼓を打つ。ちゃっかりと麻里亜の隣に陣取っていて、ネクタイを外して早くも顔を真っ赤にしていた。


「それ、玲ちゃんのお手製ですよ」


 麻里亜が言った。

 それを聞いて、皆が同時に箸を伸ばした。


「確かに美味しいわ。料理を習ってたとか?」


「スーパーの出来合いの総菜とは全然違いますね」


 宏美や白川氏も絶賛した。

 麻里亜が「この厚揚げも玲ちゃんなの」と勧め、律子さんが頬張って感動を表した。


「すごいわね……。出汁がよく利いてるわ」


「玲ちゃん、年長者からお褒めの言葉をいただきました」


「あ、ありがとう」


 明智が拍手し、陸奥や宏美が便乗した。玲は頬を赤らめて頭を下げた。


「ちょっと、明智君。年長者ってまさか、私のことではないでしょうね?」


「だって、伊藤さんが最年長でしょ」


「あ、そうか。一宮いちのみやさんがいなくなっちゃったから……」


 白川さんがいるけれど、とは思ったものの、当の本人が主張する気配もなさそうなので口に出すのは止めた。

 この場で一番の年長者は彼のはずだ。


「あの人、みんなのお父さんみたいな感じだったよな。そんな年でもないのにさ。やけに落ち着いてたし」


 明智がしんみりとこぼした。


「あ、あの……その話は止めません?」


 麻里亜が気まずそうに小声で言った。

 彼女はアルコールを避けていたのか、素面のように見えた。


「そうそう。やなぎさんの言う通り。もっと楽しい話をしようじゃないの」


 陸奥がどさくさに紛れて麻里亜の肩に手を回して、グラスを掲げて言った。

 目が据わってきた宏美もつられて、焼酎入りのグラスを高々と掲げた。

 明智は「……ごめん」とだけ呟いて、ビールをちまちまと呷った。


「あの……私のことは気にしないで」


 玲が凛とした声で言った。


「一宮と夫婦だったとは言っても、あくまで戸籍上だけのことだから」


 皆が箸を止めて玲に注目した。

 おれは玲の意図が掴めず、思わず隣の律子さんと顔を見合わせた。


「それってどういうことですか?お二人は仮面夫婦だったとでも?」


「ちょっと、白川さん」


 律子さんが制止したが、玲は「いいんです。意味合いは間違ってないから」と応じた。

 玲によると、児童養護施設時代に虐待を受けていた彼女が逃げ出した先で、偶然一宮氏に助けられたのだと言う。


 一宮氏は玲にアパートや当座の資金を用意してやり、役所や学校への対応も担った。

 そして玲が十六になった時点で相談の上、書類上結婚することにして行政上の不具合一切を封じ込めた。

 依然一宮氏の扶養下にはあったが、玲はここで始めて独立した一個人としての存在を許されたということであった。


 皆唖然として彼女の話を聞いていた。


 泣きそうな顔をした麻里亜から、「玲ちゃん、今からその施設を訴えよう?どこなの?」と過激な提案が飛び出した。

 玲は左右に首を振って、真一文字に結ばれた口から「……もう関わりたくない。四つ葉のクローバーを見る度に、全身に悪寒が走るから」という声を漏らした。


 おれは一番気になった点を質した。


「なんで一宮さんは君に、そこまでしてあげたんだろうか?」


「……一宮は、自分も孤児だったからって言ってた。私が成人して独り立ちするまでは、生活のことは心配しなくていいって。それで、離婚届にはいつでも署名捺印するから、一人でも大丈夫になったら言うようにって……」


 そこまで言って、玲は泣き崩れた。

 今まで我慢していた感情を押し出すかのように、わんわんと泣いた。

 麻里亜がその小さい背をさすってやった。


 いくら恋愛感情に基づかない婚姻関係とはいえ、恩人がいきなり戦地で失踪したのだ。

 心細かったろうし、その喪失感はおれたち部外者には想像もつかなかった。

 

 玲はまだ高校三年生で、手足は伸びきっても所詮は十代のこどもだ。

 今日ここで事情を吐露し、堰き止めていた想いが爆発したとして、一体誰にそれを責められようか。


 大人たちは皆何も言わずに、今ここにいない一宮氏のことを思ってグラスを干した。


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