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一.邂逅の四月(5)

 翌日から、住人一同による「れいちゃんの三者面談に行ってやれ」コールが相次いだ。


 陸奥むつは「僕が行ってあげられると一番良いのだが、どうしても仕事が抜けられない。北条ほうじょう君、男と見込んだ。後は頼む」とキザったらしく押しつけてきた。

 あの自堕落な明智あけちですら「可哀想じゃんか。あの子がお前でいいって言ってるんだし、行けよ」とおれを非難した。


 おれは土曜日に麻里亜まりあと玲を連れ出して、駅前の喫茶店で意を質した。


「三者面談には行くよ。これはいい。で、進路と引越先はどうするつもりなんだ?」


 向かいに座る玲の目を見ておれは迫った。

 麻里亜が落ち着かない素振りでおれと玲を交互に見やった。


 彼女を連れてきたのは緩衝役を期待したのと、単におれが一緒に過ごしたかったというだけのことだ。


「進路は……大学には行こうかと思う」


 今日の玲はさすがに紺ブレザーの制服ではなく、白のシャツにチェックの赤いチノパンという動きやすそうな格好をしていた。


「成績はどうなの?」


 一体全体、おれは何でこんなことをしているのだろう。


「聞かれるかもと思って、持ってきた。これ、模試の成績」


 玲は手提げ鞄から二つ折りの用紙を取り出し、おれに手渡してきた。

 それは予備校が実施した全国模試の結果で、あろうことか全国トップレベルの成績が記載されていた。


「玲ちゃん、スゴい……」


 麻里亜も成績表に目を通し、玲を凝視して言った。

 麻里亜は桃色のタートルネックの上着に、白い短めのプリーツスカートという女の子らしい装いであった。


「成績は全く問題ないな。これならほとんどの大学に通ると思う。一応志望校はリストアップしておくといい。学部とかは、少しずつ検討していく感じかな。……あと、あまり口を出したくはないんだけど、受験料とか入学金とかは大丈夫かい?」


「はい。一宮いちのみやが残してくれた貯金があるから……。入学したら奨学金を申請して、アルバイトしていけばどうにか」


 玲は恐る恐るといった体でおれを見た。

 彼女には本当に頼れる親戚がいないそうで、今までの生活も一宮氏頼りになっていたらしい。

 一宮氏に対しては木訥な人、というイメージしか持っていなかったが、裏で女子高校生を一人養っていたと聞くと違った感慨が湧いた。


「口座のお金を引き出すことは出来るんだね?暗証番号がわからないとか、通帳がないとかなら銀行の窓口で相談しないと」


「それは平気。一宮から聞いてる」


「じゃあ、後は引越先だけど……」


「……はい」


 玲は神妙に頷いた。

 麻里亜が横から前のめりになってきた。


「おれも考えてはみたけど、身寄りの無い女子高校生を独りで入居させてくれる賃貸物件はそう見つからないと思う。たぶん、児童養護施設みたいな公的な扶助を受けるのが現実的だ」


「管理人さん!それは……」


「麻里亜さん、民間の業者はみなボランティアで賃貸物件を運営しているんじゃない。家賃の未払いや住人トラブルのリスクを負う以上、入居者の身分や連帯保証人に過敏になるのは仕方がない。実際、誰も玲さんの保証人にはなってあげられないだろうし。違うかな?」


「でも、確か保証会社とかってありませんでした?保証人を代行してくれる……」


「保証代行にも審査があるし、報酬負担は決して軽くない。どちらにせよ問題になるのは入居者自身の信用で、残念ながら高校生に当事者能力があるとはみなされない」


「でも、でも……」


 おれの意見は麻里亜には受け入れ難いようで、それは言っているおれ自身も理解していた。

 単に正論を述べただけで、これをもって説得を試みようとしていたわけではなかった。

 二人に状況を分かって欲しかっただけだ。


「あの、管理人さん……」


 玲が目を見開いて、力強く言った。


「私、何でもします!毎日アパートを掃除します。皆さんの部屋も綺麗にします。管理人さんのご飯も作ります。これでも料理、上手いんです。あと、すぐにアルバイトを始めて収入源も確保します。生命保険とか掛けてもいいですし、家賃も一年分納めます。なので……千夜ハイツに置いてください!養護施設はもう嫌です……。お願いします……お願い……」


 だんだんと俯き加減になり、語尾も弱々しくなっていった。

 麻里亜が玲の肩を抱いてやって、「玲ちゃん……」と涙声を発した。


 今にも泣き出しそうな二人を見て、おれは珈琲に口をつけて心を落ち着かせてから言った。


「あのね……別におれは玲さんを追い出そうと思って言ったわけじゃないんだ。余所で探すのは無理だろう、という私見を披露しただけ」


「え……?」


「出来るだけのことはしてみる。具体的には、二〇三号室の契約を玲さんで継続出来るか、大家に掛け合ってみるつもりだ。……まあ、結果を保証出来るものではないけれど」


「管理人さん!」


 麻里亜が目を潤ませて笑顔を振りまいた。

 それはとても魅力的に映った。

 その顔を見られただけで、おれは全てが報われた気がした。


「最悪、保証人はおれがなればいい。一応定職に就いてるようなものだし。というわけで、玲さん」


「はい!」


「あまり期待し過ぎずに待っていて。大家のところへは、今夜話をしに行ってくるから。それと、掃除とか保険とか、あまり無茶なことを言い出さないように。部屋を綺麗にします、なんて言ったら、白川しらかわさんや明智あたりは都合良く誤解しかねない」


 麻里亜が口許に手をあてて軽く吹き出した。

 玲は何度も首を縦に振って頷いていた。


 玲を「千夜せんやハイツ」に住まわせるにあたり、大家である叔父が出した条件は次の三つであった。


 玲が高校を卒業して大学生活が安定する翌年五月までの、あくまで時限措置であること。

 万が一、一宮氏が生存していて戻ってきた場合、夫婦である以上二人には転居してもらうこと。

 もし翌年五月を超えて「千夜ハイツ」での継続居住を求める場合、一宮氏の行方不明期間が一年を超えた段階で、裁判所に特別失踪の宣告を要求して離婚を成立させること。


 一宮さんが行方不明になった地域では今も内戦が続いており、民法における特別失踪の要件である「戦地に臨んだ者、沈没した船舶の中に在った者その他死亡の原因となるべき危難に遭遇した者」という条文には当てはまるだろうとのことだった。


 玲の「施設はもう嫌だ」という発言や、あの年齢にして一宮氏と結婚している事情などは追及していなかった。

 しかし、二人して近しい親類がいないことを考えると、容易ではなかったであろう生育環境が自ずと思い浮かんだ。


 おれはアパートの一管理人に過ぎないため、玲の人生に責任を持つことまではできない。

 それでも、どういう運命か「千夜ハイツ」に集った仲間であり年長者でもある以上、出来る範囲での手助けはしてやろうと思った。


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