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七.十月の明暗(2)

 おれは駅前の百貨店でれいと寝具を見て回った。


 玲は受験を控えて寝付きの悪さを改善したいそうで、枕を新調するとのことだった。

 ついでにおれもリクルートスーツを作ろうかと思い、頭の中で算盤を弾きながら玲の後に続いた。


 よくよく見てみれば、フロアを無数の家族が回遊していて、各人がベッドや布団、枕にシーツといった寝具を真剣に選んでいた。

 店員に取材してより自分の好みにあった物を求める客がいる一方、携帯端末やメモ書きを頼りに片端から目を通していく者もいた。

 たかが枕とは侮れないもので、あの優等生の玲ですら不調を訴えているのである。


 輸入物のベッドやソファの価格表記にはうんざりさせられたが、幸い枕であれば高くても知れたもので、おれは富裕層との格差を必要以上に感じないで済んだ。


「これなんてどうかな?」


 玲が持ってきたのはオーソドックスなそば殻の枕で、備長炭入りだか特選の国産素材を使用しているだかで高級品ということであった。

 見た目は総合スーパーでお目にかかれる枕と差異がなかった。


「低反発とか、そういうのじゃないの?」


「さっき試したんだけど、あまり合わなそうで。店員さんに尋ねたら、床に直接布団を敷いて寝る場合だと、これが評判良いんだって」


「ふうん。じゃあ、少し早いクリスマスプレゼントに買ってあげるよ」


 おれは念のため値札を確かめてから言った。玲はびっくりした顔でおれを見た。


「え?いいよ。強請ろうと思って誘ったんじゃないもの」


「だって玲ちゃん、収入ないでしょ」


「……ない、けど」


「保護者代理として、クリスマスと合格のお祝いだけはしっかりやると決めたのさ」


「でも……」


「いいから。このくらいで済んで、ほっとしたところだ」


「でも、クリスマスまでまだ二か月もあるし」


「そう。だから、クリスマスはケーキだけね。いいかい?忘れて催促なんてしないように」


 泣きそうな顔をして笑っている玲の華奢な手からおれは枕をもぎ取った。

 玲は毎日のように自前で入れている紅茶の代金も受け取らない強情っぱりなので、払わせてくれないことも想定していたのだが、何とか押し通せておれは胸をなで下ろした。


 クリスマスはクリスマスで、誕生日プレゼントを忘れていたとか誤魔化して、テディベアの一つでも贈呈しよう。

 保護者を買って出た以上、玲には世間一般の女子高校生に劣らない幸福を与えてやるのが道理というもので、そこに手を抜くほどおれは薄情ではないつもりだ。


「……じゃあ、クリスマスイブ。管理人さんのために、予定を空けておいてあげる」


「なにそれ?」


「だって、麻里亜まりあさんは陸奥むつさんとイルミネーションを見に行くみたいだし。陸奥さん、もう夜景が見えるレストランを予約済みだって言ってたよ」


「……そう」


「保護者代理として、なんていうのは無しね。当日は、せめて彼氏代理ってことで」


 おれは会計を終えて、しきりに頭を下げる玲に「その代わりと言っちゃ何だけど、おれのリクルートスーツを見立てて欲しい」とお願いしたところ、弾けんばかりの笑顔と共に快諾された。


 クラシックなスタイルの紺のスーツと、薄くストライプが入った細いネクタイ。

 それらに合ったワイシャツと革靴といった具合にコーディネートされ、おれが就職活動に励むための装いが確定した。


 玲はしきりに「清潔感があって格好いいよ」と褒めてくれた。

 決して悪い気はしなかったが、玲が言った麻里亜と陸奥のクリスマスの一件が頭から離れなかった。



 百貨店を出てから二人してボーリングに興じていると、玲が携帯端末を確認してこちらに態度不明な視線を投じてきた。

 おれが首を傾げて質すと「……何でもない」と歯切れ悪く答えた。


 玲は完全な素人というわけではなく、ボールをそっと置くだけといった女の子らしい投げ方でそこそこのスコアを叩き出していた。

 典型的なスローボーラーで、百三十点を超えてきた時にはおれも感嘆の声を漏らしてしまった。


「上手いもんだ。あの球威で、なんでこの点数になるのかわからないけど」


「管理人さん、バカにしてるでしょ」


「してない。感心してるのさ」


「完全に上から目線だよ」


「保護者代わりだからね」


「……なにそれ」


 玲は口を尖らせ、「よいしょ」と言って如何にも重そうな素振りでボールを持ち上げた。

 そうして投球体制に入るのだが、今日の玲は短いフレアスカートを履いており、激しく動くと白い太股が露わになって、おれは自制心の動員を迫られた。


 それを知ってか玲は、「管理人さんなら、覗いてもいいけど?」と手でスカートの裾を摘んでひらひらとさせるものだからたちが悪い。

 隣のレーンの男性客が、先ほどからちらちらと玲を盗み見ていた。


 玲が投げ終わって、ちょこんとおれの隣に座ったところで軽く注意を試みた。


「隣の男が見てたぞ。あんまり挑発的な仕草をするものじゃない」


「ふ~ん。男の人ってみんな、こういうのを喜ぶんでしょう?管理人さんは嫌い?」


「大人はね、公衆の面前ではしたない真似をしないものだ」


「家の中ならいいの?」


「プライベートは他人の知るところではないからね」


「じゃあ今度、管理人さんの部屋で見せてあげるね」


「……そういうことじゃない」


「なんだか顔が赤いけど?」


 言って、玲が吹き出した。


 おれも健康で文化的な二十代の男なわけで、そういうことを言われて想像しないはずもなかった。

 それが顔に出たところでそれほど恥ずかしくはないのだが、保護者を自認している手前、そういった邪心は心中に秘めておく必要があった。


「管理人さんが投げる番だよ」


 今ゲームは玲の調子がよく、スコアは一進一退。

 ここらで「スペアの千尋ちひろ」の力を発揮しないと勝利は覚束なかった。


 おれは支える左手にも微妙に力を込め、ボールを持つ右手を後ろに振りかぶって下から一気に放った。

 スピードボールがピンをぐしゃっと弾き飛ばした。珍しくもストライクであった。


「管理人さん、すごい!」


 玲が両手を構えたので、おれは流れでハイタッチした。

 隣の男性客がまたもこちらに視線を向けてきたので、注意深く観察してみたところ、どこか見覚えのある顔だった。


 おれははたと気付き、男に近寄って声をかけた。


「ええと……はやし君、だっけ?こんにちは」


「やっと気付いてくれましたね、先輩。こんちはっス」


 男は大学の後輩で、麻里亜と同じゼミに所属している林だった。彼を含めた四人でこのボーリング場を訪れたのは、まだ先月のことだった。


「先輩にここを教えて貰って、ちょくちょく来てるんです。今日もゼミの連中と一緒で」


「そうなんだ」


「この間、ゼミの帰りに麻里亜とも来ました」


「ふうん」


「それにしても。先輩の彼女さん、随分と綺麗な顔の子っスね。まだ若いみたいだし、うちの学生じゃないっスよね?」


「彼女じゃないけどね。保護者だ」


「なんスかそれ?親戚とか?」


「似たようなものかな」


 それだけ答えて、おれは玲の元に戻った。

 玲は半眼で口を結び、どうやらふてくされている様子だった。

 おれはテーブルに置いた炭酸ジュースを手にとって、軽く口に含んだ。


「彼、大学の後輩でね」


「聞こえました。私、管理人さんの親戚じゃないもの」


「保護者って言っても、他人には一口に伝わらないからさ」


「彼女ってことでいいじゃない?わざわざ否定することもないのに。私、気にしないよ?」


「おれが気にするんだ。玲ちゃんは未成年なんだから」


「私、もう十八だし。クラスメイトで大人と付き合ってる子、何人もいるよ」


「他所は他所、うちはうちだ」


「やだ。本当にお父さんみたい」


 玲の言いぐさがツボにはまり、今度はおれは吹き出してしまった。

 玲は「もう」とふくれっ面をした。


 そうしてゲームを続け、百五十九点対百四十八点の僅差でおれが勝利を収めた。

 玲がさかんに二の腕をさすっていたのでゲームを締めくくり、おれは林に軽く挨拶だけしてレーンを後にした。


 そうして店の出入り口付近で、帰るおれたちとは逆に、入店してきた麻里亜と遭遇した。

 玲は何も言わず、おれの後ろに隠れるようにして立っていた。


「やあ。陸奥さんとの用事は済んだの?」


「終わりました。管理人さんは、玲ちゃんとずっとここに?」


「そうだね。買い物をして、流れで来たんだ。たった今ゲームを終えたところで。中に林君がいるよ」


「ええ。彼に呼ばれて来ましたから」


 彼に、というところのイントネーションがやや気になったが、それは邪推というものだろう。

 とはいえ、麻里亜の表情は何時にも増して硬かった。

 昼間一緒にいたときに、おれの方から午後の予定を尋ねなかったことが影響しているのだろうか。


「そっか。それじゃ、おれたちはこれで」


「この後は、二人で外食ですか?」


「特に決めてないんだ。玲ちゃん、今日は外で食べて帰る?」


「……管理人さんに任せます」


「だそうで。折角だから、西口にオープンしたばかりのカジュアルイタリアンにでも挑戦してみるかな」


 おれは麻里亜と向き合っていたが、玲に同意を求める意味合いで言った。


「そうですか。いいですね」


「麻里亜さんも来る?あ、これからボーリングに合流か……」


「残念です。……まあ、その方が都合が良いのかもしれませんね。失礼します」


 言って、麻里亜がおれたちの横を通り過ぎていった。

 麻里亜の言う「都合が良い」の意味は理解できなかったが、それはそれとしておれたちは店を出た。


 玲を促して西口へと回ろうとしたところ、彼女が青白い顔をして訴えてきた。


「管理人さん、ちょっと気分が悪い……。少しだけ、休ませて」


 おれは玲の手を引いて、近くのカフェに席を取った。

 彼女はソファに背を預けてぐったりしていた。

 具合が芳しくないようであれば、タクシーを拾って帰宅するなり病院に行くなりしようと決めた。


 便宜上注文した珈琲をテーブルに置きっぱなしにして、おれは携帯端末をインターネットに繋いで近くの救急病院を検索した。


「管理人さん、大丈夫だから。少し休んだら落ち着くと思う」


「やせ我慢はしちゃ駄目だ。女の子なんだから、体は大事にしないと。辛いなら辛いと言っていい」


「本当に大丈夫。帰って、新しい枕で寝たら回復するって。だから、あと十分くらいこのままでいさせて」


「何十分でもどうぞ」


「……でも、管理人さん」


「なに?」


「ふつう、女の子が休みたいって言ったら、ホテルに連れて行かない?」


「別に否定はしないよ。さっきの話、蒸し返す?」


「ううん。管理人さんの誠実なところ、私好きだし。別にいいの。……言ってみただけ」


 微笑んで、玲は目を閉じた。


 本当に何ともないものかおれの心配は尽きなかったが、玲に呼吸が荒いとか異常に汗が出るとかいった症状は見られなかった。

 それから玲の血色は少しずつ戻っていき、危急の事態は避けられたように思われた。


 宣言した通り玲は十分ほどで立ち上がり、おれたちは真っ直ぐに帰宅した。

 律子りつこさんがお好み焼きをお裾分けにくれたので、おれは夕飯に一人でそれを堪能した。


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