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閑話

閑話



 れいたっての希望で、おれは渋谷区桜丘町へと足を運んでいた。何でもインターネット上で活動しているアイドルのイベントが行われるらしく、おれはまだしも律子りつこさんが、貴重な休日を費やしてまで付いて来ていた。


 玲がそういった娯楽に興味を持っているというのは初耳で、管理人室応接で彼女から打診があったとき、おれには何のことやら意味が分からなかった。ちょうど同席していた律子さんが、「暇だから、私も付き合って良いかしら?」と乗って来たので、おれ自身が断る機会を逸してしまった。


 首都高速三号渋谷線を潜って、高層タワーや大学のキャンパスが見当たる街中を歩き、雑居ビルの三階に目当てのスタジオを見付けた。三〇五号室の表札には、手書きのプレートで有限会社めろんスタジオとあった。


「スタジオっていうけど、これってただのマンションの一室だよな」


「生放送はアングル固定だから、一部屋あれば成立するんだよ。釘宮くぎみやめろんさんは個人でやってるし、大きい設備とか必要ないんじゃない?」


 玲はそう言って、物怖じせずにめろんスタジオのインターフォンを鳴らした。律子さんは既に付いて来たことを後悔しているような顔つきで、おれの背中にこっそり隠れていた。


 事前に予習はしたのだが、少しだけこなれたダンスを踊ったり、少しだけ様になっている楽器を演奏したり、有名なゲームのプレイやら株式のトレードやらを実況中継したりといったところが、釘宮めろん氏の主な活動内容だった。おれには何が面白いのかさっぱり理解できなかったが、インターネットを介した人気はそこそこあるようで、課金式のコンテンツも盛況なのだという。


 律子さんに聞いてみたところ、「生徒から名前を聞いたことがあるような……」という反応だったので、高校生の界隈では知名があるのかもしれない。

 玲は公募型のキャンペーンに応募したとのことで、生中継の見学と、場合によっては番組への出演まであるのだという。


「どうぞ」


 実に事務的な口調で入室が認められ、おれたちはおずおずとめろんスタジオに足を踏み入れた。

 室内は至って普通のワンルームマンションで、動画を撮影すると思しきスペース以外には、服やら家具やら、物が雑然と積み上げられていた。


 釘宮めろん氏は準備万端のようで、メイドのコスチュームを着込んで化粧もばっちりだった。

 年齢不相応に見えるツインテールは初見においてインパクトがあり、画面に映らないかもしれないが、足は割と太いように思われた。

 異常に長い睫毛や明らかに虹彩のおかしい瞳が人工的に過ぎるとも思えたが、おれの感想など誰にも必要とされていないという自覚はあった。


 玲が満面の笑みを浮かべてめろん氏に握手を求めるものだから、おれと律子さんは少し引き気味に二人の交流を眺めていた。


一宮いちのみや玲です。いつも、めろんさんの放送を見てます。クラスでも話題なんですよ。……有料コンテンツだけは、お小遣いがなくてなかなか手が出ませんが」


「ありがとう。有料放送については、親御さんの理解が得られたらよろしく」


 そう言って、めろん氏は何故かおれを睨んできた。

 この場合、律子さんの方が母親役に適しているような気はしたが、おれは曖昧な笑みを返すに止めた。


「それじゃあ、もうすぐ今日の実況を始めるから。この線から見切れるので、保護者のお二人はくれぐれも中に入らないように。玲さんはここ。アドリブでカメラ回すかもだけど、よろしくね」


「はい」


 めろん氏は、パソコンやカメラ機材をてきぱきと操作して環境を整えていった。

 おれはというと、緊張した面持ちで体育座りなどしている玲のスカートが微妙に気になるのと、部屋の隅で固まっているめろん氏の衣類の中に、どう見ても下着と思しき布きれが散乱している点に若干混乱しかけていた。


 律子さんは物珍しそうに収録の様子を眺めており、おれに耳打ちして「玲ちゃんも、全国デビューしちゃうってことかしら?」と聞いていた。


 よくよく冷静に考えてみれば、玲の容姿はめろん氏以上に整っていて、加えて十代の瑞々しさや清潔さが余すところなく発散されている。

 二十代と思しきインターネットアイドルが、いくらインセンティブだからといって、自分よりも器量に優れた同性を易々と出演などさせるものだろうか。


 生放送がスタートすると、おれはその光景にただ戸惑うばかりであった。

 めろん氏は、カメラに向けてひたすらハイテンションで語りかけ、まるでおれたちなど世界に存在しないかのように振る舞っていた。


 五分もすると、流石に律子さんも異常な空間にいることを認識したようで、所在なさげに室内をきょろきょろと見回していた。


 玲だけは終始瞳を輝かせ、めろん氏の口上や身振り手振りに集中している様子だった。

 中高生から一定の支持を得ているのだから、おれの感性と合わないからといって馬鹿にするものではなく、玲が上機嫌にさえなってくれれば満足がいった。


 結局玲にカメラが回されたのは一瞬で、「当選者は、こちらにいまーす!」というめろん氏の急な振りから、玲の顔が半分ほど見切れて紹介された。


 放送の終了後、めろん氏が視聴者メッセージや視聴者数の推移をパソコンで軽く照会してくれ、僅かな露出時間だったにも関わらず、玲に対して多くの反応があったと教えてくれた。


「すごいわね。この子可愛いとか、美形だみたいな、プラス指向のメッセージが異常に伸びてる。これからSNSで拡散してタイムシフト視聴が入ると、もっと増えるんじゃないかな。あなた、ネットアイドルの素質あるかも」


「え、ありがとうございます。管理人さん、だってさ」


 めろん氏の分析に玲はご満悦で、おれの腕をとって同意を求めてきた。


「お金に困ったら、玲ちゃんをプロデュースしてみるかな」


「それって、私が管理人さんを養う前提?一緒になる気になってくれた?」


「冗談だよ。ねえ、律子さん?」


 おれは水を向けるが、律子さんは「これって、課金収入はいくらくらいになるのかしら」と、めろん氏に対して現実的な質問をぶつけていた。

 めろん氏はめろん氏で、動画の再生回数に比例した広告費だとか物販収入だとか、インターネットアイドルの現況を細かに説明し始めた。


 盛り上がっている二人を尻目に、玲はめろん氏から褒められたことが余程嬉しかったのか、しつこくおれにアイドルデビューの話題を振ってきた。


「ネットアイドルって、元手が少なくても始められそう。管理人さんがマネージメントしてくれるなら、私は出演オーケーだよ?」


「おれが何をするって?」


「計画を立てるの。どこの層を狙ってキャラ作りするか、とか。課金させるための特別企画を何にするか、とか。管理人さんが言うことなら私、何だってやるし」


「却下だな。未成年を使って視聴者の劣情を煽るなんて、個人的に気分が悪い」


「私、劣情を煽らされるの?」


「いや、アイドルってそういうものだろう?ファンにとっては疑似恋愛みたいな応援の仕方になるのだろうし。課金タイプのコンテンツがあるなら、尚更だ」


「ふうん。じゃあ、管理人さん個人が楽しむために撮ってくれてもいいよ?水着までならオーケーしちゃう」


「……水着って、この間のあれ?」


「そうだよ」


 おれは不覚にも、夏の旅行で目撃した玲の艶姿を脳裏に描いてしまい、どうやら相当にだらしない表情を晒したようで、律子さんとめろん氏から冷たい目を向けられた。

 律子さんには肩を掴まれ、「駄目よ?絶対に、駄目」と詰め寄られた。めろん氏からも、妙に真面目腐った表情で説教めいた言い回しの忠告を頂戴した。


「あなたね。ちょっとエッチな動画を投稿して、アカウントをバンされる若い子が最近増えてるの。それって、この世界を冒涜してると思わない?安易というか、安上がりというか。そういうテロみたいな投稿者と一緒にされたくないのよね、私」


「はあ」


「はあ、じゃなくて。いくら彼女だからって、未成年を水着にして撮影するなんて、倫理もへったくれもないわよ?」


「いや、おれはやりませんよ。誤解です」


 めろん氏が胡乱な目付きでおれを睨んできた。

 ひどい中傷を受けているはずだが、まさか玲の手前、ネットアイドルを怒鳴りつけるわけにはいかなかった。


「彼女をロリコンどもの餌食にしたくなかったら、自制なさいね」


「彼女でもないんです。保護者です。おれは誓って、そんな動画は撮影しません」


 おれの剣幕が伝わったのかどうなのか、めろん氏は「保護者でも駄目よ」とだけ言い残してイベントの終了を宣言した。


 実際のところ、めろん氏と玲の言うとおりにインターネットアイドルのビジネスを始めたとして、幾らキャストが魅力的な女子高生だからといって、そんな簡単に売れるものなのか。

 「千夜せんやハイツ」内だけでも平均以上に美しい女性が四人おり、おれが本腰を入れて彼女らをデビューさせたなら、果たして一攫千金が狙えるのだろうか。


 めろん氏のマンションから帰る道中、そんなことをあれこれ考えてしまい、玲や律子さんから夕食の誘いがあっても上の空になってしまった。


「管理人さん……まさか、玲ちゃんのアイドルデビューを妄想していたんじゃないでしょうね?」


 おれは律子さんの指摘にぎくりとしたが、それをおくびにも出さず首を横に振った。

 まさか律子さんまで頭数に入れていたなどと知られたら、おれはきっと二度と口をきいてもらえない。


 玲はにんまりと笑っておれに近付いて来るなり、「私なら、いつでもオーケーだからね」と余計な一言を付け加えてきた。


 夕食は律子さんがご馳走してくれるということになり、三人で池袋駅西口にある定食屋の暖簾を潜った。

 玲はおれと律子さんに「ビールでも飲んだら?」と勧め、自分は野菜炒め定食を少なめで注文していた。


 玲の申し出を有り難く受取り、おれと律子さんは定食に付いてきたお新香を肴に中ジョッキで軽く乾杯した。

 こういった大人の酒席でも、玲はいつも素面ながらに、にこにこと笑顔を見せて座っていた。


「こういうデートも、刺激があってたまにはいいわね」


「律子さん……今日のこれの、どこがデートなんです?」


「あら、管理人さん。これってダブルデートみたいなものでしょう?ねえ、玲ちゃん?」


「はい」


 男一人でもダブルデートという呼称が成り立つものか疑問に思えたが、ここで律子さんに反駁するほどおれはやんちゃではない。

 とんかつを一かけら口に放り込み、「美女二人に同伴していただけて、光栄です」と応じた。


 律子さんのジョッキが空になったところを見計らい、玲は穏やかな調子で店員に追加をオーダーした。


「玲ちゃん、ありがとう」


「いいえ。でも、飲みすぎちゃ駄目ですよ」


 そういえば、玲と律子さんの間柄はとても良好で、律子さんにはもちろん言えないが、まるで親子のように見ていて微笑ましく感じられた。

 例えば玲と宏美ひろみという組み合わせも意外や意外、掛け合いのテンポが良くて、それは二人が共に頭の回転が速いことに起因するだろうが、会食の場でしっくり来た。


 玲を含め、全員と接することが一番多いであろうおれにそう見えるのだから、彼女の人付き合いの良さは天性のものだと断言できる。


「でも、真面目な話。管理人さんと玲ちゃんって、相性良いように思えるわね」


「……律子さん、まだ二杯目ですよ」


「まだまだ酔っ払ってません。宏美とのこともあるけど、管理人さんにはぐいぐい引っ張ってくれる女性が相応しいんじゃないかと思う。ほら、管理人さんって包容力があるというか。どちらかというと、どっしり構えてるタイプでしょ?だから女の側が手綱を握らないと、何事もビシッと決まらないのかもしれないなって。あ、ただの一意見よ」


「それは……耳が痛いですね。自分が何事につけ受け身だっていうのは、分かっているつもりなんですけど」


「違うわよ?責めてはいないからね?私は管理人さんの人柄をきちんと尊敬してますから。単純に、玲ちゃんとのコンビがしっくり来るなって。それだけ」


 律子さんは真面目な顔をして取り繕い、「批判ではないからね?」と何度も念を押した。

 玲は茶々を入れたりはせず、おれと律子さんのやり取りを笑いながら眺めていた。


 このメンバーとは、一緒に居て気疲れをすることがまるでなかった。


 おれと律子さんの二人は景気よくジョッキを空けていき、注文の度に玲が心配そうにこちらの顔を覗き込んできた。

 玲の澄んだ黒瞳に真っすぐ見つめられると、住人の奢りで酒をかっ食らっている自分の醜態に気恥ずかしさを覚えた。


「管理人さんと麻里亜まりあがどうにかなっちゃったら、玲ちゃんはどうする?略奪する?」


 律子さんはひどい赤ら顔で、その言動からも明らかに良識の一線を越えた節が見受けられた。

 おれはこの辺でお開きにしようと、指を交差させて店員に会計を申し出た。


「ええと、そうなったら身を引くしかないかな」


「私はね、玲ちゃんのことも麻里亜のことも好きだから。もちろん管理人さんのことも好き。だから、誰のことも応援し辛いけど、玲ちゃんには頑張って欲しい。……恋愛って難しいのだけれど、他人との競争であることは確かよね。私は、他人に負けてばっかり」


「……うん」


「優しいだけじゃ、駄目なのよね。競争っていうのは。つまりは、そういうこと」


「うん」


 律子さんを玲に任せている間に、おれは手早く会計を済ませた。

 そして泣き上戸へと突入しかけた律子さんに肩を貸し、三人揃って店を出た。

 「千夜ハイツ」まで歩いて数分という距離なので、玲に補助をしてもらいながらゆっくりと歩いた。


 締めが多少湿っぽくなりはしたが、玲の発案で出掛けた一日は、またとない経験が出来て有意義だった。

 律子さんは、おれの隣で最後まで「恋愛って、競争だから……」と呟いて鼻水を啜っていた。

 おれと玲は苦笑を返すと共に、優しくそれを肯定してやった。


 翌朝、律子さんが個別におれと玲を訪ね、これ以上ないという位丁重に謝罪をしてきたことは言うまでもない。



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