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五.接近の八月(3)

 簡易の葬儀や散骨の手配、役所の手続きなどは、出来る範囲でおれが代行して進めた。

 叔父の知り合いの弁護士にアドバイスを貰って滞りなく務めたつもりだが、その間ずっとれいは沈んでいた。

 無理もなかった。


 無償で自分を援助してくれていた足長おじさんが亡くなったわけで、何といっても戸籍上は妻である身だ。

 これで動じない女子高校生がいるとしたら、おれは一生頭が上がらないだろう。


 一宮いちのみや氏との賃貸契約を解除し、改めて玲との仮契約を済ませた頃、彼女からアルバイトをしたいとの申し入れがあった。

 八月もすでに半ばに差し掛かっていた。


「どうしたんだ?お金が足りなくなったとか?」


 趣旨が趣旨なので、管理人室応接ではなく、おれの部屋で話を聞くことにした。

 玲が持参した熱い紅茶をティーカップで飲んで、おれは突然のアルバイト宣言に驚いた心をゆっくりと鎮めた。


 玲は首を横に振っておれの疑問を否定し、強い眼力でもってこちらを見据えてきた。


「ちゃんと……ちゃんとしたいなって。その、上手く言えないんだけど、これで本当に独りぼっちになっちゃったし。勉強は、もちろんしっかり続ける。でも生活力とか、全然無いままじゃいけないと思うんだ。一宮が遺してくれたお金はまだあるけれど、それに頼りきりになるのは抵抗があるって言うか……」


 自分でも言葉になっていない点は理解しているようで、難しい顔をして一語一句考えながら話していた。


「結局私、一宮に甘えっ放しなんだなって。結婚してたとは言っても紙だけのことで、実態は何もなかった。それで彼の遺産を食い潰すのは、多分人として間違ってる。彼にも近い親類がいないから成立していただけの状況で、このままずるずるいくと私は私を許せなくなると思う……」


 一宮氏の生死が判明したことで、玲は必要以上に自分を追い込んでいるように思えた。

 それはおそらく、以前の孤独だった自分に立ち返ってしまうことを過剰に恐れるあまり、考える全てが悪い方悪い方へと誘導されているのだ。


 とはいえ、現実に受験を控えた女子高校生がアルバイトで稼げるお金など多寡が知れている。

 おれが援助してあげられるならばそうしたいところだが、残念ながら商社マンだった一宮氏と違って、おれはただの大学生に過ぎなかった。


「その……おれも適格なアドバイスはできないけど、大学生になれば実入りの良いアルバイトは意外とあって。学習塾の講師とか、家庭教師とか。だから、今は急ぐ必要はないと思うんだ。お金は一宮さんに借りてると思えばいい。後で、ちゃんと自分で給料を稼ぐようになってから、少しずつ口座に戻すというのはどう?玲ちゃんぐらい頭が良ければ、そんなに時間はかからないと思う。……そう。要するに、気の持ちよう次第なんじゃないかな。……なんならおれが貸してもいい。一宮さんから借りるのに抵抗はあっても、おれ相手なら少しは気が楽かもしれない。そんなには持ち合わせが無いけど……」


 黙って聞いていた玲が、俯き加減でぼそりと言った。


「……このままじゃ、怖いの」


「え?」


「誰かが私を糾弾するかもしれない。お前は一宮をだまくらかして、体よく利用して住む家と生活資金だけを手に入れたって。大学に行って、彼氏を作って、就職して、結婚して。どんなに普通で幸せな未来を想像しても、どうしても、このことが私に付きまとう。一生苛まれる気がする。一宮が死んじゃって、私にはもう施しを受けた恩を返すことはできない。何もしてやれない。こんな気持ちになるなら、一宮がもっと悪人だったら良かったなって。私を手込めにして、お金で私の体を好きにしていたとかなら、どんなにすっきりしたか……」


「それは間違った考え方だ」


「管理人さん……」


「他人を思いやることができて、はじめて大人なんだよ。一宮さんが純粋な心から玲ちゃんを助けてあげていたのか、今となっては当人以外知りようもない。でも、玲ちゃんが助けられたのは事実だ。そうだろう?だったら、余所の誰にそのことを非難されても、そんなことは蚊ほども気にする必要はない。使い古された言い回しだけど、自分がされて嬉しかったことを、他人にもしてあげるよう心がけること。玲ちゃんがそういう大人になれたなら、一宮さんだって本望だと思うな。……正直、おれが一宮さんと同じ立場だったとして、一宮さんのように玲ちゃんの面倒を何から何まで見るような度量は期待できない。彼は本当に凄い人だったんだなって、今更ながらに思うよ」


「……うん」


「ここにいる分には、おれができる範囲でサポートするから。一宮さんと違って頼りないかもしれないけど、あと二年もすればおれも就職してるだろうし。あまり考えすぎないで年相応に楽しまないと、今からこれじゃ早く老けちゃうよ」


「……うん。管理人さんなら、私を手込めにしてもいいよ」


「それは、しない」


「一宮が私に対してどういう思いを抱いていたか、管理人さんは気にならない?少なくとも、私は彼の次に彼の心境を理解してると思う」


「だろうね。でもそれをおれが聞くのは、マナー違反な気がする」


「男と女の話だから?」


「純粋なだけの人間なんていないと、頭の隅で分かっているからかな」


「なら麻里亜まりあさんも、純粋なだけじゃないの?私や一宮と同じように、裏表がある普通の人間だと思ってる?」


「それは難しい質問だね。まず誤解があるようだけれど、おれは玲ちゃんや一宮さんのことを裏表があるなしとかいう次元で論じたいわけじゃない。あと、恋は盲目とも言うし、分かっていることと思うことが別であっても、それは別にいいのさ」


「つまり、管理人さんの中では、麻里亜さんがすっごくピュアな人格として存在しているわけね」


「そう聞くと、おれがただの世間知らずに聞こえてくるのは気のせいかな……」


「……私を助けてくれる人は皆、すっごく真面目で良い人。一宮も、管理人さんも。独りぼっちの私がこれから作る家庭も、そういう人ばっかりにするんだ」


「それはいいね」


「こども、いっぱい欲しいから」


「そうかい」


「管理人さん、睫毛に何か付いてるよ」


「ん?」


 玲が手を伸ばしておれの目の上あたりを触った。

 一瞬の出来事だった。おれは頭を優しく抱えられ、玲からキスをされた。


「明るい家族計画の、前渡し分。それじゃ」


 唇を放した玲が照れたような顔で言って、パタパタと足音を立てて退出していった。

 おれは人差し指で唇をさすり、しばらくの間その余韻に浸って動けずにいた。


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