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五.接近の八月(2)

 大人組は夜通しで飲み明かした。

 社会人にはストレスが付き物ということで、場所柄もあってか大いに発散していたようだ。


 れい麻里亜まりあが退席した後も、男性陣の部屋で延々と酒盛りは続いた。

 おれは早々にリタイアして寝床についたのだが、すぐそばで連中にくだを巻かれてなかなか寝付けなかった。


 陸奥むつ宏美ひろみは職場や取引先の愚痴に終始し、律子りつこさんはPTAと嫌味な奴だという教頭を散々にこき下ろしていた。

 酩酊状態の明智あけち白川しらかわ氏に突っかかるシーンもあったのだが、そこは白川氏も流石なもので、全てをするりとやり過ごしていた。


 おれが仰天したのは、朝起きると宏美が同衾していたことで、気付いた彼女が悲鳴を上げる事態だけはなんとか防ぐことができたため、このことは当事者以外には知られていなかった。

 律子さんに至っては、白川氏を抱き枕のように抱いて寝ており、当人たちが目覚めないうちに宏美がそっと引き離してやったのは、さしずめ武士の情けといったところか。


 そういうわけで、無事海に泳ぎに行けている面子は限られていた。

 実に、玲と麻里亜と白川氏の三名だけであった。


「白川さん、どうして何ともないんだ……?」


 海の家で、ゴザの上に寝そべっている明智が言った。

 頭の横には氷入りのキンキンに冷えた麦茶のグラスが置いてあった。


 卓袱台の向こうには陸奥が転がっていて、途切れ途切れに唸り声が聞こえてきた。


北条ほうじょう君……オレンジジュースを、頼んでくれないか……」


 か細い声で陸奥が懇願してきたので、おれは店員にオレンジジュースを一つ注文した。

 ビキニの上にTシャツを着ただけの女性店員が、すぐに氷の入ったグラスとオレンジジュースの瓶を持ってきた。


「玲ちゃんややなぎの水着姿、見たいぜ……くそ……」


 仰向けになって額に濡れタオルをのせたまま、明智が独り言ちた。

 それはおれとて同感で、今すぐにでもこの二人を捨てて海辺へと繰り出したかった。

 しかし、明智や陸奥ほどひどくはないにせよ、おれも真っ直ぐに立っていると我慢ができない程の吐き気がこみ上げてきた。


「……僕は、矢崎やざきさんや伊藤いとうさんの水着も拝んでみたいね……」


 陸奥は博愛主義的に主張するが、その二人に至ってはここまでも来られず、旅館のロビーのソファでだらしなく沈んでいるはずだ。


 麻里亜も玲も、性格上ビキニではないだろうが、私服や制服姿を見るのと水着のそれとでは意味合いが大きく違ってきた。

 おれも二十三の健全な男なわけで、惚れた女の体の線くらいは、一緒に海に来ている以上どうしても目に焼き付けておきたかった。


「……北条君。そういえば、柳さんの大学のボーイフレンドの件は、どうなったんだい?」


「えっ。北条、それ何のことだ?」


「……特に進展はありませんよ。……進展というのは、取材の進展のことですが」


「北条、何のことだか説明しろ」


鈴木すずきさんから聞いた話だよ。麻里亜さんと仲のいい、はやしってゼミ生がいるんだと。目下猛アプローチ中らしい」


「ふうん。まあ、柳は美形だからな。狙っている男なんか、学内に幾らでもいるだろうし。そういう奴がちらほら出てきても、何ら不思議じゃないわな」


「……北条君、早く直接対決してきたまえ。僕が君の立場だったら、一も二もなくそうする」


 ふらふらと上半身を起こし、オレンジジュースをちびりと嘗めた陸奥が半眼で睨んできた。


「昨晩麻里亜さんから聞きましたが、来週はゼミ合宿があるそうです。そこにはおれも行けませんし、鈴木さんに監視でもお願いしないと……」


「それは絶対監視だ。監視料は僕が支払おう」


 陸奥がグラスの底を卓袱台に叩きつけて言った。

 その音にびっくりしてか、ビキニの店員がこちらを窺ってきた。

 先程から彼女が陸奥を見る目にやたら熱を感じるように思えるのは、おれの気のせいだろうか。


「陸奥さんはもてるでしょうに、何でそこまで柳に拘るんです?……正直、女なんて選び放題でしょ?」


 明智が訊いた。

 陸奥は「むう」と洩らして固まってしまい、おれと明智は身振り手振りで「どうしたんだ?」「さあ」といったやりとりをした。


「……まあ。確かに、女性に困るということはないよ。僕は」


「ですよね。顔は良いし、いいとこに勤めてるから若いのにお金もあるし。賢そうで人当たりも良くて、俺や北条と比べて桁違いにスペックが高いもんなあ」


「……おれはそこまで自分を卑下していない」


 おれはきっぱりと断ったが、明智は「事実を言ったまでだ」と突っぱねた。


「君ら学生にはわからないかもしれないがね……。一目惚れ、みたいなものだ。こんなにも純粋で清らかな女性がまだいたのか、みたいなね。仕事柄、美しい女性に接する機会はままある。その子たちに興味を持つことはあれ、あくまで外見に対する評価が先に立つだろう?それが柳さんの場合、立ち居振る舞いから性格から、そして容姿に至るまで全てを同時に好きになってしまったわけだ。これはある種、奇跡だ」


 体調のせいか途切れ途切れにではあったが、陸奥が麻里亜に対する慕情を一気に吐露した。


「でも、陸奥さんはあっちこっちで女遊びをしてるんでしょ?それって柳と釣り合わないんじゃないですか?あいつ、そういうところ堅いですよ。きっと」


 明智がいいことを言った。

 おれはゆっくりと首を縦に振って、「確かに。麻里亜さんは二股三股を絶対に許さないと思う」と追随した。


「……君たち。まるで僕が遊び人みたいに吹聴するのは止めたまえ。誓って、そんなことはない」


 陸奥が真面目な顔をして抗弁した。


「そうかなあ……よく土日にドライブに行ってません?あれ、柳じゃない女の子を乗せてるでしょ」


「……あれは、デートだけだ。僕に疚しいことは何もない」


「デートはしている、と」


 おれは揚げ足を取った。


「……北条君。そういう君だって、玲ちゃんとはどうなんだい?」


「おっ。陸奥さん、核心に迫りましたね。そこは俺も気になっていたところです」


 陸奥の発言に明智が悪のりした。玲の話を持ち出されると、なるほどおれも分が悪そうだ。


「彼女が君に好意を示しているのは明白だ。柳さんを好きだと言いつつ、玲ちゃんとの関係をなあなあにしてる君こそ、柳さんの非難に値するんじゃないのか?」


「玲ちゃんは、被保護者です。千夜せんやハイツの管理人として、彼女が独り立ちするまでは、責任を持っておれが面倒を見ます」


「そんなこと言って、いろいろと面倒見てもらってるんじゃねえの?よくお前の部屋に出入りしているみたいじゃんか」


「明智……」


 おれは頭痛が悪化した気がして、卓袱台に肘をついて頭を抱えた。


 玲がおれの部屋にやってくる回数は当初から比べれば激減していて、今では週に一、二回食事を作りに来るくらいだ。

 当然掃除や洗濯などはさせていないし、彼女の学力が著しく高いがため、勉強を教えてやるようなイベントすらなかった。

 最後の点だけは、自称保護者からすると少しだけ寂しかった。


「本当に、恋愛感情はないんだろうな?」


「陸奥さんこそ、外で羽目を外してないんでしょうね?」


 卓袱台の上で棘のある視線が交錯した。どちらからともなく睨み合いは解消され、お互い長い息を吐いた。

 下からそれを眺めていた明智が、「どっちもどっちだな、こりゃ……」と呟き、濡れタオルで目を覆った。


 トイレに立った先で偶然、一人でいる玲と遭遇した。


 ワンピースタイプの黒いシックな水着姿で、肩のストラップにリボンが付いていて可愛らしい。

 水着から伸びた手足は肉感が健康的で、想像していた以上にスタイルが良いので見ていてどぎまぎした。


「管理人さん、大丈夫なの?」


 玲が抱き付いてきておれの腕を抱え込んだ。肌の密着度合いを喜ばしく感じる以前に、体を揺すられたことで気分が悪くなった。


「……ちょっと、動かさないで。頭が痛い……」


「……まだ駄目そうだね」


「うっ……」


「管理人さんと一緒に泳ぎたかったな」


 離れるわけでもなく、おれと腕を組んだままの姿勢で玲が心配そうにこちらを窺っていた。

 つい今しがた陸奥と明智に突かれたにも関わらず、おれは玲が体を押し付けてくるこの状況を自然と受け入れていた。


 昨晩何かが通じたような気がした麻里亜に対する罪悪感がふつふつと湧いてきた。


「玲ちゃん……楽しんでる?」


「うん。海で泳いだの、久しぶりだよ」


「それはよかった」


「麻里亜さん、すっごい水着だよ。大胆。管理人さん、見たいでしょ?」


「……写真を、撮っておいてくれ」


「わかった。麻里亜さんに伝えておくね。水着、私も結構頑張ったんだけどなあ」


 玲が水着の胸元を前に引っ張って見せた。

 おれの目線だと水着の中が丸見えで、白い肌と谷間とが一瞬全開となって、脳髄を電気が貫いた。


 玲が、「見えた?今のはサービス」と含み笑いを向けてきた。

 おれは欲情しかける自身を理性の力と二日酔いの負の力とで抑え込み、辛うじて「写真の件は、伝えなくていい。玲ちゃんの水着姿で、満足した」とだけ声を絞り出した。


 発言内容は真実であったが、もう一つ、このタイミングで麻里亜に余計なことを吹き込まれては堪らなかった。

 水着姿を写真に撮りたいなどという妄言を伝え聞こうものなら、あの麻里亜のこと、一月はおれと口をきいてくれなくなる。


「……う、駄目だ。一旦戻って、寝る」


「旅館に戻る?なら肩貸すね」


「いや、逆にふらつくから……」


 百八十センチあるおれと年齢に標準的な玲とでは身長差からバランスがとれず、手助けは有難いのだが逆効果になりかねない。


 元いた海の家に戻ることは躊躇われ、それは陸奥に「それ見たことか」と玲との仲を勘繰られるのを避けたかったがためだ。

 そして、二人に玲の水着姿を見せてはやるまいとする狭量と独占欲も確かに存在していた。


 ふらふらと歩いて道路を渡るおれを、結局玲は最後まで介添えして旅館にまで付いて来た。

 旅館のロビーではまだ宏美が一人唸っていて、玲は頭に響かないよう配慮してか、小さな声で律子さんの所在を尋ねた。


「……露天風呂に行くって。倒れてなきゃいいけど……千尋ちひろ、見ておいで。運が良ければ、ラッキーなものが見られるかもよ……」


 宏美は顔も向けずに目を閉じたままで言った。

 彼女のいうラッキーなものとは、文脈から推測したなら、さしずめ律子さんが裸で倒れているとかそういうことだろう。


「ラッキーなもの?」


 玲が再び水着の胸元を引っ張っておれに同意を求めてきたので、今度ばかりは見ないように注意し、「玲ちゃん、ちょっと律子さんを見に行ってあげて」と依頼した。

 勢いよく頷いて駆け出す玲の後ろには、ビーチサンダルの立てるパタパタという足音が続いた。


「……麻里亜の水着、褒めてきたんでしょうね?」


「いや……おれも気持ちが悪くて、海の家から先には行ってないんだ」


「最悪……」


 おれがこうなった原因の大半は宏美にあり、ほどほどで切り上げようとした昨晩のおれを無理やり引き戻して飲ませたことに関して抗弁したくもあったが、どうせいつもの噛み合わない口論になると思い、口をつぐんだ。


「陸奥さんが、宏美や律子さんの水着姿も見たかったってさ」


「無理。今動いたら死ぬわ」


 宏美は即答し、手をひらひらと振ってこれで話は終わりとばかりに合図した。

 やがて戻ってきた玲から、予想通りに脱衣所でうずくまっていた律子さんの顛末を聞かされ、旅行二日目にして脱落者続出のこの惨状を、叔父にどう報告したものかと思い悩んだ。



 あっと言う間に二日目も過ぎ去り、三日目はおれと陸奥の運転で真っ直ぐに「千夜ハイツ」へと帰還した。

 車中で寝て帰りたいという女性陣のたっての希望で、おれのワンボックスカーがようやく人気を博したことを付け加えておく。


 東京へと帰ってきてすぐに、その報はもたらされた。

 海外出張中に中東で失踪していた一宮氏の死亡が確認されたのだ。



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