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四.七月の雨(4)

 レポートを受け取ると教授は特に講義もせず、前期日程の終了を告げて退出してしまった。

 残された学生は、ほとんど休講となった事態に幸運とばかりに騒ぎ立て、めいめいやることを求めて席を立った。

 その流れに逆らわず、おれも教室を出て教務課を目指した。


 教務課の窓口の周辺に設置された掲示板には、履修している講義の更新情報を求める学生たちが多数集まっていた。

 幾つかの試験日程を確認していると、ふらりと歩いてくる明智あけちとすれ違った。


「おい、明智。来ていたのか」


「ああ。一応、取ってる講義の試験とレポートだけでも確認しようかと思ってな。そっちはどうだ?真面目に出席してんのか?」


「ちょうど今、レポートを一件出し終えたところ。力作だぞ」


「阿呆。経済学のレポートに力作も何もあるか。講師の受け売りかテキストのコピーだろ、基本は。要領よくまとめた奴が単位を貰えるってだけの話だ」


 明智が熱意もなく語った。


 先の土曜と日曜に、おれの知人の親戚が社長を務める測量会社へアルバイトに行き、工事現場で二人して汗を流して働いてきたばかりだ。

 明智は丸二日の労働を終えたその場で今後も続けたい旨を直訴して、当面は週に四日から勤めることが決まっていた。


「まあ、そうなんだろうけど。仮説を提示してそれを検証するって工程を入れたら、意外と書くのが楽しくなってな」


「大学院にでも行け」


 にやりと笑って、明智は手を振ってから教務課の窓口に向かって歩き出した。

 後期のカリキュラムでも確認するのかもしれない。


 そういえば明智は文学部だったはずで、彼の所属していた文芸同好会にはおれも籍を置いていたのだが、もう数か月ほどご無沙汰していることを思い出した。


 れいからメールが届き、「レポート間に合った?」とだけ簡潔に記してあった。

 そろそろ学校が終わった時間なのだろう。

 おれは「無事提出。弁当うまかった。ありがとう」と箇条書きにして返信した。


 今晩は陸奥むつ律子りつこさんと待ち合わせて、外で旅行の打ち合わせをする予定で、それまでは時間が空いていた。


 まだ日は高く、好天ということもあって大学の構内は学生でごった返していた。

 前期末試験が近いことから、情報収集の向きもあろう、軽装で解放感を前面に出した男女があちらこちらでお喋りに興じていた。


 その雑踏の中に鈴木依子すずきよりこを発見して、おれは軽く声を掛けてみた。

 彼女は麻里亜の友人で、昨年一般教養や経済学部の講義が複数重なったことから、おれもそこそこに親しくしていた。


北条ほうじょう先輩。お久しぶりです」


「鈴木さん、元気にしてた?今年はほとんど見かけないようだけれど」


「北条先輩こそ、ちゃんと大学に来ていましたか?私は毎日、麻里亜と一緒に講義に出席していましたよ」


「来てはいたんだけどね。目立たないのかな」


 おれは鈴木と連れ立って歩き、空いているベンチに腰を下ろした。

 鈴木も今日の講義を全て終えたそうで、友人らが集まるのを待っていると言う。

 「千夜せんやハイツ」の住人一同で旅行に行く計画があるのだと話すと、「それ、楽しそうじゃないですか」と好評を頂戴した。


「……でも、麻里亜は行くかなあ」


「どうして?」


「あの子、結構堅いでしょう?男子と一緒の外泊とか、簡単にはうんと言わない気がします」


「なるほど……」


「麻里亜が行かないと、北条先輩も残念ですよね」


「それは、そうだね」


「あ、でも……」


 思い出したように、口に手をあてて鈴木が言い出した。


「麻里亜、最近仲のいい男子が同じゼミにいるんですよ。はやし君っていう、二年生の男子」


「林君……」


「北条先輩とは全然タイプが違いますね。あまり物事を深く考えないというか、取り敢えず突っ走って、出たとこ勝負っていう感じです。でも、麻里亜は意外とああいう強引なアプローチに弱いんじゃないかなあ」


 自分が軟弱だと責められているようにも聞こえ、おれは「そうかな?」と軽く反論を試みた。

 鈴木はぶんぶん首を縦に振り、己の意見は正しいはずだと主張した。


「あの子、人気はあるけど男子の誘いを平気で断っちゃうでしょう?だから免疫が少ないっていうか、林君にぐいぐい迫られて対処に困ってる、みたいな」


「嫌がっている?」


「そうでもないみたいです。なんだかんだ言って、ご飯とか買い物とかに付き合ってあげていますから」


「なるほど」


「林君の最近の目標は、麻里亜にお酒を飲ませることだそうですよ。あの子、クラスコンパの席でも一滴も飲みませんからね」


「そう」


「北条先輩は麻里亜と一緒にお酒とか、行かれているんですか?」


「千夜ハイツのみんなと一緒になら」


「二人きりは?」


「ないね」


「デートに誘ってみたりは?」


「今のところ、ない」


 鈴木は大きく息を吐いて、おれを値踏みするようにじっと見つめてから言った。


「先輩……もうちょっと執着心を見せた方がいいと思います。私、これでも麻里亜とは仲良しなんですから。今の先輩の反応を見ていると、麻里亜とのこと、とても応援する気分になりません」


 「千夜ハイツ」への帰宅は午後の十一時を過ぎていた。

 さすがに深夜に玲の部屋を訪ねるわけにもいかず、おれは弁当箱を流し台で洗った。


 そうしていると、つい今しがたまで陸奥に責め立てられていた情景が頭に浮かんだ。

 駅近くの居酒屋で打ち合わせていた際に、鈴木から仕入れたばかりの、麻里亜と仲が良いという林君の話をうっかり漏らしてしまったのだ。


 陸奥は激昂してこう言った。


「君ねえ。同じ学内でぽっと出の小僧に押し負けて、一体何をやっとるんだ?僕がいないところでは、君がしっかりしていないと駄目だろう」


 律子さんはビールのジョッキを手に笑いながら、「あなたたちってライバルじゃなかったの?」と冷やかした。


 陸奥は「こんな軟弱者をライバルだなんて認めたくはないですが、その林君とやらはもっと有り得ない」と憮然として答えていた。

 おれには返す言葉もなかった。


 おれはパソコンを起動して、陸奥や律子さんと詰めた内容を文書として打ち込んでいった。

 宏美には律子さんから会費の件を含めて相談済みだそうで、回答は快諾とのこと。

 問題は白川氏で、彼に費用を負担させることはまず難しいだろうと半ば諦めていた。


 陸奥が熱海の温泉宿で二部屋の確保に成功し、社会人三人組が場所やお金といった環境面をクリアしてくれたことになる。


 当日は僕と陸奥とで車を出すことも合意していたので、残る課題は日程調整のみだった。

 まず社会人組の休暇をあわせてもらい、続けて学生組へと落としていく。


 先に告知だけでもせねばということで、今こうして打った文書を明日にでも回覧に出すことと決めていた。

 果たして麻里亜が承諾するものかという疑問は残っていたものの、住人揃っての旅行など初めての経験で、おれはだんだんと気分が高揚してくるのを自覚していた。



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