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四.七月の雨(2)

 その日の夕方も前日までと変わらぬ雨模様であった。

 有楽町線で練馬駅まで出て、北口からすぐの古風な喫茶店に入り、開場までの少しの時間を潰すことにした。


 狭いガラステーブルの上に花束をのせ、スーツが皺にならないよう慎重に椅子へと座った。

 白川しらかわ氏にあやかったわけではないが、髪をオールバック気味の七三に決めたのは、今思えばやりすぎだったのかもしれない。

 とはいえ、あの麻里亜まりあの縁者として列席する以上、どれだけ装いを綺麗にまとめても物足りない気がして仕方なかった。


 アッサムティーで口中を湿らせ、落ち着かない気分を紛らわせるために公演のパンフレットをただひたすら眺めた。

 麻里亜の所属する音楽教室は相当に規模が大きいようで、加えて奏者のレベルは全国でも屈指らしい。


 大学で詳しい知人に聞いた話では、今日のラインアップには音大でも上位の面々が名を連ねているという。

 おれが演奏するわけではなかったが、麻里亜を媒介して自然と緊張感が伝わってきた。


 えいっと胸中で気合いを入れたところで、れいから電話の着信があった。


「管理人さん、大変!いま管理人室に電話があって、明智あけちさんが……明智さんが、逮捕されたって」


「何だって?明智が、何で?」


「刑法百八十五条だか六条だか、賭博行為がどうのって。警察から……」


「あれか!それで、警察はなんて?」


 明智は違法カジノでアルバイトをしていたので、おそらく警察のガサ入れにでも巻き込まれたのだろう。

 確かに昨日から明智の姿を見かけていなかった。


「起訴猶予?で、釈放するから身柄引受人として立ち会うようにって。新宿の警察署から……」


「わかった。新宿だね?おれが行くから、他に言われたことがあったら教えて」


 玲はしっかりとメモを取っていたようで、電話口からスラスラと必要事項を伝えてくれた。


「了解。それと、このことは誰にも言わないように」


「はい」


「よし。それじゃ」


 おれは急いで会計を済ませ、陸奥むつの電話をコールしつつホールに走った。

 ホールの入り口に着いたところで陸奥と電話が通じたので、今から練馬に来られないかと尋ねてみた。


「馬鹿言っちゃいかん。急に出るのはいくらなんでも無理だ。どうしたというんだい、北条ほうじょう君?」


「すみません……言えないんです。言えないんですが、どうしても抜けられない用事が出来てしまって……」


「……だが、その手のコンサートは遅れて入るのはマナー違反だ。何にせよ、今出先にいる僕では間に合わない」


「……そうですよね。お忙しいところすみませんでした。時間がないので切ります」


 電話を切り、おれは受付で丁寧に言伝をして強引に花束を預けた。

 そして駅へ取って返し、新宿を目指して地下鉄に飛び乗った。


 車中から麻里亜にメールで連絡をしようかとも思ったが、演奏前に理由のひとつも記されていない欠席の報告などを貰っては、集中力に悪影響を及ぼすかもしれず、止む無く断念した。


 新宿へ到着した頃にはすでに開演の時間を過ぎていて、腕時計を見ながらおれは深く溜息をついた。

 警察署への道のりは足取りも重く、それでも明智を出来るだけ早く解放してやらねばならないという思いに揺らぎはなかった。


 駅で買ったビニル傘を差し出すと、明智はひどくすまなそうにして受け取った。

 日はすっかりと落ちて、夜の帳に数多くのネオンが燦々と輝いていた。

 降り止まない雨が連綿と地面を叩く音が物悲しく響いて聞こえた。


 時刻は午後七時半を回っていて、今から練馬に戻ったとしても終演には間に合わなかった。


「……北条、すまん」


「何も言うな。起訴されないで釈放されたんだから、誰にも、何も、言うんじゃないぞ。おれがここに来たことは玲ちゃんしか知らないし、口止めもしてある。あの子は信用できるからさ」


「でも、今日はやなぎさんの……」


「麻里亜には適当に謝っておくから。明智、黙っていろよ」


 明智の両親は離婚していて、それぞれ北と南の遠方に離れて暮らしていた。

 連絡は入っているはずだが、ここでおれと玲が黙していれば、今回の警察沙汰は決して表に出ない。


 明智とて違法と知ってカジノで働いていたには違いなく、道義的には問題がある。

 それでも一日警察に拘留されており、一介のアルバイトが負わされる社会的制裁としては十分に重かった。

 これ以上彼が傷つけられることを、おれは容認できなかった。


 明智がいつになく沈んでいたので、駅近くの蕎麦屋に無理矢理引っ張っていき、軽く日本酒をひっかけて鼓舞してみた。

 おれも気落ちしてはいたが、明智の心情を鑑みれば泣き言など言ってはいられなかった。


「もっと明るい仕事、探そうじゃないか」


「時給がな……良かったからさ」


「オーソドックスに塾の講師とかじゃ駄目なのか?あれも、まあまあ高給取りだろうに」


「……俺は二浪二留だから」


「そうだな……工事現場なら、知り合い伝で紹介もできるけど。明智は、あまり肉体労働向きじゃなさそうだし」


「……たまには体を動かすのも、悪くないか」


「興味あるか?来週あたり、試しに現場に連れていってもらうか。おれも付き合うよ。日当一万円くらい出るからさ。管理人仕事もそうだけど、体を使って汗かいて仕事するのもなかなかいいぞ」


「……親父と電話で話したんだけどさ。大学は今年いっぱいで休学にしようかと思って」


 鱚の天ぷらをつゆに漬け込んだまま、明智が俯き加減で言った。


「もう二十四だし、こんなことになっちゃったし。久しぶりに怒られて、なんか目が覚めたっていうかさ」


「……大学休んで、働くって?」


「ああ」


 二浪二留で大学二年生の明智に対し、一年の浪人に加えて大学を一度中退し、受験し直して現在三年生のおれは、境遇や年齢が似通っていることもあり、勝手に親近感を抱いていた。

 明智が休学するという話は、おれにとっても衝撃が小さくなかった。


「破れかぶれになっていないよな?放っておいても、あと三年もすれば社会に出ざるを得ないんだぞ」


「順調にいけば、だろ?俺単位なんてほとんど取れてないし。……意思が弱いんだろうな。自分を追い込まないと、どんどん楽な方へ楽な方へと流されて行っちまう。思い知らされたよ。……取り敢えず、汗水垂らして無心で働いてみようかなって」


「……まあ、それはそれでありかもな。どうせすぐに、放り出して戻ってくるんだろうし」


「……違いない」


「明智はさ、彼女を作った方がいいと思う。尻を叩いてくれる、姉御肌の女性とか。そうすれば、自堕落な生活から抜け出せるんじゃないかな」


「……彼女のいないお前が、偉そうに言うじゃないか」


「おれは規則正しい生活をしてる」


「どうだか。朝は玲ちゃんに起こしてもらってるんじゃないのか?」


 おれは酒をこぼしそうになった。

 明智が乾いた笑声を漏らした。


 玲が朝食を作りに来る頻度はだいぶ少なくなり、週に一回、朝一限から講義のある日に限られていた。

 それでも宏美ひろみはねちねちと嫌味を言うし、律子りつこさんからも「自制してね」としつこく念を押されていた。


「北条、着信きてるぞ」


 明智に指摘され、テーブル上の携帯電話をチェックすると、玲からメールが届いていた。

 「麻里亜さんが帰ってきて応接で恐い顔してる。管理人さんを待ってるみたい」とあった。


 おれは「何も言わないでおいて」とだけメールで返信した。

 内容を尋ねてきた明智にメールを見せると、「俺のことはもういいから、すぐに帰って説明してこい」とおれの背中を押した。


 そうして明智は無造作に煙草を取り出すと、マッチを擦って火を点けた。

 明智の表情には幾分か生気が戻ってきたようにも見えた。


 おれは無理矢理店の外に追い出され、アルコールがいい具合に回り始めてこそいたものの、それでも雨の中を走って帰路を急いだ。


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