M3-4
日本の神様相手に天国、という表現をして良いものか悩んで咄嗟に極楽、と言い換えたが、果たしてそれも正しいのかわからない。彼女なら当然聞いてくるだろうと思って構えていたら、目線を落とした彼女から問いかけはなかった。と。
「向こう、むいて」
「は?」
「向こう、むいて」
唐突に真っ直ぐ前に指を突き出して、彼女はそれだけを繰り返す。なぜ、と尋ねても、いいから、と突き返される。全く訳がわからないまま、足をベッドの向こうに下ろして背中を向けた。その時、掛け布団が勢いよく音を立てて彼女の方に引き寄せられた。振り返る間もなく、ボスリ、と頭に、背中に、二重に畳まれたそれを被せられる。そこそこの重みに首が痛む。こちらが怪我人だということを忘れているとしか思えない。
「おいー」
抗議しようと上げた声は、しかし、更なる重みに封じられた。
背中に、何かが寄りかかっている。
二重の布団のその向こうから、ひんやりとした冷気が伝わってくる。布団に阻まれて見えないけれど、わかる。それは、人の形をしていた。
「……何、やってんだ」
「……わからない」
「……わからないって、なんだそれ」
返事はない。ない代わりに、重みが少しだけ増した。それから、少しして、名前が呼ばれる。
「……何だ」
「……助けたの、迷惑だった?」
それは、とても小さな、掠れて消え去りそうな問いかけだった。
「助けなかった方が、良かった?」
あぁ。青年は布団の陰でゆっくり目を閉じた。背中で、冷気の形をゆっくりなぞる。小柄で、軽い。押し当てられた蝶型の帯がよれてしまうのではないか、なんて、どうでも良いことが頭をよぎる。布団を越えてこれほどまでに冷気を感じるのだから、なるほど、普段の彼女には触れられないわけである。やはり彼女は、異形なのだ。その彼女が、確かに今、布団越しに彼に触れていた。
「……どうだろうな」
寄りかかられているのに任せて、彼はしばらくそのまま、頭を垂れていた。
布団でもこもこになった背中に、自分の背中をもたせかけた。この行動の意味を問われても、彼女にはわからない。ただ、こうしたらわかるのではないかと思ったからだ。あの日、彼と初めて言葉を交わした日に感じた、互いの中の「手を伸ばしてつながろうとしている『何か』」の正体を。
二重にした布団の向こうから、じんわりとした熱が伝わる。背中で、熱の形をゆっくりなぞる。自分よりもずっと大きい。従者とどちらが大きいだろうか、なんて、どうでも良いことが頭をよぎる。布団越しでこれなのだから、なるほど、普段の彼には到底触れることなんてできない。1度だけ唇に触れたあの手は、相当に冷えていただけで、やはり彼は人間なのだ。その彼に、今確かに、布団越しに触れていた。
『何か』は相変わらず朧気に、感情の深いところを彷徨っている。自分の感覚が彼に伝われば良いのに。そう彼女は強く思った。そうしたら、彼がいかに温かい人間かが、彼自身に伝わるのに。
はじめて互いの体温を知った彼と彼女は、しばらくそのまま、一つのベッドの上に座っていた。




