M2-2
渦中の姫君はそのようなやりとりなどつゆ知らず。
今日も今日とて。
青年に翻弄されていた。
「どうして、窓、全開にするの……!?」
「入ってきやすいだろ」
確かにそうだが、そういう問題ではない。薄着で屋上にいたせいで結局あのあと風邪を拗らせた前科を忘れているとしか思えない。また明日、と言ったものの熱が高くて近寄れたものではなく、覗き見るだけで早々に退散した。実際顔を合わせたのは3日後の昨日で、まだ微熱があったから無理もさせられないと早々に引き上げてきた。それなのに、今日になったらこれである。極力外の冷たい空気をーしかも粉雪混じりのであるー入れないよう注意しかつ速やかに滑り込み、勢いよく窓を閉めながら泣きそうになった。冷気の発信源である自分が、いったい何をやっているのだ。
「治る気が、あると、思えない!」
たし、とベッドに備えられた机を叩いて抗議するも、対する青年はどこ吹く風。
「身の回りの世話をしてもらえるんだから、長引くのも悪くない」
そんなことまで言い出すから始末に負えない。つまり治る気がないということではないか。
「……心配、しないの」
粉雪を従えて飛ぶ最中、あちこちで家庭の、家族の姿を見かける。滑って転んで泣く子どもに「大丈夫?」と声をかけて近寄る大人の姿。服についた雪を払って頭を撫でて、そっと抱きしめてあげるのだ。その「大丈夫?」と問いかける感情を「心配する」というのだと、彼女は知っていた。人間は誰かに、例えば親に、心配をされるものだと見知っていた。
「誰が?」
「……え?」
だから、返ってきた彼の言葉のあまりの冷たさに、息をのんだ。思わずあげた目線の先に、ぞっとするような冷めた瞳がある。前にもそんな目を見た。屋上で再会したあとの病室で、自分の口を塞いだ、あの時。
問い返されただけなのに、答えられない。問い返しておきながら、その実こちらの口を封じている。硬直した彼女をしばし見返して、やがて青年はふ、と息を吐いた。視線が、外れる。
「あぁでも、飯が不味いのだけは勘弁して欲しい。病院食は不味いって、噂だけかと思ってたけど」
はぐらかされた。けれど、蒸し返す勇気は彼女にはない。
「まず、い?」
こうやって、何事もなかったかのように話を続けることしかできない。
「あぁ。不味い。……そういや神様って食事はするのか?」
「たまに、人間から、野菜や果物や、お米をもらう。それから、雪が触れたものの……命を、その……少し」
言い淀んだのは、人間も例外ではないからで。しかし眉一つ動かさない青年を見て、そういえばそういうことを聞き知っていたのだった、と思い出す。青年の関心はむしろ別のところにあったようだった。
「供え物だろ、それ。全部そのまんま食べるのか?」
「えぇ、と、私たちは、1度雪で包んで、凍らせて、そこから生命力を、食べる……というか、吸い取る、が近い、かも」
「吸い取ったあとのもんは」
「だいたい、埋もれて、いつか、土に還る」
「へぇぇ……味とか、あんのか」
「味……」
あまり考えたことはなかった。言われてみれば、果物1つひとつ、吸い取った時の感じは違う気がする。頬がとろけそうなもの、歯がキン、とするもの、爽快感のあるもの、口を窄めたくなるもの。それを味というのならば、世の中にはたくさんの味が存在することになる。それを伝えると、彼はなるほど、と頷いて言った。
「その中で、舌がとろけそうで自然と笑顔になりそうな、また食べたいと思える気に入った味が『美味しい』。その反対が、『不味い』だ」
「……自然としかめ面になって、もう2度と食べたくない、と思える、嫌いな味?」
「そんなところだな」
なるほど、と今度は彼女が頷いた。人間の食は奥が深い。しかしそうなると、なおさら謎だった。
「病院は、早く治すための、ところでしょう? なのに、不味い?」
「あれだ、ことわざに『良薬は口に苦し』ってのがあってな、病院としては味よりも薬としての食事が優先なんだよ」
「へぇぇ……」
身体を治すための食事と、気持ちを明るくさせるための食事は性質が違うらしい。やはり、人間の食は奥が深い。雪神の娘は改めて深く頷いたのであった。
その日屋敷に帰ると従者が人間界からの供物の配分を持ってきた。手を合わせてからいただく。なるほど、確かに味が違う。これはもっと食べたい、これは少しで良い、そういった感情が食べるたびに頭をよぎる。ひととおり命をいただいたあとで、ふと従者の方を見ると、彼の食卓にはさきほど気に入ったものがまだ残っていた。人間界の加工品である。小豆を砂糖で煮詰めて練ったものを、小麦粉に砂糖を混ぜて水で練ったものにくるんだ食べ物。見ているだけであのじんわりとした甘味を思い出す。
「……召し上がりますか?」
「!」
どうやらあまりにじぃっと見つめていたらしい。従者が苦笑いを浮かべながらそれをこちらに差し出す。おそるおそる受け取って、従者の苦笑いがしかめ面に変わらないことを見て取って、それから思い切って食べた。やっぱり気に入った味がする。これが美味しい、ということか、と、ほくほく顔で「食事」を続ける彼女を、従者は驚き半分呆れ半分に微笑ましさも追加して、静かに見守っていた。
翌日それを青年に報告すると、彼は真顔でこういった。
「そういうのを、人間界では『いじきたない』とも言うらしいからな。ほどほどにしておけ」
意味を知るなり恥ずかしさのあまり逃げ出して、従者に平謝りしたのはいうまでもない。




