Memory2 知拒―ソノサカイメ―
議会が終わり、雪神たちが眼下に構える本殿の大門からそれぞれの屋敷に帰っていく。ほたほたと静かに降る雪の向こうにそれを眺めながら、1人議場に止まる従者は、不意に名を呼ばれ振り返った。
「……当代」
流れるようにその場で膝をついた従者の視界に、やがてゆったりと、白い衣が現れる。次いで透き通るような白い手がひらりと翻り、すくい上げるように指を、掌を上向ける。立て、という指示で、従者は躊躇いつつも、従わねば命令違反になると自分に言い聞かせながらやむなく立ち上がった。躊躇う理由は、立ち上がるとどうしても当代を見下ろすことになるからだ。ましてや彼の場合、当代の頭が自分のあごの辺りに来る。重鎮たち曰く、こればかりは慣れるしかない、とのことだが、雪神の眷属としてまだ十数年しか時を過ごしていない彼には、慣れた自分など到底想像がつかない。
「早う慣れると良いのぅ?」
「……善処いたします」
どうやらしばしば苦い顔をしているらしく、当代は今日もクツクツと、喉の奥で笑った。細められた薄紫の瞳がキラリ、と閃く。頭頂で一つに束ねられた、これも薄紫を帯びた銀色の髪に、金や水色の紐が弧を描いて沿い流れる。白に銀の刺繍が施された衣に淡い金の帯が映える。戯れに笑みを浮かべていても、発せられる威厳は微塵も揺らぐことがない。泰然と構えるこの女性こそが何十年何百年と雪神の頂点に君臨する大神・刹梛氣であり、彼の、彼ら雪神眷属の誇りであった。そして、彼女が従者に声をかけるとしたら、大抵用件は一つだけ。
「我の後継者はどうしておる?」
後継問題は当然、先の議会での1題に挙がり、渦中の、しかも渦の目である彗姫の従者を務める彼にも質疑の声が、それはもう数多く寄せられた。しかし彼はこういう時、何を尋ねられようと沈黙を保つ。そうするのが目下最善の策だというのが、紛れもなくこの当代の判断だからである。しびれを切らした他の眷属が矛先を当代に切り替えたところで当代が「順位変動はない」とバッサリ切り捨てるのが、ここ毎回の恒例と化していた。
「拾った人間に見つかって、何やら面白そうな関係になったのじゃろう?」
「……えぇ、何でも、『これからのために人間のことを知っておきたいから、彼に教わりにいく』ということで。今日もさっさとお出かけになりました」
「どおりで、ここ数日人界に粉雪が舞い続けているわけよ」
仕事熱心じゃの、とやはりクツクツと笑う当代に、従者は嘆息するしかない。
「仕事ならば、良いのですが」
「仕事ではないか。先日2度に渡って発生した突発的な吹雪は、どちらもあれの仕業なのじゃから」
どちらも数秒から数分と、決して長くはないものだった。しかしその勢いは神界にも届き、残っていた雪神たちが泡を食って本殿に集まり、何事か、誰の仕業だと囁き合ったほどである。従者はそのどちらも知っていた。1度は瀕死状態だった人間の青年を助けたあの瞬間。彼女が彼を運んで人界の病院に放り込むまでの数分間。もう1度は、遠目に見えた、屋上から彼を運んで病室に放り込んだ数秒間。彼女が全力を出した、たった2回の出来事。
「あれは彗姫のお力によるものだと、皆に広めなくてよろしいのですか」
公表すれば、反応はどうあれ彼女を見る目は確実に変わるというのに。
「不満か? 自分の主が認められぬことが」
沈黙をもって答える従者に、当代は今度は声を立てて笑う。笑って笑って、それから片手を伸ばすと彼の肩を軽く叩いた。
「まぁ待て。まだその時ではないのじゃ。ぬしはこれまで通り、己が主を我が後継と定め仕えておればよい」
「は」
従者の返答に間も揺らぎもない。当然だ。彼が自分の主を後継に相応しくないのではと思ったことなど、ほんの一刹那すらも、ないのだから。
「そういえば」
退出しかけた従者を呼び止めると、当代はまるで彼の上着のしわを指摘するような軽さでそれを告げた。
「人間に試練を与える仕事じゃがのぅ、今年は我々雪神に役目をせよと仰せつかった。覚悟をしておくよう、あれに伝えておけ」




