Memory1 雪会ーユキニアウー
轍すら薄ら白いつづら折りの道路を、それでも順調に走っていたはずのタイヤの軸が不意にぶれて重心が少しずれた。滑る。咄嗟に反対側に重心をかけようとするも、立て直す間もなく車輪が空を走り、大きく傾く。ヘルメットの向こうで景色が勢いよく回転し、直後右半身が地面に叩きつけられた。衝撃に目を瞑り、呻く間もなく甲高い音を巻き添えにバイクに引きずられて数回転。何にぶつかったか車体が急に止まり、振り払われるように投げ出される。やたら長い浮遊感にぎょっとして目を開いた。冷気をまとった灰色の空、白に茶筋を残す山の稜線。
その中に、一筆刷いたような、細く、しかし鮮やかな鳥居の朱。
ヘルメットの向こうでいやにゆっくりと流れた景色は、しかし急降下に転じた瞬間あっという間に消え去った。武骨な岩肌を見せる崖、その上の白く曲線を描くガードレール。その向こうには樹木が雪にまみれた肌を見せて並んでいたが、先端もすぐに隠れる。背中が木の枝に接触したのはその時で、身体はそのまま大量の枝を折りながら、時に太い枝に跳ね飛ばされながら落ちて、最後にバス、と音を立てて止まった。
辛うじて残っていたらしい肺の空気が押し出され、意識が飛びそうになる。背中から雪独特の冷気がゆるりと這い上る。痛みに悶えながらも息苦しくておそるおそる腕をあげた。右腕はどうやってもあがらなくて、左腕だけをのろのろと持ち上げ、どうにかヘルメットを脱ぎ去る。その重みで力尽きた左腕が投げ出されて雪に埋まる。そこが、限界だった。
解放された顔を冷気が包み込む。自分のせいで幾分か見通しがよくなったか、木々の合間からぽっかりと空が覗いていた。斑だ、と思ったら、何か目に入った。目を刺す痛みもなく瞬けばすぐに消えるが、間を置かず入ってくる。睫毛についたのか瞬きをする度に白いものがちらつく。
あぁ。雪が、降ってきたのだ。
ふわりふわりと頼りなげに漂うのに、触れた瞬間チリ、と冷気を残して消えていく。美しいものとされながら、人の、生物の命を静かに奪っていく。痛みに呻いて熱を持っていた身体が、やがて手足の先から、背中から、徐々に冷えていく。頭の中に紗がかかったように、思考が歩みを緩める。死ぬのか、と、朧に理解した。人里離れたこの山中で、事故に気づいて救助を呼んでくれる人がそうそう都合よく現れるとも思えない。数日放って置かれたところで、不在に気づいて心配してくれるような人間は、もう誰もいなかった。このまま、高校の卒業式がある三月まで、誰も気づかないのだろう。
死にたくないと、思えない自分に気がついて、こんなもんか、と彼は緩く唇の端を持ち上げる。死んだら悲しむだろうかと思わせてくれる最後の一人は先日、一足先に逝ってしまった。唯一の親友も、もしかしたら同じところにいるのかもしれない。ならば自分も、このまま導かれるのを待つ方が幸せなのではないだろうか。
「……」
こんなところで、たった独りで、逝くなんて。母が死んでから十二年間、ずっと孤独だった自分には、あまりに似つかわしい終焉だと思わないか。
さぁ、眠れ。夢すら見ない眠りに、二度と覚めない眠りに、おちてしまえ。
「……」
ふと心をよぎった感情は、今までずっと彼が見ないようにしてきたもので、だからこそ最期に至っても、口に出すことは憚られた。それでも。
「……」
無意識に息となり、零れ出てしまったのかもしれない。
意識が途切れるその間際に、ふわ、と一陣の風が吹き、そして、
色を失った青年の両頬を、冷たく、しかし柔らかな感触が包んだ。
そして、決して覚めるはずの、覚めるつもりのなかった眠りから覚めた時。
自分の体には確かに血が通い、痛みはだいぶ残っているが四肢一つ欠けずにくっついていた。窓から吹き込む風の音、自分が横たわっているベッドの感触、そして強い薬のにおい。けれど、そんなものはもはやどうでもよくなった。
目覚めたばかりの彼の瞳は暗闇の中、白の着物に身を包み、月明かりに白銀の髪を輝かせ、開いた窓の向こうへと手を伸ばしかけたまま硬直して、白藍の瞳でこちらを凝視する、
異形の少女の姿を、映していた。