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幻想のメシア  作者: からから
第一章
21/28

19.少女が願ったもの

 



 通常の人間が素手で打倒しうる生き物の限界体重は30キロとされている。

 丁度、特大犬あたりを想像してみると理解しやすいのかもしれない。

 しかし、訓練をつんだ人間でも野生動物に勝つことは難しい。

 進化の過程で牙も爪も捨ててしまっている以上は、素手という単純な筋力のみで致命傷を与えることは予想以上に難しいのだ。

 だが、人間にはその過程で獲得した知恵という武器がある。

 その知恵で様々なことを知った。

 ──いかに効率よく体を破壊できるのか。

 ──いかに相手の意識を断ち切るのか。

 ──いかに的確に相手の命を刈り取るのか。

 生物の弱点、急所をほかのどの生物よりも細かく研究して、技術として昇華させ、今日の"武術"がある。

 素手だからといって、けして不利ではない。

 むしろだからこそ、できることだってあるのだ。

 明西凛と言う少女は、その"武術"という技術の化身といっても過言ではない。

 彼女にとっては、犬だろうが熊だろうが必殺を持って対抗できるだろう。




 だが、何事にも限度があるというもの。

 今の彼女の目の前には、伝説上の生き物"ケルベロス"がいる。

 ぐるぐるとうなり声を上げて、彼女の様子を伺っているようだ。

 先ほどまでにはなかったが、3つ頭にそれぞれ首輪がついていている。首輪の外周には無数の蛇がうごめいており、それぞれが彼女に対して鋭い眼光で睨めつけている。

 ついでにいうと、尻尾まで蛇のようだ。尻尾の蛇までは彼女を意識していないが、俄然脅威といっても差し支えないだろう。


「…………」


 この怪物に真っ向から立ち向かっては勝ち目は薄い。いくら彼女が人外の怪力の持ち主でも、ここまで体重差のある生物を相手取っては無理がある。

 様子を見る限りでは、ナベリーの人格は作用されておらず、野生の本能で行動しているように見える。

 ならば、仁のようにはいかずとも頭を使って打倒しようと、凜は考える。

 3つの犬の頭、そして尻尾、拘束具の蛇という姿からして目の前の"ケルベロス"は伝記に登場する姿と合致している。

 ということは、弱点も共通しているかも知れない。

 けれどもこの考えは、すぐに無くなる。3つの犬すべてを眠らせることができる音楽も、この状況じゃ再現ができないし、伝説でシビュレーなどが用いたとされる、甘い食べ物もこの場には無い。


 角度を変えよう。

 そもそも、"ケルベロス"という存在は門番の意味合いが強い。一般的には冥界の扉を守護する番犬として知られる。

 もしも伝説どおりならばだ。

 向こうに"先手"は無いんじゃないのだろうか?

 "番"という言葉の特性上、あくまで防衛的な迎撃しかできない。おそらく侵攻的な攻撃はできないはず。

 隙を見せていないとはいえ、ここまで時間をかけて考えているはずなのに、ケルベロスが攻撃を先に仕掛けてこないのが何よりの証拠だろう。

 そして、ナベリーがいった勝利条件。

 "わたしたちをくっぷくさせろ"

 くっぷく──屈服とはおそらく、単に"打倒する"という意味で使ったわけではないだろう。

 "降参する"という意味合いが強いその言葉を、"門番"に当てはめると、つまりは"ケルベロス"が守っている"何か"を奪うことで初めて門番を屈服させたということになるはずだ。

 今の彼女の視界には、その守っているものは見当たらない。


「──とりあえずは……」


 そう、攻撃を仕掛けない限りはただの睨めっこにしかならない。


 ──すばやい攻撃で振り回して守っているものを探るとしましょうか。


 方針を決めた彼女は、自身の最大出力の力を足にこめて、"伝説"に飛び掛った。




 §--------------------§




 ──まずは……足元!!

 前足に水面蹴りを仕掛けるため、間合いをつめる。

 予想通り、私が近づいたときに攻撃を開始する。担当するのは中央と右の頭。即座に私に向かって噛み付いてくる。

 ぎりぎりまで上体をそらせて鋭い牙から難を逃れる。

 首がそこまで長くないのか、深追いはしないようだ。

 スライディングの要領で、勢いを足に乗せて、回転しながら右前足に水面蹴りを放つ。

 ドゴン、と鈍い音が聞こえた。

 崩れた体勢から技をかけたため、クリーンヒットとまではいかなかったけれど、それでも十分有効打だ。

 バランスを崩したケルベロスは、右寄りに前のめりで倒れこむ。

 この隙に、私はケルベロスの下を調べたが……


 ──何も無い……か。


 めぼしい物は見当たらなかった。

 ひょっとしたら、足元にでも引き戸があって、それが守っているものなのかもと思ったけれど、早々うまくいくものじゃない。


 ケルベロスが体勢を立て直す前に、バックステップで左からケルベロスの間合いを抜ける。

 途端に尻尾の蛇がこちらを向き、元の長さを越えて私に向かって追撃してくる。

 長さは伸縮自在ってところみたい。

 腕を太極拳に構えて、くるりとまわすように蛇からの迎撃を後方に受け流す。

 次いで受け流した際に、尻尾の胴体をへし折るようにしてひじを入れる。

 形容しがたい悲鳴を上げて私から離れる蛇。


 けれども、よく見ればさっきとは違って、尻尾の蛇は二つに裂けており、その上頭が二つに増えている。

 ──打撃を与えると増えるってこと?

 右前足を蹴った時には増えなかったから、もしかして、部位によっての効果かもしれない。

 どちらにしろ、結論を出すには早すぎる。

 ──なるべく蛇に関しては攻撃回数を減らして、大きい一撃を入れるってことは頭に入れといたほうがいいかもしれないわね。

 ふたたび、構えを取る。



 ──次は上!!

 この大きい体を上から見渡すため、再び足に力をこめて斜め上にジャンプする。

 今度の迎撃は左右中央の頭3つ。ただし、噛みつきではなく頭突き。

 直撃すればカウンターの要領で私の身体は文字通りに砕け散るでしょう。

 私は、両の拳に力をこめて、


響叉(きょうさ)!」


 3つの頭に急所である眉間めがけて、素早く、少しアパーカット気味に放つ。

 クリーンヒットした拳は、すがすがしいほど3つの頭を斜め上に吹き飛ばす。

 この技は、打撃の衝撃を外に打ち抜くように逃がすのではなく、内部で炸裂させるため、より芯に響く突きになっている。


 吹き飛ばされた頭に続いて、今度は首輪の蛇が襲い掛かってくる。

 私は今度は両腕を縦に構えて、独楽のように回して、直進してくる蛇を後方に受け流す。

 しかし、先ほどの突きで、私の跳躍は勢いを失ってしまっていた。

 それを、受け流した蛇の首を足場にして再び跳躍することで解消する。そして、ケルベロスの背に足をつけた。


 俯瞰を使い、全体を見渡すが、ここでもめぼしい物は見つからない。

 ──予想が外れたのかしら……

 もしかしたら、本当に"倒す"という意味合いでの屈服なのかもしれない。

 構えながら、頭の片隅で思考を凝らしていると、ケルベロスが仕掛けてきた。

 首輪と尻尾、前後の蛇が私に向かって襲い掛かる。目算で*およそ、──50!!


 私は呼吸を整えて、


京極(きょうごく)


 乱舞を使った。

 突き、掌、腕刀、足刀、蹴り、抜き、肘、膝、打撃で使う凡そすべての身体の部位を使って、360度全範囲攻撃をする対多用の殲滅型の乱舞。


 頭をつぶし、首を折り、二つに下ろして、1つ1つの蛇に致命打を与えていく。

 だが、それでも足りない。

 先ほどの予想は当たったのか、蛇に関しては打撃を受けるごとにその数を増やしているようだ。一撃一撃ごとにネズミ算のように増えていく。

 視界を蛇で覆い尽くされ、ついに手が回らなくなった私は、腕と腰に巻きつかれて、宙に上げられ、そのまま地面に叩き落される。


 受身も取れない状態で叩きつけられるのはまずい!

 強引ながらも呼吸を整え、硬気功で内功を練り、体を強化する。


 ドゴォォン!!


 と、地面がえぐれた鈍い音がした。


「──かはぁっっ!!」


 息が詰まる。

 いくら内功を練ったとはいえ、あの高さと勢いでたたきつけられてしまえばただで済むはずが無かった。

 びきびきと痛む体に鞭を打って、なんとか白い地面からふらふらと立ち上がる。


「……つぅ!!」


 ──左膝がおかしくなってるわね……

 衝撃により、左足を動かすと、膝のほうから鈍い痛みが走る。


 しかし、痛みに顔をゆがめる暇は無かった。

 ケルベロスが迎撃をしてきたからだ。

 左前足を上げて私を叩き潰そうとする。

 巨大な岩石が落ちてくるイメージを彷彿させるその叩きつけを、サイドスッテップで何とか避ける。

 骨折の影響で、激しい動きをすると体に響く。回避も紙一重だ。痛みに強い私がこの様という事は思ったよりも膝の症状は深いのか。


 すかさずケルベロスは攻撃を重ねる。

 次は頭3つの噛み付き。ステップでの回避は足の状態、そしてタイミング的に厳しい。

 力をこめる時間が足りなさ過ぎる。なら……


 ──迎撃!!

 中央の頭に口を閉じるように右足で蹴り上げ。そのまま叩きつけるように踵落とし。

 中央の頭は強制的に俯せにさせられ、ばきがき、と骨が軋む音が顎から私の踵へ響いてくる。

 しかし、左右の頭はバランスを崩しながらも、首を最大限に伸ばして噛み付いてくる。

 虚を突かれた私は何とか、襲い掛かってくる左右の牙を手でつかんで踏ん張る。

 けれど、体重差で明らかに負けている。ずりずりと力押しで負けてしまうのがわかる。

 早くしないと中央の頭が体勢を立て直してしまう。


 万事窮すかと私は食いしばりながら顔を上げた。

 すると、──左右の頭の口の奥。

 正確に言うならば、それぞれ左下奥歯と、右下奥歯。

 そこに、私が選んだ、あの銀の装飾がなされているグローブがひっかかているのが目に入った。口を開いているこの状況じゃなければ絶対に気づかないだろう。


「──もしかして……」


 光明が見えた私は、反撃に出るべく、あえて全身の力を抜いた。

 そして、後方に押し出される力を利用して宙に前方回転しながら両足をV字に伸ばして、左右のマズルに回転の遠心力を利用した踵落としを叩き込む。

 地面に叩き伏せられたケルベロスを確認して、バックステップで距離をとる。

 ──しかし、


「……ッ!!」


 踵落としのツケが回ったのか、左足にうまく力が入らず、距離を稼ぐことができなかった。

 私の致命的な隙を逃さず、叩きつけられたままの体勢で、中央の頭で頭突きを繰り出す。

 崩れながら放ったとは思えない猛烈な勢いをつけたそれを、私は成す術もなく、肋骨に受ける。


 ゴキバキキィィィ!!!


 と、人体が発するべきではない、破滅的な音が体を突き抜ける。


 一回転、二回転と転がり、溶けるような摩擦熱とともに私の身体は吹き飛ばされる。


「……ご……ぼあ……ぐが……」


 ようやく勢いを殺し切りも、口から少なくない血が吐き出される。

 痛みに耐えて両腕に力を入れて起き上がるにも、吐き出した血に手を滑らせてそれすらも困難だ。

 唯一の救いは、ケルベロスの迎撃範囲を抜けれたという事。ケルベロスは警戒しながらも様子を見ているようだった。


 ──肋骨が、やられたわね……。一番きついのは、……内臓が刺さっている事かしら? 


 どうやら、この感覚からして、折れた肋骨の一部が内臓に刺さっているみたい。

 私じゃなかったら気絶してるんじゃないかしら?


 両手両足で何とか踏ん張り、ふらふらながらも立ち上がる。

 一番の痛みが転移したためか、左足がさっきよりも動かせる。

 けど、重症なのは変わりない。視界も不自然に歪んでるし。これだけ怪我をしたのも随分とご無沙汰だ。


 けど、はっきりしたことが2つある。

 一つ目は防衛範囲。

 今までを鑑みるに、ケルベロスは大体半径2メートル弱の敵に反応して迎撃しているということ。

 その範囲内ならばケルベロスは"侵攻されている"と判断しているのだろう。

 二つ目は守護対象。

 守っているものがあのグローブならば色々と辻褄が合う。

 たとえば"試練"。

 "試練"の目的は武器の使用許可だ。門番の仕事は武器の守護という意味で捉えても問題は無いはず。

 さっきの防衛範囲も 自分の中に守るものがあるからこそ、自分に近づいた時だけ迎撃してくるという事になる。

 まとめるならば、"武器を奪取せよ"。これを満たせば門番の屈服は認められるということになるだろう。


 ──これだけわかればもう後はやるだけじゃない……?

 私は、左こぶしを前に構えて、少々半身になる。

 呼吸と体内循環をある程度操作して、捩り切れるような痛みに慣れながら、ふたたび勝負を仕掛け、駆け出した。




 §--------------------§




 口を無理やり開いて奪い取るという方法はあまりにも現実味に欠ける。

 2メートルはくだらないであろう大きな頭をこじ開けるには、筋力的には問題ないだろうけれど、今の身体じゃ無理があるうえに、最悪踏ん張っている間に違う頭にバクン、ってことも十分にありうる。

 なら、今できる事は……!!


 なるべく体制を低くして、頭の攻撃を掻い潜り、中央の頭の真下につく。

 続く迎撃は蛇の顎だ。数は多いがわずかな時間ならいなせる。

 後方にいなし、一本二本と首まで続く蛇の道がわずかな時間の間に完成する。

 だが、すべてはいなすことはできない。肩や腿、脇腹に噛みつかれ食いちぎられる。


「……ッ!!?」


 少なくない出血量と筋肉が断裂する痛みを無理やり食いしばる。

 ここで怯んでしまったらすべてが終わる……!!


 蛇の道を足場にすばやく頭の真下につく。

 もたもたしているとほかの部位から攻撃を食らう。チェンスは一瞬……!!


 タンっと、軽く飛んで力をためる。


「月映!!」


 下から上へと、突き抜けるような二連サマーソルトキック。



【────ッ!!!】



 衝撃は脳を揺さぶり、一時的に中央の頭の意識を断絶させる。ガクンと、中央の頭が首をたれる。

 その首を伝って今度は右の頭の真後ろへ。頭までは間に合わないようだけど、蛇はすばやく私に攻撃を仕掛ける。


 それでも、もう遅い!


「……フゥ〜!!」


 呼吸法で筋力を上げて両足に力をためる。

 そして、体を横にして、


「──辻落とし!!」


 グルンと、横回転しながら右足で、縦回転しながら左足で。

 ほぼ時間差なしで十字を描き、迎撃の蛇を巻き込みながら、右の首に渾身の蹴りを叩きつける。

 爆発音に近い鈍く大きな音がたった。


【GYAAAAAAA!!】


 強烈な蹴撃に耐えきれず、苦悶の声を上げて右の犬は、大きな口を開けて空気を吐き出す。

 どんな生物も首に圧迫感を感じれば口を開いてしまうのが自明の理というもの。


 ──今だ!!

 私はひしゃげた蛇の首をロープのように手前に引いて、地面への着地速度を上げる。

 頭とのすれ違いの刹那に裂けた口のほうから左腕を突っ込む。

 奥歯に引っかかっているギラリと銀色に鋭く光るそれを素早く手に取って、腕を口から抜く。

 手に取ったグローブは不思議と唾液で濡れておらず、初めてショーケースから出した時と同じ手触りだった。


 着地した瞬間、左の犬が血走った目でぎろりと私を見た。血相を変えて、という風に言葉を変えても当てはまりそうだ。

 やはり、ケルベロスが守っていたのはこのグローブだったようだ。

 首、尻尾の全ての蛇が追撃してくる。

 先ほどから攻撃をしていたためか、もはや目算で数えきれないほどに増殖していた。

 奪ったグローブをスカートのポケットに入れて、迎撃する。

 この数になってしまったからには、もはや流すことは逆に効率が悪い。タンッタンッと、飛び飛びに後退しながら蛇の頭を蹴りでつぶしていく。


 しかし今回は半径2メートルの防衛範囲から離れても、ケルベロスは待機することは無くその巨体を動かして猛進してくる。

 一歩一歩走り出すたびにドスンと、軽い地響きが起こる。おそらく、守護対象のグローブを奪われたことによって状況が変化したのだろう。


【GAAAAAAAAA!!!】


 幸いにも意識を保っているのは左の頭のみだが、あと少しの時間で意識が戻るだろう。

 目をぎらぎらと、鋭い光を孕ませながら私をにらみ、口からは私を飲み込まんとだらだらと涎がこぼれている。


 この状況では、同じように首を狙うことはできそうにない。

 あれは死角から放った不意打ちであることが前提条件で、意識を奪うことができたのだ。

 また、いくら素早く動いたところで、あれだけ注視されてしまったら瞬時に捕捉されてしまうだろう。


 ──なら……ここで勝負を決める!


 その場で立ち止まり、右手を肘が曲がる程度まで伸ばし、頭上で手のひらを広げて構える。

 左手は腰の位置に握り拳で。

 足は左足を下げて、"待ち"の姿勢に。

 ケルベロスは強烈な圧迫感と、身の切れそうな殺気と共に私に向かって口を開きながら突撃してくる。


 気分は仁や宗一のやっている"居合"の感覚。

 向かってくる牙にカウンターを合わせて、牙をたたき折りながらグローブをもぎ取る!


 右腕で距離を測りながら、さほど力も残っていない左拳を握りしめ、痛みに震える足腰を組みなおす。

 力は要らない。代わりの力はケルベロスからもらう!!

 必要なのは、タイミングと──勇気だけだ!!!


「──鋒鋩(ほうぼう)!!」


 奥歯の"宝"に向かって、左腕を伸ばした。




 タイミングは──これ以上ないほどのベストスポット。


 バキゴキバキキィィィ!!!


 私の全体重をかけたジョルトの拳は、突っ込んでくるケルベロスの勢いをも利用して、鋼か何かでできているかのように硬いケルベロスの牙を根元からへし折りながらグローブに向かって一直線に進んでいた。

 欠けた歯が私の頬を、何度も切り裂いていくがそんなものは関係ない。

 そして、最後にグローブが引っかかっている牙をへし折ると、そのまま牙ごとキャッチして、腕を口から引き抜く。

 ケルベロスは、牙を折られた痛みにうずくまるわけでも唸り声をあげるわけでもなく、牙を抜かれた瞬間、口をあけたままぴたりと動きを止めて、ただそこにたたずんでいた。

 攻撃の意思がないと見た私はその場に仰向けで倒れこむ。体の限界が来た。


 このクロスカウンターは正直なところ奥の手に近かった。

 この怪我で成功させるにはコンマ数秒のタイミングを逃さずに、パンチを繰り出す必要があった。そうでなければ足腰がもたないから。

 きわどい賭けだったけど、グローブの光を目印にすることができた。……今回は私の勝ちってことね。




 手に持っているグローブを見て、そしてポケットに入っているもう一対のグローブの感触を感じながら、私は左横にいるケルベロスを見上げた。

 そして、出現と同じように大きい身体が黒い煙に包まれて、どんどん小さくなっていき、再び小さな女の子と2匹の犬の姿を形取る。


 浮かび上がってくるのは、おずおずと申し訳なさそうにしているナベリーと、彼女を心配しているルルとナナの姿だ。


【ごめんね? おねえちゃん。たくさん怪我させちゃって……。ほらルルとナナも謝って?】


 クゥーンと泣き声をあげるルルとナナと、ぺこりと頭を下げるナベリー。


「正直ものすごく痛かったけど……うん、仕方ない、今回だけだよ?」


 これほどの重傷を負わせてごめんひとつですむのも如何かと思うけど、私もいっぱい殴ったわけだし水に流すとする。これ以上余計なこと考えると意識が途切れちゃいそうだし……


【ありがとう!! それにしても……すごいねぇ。"にんげん"ってこんなに強かったんだ……】


「そうだよ。人間だって舐めちゃいけないんだから!」


 こんな尊敬で目をきらきらさせている女の子がいる手前で、意識を失うわけにはいかない。最後の力を振り絞る。


【やくそく通り、わたしたちたち"けるべろす"はおねえちゃんのちからになるよ。多分これからいろんなことが起こると思うけれど、おねえちゃんならきっと乗り越えられると思うから……】


「……うん、ねえ、ナベリー」


【なんです?】


 この女の子に言っておきたいことがあった。


「自分を人間じゃないなんていわないで?」


【──どうして……です? わたしはただの"じゅつしき"です。にんげんなんて……】


「私もね、昔は自分が人間とは思えなかった。ほかの人より体が頑丈だし、すごく大きな力も出せる。どう見たって人の度を越えた化物だった」


【…………】


「今でも強さは変わらない。それどころか、もっと強くなっちゃった。……それでもこんな私を、ボロボロになりながらも"人間なんだ"って言い張ってくれた人がいた」


 そう、"俺も同じだからわかるんだ"なんていって訴えかけてきた人が。


「人間っていうのはね、きっとどんな姿でも、どんな力を持っていたとしても、"心"を持っていることで人の証明になるんだっていってくれた」


【"心"……】


「ねえ、さっきナベリー、"心"がわからないっていってたけど、きっとそれは嘘だよ」


【え……?】


「だって、心がない人は他の人の痛みを理解できないもの。自分の友達の心配もしないし、助けたりもしない」


 彼女は出会ったその時から今の今まで、ずっと心を表していた。

 心がない者があんなにうれしそうにはしゃいだりしない。

 心がない者があんなに悲しそうに目を潤ませたりしない。


 戦いが終わった時も、いち早く傷ついた私を心配した。

 戦いの最中も3匹の頭は互いに助け合って戦っていた。

 推測に過ぎないけどあの3匹は左からナナ、ナベリー、ルルのような気がする。流れている雰囲気がそう感じさせた。

 私が左右の頭に踵落としを食らわせたあと、中央の頭は叩きつけられながらも、私へ2匹への追撃を防ぐため、渾身の頭突きを出した。

 あの一撃を放ったときの目は、何かを身を挺してでも守ろうとするときに見る覚悟に満ちた目だった。


「きっとあなたは、その気持ちの名前を知らないだけで……ずっと前からあなたは心を理解してた。ちゃんとその手の中にあった」


 ナベリーのその姿がかつての私の姿に被る。自分を人間と認めていないところが特に……ね。


「それじゃもう、あなたは立派な人間よ。胸を張って言いふらしなさい」


 ナベリーの顔をふと見上げると涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。ひくひくと声もしゃくりあげている。

 わかるよ、その気持ち。──私だって同じようなこと言われたんだから。やっぱり泣きたくなっちゃうよね……?


「もし、あなたが誰かに人間じゃない、なんて言われたら私に言いなさい。──そんな連中、一人残らず彼方までぶっ飛ばしてあげるから!」


 言いながらフラッシュバックする。

 私を初めて重傷まで追い込んだ赤毛の男の子の顔が。

 そんな、ヒーローじみたセリフを、ボロボロの身体で力いっぱい地平の彼方まで聞こえるように叫んだ彼の顔が。

 真っ暗な闇の中で、確かな輝きを放ち、私を引き上げてくれた彼の姿が。

 あの時から決めていた。この恩をたとえ彼から拒否されようとも返していこうって。背中を追うんじゃない。彼の隣に立つ人になるんだって。


【──うん! 約束だよ? おねえちゃん!】


 涙をごしごしと手で擦り、うれしそうにナベリーは言う。

 ああ、また強くなる理由が増えた。だが、悪い気はしない。むしろとても気持ちがいい。

 彼も何かを助けるときはこういう気持ちになっているのかしら……?


【……そろそろお別れだね】


 ふと見ると、ナベリーの周りに黒い煙が渦巻いている。

 いつの間にかナベリーの周りにいたルルとナナは消えていた。


【──また会おうね? 凛おねえちゃん。──助けてくれてありがとう】


「──ええ、また会いましょう。ナベリー」


 ナベリーが別れの言葉を言った。

 私も笑いながらそれに続いた。

 すると、黒い煙はナベリーを包んでいき、全員を覆い隠した後、さらさらと消えていった。

 そして、ケルベロス以上に大きな地響きが白い空間を襲い、パキィン、と大きなひび割れの音が耳に届いたところで、私の意識は暗転した。




 §--------------------§




 目を開けると、一度見た武器庫の情景が飛び込んできた。

 こうしてみると、戻ってこれたと実感できる。──仰向けだけどね。


 そして、右手に握られている1双のグローブに目を落とす。

 白い空間同様にどこか神秘的な、新品同然の皮の手触りを感じて、あの"少女"を思い出す。

 また必ず会うような気がする。そんな気がしてならなかった。


「……つう!?」


 安心しきったところで、体中の怪我が、全身を襲う。

 これだけの痛みを感じたのは、ホントにいつ以来かしら?

 今すぐ意識を手放したかったが、最後に確認したかった。


 隣のショーケースに目を向ける。仁がいた場所だ。

 仁はまだ、瞑想しているかのように目をつむり、微動だにしていない。


「……仕方ないなぁ」


 思わず口から出た、仁の口調みたいな溜息交じりのその言葉に、私自身気づかないままだ。


「──がんばって……ね」


 恥ずかしいから小さな声でエールを送り、意識を手放した。



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