18.武術家の在り方
──このグローブ……
私はショーケースを開けて、拳の部分に銀の装飾がついている黒いグローブを手に取り、調べてみた。
使い古された感じのない、まるで新品そのものの手触り。
手に取るとわかるけれど、やはりこれが一番引き寄せられる。
──正直引き寄せられるって感覚、たくさんありすぎて少し困ったけれど……
顔には出ていないはずだけど、このグローブを選ぶことだけに全身全霊で取り組んだ節がある。
沢山の人に手や足を引っ張られている感じを想像してほしい。
かなりうんざり……というより、うっとおしい気持ちになると思う。
私はグローブを右手で握りしめて、目をつむり意識を集中させる。
途端、眼前の暗闇は渦を巻くように回転し、私の意識は吸い込まれていくように消え失せた。
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全身に軽い痺れを感じて、目を開く。
飛び込んできた光景は、ひたすらに白い空間。
あまりに他の色がないゆえに、地平線が見えないが、感覚的にここがとても広い場所だということが分かる。
飛び込む際に握りしめていたグローブはいつの間にか消えている。
代わりと言ってはなんだが、スカートのポケットの中にいつも使っている愛用のグローブが入っていた。
とりあえずつけておくに越したことは無いだろうと思い、グローブを両手にはめる。何が起こるかわからないし。
「……えっと」
こんなよ不気味放り出されてしまっては、何をしていいのかわからなくなる。
「誰かいませんかー?」
我ながら不用心極まりないが、馬鹿正直に大きめの声を出して誰かいないかを確認する。
これがウェルキンさんのいう"試練"ならば、何もないはずがない。
危険なのはわかっているけれど、それでも声を出してしまった。
すると、
私の声にこたえてくれたのか、眼前に黒い煙のようなものがすぅ、と湧いて現れた。いや、煙というよりは霧に近い。
不自然なそれを前にして、思わず私は構える。
辺りが白いせいかやたらと目立つ。
霧はもわもわと集まってゆき、やがて小さな人の形になっていく。
そして、幽体離脱のように霧から小さな女の子が出てきた。
実際に幽体離脱なんて見たことないけど……
ショートカットのその子の見た目は大体10歳くらいだろうか。
その子は眠そうに目をごしごしと擦り、
【うーん……。……え!? もしかしてお客さんですか!?】
私に気付くと。擦っていた目を輝かせながら近づいてくる。
「お客さんっていうわけじゃないけど……。まあ、大体はあってるのかな?」
四捨五入すれば、同じようなものでしょ、うん。
【やったぁ!! 初めてのお客さんだ〜。っていうことは、あなたが"にんげん"で"せんてーしゃ"っていうのですか?】
自分も人の形をしているのに人間を見たことが無いのかしら?
それに、"選定者"って私のことかしら?
なんにせよ、"試練"の関係者だとは思う。
「そうだけど……もしかして、人間を見るのは初めて?」
【はい! わたしは最近に生まれたので、まだ"にんげん"とか、そういうのを見たことが無かったです】
顔を太陽のように輝かせながらハキハキと言う。
それとこの子、服を着ていない。見た目は女の子なので、それはまずいんじゃないかと思う。私が女だったからいいものの、男が"試練"を受けに来たらどうするつもりだったのかしら?
……なんとなくだけど、あんまり変わらなさそうね。
【今日は記念日です! 絶対に忘れません!】
腕を前にもっていき、握り拳を作って、何かに耐えるように目を強くつむり、その喜びを全身で表現している。
──まるで、誕生日を祝ってもらった女の子みたいね。
「ちょっといいかな?」
喜んでいるところ申し訳ないけれど、聞きたいことを進めないといけない。
【はい? なんでしょう?】
思わず、うっと、唸る。
「えーっと……、まずこれ着てくれないかな?」
だめだ、この子を見てるとなんだか自分まで裸になっている気分になる。
精神衛生上、この子には何か着てもらわないと……
ブレザーを脱いで、女の子に手渡す。
【? これはなんです?】
──そっか、人間も知らないなら服も知らない。
ただ手渡すことは配慮に欠けていたようだ。
「えっと、これは服っていうの。その格好だっときっとあなたも寒いんじゃないかと思って」
このセリフは半分嘘で、半分本当だ。見ているこっちも恥ずかしいという事を言わなかったから。
この無垢そうな子供を騙すのは罪悪感に駆られるが、私の羞恥心のために我慢しよう。
【これを"服"っていうんです? それなら、わたしも持ってますよ!!】
そういって、女の子は右手の指をぱちんと鳴らす。
するとさっきの靄のような黒い霧が彼女の体を包んでいく。
数秒後、霧が彼女の身体から離れると、そこのはベージュのワンピースを着たその子がたっていた。
【これのことですよね!?】
若干のしたりをいれて彼女は言う。ドヤァとかそんな吹き出しが付きそうな感じの。
その服装は、自然では発現しない若緑の髪色とショートカットの髪型に栄えていた。
「へー、似合ってるじゃない。かわいいわよ」
服が出てきた様子とかに突っ込みを入れたかったが、もうこんな環境に足を突っ込んだ段階でその資格はないだろうと思い、黙っておく。
【えへへー】
嬉しそうにはにかみながら照れる彼女を見てとても和んでしまう。
やっぱり子供はいいなー。保母さんにでもなろうかしら。
「とと……」
話がそれてしまった。そろそろ戻そう。
「えっと、聞いていいかな?」
【はい、なんでしょう?】
彼女のは私の言葉に対して素直に耳を傾ける。
「あなたは、この試練と何か関係してたりするの?」
【はい、してますよ! えっと、わたしはナベリーっていいます。あなたの名前はなんですか?】
正直に答えてくれた上に、ご丁寧に自己紹介をしてくれた。
「明西凛よ。よろしくね、ナベリー」
【はい、こちらこそよろしくです、おねえさん!】
はにかみながら、ぺこりとお辞儀をするナベリー。
あら? てっきり名前で呼んでくれるかなーなんて期待してなんだけど……
【えっと、じゃあ、"しょーじゅつ"のことを話しますね。わたしは"ぶんしん"を司っています。普通のまじゅつと違うところは、わたしの"ぶんしん"は"じったい"があるとことです】
急に話が難解になったが、ナベリーの舌足らずな言葉の様子に変化はない。
心なしか胸を張っているようにも見えなくもない。けど、それはさっきまでと同じかも。
「っていうことは、"物体に干渉できるかどうか"ってことよね?」
【おぉ〜。そうですそうです! 簡単にいうと"えいぞう"のようなじぶんじゃなくて、"ほんもの"のじぶんを造る事ができますです。おねえさんさすがです! あたまいいですね!!】
星屑を巻き散らかしたかのようにきらきらとした目を私に向けてくる。
どうやらナベリーは難しい言葉を理解しているようだ。どうも口調と態度で勘違いしてしまう。
【ぶんしんのかずやできばえは、流した"まな"のりょうで決まります。ぶんしんが多ければ多いほど、強ければ強いほど"まな"を多く流さなくちゃいけませんので、無理はだめですよ?】
だが、気を緩めている場合じゃない。
ナベリーは試練の関係者と認めた。
この子自身が試験をしないなんて決まったことじゃない。
気を抜いていたらあっという間にやられているかもしれない。
【それと……おねえさんにひとつ聞いてみたいことがあるんですけど、いいですか?】
ナベリーは警戒を強めた私に気付かずに、もじもじと体をくねらせながら、私に聞く。
「いいけど……何かしら?」
【……どうしてあなたたち"にんげん"は、わたしたちのような"ちから"が欲しいのですか?】
首をかしげながら私に聞いてくる。
そこには悪意はない。恐ろしく無垢で純粋な疑問のみだ。
【わたしは"にんげん"ではありません。きっと"いきもの"でもないです。いまでいう"じんこうえーあい"に近いものです。まじゅつ的にいうなら"ぎじじんかくじゅつしき"なのです】
さっきまでのはしゃぎ様がうそのように、ナベリーの顔はしょんぼりとしている。
【なので、あなたたち"にんげん"のかんじょうがわたしにはかんぜんにりかいができないのです。わざわざからだを傷つけてまでどうしてしょうじゅつを欲しいと思うのか、何がもくてきで臨んでいるのかが、りかいできないんです。……よかったら、どうしてか教えてはくれませんか?】
「…………」
上目使いで私の顔を覗き込み、祈るように身体の前で手を組んで、再度私に聞いてくる。
この質問に思わず声が詰まり、俯いてしまう。
──正直、あまり話す気にはなれない。
質問の内容をまとめると"私が魔術を手にしたい理由は何か?"ということ。
この問いに答えるには、私自身の昔話もしなければ説明できない。
幸いにも、難しい言葉は知っているようなので、言葉は選ばずに済みそうではあるが、まだ出会ってから数分しかたっていないこの小さな女の子に自分の"過去"を話そうとは、きっと誰も思わないだろう。
【あの……やっぱりだめですか?】
悩んでいると、ナベリーに声をかけられる。
さっきまで太陽のようにきらきらしていたその目には、今は悲しみ、落胆の感情が浮かんでいた。
その目を見て思った。
──ああ、この子は"心"を知りたいだけなんだ。
自分にないものだから。欠けているものだから。
幼いながらも、それを何とかして埋めようとしているだけなのだ。
その言葉に、気持ちに嘘ではないはずだ。
そうじゃなければ、あんな顔を、目をしているはずがない。
ふぅ、と息を吐く。
そうだ。
別にこの子は私のことを探っているわけではないようで……
そしてここには、私とナベリーの二人しかいないのだ。
少し大人げなかったかしら……
警戒する状況ではあったものの、この子を悲しませるような真似をしたことには変わりない。
ここは、この子の質問に答えることで許してもらうことにしようかな。
それにさっきは、赤の他人に自分の過去を話そうなんて思う人はいないなんて言ったけれど、少なくとも私は一人知っている。見ず知らずの他人に自分の過去の傷を見せてまで心を動かそうとした大馬鹿を。
「──そんな顔をしないで。少し考え事をしていただけだから」
私はナベリーの目線に合わせるようにしゃがんで言う。
【……っ!! それじゃあ……!】
「ええ、話してあげるから、そんな暗い顔しないで」
ナベリーの頭を撫でながら、
私の"暗い"部分の過去を、私自身も言葉にしながら振り返るように。
"戦う"わけを、おとぎ話を聞かせるかのように、口を開く。
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明西凛という人間について語ることにおいて、最も重要な事項がある。
私は7歳以前の記憶がないということだ。
始まりの記憶は街の路地裏のゴミ捨て場。
突然の環境に、身よりもなく、自分のことなど何一つ覚えていなかった私は、この状況に恐怖していた。
自分は何者なのか?
いや、ひょっとしたら人ですらないのではないのか?
そんなことばかり考えていたためなのか、目に入るすべてのもの、世界そのものが私の敵だと思っていた。
一日中その路地裏で生活をしていて、人の目に触れないように生きてきた。
食事に関しては、賞味期限切れのコンビニ弁当にありつければ、それだけで一日が幸せだった。
大体は、ゴミ捨て場の生ごみを漁る日々だったから。
住むところは、路地裏の一番奥の小さな段ボールの廃棄スペース。
睡眠時にはそのダンボールとゴミ捨て場のゴミ袋で身を包み、熱を逃がさないようにした。けれどもどんなに地べたに段ボールを敷こうと体の熱は魔法のように地面に吸い取られていく。
着ているものは、気が付いたころと同じボロ布一枚。
お店の裏口からこっそり忍び込んで、盗みも働いたりした。
そんな家畜の餌にもならない日々を三か月ほど過ごした。
人によっては短くも感じるかもしれないけど、私にとっては永遠に続いているように錯覚しているような日々だった。
でも、そんな三か月で終わったのだ。
ある人の一組によって。
私が高熱でうなされているときだ。
寝るときと同じように段ボールとゴミ袋で体を温めようとするも一向に体調は良くはならない。
夜に降った雨を凌げなかったことが祟ったのかもしれない。
頭がボーっとして何も考えることができず、体を動かそうにもあまりに怠くて起き上がるのすら困難だった。
そんな時、一枚の五百円玉が私に向かって転がってきて、足に当たった。
この幸運に感謝をして、私は効果に向かって腕を伸ばそうとする。
しかし、そのわずかな行為さえ高熱による体調不良によって阻まれてしまう。
けれど、私はあきらめずに腕を伸ばそうと力を振り絞る。
その頃は幼かったけれど、五百円硬貨でどれだけこの生活が楽になるかぐらいはよくわかっていたから。
しかし、その努力はむなしく散ってしまう。
ある男に先に拾われてしまったから。
いつもならこの路地裏に人が入った瞬間に身を隠していたのだが、やはり体が動かない。
人との対面という当時の私にとって最大の恐怖に、熱とは違う震えが走る。
思わず顔を見た。
熱で視界がはっきりしないせいか、詳しい顔も判別がつかない。
分かるといえば、男の後ろにも人がいている事。
そして、男の手が私に触れようとする。
あまりの恐怖に顔がゆがむ。冷や汗が止まらず、涙も浮かべた。
だが、私にはどうすることもできない。抵抗しようと考えてみようとも頭も働かない。おまけに、だんだんと意識も遠のいていた。
結果、男の手が私の肩に触れようとした直前に、意識が消えた。
結論から言うならばこの一組が今の私の両親。
明西徹と明西沙希。
当時新婚ホヤホヤのバカップルだった。
この"明西"も宗一の"藤村"と同じように一般的な家庭ではない。
当時も今も世界を股にかける巨大マフィアグループ、アカシャ。
お父さんはそこの次期後継者候補だった。
まだ私を引き取る前の頃は、ボスになることに大反対だった。
お父さんが言うには、平和な日常を満喫していると、ある日突然家に黒服がやってきてイタリアに連行されたらしい。
正直、こんな事情ならば誰だって抵抗するだろうと思う。誘拐顔負けだったようだし。
当時はバリバリの闇の権化な扱いを受けていた"アカシャ"。
そんな組織の次期後継者争いに巻き込まれて、幾度となく死線という死線を潜り抜けて、大切な仲間もできて、そしてお母さんとも出会って……
最後の最後には、結局お父さんがアカシャを継いだ。
元々争いが大嫌いだったお父さんは、昔のアカシャのあり方を嫌っていたので、ボスの地位を利用して組織を闇を取り締まる自警団のようなポジションに収めた。
そして、相思相愛だったお母さんと結婚した。
私を見つけた時も、二人がデート中の時だったようで。
自販機に五百円を入れようとしたときに落としてしまい、路地裏の奥にいた私のところまで転がってしまったので、取りに行こうとした時、私に気付いたみたい。
あの瞬間が俗にいう"運命"というものなのかしら? 五百円から繋がる縁というのは、あまりロマンチックでもないか。
目が覚めたとき、私はベッドに横になっていた。
私の記憶喪失は海馬に症状が発言したものなので、思い出は完全に失われてしまったが、社会的な出来事や、生活に必要な知識は失わずにすんでいた。
それから、両親は甲斐甲斐しく私の面倒を見るようになった。
根がお人よしな彼らにとっては当然の行為だろう。
それでも私は、とても怖かった。
人と触れ合うのが、世界と触れ合うのが、それこそ死んでしまいそうになるほどに。
馬鹿の一つ覚えのように抵抗した。
暴れて、暴れて、暴れて、暴れて、暴れて、暴れて、暴れて、暴れて、暴れて、暴れて、暴れて……
私の寝室はいつもぐちゃぐちゃに散らかっていた。
それでも両親は決して根を挙げず、懸命に看病し続けた。
そんな様子に心打たれてなのか、空腹のあまりなのかは今の私にもわからないけれど。
5日目には、出された食事を少しずつだけれど食べるようになった。
そして一週間、一か月、一年と時が経つにつれて、その暖かな人柄にあてられて、目を合わせるようになり、会話ができるようになり、少しだけ日常に混ぜてもらったり……、そんな他愛もない、でもとても大切なことができるようになった。
そして、"明西"という姓と"凛"という名前までもらった。
これが私、"明西凛"という人間が生を受けた瞬間であり、それから私は二人をお父さん、お母さんと呼ぶようになった。
余談なのだが、お母さんは私を引き取る前に負ってしまった傷の影響で子供が望めない体になっていた。
もしかしたら、私に優しくしてくれたのも、引き取ると決意してくれたのも、自分が望めない未来を重ねた影響なのかもしれない。
でも、それでもかまわなかった。たとえ、事実だとしても私は幸せだから。私が両親を大切に思う気持ちに変わりはないから。
"明西"になじんだ私は、日常的に両親の鍛錬を眺める機会があった。
平和な日常を過ごしている二人ではあるが、やっぱりあのアカシャのボスでもあるのだ。
自警団の地位だからこそ"闇"での戦闘は免れないこともある。そのため両親は、毎日の鍛錬を欠かすことが無かった。
だから私も、そんな両親を見習って、また役に立ちたいからと、8歳のころから有名な道場に通い空手を習い始める。
習っていくにつれて、私は"普通"の人間ではなく、"異常"な人間であると自覚していった。
原因の一つは上達スピード。
7歳から初めて1年がたった8歳の頃には、性別年齢を問わない同門の人たちをすべて負かした。
大会でも同年代、同性という条件のもとでは組手、型どちらにおいても勝負にすらならなず、自然と無差別級の大会に出場するようになった。
それでも、自分より年上の人の実力を見ても、手合せしても、微塵も負ける気がしなかった。
繰り返しになるけれど、私は同い年の子よりも頭が回るようだったので、このころには自分の"異常"を理解していた。
だから手加減をして戦うように自分の力に制限をかけた。
付ける突きをわざと見逃して、避けれるけりをわざと受けたりして…………
精々"上位入賞"どまりになるまで実力を押さえ、周りの目を軽減しようとした。
二つは身体の強度。
骨折程度では3日ほどで回復できた。
一度だけ、練習中の不手際で右腕を複雑骨折したことがあった。
医者からは半年はギプスが外せないだろうと診断されたのだが、私はひと月で完治できた。
筋力においても異常であり、見た目は普通の女の子と大差はない体つきのはずなのに、成人男性以上の力を発揮できる。
これは私自身の筋肉の動かし方の影響も大きいと、仁から言われたことがあるけれど、それを差し引いても私の筋力は常識の枠外に位置するものらしい。
これらの異常のおかげなのか、多少なりとも無茶な鍛錬をしても痛みを感じる程度で済み、体を壊すまでには至らなかったず、かえって痛みに耐性ができてしまった。
空手だけでは飽き足らず、私は時たま日本に訪れるアカシャの戦闘員や両親の仲間から別の武術も教わることにした。
挙げるならば、柔術、合気道、中国拳法、サバット、カポエラ、ムエタイ、ボクシング、テコンドー、カラリバヤット、コンバット・サンボ、システマ、クラヴ・マガなどなど…………
とにかく世界中のたくさんの武術を教わって、習得して、私なりにごちゃ混ぜにしてアレンジすることで昇華させた。
両親や、同門には内緒だったから、一人の時にこっそりと鍛錬するしかなかったけれど、今やそれが私の武術の根幹になっているのだから、本当に世の中何が起こるかわからない。
そんな日々を過ごしていた10歳のある日。
同門で同じ学校に通っていた同級生の女の子の友達から校舎裏に呼び出しを受けた。
その女の子とは、同じ道場に通っていた同門でもあり、一番仲良くしていた親友でもあった。
何事なのかと行ってみると、そこで待っていたのは無表情に佇んでいるその子と、20人はいるであろう武器を持った中高生ほどの男子の不良たち。
それもただの不良ではないようで、動きを見る限りでは何かの格闘技をかじっていることは明白だった。
この様子ですぐにわかってしまった。どう考えても私を痛めつける気だと。
『これはどういうことなの!?』
そうだ。
昨日まで私に笑顔を向けてくれたこの子がそんなことするはずがない!!
そう思っていた。信じていた。
先ほどの判断を無理やりに否定したかった。
その子は私の言葉を聞いた瞬間に、殺気をはらんだ目で私を射抜いた。
その瞳に強烈な殺意と憎悪を孕ませて。
──あなたがいれば、私はいらない子になるの!
──居場所がなくなるの!!
──なんであなたがいるの!?
──あなたなんていなくなればいいのに……
──消えちゃえ!
──死んじゃえ!!
──私の居場所をとらないでよ!!
──私の前から消え失せて!!!
それは、長い間ため込んできた憎しみの爆発と地獄まで響き渡るような魂の慟哭だった。
その子は3歳のころから道場に通っていた。
女の身でありながら、幼いころから才能豊かな子として空手を習い、いずれは師範代として道場を継ぐのではないのだろうかと噂されるほどだった。
だが、その名声によって作られた地位は、私という"異常"の介入によって消し飛んでしまったのだ。
いくら才能豊かとはいえ、それに見合う努力をしなければ師範の道場を継ぐなどという噂が広がることは無い。ましてやあの道場は全国レベルで有名な大きなところだ。
その努力すらも私は、破壊して踏みにじった。
それからの彼女は、私の知りえないところで、何とかして私を討ち負かそうと必死になって鍛錬を積み続けた。
かつての名声を取り戻すために。自らの居場所を取り戻すために。空手という彼女の宝物を取り返すために。
だが、結局私を討ち負かすことは叶わなかった。
それどころか差はどんどん広がっていくばかり……
汗と血を流してまで努力をした結果は無残にも散ってしまった。
だからこそ、最期の手段に出たのだ。
──私を排除してしまおうとする手段に。
その絶叫を聞いて私は尻餅をついき、悟った。
──ああ、そうか。
──つまり、今までのあの子の笑顔は偽物だという事で……
──私のせいで歪んでしまったのか……
──私は、この子に裏切られても、仕方ないことをした……のか……
パキン、と。
何かが崩れる音が聞こえた。
そんな私の様子を好機と見た彼女は、無表情に、無情に、周りの不良たちに指示を出す。
『あいつを消して』
指示に従い、私に向かって一斉に襲い掛かってくる20人もの不良たち。
私はどこかその様子を他人事のように眺めながら、自身の意識など彼方まで追いやって、
私が作った"我流"の武術を、
"手加減なし"で迎撃につかった。
気が付いた私が最初に見たのは、瞳に先ほどのような憎悪を宿しておらず、代わりに恐怖を孕ませて、口から血を流しながら涙を流していたその子だった。
その顔を見て思わず、左手でつかんでいた襟首から手を離し、2、3歩後ずさる。
おかげで自らが作った凄惨な光景が目に飛び込んできた。
襲ってきた不良たちは例外なく、自身の血で染められていた。
腕や足が本来ならばありえない方向に曲げられている者までいた。
全員が激痛のあまりに意識を失っているようだった。
自分の服を見た。白を基調としたお気に入りのアウターが真っ赤に染められていた。
だが、私自身は怪我をしていなかった。
つまりこれは、すべて返り血だという事。
この様子だけで私がどれだけ暴れたのかが分かってしまった。
自分の所業に呆然としていると、彼女から震えた声があがった。
『──…………ば、化物……化物ぉ!!』
もはや彼女は私を人"としてみてはおらず、得体のしれない"化物"として見つめ、ガタガタと震えて、怯えていた。
必死にひた隠しにしていた"異常"はあっさりと晒されてしまい、何も言い返せず、私はただ立っている事しかできなかった。
騒ぎを聞きつけた教師たちによってこの事態は収束を迎えることになった。
私自身は過剰ながらも正当防衛として認められることとなった。
彼女のほうは長期の停学処分という罰が下された。
しかし、世間のほうでは認められたとしても、武術の世界ではそうはいかない。
私と彼女は師範から破門されることとなった。今回の件で道場は世間的に大きな被害を受けてしまったためだ。
正直あのまま残ったとしても、今回のことがしこりとして、そのまま他の同門たちに残ることは明白だったので、こちらから辞めるつもりだったのだけれど。
学校のほうでも噂は瞬く間に広まった。
詳しい事情を知らない人たちにとっては20人余りを叩きのめした私は恐怖の対象でしかなくなっていた。
仲良くしていた生徒とも距離をとられて。教師からも腫れもの扱いされてしまって。
──また私は"一人ぼっち"に戻った。
それからの私はより一層武術にのめりこんで、強さを求めるようになった。
自分がいったい何者なのかを知るために。
"化物"なのか"人間"なのか、はっきりさせるために。
だけど、本音を言うならば。
強さを求めるためと言っておきながら、いつか自分を倒してくれる人を見つけるために。
人間に負けることで、自分は同じ"人間"なのだと証明するために。
始めに周辺一帯の不良グループにひたすらにケンカを売った。
だけど、ここでも私を倒してくれる人はいなかった。
気づけばグループは根絶やしになっていた。
鍛錬を積んでいくにつれて、"アカシャ"での私の評判は鰻登りになっていた。
闇との実践に参加させてみようという意見が出るほどまでに。
当然両親は反対した。だが、すでにこの時の私の実力は戦闘員などでは相手にならず、かつての両親の仲間──幹部レベルになるまでに迫っていた。
当時アカシャは、その存続を危ぶまれるほどの大きな事件に直面しており、私ほどの実力者に対しては、もはや性別や年齢など"アカシャ"内では度外視されていた。
強いものを戦いに投下すれば勝率は上がり、被害も減少する。
そして何よりも、私自身が両親に"闇"との実戦の参加をお願いしていた。
さらに強い人と戦えば、いつか私を倒してくれる人に会えるかもしれないと思ったのだ。
この行動により私の実戦参加論は激化した。
そして、アカシャの甚大な被害を顧みたお父さんは苦渋の決断として、私の実戦参加に許可を出した。あの優しいお父さんがこの結論を下すのにどれ程の覚悟を決めたのか私には今も理解できそうにない。
そして"闇"との戦いに参加した私はさらなる激戦に身を投じることとなった。
様々な人と戦い、様々な武術と戦い、戦って、戦って、戦って、戦いつくした。
命の危険にだって見舞われたこともあった。人を手に掛けたことだってあった。
けれど、結局は私が敵を討って、武術の経験則があがるだけ。
いつまで経っても、私を討ち負かす人は現れない。
"化物"を否定するための戦いが、繰り返すごとにどんどん肯定されていった。
その事実から目をそむけるために、必死に強さを求めるようになってしまった。
精神がとがった鉛筆のように研ぎ澄まされていき、そこには"明石"の少女の面影は感じられず、記憶をなくした始まりの少女に戻っていた。
この大きな事件は私が13才になるまで続き、それまでの間、底なし沼の中に沈んでいくかのような感覚を覚えながらも、私は"闇"に身を預け続けた。
けれども、この煉獄のような日々は私の予想した結果とは違う形で終わることになる。
私より強い人は結局見つからなかった。
それでも、私は救われたのだ。
泥の中に躊躇なく腕を突っ込んで、私を引き上げてくれた、
赤毛のやる気のない目をした、ナンデモ屋のオーナーによって。
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話し終えた私は、静かに口を閉じて、立ち上がる。
そう、私にとって仁は大恩人。
きっと、宗一にとってもそうなのだろうけれど、きっと宗一は絶対に口にしないでしょうね。
仁もきっと「そんなんじゃねぇよ」と言いながら照れ隠しに頬を掻いてぶっきらぼうに言うんでしょう。
あまりにも予想が簡単な未来に思わずくすりと笑ってしまう。
【…………えっと、つまりは】
話を聞き終えたナベリーは頬に指を当てながら、
【ナンデモ屋さんのおーなーっていう人が好きだから戦うってことですか?】
トンデモナイことを口走った!
ぶっと咳き込んでしまう。
「か、勘違いしないでよ!?」
そうよ! 勘違いよ、勘違い!
ええと、……つまり……これは…………!!
「そういうんじゃなくてね!? えっと、友達……いや、ちょっと遠回しすぎかな? んーと…………そう! 命の恩人……いや、そうだ! 大切な人だから、戦うのよ!!」
【えっと……ということは?】
「だから!………その…………大切な人が死んじゃったり、いなくなっちゃったりしたら……悲しいじゃない。だから……そうならないように私も、その人と一緒に戦うって決めたの」
動揺した心を言葉を選びながら落ち着かせる。
そう、きっとこの考えは嘘じゃない。
仁が死ぬのも、宗一が死ぬのも絶対認められない。
そうならないように、私も一緒に戦う。
3人で一緒に生きて笑って過ごすために戦うんだ。
【なるほど! ……確かにおともだちがいなくなるのはむねのあたりが苦しくなりますね……。きっとこれが"かなしい"という事なのでしょうね】
ナベリーは悲しそうに顔を歪ませながら、少し俯く。
【ありがとうございます。あなたのおかげで少しだけ"にんげん"の気持ちはわかったような気がします】
「……いえいえ、どういたしまして」
ぺこりとお辞儀をするナベリーに対して、私はパタパタと手を振る。
私なんかの話で、ここまで感じてくれたのならば、それで十分。
【もう少し話したいですけどそろそろ"しれん"を始めなきゃです……。……ルルくん! ナナちゃん!!】
顔を挙げたナベリーは悲しそうに笑いながら、試練の用意を始めるため、声を上げる。
すると、再びあの黒い靄が2つ、ナベリーの足元に集まり、子犬の形に整っていく。
だが、ナベリーのように幽体離脱のような演出をして、黒い子犬が2匹現れた。
【しょうかいしますね! ルルくんとナナちゃんです! 二人とも私の大切なおともだちです!!】
──なるほどね。
これがさっき言ってたナベリーの友達なのね。
2匹とも決してナベリーから離れようとはせず、彼女の足元をうろうろと回っていた。
とても懐いていることが分かり、それだけで、彼女らの信頼関係は見て取れる。
「うわー、かわいい! よろしくね、二人とも」
私の言葉にワンと返事をする子犬たち。
【えへへ〜。……ところでおねえさん?】
「何?」
【えと……出来ればですけど……私たちもおともだちになりませんか?】
顔を紅潮させながらもじもじというナベリー。
──まったく。なにを言っているのかしら? この子は。
「もう友達じゃないの。よろしくね、ナベリー」
私の言葉に、ナベリーは再度顔をキラキラと輝かせる。
【──本当ですか!? やった〜!!!】
万歳をして、喜びを爆発させる。
その様子が微笑ましくて。
思わず、頭を撫でようとする。
が、その時。
【──けれど、"しれん"に落ちてしまえば、おねえさんは死んでしまいます】
先ほどの喜びを嘘のように消沈させて、声のトーンも低くなっている。
【"せんてい"は絶対なのでどうしようもありませんが……がんばって生き残ってくださいね?】
そういって、ナベリーと二匹の子犬は元の黒い霧に戻っていく。
【しれんは、"わたしたちをくっぷくさせろ"です。どれじゃあ──はじめるよ?】
3つの黒い霧は一つに固まり、その大きさを広げていき、ある形を成していく。
そして、霧の中から出てきたものは、
高さは4メートル弱、全長は15メートルはあるであろう恐ろしく大きな体。
目算では5トンは軽く超えているだろう。
体当たりでもされればひとたまりもない。
だが、そんなことがかすんでしまうほどの光景が目に入る。
"犬の頭が3つある"
そう、身近なもので例えるなら、大型トラックを一回り大きくした体に犬の頭が3つある生き物。
それは、グルグルと唸なり、鋭い眼光を私に飛ばした後、
【GROOOOOOOOOOOWWWWWWW!!!!】
と波動に似た咆哮を天に向かって吠え挙げた。
その身が竦む光景を前に私は考える。
思い当たる生物といえば──
「もしかして……ナベリーって名前は実は愛称だったりする?」
ナベリウス。
ソロモン72柱の魔神の1柱として有名である。
またの名を──
ケルベロスという。




