ネタ探し
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記者室で机に突っ伏して眠っていた。ちょうど午前六時に、フロアの責任者があたしたち記者を起こしに来る。起こされた後、目を擦りながら、フロア隅に設置してあるコーヒーメーカーで気付けの一杯を飲む。そして携帯しているノートパソコン一台とデータの詰まったフラッシュメモリを一本、それにICレコーダーを持つ。カバンに詰め込んで歩き出した。
「おい、木畑、早速朝一で取材なんだな?」
「ええ。悪いかしら?」
背後から<西峰新報>の記者の飯森がそう言ってからかう。あたしも必死なのだ。所属している<維新日報>は中央にある大マスコミじゃない。ただ、毎日外回りを中心に仕事が入ってくる。記事を書くのは取材が粗方終わった午後四時から五時頃からだ。女性新聞記者も珍しくはない。まあ、ブン屋などと言われて忌み嫌われるのは仕方なかったのだが……。
ここは地方の一都市である。人口が少ない分、新聞を購読する人間は少なかった。それに今、ネットやモバイルで記事が配信されている。あたしの書いた記事もネット上で読めるのだ。便利な時代である。もちろん新聞を取らない家庭が増えているので、購読料は減っていたのだが……。
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フロアを出ようとするあたしの後ろ姿に飯森が言った。
「木畑、君は書くネタがあまりないから、あの殺人事件を執拗に追ってるんだろ?」
「ええ。……犯人の岡林はまだ逃走中よ。あたしもしっかりやるつもりだから」
「F県警捜査一課の村木警部とはまだ連絡取り合ってるんだな?」
「うん。岡林は被害者の町村伸子さんを殺害して自宅マンションに遺棄した可能性が高いわ。だから追ってるの」
「執念だな。返ってデカより君のような一記者の方が懸命みたいだね」
「そうね。でもゆっくりもしてられないわ。すぐに出ないと」
そう言ってフロアを出る。他の社の記者たちも出始めた。飯森は本社からの連絡でしばらくの間、待機するようだ。ゆっくりと構えていた。コーヒーを飲みながらパソコンを立ち上げて、朝の情報収集を行っている。
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事件発生後、F県警の所轄である湊町署の刑事課には帳場が設けられ、午前九時前にすでに朝の捜査会議が終わっていた。警部の村木と会うため、すぐにスマホに連絡を入れる。
「あ、おはようございます。維新日報社会部の木畑です」
――ああ、君か。……もう朝の会議終わったぞ。
「やはり町村伸子さん殺しの犯人は岡林脩一で決まりでしょうか?」
――間違いないね。岡林はクロだ。俺たち刑事も皆、そう踏んでる。
「殺害の際、使用された凶器が包丁だったのも?」
――ああ。刺し傷からして、凶器はあの手の包丁しか考えられない。これもさっきの捜査会議で話し合われた。
「県警の科捜研からは連絡があったのですか?」
――うん。現段階で害者を犯行時間帯に殺害できるのは岡林しかいない。ほぼ決まりだな。
「では記事にしてよろしいでしょうか?このまま警部とお会いせずに」
――ああ。でも午前十時過ぎにうちの署で上の人間が記者会見を開く予定だ。君も来ればいい。リアルタイムで捜査情報が開示される絶好のチャンスだろう。多分、西峰新報の飯森君も来ると思う。
「じゃあ、今から署へと向かいますので」
――そうだな。署内の記者待機室にはすでに記者が詰めかけてるよ。情報交換もいいだろ?いつも夜討ち朝駆けの君でも他の記者と話をすることは得策だろうし。
「分かりました。では後ほど」
電話を切り、デジカメで撮っていた被疑者の岡林脩一の面相を見る。汚い。いかにも女性に対し、ストーカー行為などをして、挙句刺し殺しまでした人間だ。明日の朝刊には十分載せられる。あたしも気にしていた。岡林の行動パターンを。
確かにあたしもネタ探しをしている。新聞社でも社会部というのは、どちらかと言えば地味で裏方のようなところがあった。綺麗事など一つも通用しないのが、この手の部署の特徴だ。元々新聞記者自体、ヤクザのような側面すらある。ネタを書き、スクープを取るためなら何でもするのだ。畑の大根泥棒から、今回のような殺人事件まで。
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「容疑者と目される岡林脩一は今現在逃走中で、我々警察も追っております。すでに県内の主要道路には緊急配備を敷き、鋭意追い続けている最中です」
管理官の後藤がそう言って、粛々と記者会見を進める。あたしも、後から来た飯森もICレコーダーを回しながら、会見を録音し続けた。こういった事には慣れている。別に戸惑うことじゃない。単に長丁場になると、トイレなどに行きたくなったりするだけで、後は何もなかった。
後藤の会見が終わり、記者が皆引き揚げてしまったところで村木と会う。
「君も慌て者だね。別にそう急がなくても、記事に出来るだけの情報があっただろ?この会見で」
「ええ。待って正解でした」
今日二杯目のコーヒーは署内の自販機で買った缶コーヒーだった。別に珍しくもない。あたしのように昼間は外回りしてネタを探した後、夜は記者室で記事を書く人間は大勢いるからだ。腱鞘炎がひどくなっていた。何せ外出先でもパソコンを使い、キーを叩くからである。
「君も記者生活が長いからな。もう十年以上経つだろ?」
「ええ。大学卒業して、新卒で入ってきましたので、もう十年以上になりますね」
「休みは独りかい?」
「そうですね。ずっと自宅でパソコン弄ってます」
あたしもずっと記者室に詰めているわけじゃなくて、夜遅く自宅マンションに寝に帰ることもあったのだし、遅い時間記事を書けば、記者室で朝まで眠ることもあった。いろいろとあるのだ。記者でも年中記事を書いているわけじゃない。休みもちゃんとある。
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「F県警湊町署管内のマンションで発生した町村伸子さん殺害事件で、実行犯と思われる岡林脩一容疑者が昨日の午後十時頃、湊町署の署員によって殺人及び死体遺棄の疑いで逮捕されました。岡林容疑者は容疑を認めているということです。警察はすぐに事情聴取を始めた模様です」
朝刊用の記事を書き終え、寝に帰った自宅マンションで翌朝起き出して、テレビを付けた。ニュースを聞く。岡林は逮捕されたらしい。あたしも安心していた。昨夜の午後七時段階では、まだ岡林は捕まってなかったのだが、午後十時過ぎに湊町署刑事課の署員が街のネットカフェに寝泊まりしている岡林を発見し、任意で同行を求めたらしい。同行後、犯行を認めたので逮捕へと切り替えて事情を聴き始めた。
村木の見立て通り、岡林は町村さんの自宅マンションのキッチンで、置いてあった包丁を使い、被害者の脇腹を数度刺した後、逃亡を図ったらしい。殺人及び死体遺棄の罪で今後取調べが続くという。あたしも犯人があっさり捕まってしまった事に違和感のようなものすら感じているのだった。今後の事も記事に出来る。なぜ岡林が町村さんを殺害したのか、動機が不十分だからだ。
テーブルに置いていたスマホが鳴り出す。手に取り、ディスプレイを見ると、社のデスクの元島からだ。受信ボタンを押して出る。
「はい、木畑」
――ああ。デスクの元島だけど、君は今日非番だろ?
「ええ。……それがどうかしたのですか?」
――休んでるのかもしれないが、昼頃に社まで来てくれないか?町村さん殺害の一件で、F県警捜査一課の村木警部が君に会いたいと言ってきた。情報提供の可能性が高い。
「分かりました。お昼に来ます」
そう言って電話を切り、長い髪をヘアピンで留めて洗面所へと向かう。洗顔とメイクを済ませたら、コーヒーを一杯飲むつもりだ。朝食は取らない。時間がないからだ。ずっと記者生活をしていて、お金はかなり潤沢にあった。使いきれないぐらい預貯金があるのだ。普段食事するにしても、取材先に行けばコンビニで缶コーヒーを一缶とおにぎりを一個、パンを一個ぐらい買って軽めに済ます。いつもそうなのである。
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正午に本社に来て、フロアに入っていくと、元島が村木と一緒にいた。ここは本来なら常に最前線にいるあたしの来るところじゃない。だが元島があたしと村木を会わせたのは何かがあるはずだ。きっと岡林が町村さんを殺害した件で新たな情報が入ったのだろう。
「木畑、村木警部が仰りたいことがあるらしい。別室でお伺いしなさい」
「分かりました」
そう返し、本社の一室へと村木を案内した。室内に入り、天井灯を付けてエアコンを入れると、村木が開口一番、
「岡林の野郎、マル害を殺した動機は衝動的だったなんて言いやがった」
と言った。あたしも入室してすぐにICレコーダーを回していたのだが、やがて、
「そのネタ、もちろん書いてもいいですよね?」
と訊く。村木が、
「ああ。維新日報のやり手の君にネタ提供するため、今日わざわざ来たんだ」
と返す。そしてタバコを取り出し、銜え込んでジッポで先端に火を点けた。燻らせながら灰を近くの簡易灰皿に落とす。しばらく寛ぎながら、互いにいろいろと会話し続けた。村木も現役の刑事だが、普段戦場にいる分、こういった時は気を抜く。岡林が町村さんを殺害した動機は曖昧だったのだが、これが現実だ。話を聞き進めながら、そう思う。
村木が話をし終わると、あたしも頷き、
「分かりました。このネタは今夜記者室で記事にしますので、明日の朝刊楽しみにしててください。きっとスクープになると思います」
と言って、先に村木を部屋から出し、電気や暖房を消した。もちろん会話は全部録音済みだ。いったん自宅に戻るつもりでいた。仕事道具はICレコーダーしか持ってきてなかったからである。パソコンやフラッシュメモリなどは置いたままだった。社出入り口で一礼して村木を見送り、自分も歩き出す。多分、飯森はもう記者室にいるだろう。スクープは取り合いになる。それがあたしたち新聞記者の仕事の実態だ。相変わらずブン屋と言われて、嫌われてはいたのだけれど……。
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スマホの時計を見ると、午後二時だった。記者室には午後四時前に入れる。しっかりやるつもりでいた。岡林の起こした殺人事件で村木からネタをもらったのだから……。害者が取調べで落ちた段階で送検される。そして署内にある帳場も解散となるのだ。村木たち刑事も、あたしのような新聞記者もほぼ欠かさず働いている。やってることは違うのだが……。
そして乗ってきていた車を飛ばし、自宅へと向かう。いつも長距離移動には自動車を使っていた。辺鄙な場所に行くこともあるからだ。普通自動車の運転免許は入社前に取得していて、乗り慣れていた。エンジンを掛けて気持ちを落ち着け、ゆっくりと走らせる。もちろん歩けるときは歩いていたのだが……。
午後四時までに必要な道具を自宅から運び込み、記者室で記事を書くつもりである。別に抵抗はなかった。単に明日の朝刊の社会面に今回の事件の詳細を記す記事を載せるだけだ。もちろんネットニュースでも流す。維新日報もちゃんとした新聞社である。何も政治面や国際面、経済面などばかりが読まれるわけじゃない。三面と呼ばれる社会面にも読者はいる。そういった紙面を担当するのが、あたしの仕事だ。
村木が提供してくれたネタを使って記事を書く。仕事には慣れていたのだし、午前零時までに入稿すればいい。今夜も午後五時過ぎぐらいから濃い目のコーヒーをブラックで淹れて飲みながら、パソコンのキーを叩くつもりでいた。明日の維新日報のトップは岡林脩一による町村伸子さん殺害事件の続報がメインになると思っていたので……。
午後四時段階で、記者室では飯森がすでに自分の椅子に座っていた。自動で冷暖房が設定されている。利き過ぎるときは自動でダウンするのだし、利いてないときは自然にアップする。その繰り返しだった。あたしも記事を打ち続ける。真冬で足元まで暖房が来てない分、冷えてしまっていたのだが……。
(了)