37.ほっとした
「あのね、……喜成は、島根さんと付き合うの?」
「えっ、……なんで?」
なんでって、どういう意味だろう。なんで付き合うという話になったのか、という問いなのか。それとも「なんでそんなことお前に聞かれなきゃいけない」ということなのか。後者だったら泣きたい。でもまだ泣きたくないので、都合のいい方に話を持っていくことにする。
「だって、デート、したんでしょ?」
「デートって、昨日の?」
「みんな噂してたよ。喜成が、いつもは女子の誘いなんて断るのにって」
そう言ったら、喜成は「どうりで……」と呟いた。
「なんかいつもより女子が周りにくると思ったら、噂になってたのか……」
「喜成って、鈍かったんだね……」
もっと周りの機微に敏いかと思っていたのに、そうでもなかったようだ。
「でも女の子の言い分もわかるよ。喜成、今まで女の子と二人で出かけたことないもん」
「樹と出かけてるだろ」
ぶすっと言われて心臓が跳ねた。それじゃあ、まるで私を女の子扱いしているみたいじゃないか。
「こ、この前まで男だったんだから、私は入らないでしょ」
「……もしかして、文化祭のとき先輩の前で言ったこと、気にしてるのか?」
痛い所を突かれて、思わず視線を逸らす。が、暗い中でも喜成が私をまじまじと見つめているのがわかった。
「べっ、べつに! それより、島根さんのことだよ!」
「島根さんにはちょっと買い物に付き合ってもらっただけで、全然そういうんじゃないよ」
「だったら私か琴美と行けばいいじゃん……」
自信がなくなって、語尾が尻すぼみになる。
「いや……」
否定されたその一言に、胸が痛んだ。唇をぎゅっと噛んで俯く。
続いてはあ、と溜息が聞こえて体が強張る。視線の先で、仄かに浮かんだ自分の影が揺れた。
「樹、来てくれ」
「えっ」
突然、喜成が私の腕を掴んで立ち上がらせた。驚いた私は、喜成に引っ張られるままついていくことしかできなかった。
そんなに時間をかけずにたどり着いた先は、喜成の家だった。
「ただいま」
「お、おじゃまします」
「おかえりー、って樹ちゃんじゃない。ごはん食べてく?」
いつもと変わりないおばさんが、いつもどおりに声をかけてくれる。
「あ、うちでもごはん用意してるから……」
「そっか、今度は食べていってね」
「ありがとうございます」
にこっと笑ったおばさんに会釈して、スタスタと部屋に向かう喜成の後を小走りで追いかけた。ちょっと背中が怖い気がするのは、私の思い込みだろうか。
「樹、ちょっと座って」
学習机の椅子が引かれ、座るように促される。喜成は私が座ったのを確認すると、私に背を向けて押入れを漁りだした。全く持って、何が何だかわからない。
探し物はすぐに見つかったようだ。一分もせずに、喜成は大きな包みを私の目の前にずいっと押し出した。
「……なあに、これ?」
それは、淡いピンクの紙袋に赤いリボンでラッピングされた、どう見ても大きなプレゼントだった。私の一抱え分もある。
「樹に、プレゼント」
「へっ!? なんで!?」
「……来週、誕生日だろ」
言われて気づく。確かに来週、十一月十一日は私の十六回目の誕生日だ。覚えやすくてちょっと気に入っている。
「ほんとは当日あげるつもりだったんだけど……」
ぐっと手に押し付けられ、恐る恐るリボンをほどいた。
「……わぁ、ごろねこだぁ」
中から出てきたのは、私の大好きなキャラクター「ごろねこ」のしかも一番好きなキジトラの抱き枕だった。でも、こんなに大きなものは、いつも買い物に行く雑貨店では見たことがない。
「それ売ってる店を探してたら、島根さんが教えてくれてさ。ほら、あの人住んでるところ、こっちより栄えてるだろ。で、道案内してもらったってわけ」
「そうだったんだ……」
なんかもう、どうしよう。
「嬉しい……。ありがと……」
ちょっと鼻の奥がつんとした。喜成が私の好きなものを覚えていて、そして私にサプライズをしてくれたことが、とても嬉しかったのだ。
「良かった……。樹に喜んでもらえるか不安だったんだ」
「喜成が選んでくれたなら、なんだって嬉しいよ!」
勢い込んで言ったら、なんか喜成が赤面した。それを見て、今自分が言ったことを反芻してしまう。恥ずかしい台詞だったことに気付いて、私も赤面してしまった。沈黙が少し続いた中、喜成がコホンと咳払いをした。
「と、とにかく! 島根さんとはデートでもなんでもない。わかったか?」
「う、うん。そ、そうだよね、喜成には好きな人いるしね……」
「それ、覚えてたのか」
「そりゃ、衝撃的だったもん。喜成に好きな人なんて、寝耳に水だったし。でもさ、喜成の好きな人ってさ」
「えっ」
ごくり、と喉が鳴ったのは、私か、喜成か。
「……琴美、だよね」
「なんでそうなるんだよ!」
間髪入れずに喜成から突っ込まれた。こんなに荒ぶった喜成なんて、いつぶりに見ただろう。
「ち、違うの?」
確かに、琴美にも否定されたのだが。
「だって、今まで喜成が気にかけてきた女子って琴美しかいないし……」
「いや、樹も気にかけてきたと思うんだけど……」
その言葉にまたドキリとする。いやいや、比較対象として私の名前が挙がっただけであって!
「琴美は、なんつーか、ライバル?」
「そ、そうなんだ?」
よくわからないけど、お互いに切磋琢磨しあっているのだろうか。私はそこまでハイスペックじゃないので、ライバルにはなれなそうだ。ちょっとしょんぼり。
「大体俺は---」
喜成が何か硬い表情で言いかけたとき、私のケータイが着信を告げた。
画面を見ると兄ちゃんからで、慌てて出る。
「もしもし? どうした」
『樹っ、無事かっ!?』
の、と言い終わる前に、兄ちゃんの大きな声が響いた。思わず耳から遠ざける。
「兄ちゃんうるさい……」
『無事なんだな!? 帰りが遅いから心配したんだ……。今どこだ!? 迎えに行く!』
「あー、ごめん。今喜成の家で、すぐ帰るから」
『喜成の、家、だと……?』
「? うん。迎えはいらないよ」
「俺、送ってくわ」
「そう? ありがと。兄ちゃん、喜成が送ってくれるって。心配いらないよ」
『いや、逆に心配……』
兄ちゃんは何を言っているんだろう。よくわかんなくて、適当に声をかけて電話を切った。
家までの帰り道は、最近で一番自然に喜成と会話できた気がする。最後に抱き枕のお礼を言ったら、喜成は見とれるような笑顔で笑って帰っていった。
なんだか家では兄ちゃんがブツブツ言いながら暗い顔をしていたけれど、それも気にならないくらい、私の機嫌は上昇していた。
「そういや喜成、なんて言おうとしてたんだろ」
電話が来る前に喜成が何を言おうとしたのか。思い出したのは布団の中で、少し気になったのも束の間、久しぶりのストレスフリーな環境で、私はすぐに眠ってしまったのだった。そして、気になったことすら次の朝には夢と一緒に忘れてしまっていた。




